Baradomo日誌

ジェンベの話、コラの話、サッカーの話やらよしなしごとを。

このチームは化けるかもしれない。

2008-07-25 | サッカーよろずごと
U23日本代表壮行試合、対オーストラリア戦。
なんか、妙に溌剌とした試合でびっくり。

なんだよ~、やればできんじゃん!
な~んて漠然とした感想は彼らに対して失礼だろう。
やっと射止めた本番代表の座。
ユース年代から継続してのチーム内での競争、所属チームと代表チームとの戦術の違い、協会、マスコミ、俺を含めたサポーターからの期待とプレッシャー。
そういったもろもろのことをすべて背負って、なおかつアジア枠の出場権を獲得して。
そりゃ溌剌とするだろうさ。

この試合で目立ったのは、パススピード。
かたやA代表が、山なりのサイドチェンジを繰り返し、「世界との差」を見せ付けてくれていたのに対し、U23は短~中距離のパスをポンポンつないでいく。
しかも、ライナー系のパスばかりだから、攻撃がはまるとかなりダイナミックだ。
次回対戦するアルゼンチンや、ユース以来因縁のオランダなんかを相手にあれをやったらどうなるか?っていう楽しみが出来たな。
パススピードの問題って、言うまでもなく、中田英が散々言っていたこと。
実際、シドニーの時なんて、「それ、シュートかい?」みたいなパスがボンボン飛び交っていたもんねぇ。
だからこそのベスト8だったと思うんだけど。
そう考えると、本田圭佑、梶山、香川の3人が、どうリズムを作っていくか?がなにより見ものだ。

それと、徹底したサイドからのえぐりが目立ったこともうれしい。
日本には本格的なサイドバックがいないと言われてきたが、ここにきて内田・長友・安田の3人が出てきた。
彼らの台頭は、彼ら自身の努力は勿論のこと、岡田監督がA代表に彼らを抜擢したこともその成長促進剤となったのではないか?
青いフォーメーションが前後半を通じて両翼を広げ、走り続ける様は壮観だった。
あとはコンビネーションかな。

あ~、早くアルゼンチン戦見たいなぁ。
こてんぱんにやられるんだろうなぁ。リケルメに遊ばれちゃうんだろうなぁ。
それでぐっと締まってくると、これまでの評価とは一変した、えらくいいチームに化けそうな期待感があるぞ。

独り言。

2008-07-23 | 子どもの視線・親の気持ち

思うに。

自分の子どもに向かって、「あれをやれ」「これをやれ」「勉強しろ」「運動しろ」と言うのは簡単なことだ。

言い続けることで子どもが変るなら、言い続けることで根性のある子どもに育つなら、言い続けることで親の期待通りに子どもの成績が伸びるなら、これほど楽なことはない。

しかし、毎日毎晩くどくど話をしたとしても、何故、そんなことを毎度毎度言うか、その「親の思い」も一緒に子どもの心に届けることができなければ、親子にとって望ましい未来が訪れるはずもなく、単なる徒労を繰り返すのみとなる。

これは自明だ。
少なくとも、過去の自分がその証拠。

にもかかわらず、自分の子どもにあれやこれやと言ってしまう。
俺はそんな親だ。

何故事あるたびに子どもを叱るか?

子どもが何事かを行った結果、失敗に終わったから?
否。そんな単純なことではない。
子どもが行った結果が失敗ならば、次回は成功するよう、何故失敗したのか、その過程を検証させる必要があるのだ。
学んで欲しいのはここだ。
検証すること。
なんのために?
同じ過ちを繰り返さないために?
否。
子ども自身が、自ら自分の人生を歩くためだ。
自分のやりたい事を自ら選択して、自らそれに向かって努力する、その方法は、日々の生活の中にあるから。

勉強すること、体を鍛えること、努力すること。
それらはすべて手段に過ぎない。
目的、いや、目標はその先にある。
目標に到達するための手段が日々の努力だ。

このことを子どもが自ら知るためには、子どもが自らこの単純な事実に気付くためには、自ら挑戦しなくてはいけない。
そういう心を持てるよう、仕向けるのが親の務めだ。

しかし、くどくどと毎日いろんな話をしても、子どもの中に「自発的に挑戦する心」の兆しが一向に見えてこない、ってことは、俺の対応が間違ってるんだろうなぁ。

せめて、こうやって思い悩んでいることだけでも、あいつらの心に届いてくれていれば、せめてもの救いになるんだが。

目先の「楽」に道草を食いたがる「怠惰な自分」と、その後ろに見え隠れしている「好奇心の塊みたいな自分」。

君達の正体はどっちだ?
いい加減、見せてくれないか?

たまげた

2008-07-16 | よしなしごと
たまげた。

清志郎の癌再発に驚いていたら、横浜ベイスターズ・バッティングピッチャーをやっていた石田文樹(いしだふみき)氏(41歳)が直腸がんで亡くなっていた。
1歳上だよ?怖いなぁ。

石田氏と言えば、今から24年前、桑田&清原擁するPL学園を逆転に次ぐ逆転でぶっ飛ばし、夏の甲子園で優勝した茨城・取手二高のエース。卒業後、早稲田にスポーツ特待で入学するも、水が合わなかったらしく速攻で退学。確か、早稲田大人間科学部だったかの最初の特待生だったんじゃなかったかな。
その後、日本石油を経て、1988年ドラフト5位で横浜大洋ホエールズ入団。
でも、プロでは1勝しかできず、4,5年で解雇されてからはずっとベイスターズのバッティングピッチャーを務めてきたそうだ。
聞くところによると、3月頃に微熱が続き、なんか腹イタイってんで医者に行ったら即入院、手術、となったらしいが、若いだけに進行が早かったのだろうか?

ベイのHPを見ると、石田氏について「当球団チームサポーター(バッティングピッチャー)」と書いている。
サポーターなんだ、バッティングピッチャーって。
知らなかったな。

茨城出身の俺にとって、あの時の「取手二高」は今でも「地元」のヒーローだ。
桑田&清原(同い年なんだよな)という「スポーツエリート」を「田舎のヤンキー」がぶっ飛ばしてしまった試合として、あの決勝戦はいまだに思い出すだけでアドレナリンが出る。
毎年のようにテレビ観戦している夏の甲子園だけれども、ハンカチ王子とまーくんが再試合したと言っても投手戦だし、松坂が三振の山を作ってもそりゃ個人記録にすぎない。
かろうじて昨年の佐賀北や、数年前の佐賀商あたりがとにかくチームワークで勝ち上がったチームだった、っていう程度。
投げるも打つも全力、は当然として、監督の用兵術含めて、「知力・体力・時の運」すべてぶちこんだ、心も体も頭も疲れる総力戦の決勝戦は、あれ以降見た覚えがない。
ちなみに、石田氏の代の取手二高チームの甲子園での戦績は下記のとおり。
1984春 ○8-4松山商 ○4-2徳島商 ●3-4岩倉
1984夏 ○5-3箕島 ○8-1福岡大大濠 ○7-5鹿児島商工 ○18-6鎮西 ○8-4PL学園(優勝)
夏は箕島ぶっ飛ばしたのみならず、九州勢とばかりやってたんだ。
この時の主力は近鉄に行った吉田氏、現住金鹿島監督の中島氏、地元下妻二高率いて甲子園まで行っちゃった小菅氏などなど。

そして、当時取手二高を率いていた木内監督は今年77歳。昨年秋から常総学院の現場に復帰している。
先日、茨城県予選1試合目に勝った後、こんな事を言っていた。
「マジックの仕込ができたな。弱い奴も使うことできたし。」
こんな台詞を吐ける監督、いないよ~。
そう言えば、取手二高で石田氏を指導したコーチは、今も木内監督と行動を共にし、常総のピッチングコーチを務めているそうな。
こちら御歳79歳だとか。
「甲子園には魔物がいる」とはよく言うけれど、常総の相手チームにとっては「あっちのベンチに妖怪がいる」って感じだろうな。
今年は常総が出てくるかな?それとも霞ヶ浦?いやいや、イタリアで文化財に落書きして監督が首になった某私立?

一方、石田氏のご長男(高二)が神奈川県予選に参加しているそうだが、石田氏ご自身は長男の投げる姿を見ることなく逝ってしまったそうだ。
ちょっと早すぎるよね。

とにかく、ご冥福を祈りいたします。