Baradomo日誌

ジェンベの話、コラの話、サッカーの話やらよしなしごとを。

2016秋

2016-09-10 | よしなしごと

秋ですな。
毎年この時期、親父が梨を送ってくれる。
カミさんの実家に一箱、私のとこにも一箱。
宵っ張りの朝寝坊には梨がよいのだわ。

昨夜は1年振りのアフリコさんを聴きに行った。
パリを拠点に欧米を股にかけてツアーしまくっているアキコさんとジム君。
そりゃあもうまさにオリジナルな音を聴かせてくれた。

オリジナルな、と言うならばつい先日デュオをやったhanawo氏も、だ。
ヴィジョンが明確と言うか、やり切る強さがあると言うか。

こういう演奏に触れると刺激になる、なんて言い方は陳腐だ。
己が小ささを痛感し、謙虚に謙虚に淡々と。
次のライブに向けてこちらも始動せねば。

年頭に思う

2013-01-02 | よしなしごと
実家に来ると、何となく曲みたいなものが浮かぶ。
なんでだろ?って、話は単純。
多分、空が広いから。
家が少なく、電線も少ないから、視界を切り取られることが少ない。裏は川だし。
そして、それは俺が子供の頃から変わらないことだから。
この場所のゆっくりとした時間が、自分を取り巻く世知辛くてちっぽけな事柄の本質に気づかせてくれるのだろう。
だからって解決策はわからないし、問題が消えるわけではないんだが、心に余裕が生まれるような感覚がある。
「間」が生まれると言うか。
多分、それが故郷ってやつのいいところなんだろう、俺にとっては。

お盆は帰省するもんです。

2012-08-13 | よしなしごと
盆暮れ正月の帰省って、美しい風習だと思うし、いろんな思いが去来します。

幸い、私の実家付近は商業地域ではなく、田園地帯なので、昔とさほど変わらぬ風景が広がっています。
夜になると虫の声、木立を抜ける風の音、そして遠くから聴こえるバイクの爆音。

そういう音の中にいると、とても落ち着き、同時に、なんとも言えない寂しさも感じます。

そんなアンビバレントな感情が沸き起こる時、ここが故郷だと実感します。

今夜は朗読セッション

2012-08-05 | よしなしごと
あぢ~。

お暑うございます。

確か、北京五輪のときだったか、日本サッカーは日本柔道に見習うべきだ、みたいなことを思い、そんな記述もした覚えがあるけど、今回のロンドン大会では、結果だけみれば完全に逆転。

だからって日本柔道の価値が下がったとは全く思いませんけど、試合は稽古のように、稽古は試合のように、という教えの重要性にまた気づかされた感じです。

さて、今夜は朗読セッション。
稽古のような演奏になるか?


ピーコート雑感

2010-02-19 | よしなしごと
今年は例年になく雪が降っております。
積もるほどじゃないのがありがたいような淋しいような。
でも、寒いことには変わりなく、コート姿の皆さんが朝夕この狭い日本国土の上を大移動しているのかと思うと淋しさもまぎれます。

さて、コートです。
スーツ姿の場合、比較的年齢の高い方のほうがロングコート、若年層のほうが短い丈のコートを着る傾向にあるような気がしますが、皆さんはいかがでしょう?
私が電車内とかで見かける比較的若いサラリーマン、中でもファッション性を誇示しているかのようなサラリーマン、あるいは若くあろうとするようなサラリーマン諸氏には数年前からピーコートが主流のようです。
あ、ちなみに彼らの実年齢は問いません。
共通することは、ピーコート着用、ノータックのパンツ着用、確実に注意を払っているに違いない頭部(髪型と眉毛)の3点。加えて、およそビジネス向きとは言いかねるようなデザインの靴を履いていることが多く、もし私の職場に飛び込み営業に来れば、確実に「軽く」あしらわれるだろう、そんな風情も共通項。
個人の趣味だからそれ以上の印象論は自粛いたしますが、今季、私は、もうひとつのある共通項があることに気付きました。
それは、ピーコートのベンツです。

センターベンツが入ったピーコートをよく見かけるんですが、購入時、ベンツのすその部分は仕付け糸で留められています。
それは買ったらはずすもの、と信じて早43年目に突入(嘘)。
しかし。
皆さんのベンツは留まったまま。
それは仕付けてあるだけでしょう?はずさなきゃいかんでしょう!と心の中で叫び続けましたが、あまりに多くのサラリーマンがその状態でピーコートを着用しておられるので、だんだん不安になってきました。

もしかして、そういうデザインなの?

ちなみに比較的御高齢のかっちょええ爺様が着ているピーコートは、しっかりベンツが開いています。
本日より後厄の年齢に突入した男としては、その方が見ていてしっくりくるんですが。

真相やいかに?
あ、蛇足ながら。
本来、スーツの着こなしってのはヨーロッパの文化であり、きちんと着こなせる=大人、ってことだと思うわけです。
NBAしかり。
バンクーバー・オリンピック、スノボ代表の国母くんのスーツの着こなしがどうだ、とかマスコミをにぎわせましたが、「だらしがない」VS「若いんだからあんなもん」というかみ合わない議論、それをとやかくいじり倒すマスコミの姿勢。
本質を探究どころか省みることもせず、極めて表層的な事象にのみ注意を払う。
この一種の幼児性が、すでに年齢を問わず、この国に蔓延してしまっているように思います。


不思議な人。

2010-01-28 | よしなしごと

毎朝通勤のためK駅から電車に乗る。
できれば7時42分発の上り列車に乗りたいが、毎朝ついつい乗り遅れ、続く45分発を待つ。
下車した後のロスタイムを少なくするため、いつも最後尾の車両の3つめの乗車口から乗る。乗車後の立ち位置も毎日ほぼ一定。
恐らく、電車通勤する人ならば皆に共通するだろう、この行動パターン。これも社会秩序の1ピースだ。
不思議なことに、ホーム上には3列で並ぶよう表示がされているにもかかわらず、私が乗る車両付近は何故か二列。三列に並ぼうとすると非難するような視線を感じることが多い。ほかの駅ではあまり意識したことはないが、これもきっと社会秩序の1ピースなのだろう。

42分発の列車が出たあと、私が並ぼうとする列に毎日必ず真っ先に立つ、見たところ30代前半?の女性がいる。
明るくカラーリングしたミディアムのストレートヘアに、きりっとした眼差しが意思の強さを感じさせる。とりたてて美人と言うわけではないが、感じのいい「お姉さん」。
出勤後着替えるのか、スーツ姿はほとんど記憶にないが、パンツルックの時が多く、ショルダーバッグを右肩にかけ、ひじで押さえ込んでいる。年間通して毎日日経新聞を手にしていて、冬場は黄色とオレンジのストライプが入ったマフラーを毎日巻いている。
ちなみに今朝はブーツカットのジーンズにステンカラーコート、マフラーを巻いて、手にはもちろん日経新聞。

毎朝、彼女はその列の先頭左側に立とうとするが、もし自分が2番目であったならば、手に持った日経新聞で先頭の人の肩からうなじ辺りを突付いて押し出し、自分はホームの黄色い線ぎりぎりに立つ。
その間、彼女は新聞から顔を上げることはなく、終始無言。そして定低位置を確保した彼女は足を肩幅程度に開き、微動だにしない。
文句を言う輩に対しては、アゴをほんの少し右に向け、上目遣いの横目で憎悪に満ちた一瞥を送り、すぐ新聞に視線を戻す。

45分の電車がホームに入り、目の前のドアが開く。
しかし彼女は顔を上げず、微動だにしない。
急流に抗う杭のように、乗降口に流れ込む人の群れの中に立ち尽くし、新聞を読み続ける彼女。
車内で低位置を確保した乗車客は、なぜか一様に来たりし方向に目を向ける。
すると、足を肩幅程度に開き、微動だにせず、新聞を読み続けている彼女の姿。
多分、あの時間帯にあの場所にいる人々は皆、彼女の存在を認識し、意図的に避けているのだ。
これも恐らくは社会秩序の1ピースなのだろう。
彼女は杭だ。杭になったんだ!

時々、この秩序を知らずに列に並んでしまう人がいる。彼女をよけることができず、肩もしくは身体ごと彼女にぶつかってしまう彼らに対して、彼女は必ずアゴをほんの少し右に向け、上目遣いの横目で憎悪に満ちた一瞥を送るのだ。

どう見ても通勤列車に乗ったことがなさそうなおば様の群れが濁流のように彼女を飲み込み、ホーム上でキリキリ舞いしていたこともあった。
列の左側に立つ彼女の背後に立っていた屈強そうな2人の若者が、左右から同時にタックルし、彼女を乗車させてしまったこともあった。
それでも彼女は脱兎のごとくホームに戻り、新聞に目を落としながら乱れた髪を必死に撫で付けていた。
みだりに杭を抜いてはいけないのだ。

そんな愚直とも言える彼女の姿は感動的。多分、そのおかげで私たちがほんの数秒前に感じていたはずの怒りは有無消散し、このささやかな空間の秩序が守られたことに安堵してしまうに違いない。

って、そうとでも考えないと、恐らく車両事故等に遭うこともなく、毎朝そこに彼女が立っている理由がわから~ん!
多分、あの時間そこにいる誰しも、彼女に殺意を覚えたことは一度や二度ではないはずだ。
そうまでして次の48分発に乗りたいのか?

ところが。

48分にもさらに次の50分にも乗らないのだ、彼女は。
一度、遅刻して8時13分発に飛び乗った時、振り返ったら彼女がいた。
ほぼ30分間?人の川の中で杭のように突っ立ってる神経がわからん。

でも案外、彼女側から見たら違う風景なんだろうな。ちょっと見てみたいような・・・。

Phone call blues

2009-10-16 | よしなしごと
帰宅途中歩いていたら、友人のギタリストから電話があった。

ちょっと先の話だけど、某月某日の土曜、身体は空いているか?
自分の古い友人が、今、病気と闘っている。
彼もギタリストであり、病気に勝つために、入院前に自分の古い仲間を集めてセッションを企画している。彼が一緒にブルーズを演りたいと言っているんだが、彼の仲間内にはブルーズを叩くドラマーがいない。
だから、叩きに来て欲しい。

そんな内容。

ある程度年齢をとれば、遅かれそんな話もあるだろう。
でも、俺もその彼も、またその友人氏も40代。まだいいんじゃねぇの?
今年は俺の同級生のサックス吹きも逝っちまった。
一緒にバンドをやっていた、あるブルーズマンが逝ったときのことが生々しく思い出される。当時、彼も40代。お袋が逝く前月のことだった。あれからもう5年か。

まだいいんじゃねぇの?


帰宅後、カミサンにそんな話をしていたら、不意に涙がこぼれてきた。

「それも何かの縁ね。じゃ、叩きに行くのね?」

少なくとも、俺を必要としてくれる人がいた、ってことだから。
俺は幸せ者なんだと思うよ、きっと。

見た目じゃわからんよ

2009-08-04 | よしなしごと
[ scene 1 ~ 2009/08/02水元公園野外ステージ ]

みんな好き勝手に踊ってる。
すり鉢状の客席とステージの間の空間はさながら干上がった池の中。
池の底で踊る人が次第に増えてきた。
OKでしょ~!客席の皆さんも体動き出しましたね?
OK、OK!もっと叩きますよ~(パラララララ~!)。

・・・アレッ!
そこで踊り始めた男!どっかで見たことあるなぁ。
つむじのところで髪の毛をお団子にして、エスニック系ファッションで、ってよくいるタイプの人なんだけど。
誰だっけ?話したことはないと思うけど、間違いなく見たことあるぞ、あんたの顔は。なんかやつれた感じで、そう!その猫背!
どっかのイベントとかで見た人かなぁ?
はて?

それはともかく、ジェンベのアンサンブルは初めて聴いたのかな?
踊ってるってことは気に入ってくれてるんだろうな~。
んじゃ、ノッテちょ~だいなっ(パラララララ~!)。


[ scene 2 ~ 2009/08/03某地下鉄駅構内 ]

朝、改札抜けて歩いていたら。

・・・アレッ!

つむじのところで髪の毛をお団子にして、エスニック系ファッションで、向こうから歩いてくるあんた!
昨日水元公園にいたろ?違うかなぁ?
って、あ~そうか、毎朝ココですれ違ってたんだ。なるほど。

ん~、そのやつれた表情と猫背は間違いなく昨日の人だと思うんだがな。

俺、昨日、水元でジェンベ叩いてたんだけど・・・って、わっかんね~よな、そちらも出勤途中だろうし、そこまで見てないって。
それに、こっちはネクタイこそ締めてないけど、一応スーツ姿。
昨日の服装とはあまりにも違いすぎる。

まぁ、いいや。


なんかこういう「すれ違い」って面白い。

コラの弦は何故2列か?

2009-02-19 | よしなしごと
先日製作した西アフリカの楽器、「コラ」。
リュートやギターに似て、共鳴胴に棹がついた形状だけどフレットがなく、音の出し方などはむしろハープに近いように思えるけど、なぜか弦が縦に二列並んだ不思議な楽器。
楽器分類学なんぞによれば「ハープ・リュート」と標記されることもある楽器で、実は300年位の歴史があるそうだ。
しかし、何ゆえ弦が二列?

毎晩音源を漁ったり、あいた口がふさがらぬほどマニアックなサイトから譜面みたいなものを引っ張り出したりしながら基本的な弾き方を探っているけれど、この楽器は弦が2列、右側にドミソシレファラド(レミ)、左側に(ドソラシ)レファラドミソシとなるのが基本のチューニングらしい(厳密に言うと、若干ずれるようだけれど)。
だから、左右交互に弾けばドレミファソラシ~といけるのであり、また、片方で2、3音を一度に鳴らせば、ドミソ、シレソ、ドファラって具合に基本の和音が出せる。
単純なことだけど、これって凄い!
知ってる人は知ってることなんだろうけれど、弦が2列だからこそ可能なこととはいえ、あまりの単純さにかなり強烈に驚いた。
誰だか知らんが、これを発明したヤツは天才だ!

「ハープ」という楽器は世界最古の楽器と言われ、エジプトもしくはメソポタミアにその起源があるという。「弓」がもとになってできた楽器であり、世界中に様々な形態で伝播しているが、現在のそれはおおむね共鳴胴と弓部分があり、弦は低⇒高だったりその逆だったり、とにかく一列に並んでいる。

西アフリカにもハープのような楽器は多く、中でもコラのご先祖と目される「ボロン」という3~4弦の弦楽器で演奏されるソファという曲のダンスの振りの中には弓で矢を射る振りがあるから、西アフリカにおける弦楽器のルーツとしても「弓」を挙げることができるだろうし、あるいはこれもまたハープが伝播したことにより生まれた楽器かもしれない。
ボロンもハープ同様に弦は一列であり、左右の手を用いて演奏するシンメトリーな形態。ボロンはひょうたんを叩いて音を出すことも多く(コラにおいても支え棒を叩く奏法がある)、ハープとの比較においてはメロディ楽器というよりむしろ打楽器的である。また、カマレ・ンゴニとかドンソ・ンゴニなどの弦楽器は弦が二列だったりするので、ボロンとコラの中間みたいな位置づけになるのだろうか。
ギターやリュート、あるいはアフリカのものでもっと小さなンゴニ(そもそも「ンゴニ」ってのは弦楽器の総称なんだそうだ)なども演奏者の身体(頭部)に一番近い弦が最低音、もっとも遠い弦が最高音となっているが、片手で弦をはじき、片手でフレットを押さえるアシンメトリー(左右非対称)な形態。
もっと複雑な構造を持つインドのシタールもアシンメトリーに見える。ドローン弦がどうなってるかは未確認だけど。
それから、カントリーミュージックを象徴する楽器、「バンジョー」もアシンメトリー。
これは合衆国オリジンのようなイメージがあるが、実はアフリカ起源で、カリブ海域、合衆国南部の黒人に広く使用されていたらしい。原型はむしろンゴニに近く、ひょうたんに皮を張った共鳴胴にさおを差した形状。
ンゴニに似たような形状の弦楽器はエジプトにもあるし、モロッコのゲンブリもそうだ。

こうやって見てくると、アシンメトリーな弦楽器が非常に多いことに気付く。
少ない本数の弦で表現できる音域を広げようとした結果、ネックとフレットが発達し、現在のギターやバイオリンなどに見られるアシンメトリーな演奏形態の楽器にたどり着いたのだろうか。
また、弓矢を打つ場合も、左右の手の役割は全く違うから、アシンメトリーな弦楽器の方がより「弓」的だし、そもそも「弓」=狩猟であるから、弦楽器は狩猟系の文化が生み出した楽器と言えそうだ。
ではその対極である、農耕文化あるいは定住化の象徴は何か?
定住化によってもたらされる社会的変化として、集団作業、家畜の飼育、祭祀儀礼などがあり、共同体の拡大に伴い通信手段の発達も予見される。
そこで家畜から得た皮、家屋や農耕作業に必要な道具類と材木から太鼓が生まれた、な~んてことが言えないだろうか?大体、ジェンベなんてもとは「臼」だって話だし。
太鼓類の構造上の特徴は胴に皮を張ってあること、バチを使おうが素手で叩こうが、概ね左右の手を同じように使って演奏できることにある。また、複数の太鼓を並べてメロディを叩くことも可能だが、基本は一人1台で弦楽器に比べてやたらと音のレンジが広い。
打楽器、という広い枠で見れは、ゴングだったりガムランだったりというメタル・パーカッションもあるけれど、それは「定住化」よりもさらに進んだ、独自の宗教や明確な階層分化を持つに至った社会においてのみ生まれる可能性のある楽器なのではないか(あくまで私見ですけどね)。


ここで見方を変えて。
左から右に低⇒高の順で音が並んでいる、「音の並びがアシンメトリー」な「弦楽器以外の楽器」と言うと、いわゆる鍵盤楽器がほとんど含まれる。中でもピアノやオルガンなどの起源はイスラム圏に求めることができそうだし、ヨーロッパは原型を改良・加工した地と言える。
また、打楽器なんだけどえらくメロディアスなマリンバ。一般的にはアフリカ起源とされるが、実はマリンバの起源はインドだとする説がある。
古代インドに存在していた「タラング(音が並ぶ楽器)」の一種が、マダガスカルを中継点としてインド洋経由でアフリカに伝わった楽器だ、というのがその説。ちなみに、赤道以南のアフリカで支配的なバントゥー語群では、「リンバ」は木の棒を、「マ」が多くの数を表す接頭語であるから、「マリンバ」は、多数の木の棒から成る楽器をあらわし、これが西アフリカではバラフォンと呼ばれるものだ。
似た名称として「カリンバ」がある。これは東部アフリカ~南部アフリカを起源として広く分布する「親指ピアノ」の類の別称(米国人がつけた名称らしい)であり、タンザニアやらケニアの方面ではイリンバ・チリンバと呼ばれている小型の打楽器。その中でも恐らくもっとも高度に発達したものがジンバブエのムビラだろう。一方、西アフリカのマリ周辺にも同様の楽器があり、こちらはザンザとかサンザとか呼ばれているらしい。
バントゥー語群地域における「リンバ」という単語の共通性と、タンザニアあたりの竹製イリンバなんてものの存在を合わせて考えると、アフリカ本土よりも人間、文化の面で東南アジアやインドからの影響が色濃いとされるマダガスカルが、これらの楽器(マリンバと親指ピアノ)の成立に大きな影響を与えたことが予想される。
マダガスカルのヴァリハなんて、竹でできた琴みたいだし、そう言えばバラフォンの台に竹が使われていたりするし。アフリカにも竹の文化があることに驚くが、マダガスカルを中継地としてはるかなアフリカがアジアとつながっている、っていう話にはロマンがある。

ところで。
「親指ピアノ」の類はマリンバ(バラフォン)とほぼ同様の地域に存在しているが、マリンバと違って比較的シンメトリーに音が並び、小さいものの場合には、概ね真ん中のキーが一番低い音で、外に向かうにつれて互い違いに音が高くなる構造となっている。
また、小さな親指ピアノが左右に二つつながったような鍵の配置になっているものもあるが、やはりシンメトリーだ。

インド起源のアシンメトリーなマリンバを縮小し、簡略化しようとしたものが親指ピアノなのか?
あるいは、左右の手を同様に使ってシンメトリーな音の配列からメロディを紡ぐ親指ピアノが先に存在したのか?
正確な年代はわからないし、また、それらの楽器が共同体の中でどのような位置づけであったかによっても、発達過程は違ってくるだろう。
例えば西アフリカでは、農民はジェンベなどの打楽器、メロディをつかさどるバラフォンやンゴニの類はグリオと決まっている。
親指ピアノは誰のもの?ジンバブエのムビラは先祖や精霊と交信するための楽器だと言うし、そのためにやはりグリオのような家系において演奏されてきたと聞いたことがあるが、東部アフリカ~南部アフリカの他の地域も同様か?

分からないことは多いけれど、演奏者の肉体に一番近い位置に低い音が、一番遠い位置に高い音が配置され、なおかつ両手を使って演奏する、という特徴は、かなりの種類の親指ピアノとコラに共通し、なおかつ他地域に起源を持つ楽器には見られない特徴であるように思う。
また、弦が縦に並んだボロンやドンソ・ンゴニなどは、親指を使って演奏者の肉体から外へ向けて押しやるように弦をはじくのが基本的な奏法。つまり、弦を「引く」のではなく、「叩く」動作となる。
これは明らかにハープとは異なる。
いや、もしかして、ヨーロッパ等での「弓矢」は「弦を引く」動作が基本で、アフリカのそれは「弓を押す」動作が基本、なんてことがあるのだろうか?

それはさておき、「叩く」もしくは「押す」動作は太鼓の演奏法と共通するものだ。
従って、西アフリカの弦楽器、中でもボロンやコラといった大型のそれは、ひょうたんに皮を張った太鼓と、効果音的に使う弦との組み合わせがもとになっており、弦を「引く」のではなく、「叩く」ことがその原初形態だった、と言えるのではないだろうか。
つまり、ボロンやコラ、ドンソ・ンゴニなど比較的大型の弦楽器は、実は「打楽器」なんではないか?ということだ(えらい飛躍ですが、あくまで私見ですので)。
そして、弦を縦に並べ、その弦を叩いて演奏する楽器において、表現できる音のレンジを増やそうとした結果、弦の数が増えていったのであり、コラの弦数がンゴニ等に比べて極端に多い理由はそこにあるのだろう。
ドンソ・ンゴニの多くが、弦は二列に並んでいるようだし、写真でしか見たことはないが、ブルキナファソにドンソ・ンゴニそっくりなゴニという楽器があり、これもまた3本×2列の6弦だった。
二列にすることにより、一本の弦を両手で連打することはできなくなったが、そのかわり、メロディアスなパッセージを速いテンポで演奏することが容易になる。言い換えれば、太鼓的であったものが、よりメロディ楽器寄りとなり、さらなる音数(=弦数)が求められると同時に、ひょうたんの太鼓は共鳴胴としての性格を強めていく。
加えて、さまざまな演奏テクニックが開発されていく過程において、縦に並んだ弦は最高音と最低音を同時に人差し指と親指で触れる程度の間隔に配置し、その間の弦は、それぞれ単音で鳴らすことができる程度、つまり親指もしくは人差し指が弦と弦の間に入る程度の間隔で並べていくと、個人差はあるだろうけれど概ね10本くらいまでが扱いやすい、ということを発見した結果、現在のようなコラの形状が定まってきたのではないだろうか?

以上、単なる仮説に過ぎないけれど、楽器から世界史を見直すと教科書が書き換わってしまいそうな予感がしてきた。