Baradomo日誌

ジェンベの話、コラの話、サッカーの話やらよしなしごとを。

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2006-02-28 | 今日の「この音」

学生の時、ジャズやってる友人に、「ジャズって何から聴けばいいんだ?」と訊ねたことがある。
すると彼は、「ロック好きなお前が聞くなら、コルトレーンの『ジャイアント・ステップス』あたりがいいんでない?」と、しっかり曲目&参加ミュージシャン一覧を付記したテープを渡してくれた。
同時に、「これは凄いよ、きっとこっちを気に入るよ、ウェッケルが叩いているから、ドラムやるなら聴かにゃいかん!」と妙に力みつつ、もう1本のテープを差し出した。
そのテープはチック・コリア・エレクトリック・バンド。
「ランブル」が入ったアルバムだ。

ふ~ん、そうなんだ、と全く先入観なしに聴いてみたら、おぉ、フュージョンだよ、フュージョン!うんまいねぇしかし!てな感じで違和感なく聴けた。
が、闇雲なテクニックを理解する耳を持たず、しかもジャズ・ミュージシャンに対する予備知識が限りなくゼロに近い状態だった当時の私にとって、それは「フュージョン」という記号以外の意味を持たず、加えて「チック・コリアってのはフュージョン屋さんなのか」という、ある意味間違った結論だけを持ってしまった。
(チック・コリアって人は、そんな狭い枠組みに限定できるミュージシャンではないと気付いたのはその数年後のこと。)

で、友人の予想を見事に裏切り、私が気に入ったのはコルトレーン。
即、CDを買いに走り、その時のカセットは未だに聴ける状態で保存してある。

思えば、そのあたりから本格的に「黒い音楽」の道を突き進むことになったのだが。

さて本題。
初めて聴いた曲から受ける印象は、聴き手のそのアーティストに対する評価、あるいはそのジャンルに対するイメージを決定してしまう事が多い。
例えば、いきなりマイルスの「アガルタ」を頭から聞いてしまえば、その人にとってマイルスとは「じみへんのジャズ版」あるいは「単なる混沌」かもしれない。
間違っても「渋~いジャズ」の世界の住人とは思えまい。

冒頭の友人は、私にコルトレーンのテープを渡す際、「いきなり『クル・セ・ママ』なんて聴いたら理解不能だろうし」との注釈をつけてくれた。
すいません、実はその時、既に「クル・セ・ママ」を聴いて大混乱、これは一体なんなんだろう?と困惑していました。

それから20年。
つい先日、ある先輩から私に対して「ジャズの初心者向けの音源を作ってくれ」と、カミサンを通じて下命された。

う~ん、困った。
その先輩は職場の先輩で、キャンプ関係の先輩で、酒は飲まない喫煙者。
昔はデスコで踊っていたそうだが、音楽について造詣が深いわけではなく、むしろスポーツと車の男。
そんな彼に何を聴かせたらいいか?
初心者向けって言われてもなぁ、俺自身初心者みたいなもんなのに。

皆様お助けを。

え?

2006-02-26 | よしなしごと
外国から講師が来る、英語での講義になるかもしれないとの噂が流れ、戦々恐々教室へ入ると、早速講師が教卓の前に立った。
何故か、フィリップ・トルシエだった。
「ひ~フランス語かよ、さっぱりわかんね~よ、勘弁してくれよ~!」
と、隣の見知らぬ学生と異口同音に愚痴っていると、意外にもたどたどしい日本語での自己紹介が聞こえてきた。
「おぉ~、トルシエはまた日本で監督やりたいんじゃねぇの?」
などとくだらないことを言っていると、彼は学生たちの反応に満足げにうなづきながら、
「きょうの、課題は、ザリガニの馴らし方、で~す。」
とのたまい、何処からともなく巨大な水槽を取り出し、中でガサゴソやってる3匹のザリガニを誇らしげに指し示すと、厳かにこう言った。
「このザリガニに、言うことを聞かせるホウホウが、ありま~す。知っている人は、いますか?」
「…はぁ?」
「なんだ、ショクンは、そんなことも知らないのですか?君たちには文化がないのですか?このザリガニをよく見れば、わかるはずです。よく見なさい!」
そう言うやいなや、最前列に座っていた学生の胸ぐらを掴み、教卓の前に引きずり出すと、水槽にその学生の顔面を押し付けた。
「お~!やっぱトルシエだ。」
歓声が上がる。
押さえつけられた学生も妙にうれしそうで、水槽のガラス越しに「君の名は?」とザリガニに語りかけている。

しかし。
ザリガニと意思疎通する方法などわかろうはずもなく、ほどなく教室は沈黙に支配された。
黙りこくる学生たち。
その時、ザリガニのはさみに奇妙な模様があることに気付いた。
…何かに似ている。
そう、レフェリーが持つホイッスルだ!
と私が気付くや否や、ある学生が手を挙げ、「ホ、ホイッスルですか?」とうやうやしく質問すると、興奮のため顔面を高潮させたトルシエは、「素晴らしい!!」と連発しながらその学生を抱きしめ、頬にキスをした。

うぉぉぉ~、手を挙げなくてよかったよ~。昔、稲本も「カマっぽい」って言ってたもんな~、などなど、学生たちが勝手なことを口走っていると、トルシエはホイッスルを取り出し、ピピ~!
すると、3匹のザリガニが一列に並び、隊列乱さず前⇒後⇒左⇒右とステップ。
そして、誇らしげに振り上げたはさみで、チョッッチョッッチョッッッチョッキン、と、ボ・ディドリー・ビートを刻んだ。
「あ、ありえね~!」
絶句する学生に対し、「素晴らしいクラスだった。またいつか会おう。」と、意味不明のコメントを残し、トルシエは教室を去った。

…と、いうところで目が覚めた。

夢ですよ、夢。
この話は全て、今朝方私が見た夢です。
いったい全体、なんでこんな夢見たんだかなぁ。
どなたか夢判断とか詳しい方いらっしゃいませんか?

言葉狩り

2006-02-22 | よしなしごと
「読み聞かせ」と「読み語り」。

「声を出して本を読む行為は調教行為とは異なる。『読み聞かせ』というと、"しつけ"や"教育"といった強制的なニュアンスが感じられる。」
このような問題意識から、「『読み語り』と言うべき」と主張する方が増えている。
文字を読めない子どもになりかわり、文字を読み、自分自身もその本の世界に入ってこそなのだ、と。

一理ある。

およそ子ども達に対する親の行為は「しつけ」や「教育」的なニュアンスを含んでいる。
無論、必要があるからこその行為なのだが、我が子に対して親が声を出して本を読む場合においては、「読み語る」主体者である親も、子どもとフラットな地平に立つべきだと言える。
何故なら、それは子どもの情緒的な発達を促すための行為だから。
「強制」される情緒などありえない。
見方を変えて、全ての局面において、子ども達の自発的な発達こそを第一義とした場合、親が子どもに対して、何らかの行為を強制することは、果たして有効なのか?
家庭内において、「親」は「子ども」に対するヘゲモニーを形成している、と言ってしまったら言い過ぎかもしれないが、少なくとも保護者は子を養育する義務を負う、家庭内での指導者だ。
そのことがひるがえって心理的には子どもを従属させている状況を生む。
ここに、いわゆる幼児虐待や、子ども達へのDVのメカニズムを感じ取ることは可能だ。
一人称の行為が二人称に対して副次的な行為を強制するか否かを基準として捉えれば、「聞かせる」という行為はファシズム的とも言えるのだろう。

しかし、このような「言い換え」は「言葉狩り」の域を出ないのではないか?
親子など、かなりクローズドのシチュエーションにおいては、二人称が一人称の意図をある程度汲まなくてはコミュニケーションとして成立しない。
そのような関係性を抜きにして、言葉尻を捉える事にあまり意味を見出せない。

かたや、全国各地で絵本の読み語りをし、原画スライドに合せて声を出して絵本を読む「きよの流 絵本劇場」を実践されている、清野 友義氏という方がいる。
彼はこのように述べている(「きよの流」絵本の読み語り術・極意書より無断転載)。

「例えば、テーマに子ども向けだけなどあるのだろうか。
絵本は子どもが読めるから、子ども向けと勘違いしているのではないだろうか。
 (中略)
子どもが読むから、幼稚というなら子どもは読まなくなるだろう。」

そして清野氏は、「『読み聞かせ』ではなく、読み語り、それを人に聞いてもらう」と述べている。
つまり、彼の言う「読み語り」は、子ども達なり親子なり、ある集団(=聴衆)に対して他者として語りかける、パフォーマンスとしてのそれだ。
「読み語る」主体者である一人称は、聴衆とフラットな地平に立つ、フィフティ・フィフティな関係性にある。

この意識は全てのパフォーマンスに共通する。
しかし、冒頭の「非調教派」と清野氏とを比較した場合、想定される聴衆が明らかに違っている。
う~ん。
清野氏自身、家庭におけるそれについては、特にこだわっている印象はない。
行為そのものが違っているのに、同じ言葉で語るのは無理があるな。

調べていたら、絵本の「開き読み」ってのも出てきた。
じゃ、「閉じ読み」ってのもあるのか?そりゃ、素ばなしのことか。

だったら、絵本は「眺め読み」ってことにしたらどうだろう?
全てを満足させる言葉なんて、ないのになぁ。


フレッド・マクドウェル=カフー?

2006-02-20 | 今日の「この音」
昨日は何を隠そう38回目の誕生日だった。
ちなみに同じ誕生日の有名人は、村上龍と先代貴乃花(若貴の父!)。

18歳で親元を離れ、一人暮らしを開始し、ちょうど10年目に結婚。
それから8年目にお袋が逝った時は、「実家を出て18年、ちょうど半々だ」と妙な因縁を感じたが、今年は実家を出た年から数えて20年。成人式だね。

時の流れる速さに気付かぬまま、あまり成長もしてないような気が…。

そこで最近なにかと弛み気味な自分に喝を入れるべく、買いそびれていたMississippi Fred McdwellのCDを2枚購入。

ストーンズがカバーしたYou gotta moveが有名な、カントリー・ブルースの大物。
でも実は、この人の顔が好きなんですよ(俺ってミーハー?)。

細面で、額がきれいで非常に整った目鼻立ち。
眼光鋭いニヒルな親父、っていう印象で。
そんな安直な理由でジャケ買いしちゃったCDが、冒頭の画像。
3年位前に買ったんだっけ?

でも、内ジャケの笑った顔にはちょっと違和感。
なんだろう?と思っってよく見たら、歯がけっこうすきっぱ。
笑うと単なるおっちゃんだ(失礼!)。
こういうキリっとした顔立ちで生まれたかったなぁ、などとひそかに憧れていたのになぁ。
う~む裏切られた気分。
全然畑違いだけれど、ブラジル代表のカフーもそんな感じじゃないですか?
「笑わなければ渋い男」というか。

とはいえ、最近入手した60年代頃の映像見ても、オープンDでこれでもかと言うくらいストロークする姿は潔く、エラクかっこいい。
こりゃまじめに聞かねば、と思い直し、新たに買い込んできた、というわけ。
ギターの練習しようかな。

今日はついでに、前から見たかった「ライトニン・ホプキンスのブルース人生」というDVDも買い込んだ(しかし、なんとベタなタイトルだ…)。
ライトニンの時も、出会いは「顔」だったっけ…。

しかし、こういう方向に成長していってもいいのだろうか、俺は。


みんな坊主頭にヒゲの巻

2006-02-19 | サッカーよろずごと
何を隠そう、私は坊主頭に無精ひげのスポーツ選手&音楽屋に対して、無条件に好意を持つ。
と言いながら、自分自身は最近寒さに負けて髪を若干伸ばしているのだが、6月のW杯開幕時には、マイバリカンを駆使して頭を丸め、テレビの1.8m前に正座していることだろう。

それはともかく。

先週(2月11日)の米国戦が散々な内容だっただけに、どうなることかと思っていたフィンランド戦。
1週間経って、適度な休息もあり、コンディションが上がってもいるだろう、とは思っていたけれど、ディフェンスラインの押し上げもよく、また、相手があまりに低レベルだったことも手伝い、信じられないほどのボール支配率。
でも、あれで2点しか取れないのが今のA代表の立っている位置なのだろう。

ジーコは「使いつづけることでコンディションが戻る」と言い放ち、久保を主軸に固定する意思表明をしている。
そんななか、右サイドから前方へ加地がスローイン⇒満男君がワンフェイクしてスルーパス⇒久保のワンタッチでゴ~ル!という一連の流れは久々に胸がすっとした。
左利きだったことが出会い頭のような効果を生んでいた。
右利きの選手ならばキーパーにセーブされていただろうな。
また、止められはしたが、しっかり振り抜いたシュートも2本あったし、腰の爆弾はだいぶおとなしくなっているようで安心したぜ久保のダンナ。
6月のW杯でも、腰の脇で繰り返す控えめなガッツポーズを披露できれば、ドリフにかわって平成のヒゲダンスと呼ばれることうけあいだ。

しかし注目は、シュートする久保のの背後で「俺が撃ちたかった~」という顔をしていた巻。
彼こそ米国戦~フィンランド戦で株を上げた選手。
「利き足は頭です」と真顔で言い切るこの男、その体躯とは裏腹に、ゴン中山タイプの汗かきFWだったりする。
さすがは走る犬魂ジェフ千葉、オシム・チルドレン。
東アジア選手権で初召集された時も、得点こそならなかったものの、徹頭徹尾競り合い、泥臭~い存在感を放っていた。
昨夜も倒れては跳ね起き、ひたすらボールを追う諦めない姿が、ウチのカミサンの心を鷲掴み。

できることなら、この巻と久保をオーストラリア戦のスタメンで使って欲しいね。
もっとも、某紙で風間八宏氏が語っていたように、「裏を取ろうとして読みきられていた」ことも真実。
この点では柳沢・高原に一日の長がある。
しかし、しゃにむに突っ込んでいくその姿勢が、「とりあえずなんかやらかしそうな」久保と組み合わされば、これまでの日本A代表FWにはついぞ感じられなかった「威圧感」につながりそうで、期待は大きく膨らむ。

是非この機会に頭を丸め、無精ひげを生やし、高原・久保とともにFWだんご三兄弟を結成してみてはいかがだろう?

でもそれをやったら、某テレビ番組で巻に告った女性タレントに嫌われちゃうかも。。


ゆるねば

2006-02-19 | サッカーよろずごと
You'll Never Walk Aloneという歌がある。

Walk on, walk on
歩こう 歩き続けよう
with hope in your hearts
希望を胸に
And you'll never walk alone
そうさ 俺達は一人じゃない
you'll never walk alone.
俺達は一人じゃない

日本ではFC東京のサポーターズソングとして定着した観のある通称「ゆるねば」。
元を正せば、ミュージカル「回転木馬」の挿入歌だったものを、当時リバプールでビートルズと人気を二分していたGerry&ThePacemakersというバンドがカバーして全英No.1ヒット。
ならば、と、リバプールFCのサポーターがハーフ・タイムに大合唱したことから彼のクラブサポーターの持ち歌となり、イングランド代表チームの応援歌になり…
そして世界中のサッカー・ファンの愛唱歌となった、という歌。

この歌に垣間見える美意識は、何事も恐れず、希望を胸に諦めず、という、非常にポジティブなもの。
応援歌としては万国共通の想いだ。
しかし、12番目の選手達の心に刺さる言葉は何と言っても「俺たちは1人じゃない」という言葉。
一緒に闘っているんだ、という当事者意識が、スタジアム全体を柔らかな熱狂主義に染め上げる。

しかしこの歌、ここ日本においてはA代表のサポーターズソングとはなりえていない、ように思うのだが、これはどうしたことか?

同じくサッカーつながりで、日本における有名曲と言えば、「振り向くな、君は美しい」。
日本人は大好きな「ひたむきな」青春群像がピッチで弾ける高校サッカー主題歌。
この主題曲にこめられたメッセージもまた、何事も恐れず、希望を胸に諦めず、という、非常にポジティブな美意識。
その後に見え隠れするものは、負けた瞬間、時計が止まった瞬間、このメンバーだけが共有してきた時計は未来永劫動かなくなる、ノックアウト方式のトーナメントがかもし出す、はかない無常感への陶酔。

だからこそ、最後まで諦めない選手達の姿勢が、観る者の心を捉えて離さない。
「振り向くな、戦いに敗れても、君は美しい」。

言い換えるならば「判官びいき」そのものであって、あくまで他者からの客観的な呼びかけに過ぎず、勝ちつづけ負けつづけ、でもとにかく未来永劫『続く』、未来永劫『続けるのだ』という、「ゆるねば」的当事者意識とは対極。

彼我の差を感じる。


お遊戯会

2006-02-17 | 子どもの視線・親の気持ち
今日は娘の保育園でお遊戯会。
以前は土曜日にやっていたのだが、なかなか来れない親も多く、逆に爺婆が多すぎて肝心の親がまともに座るスペースもない、など、問題山積。
そこで、今年から保育参観の1週間に、3日ほど子どもたちが劇をやる日程を組んだそうで、本日は千秋楽。
子ども達も気合入ってます。
さすがに公演3日目ともなれば、声も出てるし、余裕がある。
なかには余裕ありすぎてあくびしてる子もいたのはご愛嬌。

実はここの保育園、4~6歳児が3つの縦割りクラスになっているため、年下の子達がその他大勢を演じ、最年長児たちはみんな何らかの役がある。
縦割りクラスの場合、みんな一緒になりすぎてしまうのでは?という危惧が少なからずあったが、これなら大丈夫。
「来年になったらあれがやれるんだ!」的な、年長者への憧れをうまく抱かせる内容になってる。
もちろん、主役を張る最年長児(桃色帽子のももいろさんと呼ばれている)を以前の3倍に増やすことにも成功。
以前の横割クラスだと、主役はごく小数に限られていたもんね。
そういう点でも、いい企画だなぁ、と思った次第。

それこそ、テレビCMではないけれど、全力でワカメを演じる我が子の飛び散る汗を映像に納める親、フラッシュたきまくってさらに汗をかかせる親、ってのが大多数だったんだから。

そう言えば、去年だったか聞いた話。
どこぞの幼稚園の演劇会では、「みんながやりたい役をやる」という方針を取っているそうだ。
ある年、浦島太郎の劇をやったところ、もちろん女の子は全員乙姫様。
「キャバクラじゃないんだから!」とはそれを見ていたお父ちゃんの弁。
目移りしちゃって大変!
でも、奥さんの前でそんなこと言っちゃだめよ?

で、ひそかにいじめられっ子だった男の子が半強制的に亀にさせられ、砂浜でどつかれ、浦島演じる過半数の男の子達に「助けてあげる!」と引き釣り回され、竜宮城では先ほどまでいじめっ子だった魚やえびの踊り子達にとりかこまれ…あとはご想像にお任せします。

ところで、亀の子の親御さんのカメラには何が映っていたことやら。
是非見せて欲しいな。

子どもの会話

2006-02-17 | 子どもの視線・親の気持ち
かけっこの速いAちゃんと、本が大好きなBちゃんは、小学2年生の女の子。
Aちゃんにはお姉ちゃんと弟がいて、Bちゃんには妹がいる。
2人はちょっとずつ違うけど、なんとなーく仲良し。

Aちゃんは、「生まれた時からずっと一緒」のお姉ちゃんが大嫌い。
お姉ちゃんは、Aちゃんが何を聞いても「お前には関係ないでしょ」が口癖。
小さい頃からずっと、「一緒にいると意地悪されるから」、「口で何を言っても勝てないから大嫌い」なんだって。
来年一年生の弟のことは好きなんだけど、何かしてあげても、御礼も言わずにわがままばかり言うから、結局いじめてしまうんだって。
本当は好きなのにね。

Bちゃんは妹と大の仲良し。
妹がまだお母さんのおなかの中にいた頃は、毎日見えない赤ちゃんを抱っこしてあやしていたし、毎晩夢の中で赤ちゃんと遊んでいた。
だから、Bちゃんはまだ保育園の妹がかわいくて仕方がない。
もし妹がBちゃんをぶったりしても、ぜったいにやりかえしたりしない。
だって、まだ自分よりちっちゃくて、力も弱いけど、妹は世界で一番大切な存在の一人だ、って知っているから。
妹も、お母さんのおなかの中にいた頃からそれを知っていたんだろうね。
けんかになることもあるけど、ふたりはいつでもすっきり仲直り。

でも、BちゃんはAちゃんがうらやましい。
だって、Bちゃんはお姉さんだから、「お姉さんの気持ちしかわからない」。
本当のお姉さんがいれば、「妹の気持ちもわかるはず」。
だからお姉ちゃんがいるAちゃんがうらやましい。
Aちゃんは「妹だし、お姉さん」だから、どちらの気持ちもわかるはず。
それは「とってもいいことだ」とBちゃんは思ってる。
「きっとAちゃんはお姉ちゃんより、ずっとずっといい思いをしているはずなんだ」って。

それを聞いたAちゃん。
「そっか、あたしはお姉ちゃんに勝てるものがあったんだ!よ~し、帰ったらそう言ってやろう。もうお姉ちゃんには負けないぞぉ!」

その夜。
いつものとおり始まった兄弟げんか。
「妹のくせに、生意気なのよ!」と言うお姉ちゃん。
待ってましたとばかりにAちゃんは、腰に手を当てて胸を張り、勝ち誇ったように一言。
「あたしのほうが、おねえちゃんよりえらいんだぜ~!」
「なんでよー!年上の方が、えらいにきまってるよ!」
「だって、あたしは年上の気持ちも年下の気持ちもわかってるんだぜー!」
「…?だったら、なんであたしが怒ってんのかわかるでしょ?」
「あ…。」

Aちゃん、この夜も完敗でした。


※ 実はこの文章、2年前に書いたもの。
ちょうどお袋が逝く直前の年の瀬だったように思う。
このBちゃんという子は、ウチの長女。
長女は、保育園の時は背も小さく、気が弱く、いわゆるいじめにあったこともあり、何かと心配だったが、小学校に上がった途端、特定の女の子達とのべたべたした友人関係を嫌い、クラスでは男の子とばかり遊び、そうでなければ本の虫、という、ちょっと「不思議ちゃん」系の子に変貌。先生からも心配されるほどだった。
ところが、よき先輩達にも恵まれたのだろう、次第に学童保育所ではリーダー格となってきた。
そして「クラスで後から数えて3、4番目くらい」まで身長が伸びたことや、ダンスでかなり体を鍛えまくったこと、でも実は「素ボケ」たところなども手伝って、ここにきて「でかい」「強気な」女の子集団の仲間入り?をしたらしい。
小・中学生の頃の私が、かなり苦手だった集団だな。

彼女は、この4月には5年生になる。
そして、妹は新一年生。

こちらは姉と違って生まれた時から身体も大きく、のびのびと育ってきた。
そして、次女であり末っ子でもあるという特性から、思いっきり甘えん坊なんだけれど、保育園では小さい子達の良き「お姉さん」をやっているらしい。
でも4月からは家でも学校でも学童保育所でも「末っ子」。
さぁ、キミはどんな女の子になっていくのかな。





心と身体の健康診断

2006-02-04 | よしなしごと
先日、職場で実施された健康チェックなるものの結果が届いたので、早速封を切り、結果を見てみたら、不健康の極地だった。うーむ。
これは、今の自分がどれくらい健康なのか、心、身体の両サイドから診断するもので、確か100項目くらいの質問に答えたはずなんだが、それを、例えば職場環境、家庭環境、社会環境、身体状況などに大別し、その中で4本くらいの指標に分けて、0p%~100p%という形で標準偏差的に健康度を示している。
このp%ってのは、言わば平均値みたいなものだそうで、例えばサンプル100人の中で、「あなたはトップです!」という場合には100p%と標記されるそうだ。
そして、それらの複数の指標数値を総合して、性格、生活態度など、まさに総合的な診断が下される。
総合的な診断については結構納得!の内容だったので、信憑性の高い診断なのだろうと一人合点しているが、面白かったのは個々の指標数値だ。
ポジティヴな内容を示す指標の場合、数値が高い方が健康なんだが、俺の場合、家庭環境と対人関係、自分の性格の自由度(気ままさ、ってことか)については非常に高得点なんだけど、食欲やら性欲やら、身体に関することのほとんどが30p%以下である。絶不調じゃねぇか、俺って。

一方、数少ないネガティヴな指標が、妙に高得点になっている。
とりわけ、業務負荷という項目で100p%達成!
こんなので100点もらっても、うれしくないんだがなぁ…。

でも、結構楽しめたから、ま、いいか。