Baradomo日誌

ジェンベの話、コラの話、サッカーの話やらよしなしごとを。

学童保育所での生活

2008-03-25 | 子どもの視線・親の気持ち
ウチの長女が小学校に入る直前、学童保育所の説明会に行った時に出会った女の子。
「うちの子2年生だからさぁ、一緒に遊んでもらいな!」
その子の母親に促され、一緒に遊び始めた長女だったが、ほどなくカミサンのところに泣きながら駆け戻ってきた。
「あのお姉ちゃんがね、一緒に遊んでくれないの!」
「勝手に遊んでな、って言っただけなんだけど。悪い?」

思えば最初からちょっととげのある子だった。
そこが面白かったんだけど。

それから2年くらいしたある日のこと。
長女がその子に声をかけた。
「○○ちゃん、何してるの?」

「・・・人間生活。」

絶句した長女は他の1学年上の女子に声をかけた。
「何してたの?」

「・・・息してたの。悪い?」


こういう反応の仕方って、子ども社会では一気に広まるもので。

ある日、私が学童へ娘を迎えに行ったら、学童の先生が必死に手を振って私を呼ぶ。
「さかいりさん、この問題分かります?」
見ればこれまた件の子の同級生女子。
「なんだ、宿題かぁ?どれ、何やってんの?」

「呼吸。」

ちょうどそこにその女の子の母親がやってきて、そのやり取りを聞いて怒りだした。
「あんた、失礼でしょ!せっかく教えてくれてるのに!!何考えてんの!!!」

「・・・人生かな。」


ある時、学童保育所に新しい先生が来た。
新しい先生は若い女性で、これまでのやり方を無視して、子ども達に自分の言うことを聞かせようと躍起になっていたが、全く相手にされない。
激怒した先生は、これまた件の子の同級生女子に向かってこう叫んだ。
「なによ、人の言うこと全然聞こうともしないで!あんたたちなにさまのつもりなの!?」

「お子様だよ!」



こんな環境に6年間。
うちの長女もタフになるわけだよな。


卒業式の夜

2008-03-24 | 子どもの視線・親の気持ち

先週の火曜、長女の卒業式の夜のこと。
私が夕食の準備をしていたら、呼び鈴が鳴った。
「はいはい~?」
「あ、○○ですけど~!☐☐ちゃんいます?」
お隣の長女(高二)だ。
「卒業おめでと~!」
なんとお隣から花束のプレゼント。
お隣は高二を筆頭に、高一、中二の三姉妹。
ウチの娘たちはよちよち歩きの頃から面倒を見てもらってきたのだ。
長女は大喜び。
そりゃそうだ。半歩先の未来を歩いている、憧れの「お姉さん」からの祝福だもの。

それからしばらくしてまた呼び鈴。
「△△ですぅ~、☐☐ちゃんいますか?」
今度は反対隣に住む長女の同級生。
「おぉ!卒業おめでとう!」
玄関先で私が声をかけると、はにかんだように照れ笑いの彼女。
4月からは他の中学へ行くので、顔をあわせる機会も減ってしまうだろうな。
と、そこにウチの長女が登場。
「☐☐、はい、誕生日のプレゼント!」
「なに、わざわざ持ってきてくれたの?ありがと~!」

そしてまたしばらくして、またまた呼び鈴。
「ごぶさたしてます◇◇ですぅ~、☐☐ちゃんいますか?」
?どこの◇◇だ?と訝しく思いながら玄関を開けると、今度六年生になる女の子とその母親の顔があった。
この女の子は、ウチの長女が二年生になったときに学童保育所に入ってきた子で、どこがよかったのかわからないが、ウチの長女にすっかりなつき、学童でじゃれあうのみならず、うちに泊まりにきたりもしていた子。
親御さん曰く、その子にとって、ウチの長女は「目標」というか「憧れ」というか、そんな存在なんだそうだ。このため、「☐☐がやってたから、自分も出来るんじゃン?」と児童会の役員にも立候補してしまったそうだ。


その日の夕食の時、長女にはこんな話をした。

なんかすごいよなぁ、3人もプレゼント持ってきてくれたよ。
1人でも自分のことをそんな風に好意的に思ってくれる人がいるなら、それは自分にとっての生きる証し。君には家族以外にそれが3人もいるんだ。
近所の「お姉さん」に面倒を見てもらいながら学校へ通い、「お姉さん」に憧れながら大きくなって、気が付いたら自分も憧れられる「お姉さん」になっていた。
君の小学校生活は、実に充実した6年間だったんだな。
親としてこんなにうれしいことはない。
俺は素直に「凄い!」って思うよ。

4月からは中学生。もう子どもではない。
自分のやりたいこと、進みたい道を見つけていく時期に入るから、周囲の期待なんてものはあえて無視していい。
ただ、自分を好意的に思ってくれている人達を失望させることだけはしちゃいけない。
これだけは忘れずにいて欲しい。

Djembe日誌~アフリカン・バンド本格始動?

2008-03-14 | 今日の「この音」
かねてから準備してきたアフリカン・バンド。
昨夜のバンド練習では、ようやく当初想定していた5人がそろい、アンサンブル練習が出来た。
また、メタギのよっしーが特別参加、いろいろアドヴァイスももらったりしながら密度濃く3時間くらい叩きっぱなし。

曲は例によってククとマラカを延々と。
最後の方でドゥンドゥンバもやったけれど、ケンケニ叩いたらこけまくり、非常にへこんみました。
ショフマンのところでサンバンに引っ張られて、気付くとずれている。
なんだよ、俺!タイムずれるなんて、何年ドラム叩いてきたんだよ?
出直して来い!俺!

あ~あ。
今すぐドゥンドゥンバをライブでやろうなどとはこれっぽっちも考えていないけれど、いずれは!と期するものはあるだけに悔しい。横太鼓は慣れないとうまく叩けないっすね。
腕の軌道、グリップ、ベルの扱い、何より立奏だけに姿勢、太鼓のポジション、と、考えてみりゃバチものとはいえ、すべて今までやってきたことと違う動きが必要なわけで。
和太鼓のそれともまた違うしなぁ。
とにかくとっとと自分の横太鼓作って練習するしかないね。

さて、アンサンブルについて。
シンクロする部分もあり、崩壊しきってべろべろばぁな部分もあり。
そう簡単にはグルーヴしませんね。
仮に簡単にできちゃっても、それはそれでつまらないんだけど。

例えば、単純にパッティパッパッティパッッと叩いているだけでも、全員が同じポイントにポケットを感じていなけりゃグルーヴしないわけで。
パッティパッッなのかパァティパンッなのか、はたまたパ・ティパン・なのか。
禅問答のようだが、早急にここを詰めていかないと、バンドとしての物差しが出来ないからなぁ。
パッティパッというアコンパの場合、実は・・ティパンンパンティパンンパンとひっくり返って聴こえてくるくらいのニュアンスなんではなかろうかな、極端に言えば。
パッティパトトと叩く場合ならば・・トトパンティパトトパンティパという具合で。
1拍目にアクセントがあるようでいて、実はその前の音に気持ちを乗せないといかんのではないか?
・・・と勝手に思っているが、多分、こういう考え方って、アフリカンのバンドでも有効なんではないだろうか?
無論、トラッドの持つニュアンスに敬意を払いながら、解釈する、ということなんだけれど。

次回もまた合わせる工夫をしながら地味な練習をしようっと。
(仮称)SAKAIRI組構成員の皆様、お付き合いくださいませ。

※バンド名はあくまで仮称です。一般公募しようかな。

朝は元気に

2008-03-12 | 子どもの視線・親の気持ち
毎朝、出かけるとき、登校する近所の子ども達にあいさつしまくり、シカトされまくりながらチャリを走らせてくるのだが、ここ3ヶ月くらいの間にちょっとした異変があった。

それは、2~3年生の男の子たちがあいさつをしはじめたこと!
以前は、声をかけてもこちらをじと~っと睨み返すばかりだった男の子たちが、なんと率先してあいさつをしてくる!
とりわけびっくりしたのは、ちょっと発達障害があるらしい男の子が、近所の大人が通るたびに、自分から近づいて「おはようございます!」と元気にあいさつをしているではないか!
この子、子ども集団の中にあっても、自分から話をすることはなく、聞かれたことには反応するだけ、っていう感じらしいのだが。

君の声を初めて聴いたよ、おじさんは!
なんかうれしいねぇ、こういうのって。

多分、大きな理由としては、1月に学校であいさつ運動をやっていたことが功を奏したんだろうと思う。
毎朝子ども達から「おはようございま~す!」とあいさつされて、返さない大人はいないはず・・・だもんね(学校の近所では沈黙をもって答えた「大人」が結構居たらしいけど)。
それを親も応援した結果、こうなったんだろうな。

お恥ずかしいことに、ウチの娘たちは小さい頃から俺に似て人見知りが激しく、近所の皆さんに声をかけられると恥ずかしくって逃げる傾向にあった。
それでも長女は3年生の頃からは小声ながらあいさつできるようになっていたし、今年は児童会の役員なんぞやっていたため、あいさつ運動の期間中、誰よりも早く登校し、校門の前でたすきかけて「おはよ~ございま~す!」とやっていたもんだから、夕方にはガラガラ声になってしまい、次女に「ばあちゃん!」とイジラレル始末。
かたや次女も、学校では長女がそれしているから恥ずかしくて小声になるけど、近所ではしっかりあいさつできるようになった。

学校も大したもんだよ!

また、毎朝子ども達の出発に合わせてご近所の幼稚園つながりのお母ちゃんたちだけで構成された喧しい井戸端会議が繰り広げられていたのだが、近所のじじばばもまきこんだ井戸端会議に発展し、「おはようございます」の大合唱に変貌。
実はじじばばを巻き込む前の時点では、その中核となっていたあるお母ちゃん(と言うかその家族)が引っ越してしまって、こうなったらしい。
その女性の息子さんたちは、引っ越す直前にはあいさつするようになっていたんだけどね。
残念です。

ま、とにかく、ここ最近は、犬の散歩をしているオバちゃんも、ワンルームマンションに住んでる若者たちも、みんな揃ってはにかみながら「おはようございます・・・」とやっている。

やっぱ、子ども達は世界を変えるんです。


とはいえ、依然としてあいさつを返さず、じと~っと睨み返すだけの1年生男子や6年生女子ってのも何人かは存在するんですが。
そういった子達の親も大方知り合いなんだけど、親御さんたちはみんな「おはよ~ございま~す!」ってやってるんだよね。

まずは動機付け、そして目に見える結果、充実感なんだろうね、何事。

Gen's AND

2008-03-03 | 今日の「この音」
先日の土曜日は、新バンド”Gen’s And”の初ライブ。
バンド名はバンマスGen氏が敬愛してやまぬJohnny Winterのそれから借用して、それしてあれしてこうなったそうだ。
個人的には、パーマネントなメンバーとしてバンドに参加するのはリトル・シゲル氏のバンド以来。
ブルーズ・ベースのバンドとはいえ、少々ロックっぽい選曲を叩くのは実に久しぶり。

さて。
Gen’s Andはトリオ・バンドだ。
だから、隙間は多く、自由度も高い、ってことで気ままに叩かせてもらっているけれど、俺自身は特におかしなことをしているつもりもないんだが、リハを開始した当初は、特にバンマスから、「好きにやっていいけれど、前より随分変ったねぇ」なんてことを言われたりもしてた。
シャッフルを「ダダッダダッダダッ」と叩いていると、つい「ダダとんとと」とやりたくなったり、コーラスの最後に「ンダダンドン」と入れたくなったり。
なんせ、家でも通勤時も車に乗っていても、アフリカンしか聴いてないんだよね、ここんところ。ドラムセットを叩くと、大分ずれた地平にいる自分を感じることが出来て、妙に面白かったりする。
シャッフルはそれ自体がポリリズムだと思うし、音を出していない時にこそグルーヴが出ていないと意味がないし。
ベーシストのヨネさんとはこれまでも何度も共演してきたから、ブルーズを演奏するリズム隊としての共通理解はできている(・・・はずだ)。

むしろ、ここからどうはみ出していくのか?どうさかのぼるのか?

ほんの少し、学んでいることをブルーズのフォーミュラに注入できれば、古臭いとかオッサン臭いとか言われがちなブルーズ楽曲が、また違った響き、違ったグルーヴで聴こえるんじゃないか。
な~んてことを考えてたりもするんですけどね、おこがましくも。

ブルーズはギターのための音楽だと思われがちだが、実際にはダンスミュージックとして成立してきたものだったわけで。
ソフィスティケイトされたジャズ的な演奏ではなく、泥と汗の匂いがする原初的なブルーズは、かっちり譜面に起こせるようなもんじゃない。
いわゆるビッグネームのどろどろしたブルーズって、独特の「なまり」みたいなもんがあって、妙にねばっこいノリがある。
ああいう「なまり」って、やっぱ西アフリカのものなんじゃないかと勝手に結び付けて考えるわけだ、黄色い太鼓叩きとしては。
3だか4だか、あるいはその中間?3.5よりもちょい4寄り?のべろ~んとした「ノリ」。
マディにせよウルフにせよ、あるいはジョン・リー・フッカーかな、特には。
BBにはそういったものはあまり感じないんだけれど、それでも若い頃の音源はかなりどろどろだ。
ならばジェンベ混ぜてもいいだろうし、次回までにはサンバン用意して、フロアタム代わりにしてもいいよな。いわゆるシャッフルの手順は残しつつ、ちがうビートを乗せてループさせても、基本さえ押さえていれば、ブルーズとしてのフォーミュラを破壊してしまうことはないだろう。
温故知新だよ、何事も。

しかし。
なっとくいかね~!
今回のライブでは、一部の共演者からはお褒めの言葉をいただいたが、正直なところ、まだまだ全然出来てないのだ。

お楽しみはこれからだ。