やんまの気まぐれ・一句拝借!

俳句喫茶店<つぶやく堂>へご来店ください。

春愁やパブロピカソの本借りに 田中陶白

2018年03月31日 | 俳句
578
田中陶白
春愁やパブロピカソの本借りに
明るい春なのに心に愁いを感じる。そんな或る日ふと思い立ってピカソの本を借りにゆく。画風としては抽象画で有名ではあるが青の時代とか様々な変遷がある。心の愁いを晴らすぱっと明るい絵に出合いたかったのかもしれぬ。いやむしろ今の自分に重なった愁いの絵に会いたかったのかもしれぬ。それとも複雑な心の変遷を辿りたかったか。兎にも角にもこの厄介な春愁いにとっぷりと作者は浸かっている。それも良いではないか、一句でも捻って一層の春愁いに佇ずもう。:俳誌『百鳥』(2017年6月号)所載。

脱ぐ仮面なし花木瓜のねむきいろ 柴田白葉女

2018年03月30日 | 俳句
577
柴田白葉女
脱ぐ仮面なし花木瓜のねむきいろ
女の顔は化粧で出来ている。男から見れば仮面を被っているかの様だ。今朝は寝起きに庭の木瓜の花が目に入った。新鮮な外気は胸に吸い込まれ目には茫とした木瓜の花。見惚れる顔は素っぴんのままである。もう脱ぐ仮面の無い顔である。ねむいねむい起き抜けの顔である。花木瓜の眠むたい茫とした色と暫し対峙するのであった。:角川「新版・俳句歳時記」(1990年12月15日版)所載。

青空ゆ辛夷の傷みたる匂ひ 大野林火

2018年03月29日 | 俳句
576
大野林火
青空ゆ辛夷の傷みたる匂ひ
空が青い。真っ白な辛夷の花が突き刺さる様に咲いている。大気から匂う香りは辛夷のものか。しばし茫然と辛夷の空を仰ぐ。と、よく見ると早くも傷んだ花を見つけてしまう。ああ純白の汚れ易さよ。この匂い辛夷の傷みゆく苦痛の叫びとも思われる。命あるもの皆傷つき易きかな。:山本健吉「鑑賞俳句歳時記」(1997年1月15日)所載。

石青し雪代山女魚影ながれ 秋櫻子

2018年03月29日 | 俳句
575
水原秋櫻子
石青し雪代山女魚影流れ
山の雪が解けて清流の山女魚が飢えを癒さんと活気づく。この頃の山女魚を雪代山女魚と呼ぶ。冬眠から覚めたごとくに魚影が溪を舞うように泳いでいる。笹濁りのとれた水が透き通り石は苔を帯びて青く見える。河岸にはまだ雪が積もっているが木々の若芽が辺りを明るくしている。そして多くの河川で魚釣りが解禁となるのが三月である。人も又心躍らせる季節となった。:山本健吉「鑑賞俳句歳時記」(1997年1月15日)所載。

菜の花をさつと茹でたる腕かな 松山悠介

2018年03月29日 | 俳句
574
松山悠介
菜の花をさつと茹でたる腕かな

菜の花がさっと茹で上げられた。その腕捌きの鮮やかさが如何にも旬の菜花と呼吸が合っている。きっとこの食卓も春の明るさに満ち溢れるであろう。家庭菜園や近くの河川敷でも菜の花が咲き初めている。当然蝶々にも出会える。初蝶である。紋白蝶紋黄蝶ともすでに出会った。蝶は一頭二頭と数えると言う。でもそう数えた人には生まれてこの方で会った事がない。さて菜花を前に晩酌とするか。:俳誌「はるもにあ」(2017年7月号)所載。

いつまでも花のうしろにある日かな 大峯あきら

2018年03月27日 | 俳句
573
大峯あきら
いつまでも花のうしろにある日かな
花は桜、桜は吉野の山桜だろうか。背後にある日輪は花の朧に淡々と照っている。今では観光銀座と化したメインストリートを外れれば自分だけの穴場スポットも発見出来ようと言うもの。ふと来し方を思えば幼児からこの方春は桜を纏う記憶ばかりである。入学式の記念撮影もそうだし家族との旅行でも記憶には桜が着いて来る。幾つもの春を過ごしその数だけ桜を共にした思い出が蘇る。そんな日々が桜のうしろに霞んでいる。:俳誌「角川・俳句」(2018年4月号)所載。

春の泥付けてボールの追はれ来し 佐藤俊春

2018年03月26日 | 俳句
572
佐藤俊春
春の泥付けてボールの追はれ来し
春の甲子園が始まった。甲子園の内野は土のグランドであるのが嬉しい。他のプロ球団は人工の芝生やアンツーカーなど採用している。甲子園は高校野球の聖地である。地方で勝ち抜き選抜されて出てくる。その地方の各高校グランドは土若しくは天然芝がほとんどである。だから甲子園が土のグランドである事がとても相応しいのである。そんな土も雨に濡れれば泥んこであり、雨上がりの練習には泥を付けたボールが快音を発し追われてゆく。春泥とは青春を狂ほしくも生きる響きがこもった良い季語だなあ。:朝日新聞「朝日俳壇」(2018年3月12日)所載。

山畑に頬朱くして雉子走る 飯村周子

2018年03月25日 | 俳句
571
飯村周子
山畑に頬朱くして雉子走る
山畑の春が来た。頬の色も鮮やかな朱色の雉子が走り出た。雉子が繁殖期を迎えあちこちで鋭く鳴いている。そんな山村の春、耕す農夫らと野鳥らが一服の絵の様に霞んでいる。私の近くの大利根の河原にも雉子を良く見かける。遠目には鴉にも見えるがその走りを見ればそれが雉子だと言う事がすぐに分かる。:雄山閣「新版・俳句歳時記」(2012年6月30日版)所載。

湯の底にたどりつく肌桜の夜 月野ぽぽな

2018年03月24日 | 俳句
570
月野ぽぽな
湯の底にたどりつく肌桜の夜
角川俳句賞(第63回)作家として俳句特集された。今や「海底」を代表する作家となったぽぽなさんであるこの桜はワシントンかアメリカの何処かの桜だろうか。もしかすると日本の信州あたりの桜を思い浮かべているだろうか。一日の疲れを癒そうと湯の底に身体を沈める。思えば今日は何処に身を置いても桜の直中であった。すっかり桜化した肌がたどりついた湯の底にゆれている。:俳誌「角川・俳句」(2018年4月号)所載。

一鉢のヘリオトロープ愛し嗅ぐ 上村占魚

2018年03月23日 | 俳句
569
上村占魚
一鉢のヘリオトロープ愛し嗅ぐ

ヘリオトロープはハーブとしてよく知られ、花はバニラに似た甘い香りを放ち、花から抽出した精油が香水の原料になる。紫または白色の小さな花が、ドーム状に密集して咲く。この香りをひどく気に入って酔うが如くに嗅いでいる。花は色や形も楽しめるが香りも楽しめる。ひょっとすると五感全てで楽しめるのかも知れない。爆発する様な花の季節の開幕を楽しもう。この木自体は図鑑で調べてもらうのが手っ取り早いのであろう。:雄山閣「新版・俳句歳時記」(2012年6月30日版)所載。

春暁の夢のつづきはなかりけり 堀江善江

2018年03月22日 | 俳句
568
堀江善江
春暁の夢のつづきはなかりけり
春眠暁を覚えずと言う季節。とろとろと不思議な夢にやっと覚めた。でどうだと言っても夢はシャボン玉の様に弾けてもう続きは無い。夢の余韻に取り残されたまま暫し茫然と床の上に座す。厨には朝餉の仕度か日常の音が響いている。命短き人生のどのくらいの時間を夢で過ごすのだろうか。その夢は出来れば悪夢ではなく薔薇色の夢であって欲しい。:俳誌『春燈』(2017年6月号)所載。

姉さんが欲しいと泣く子春の雨 滝本かよ

2018年03月22日 | 俳句
567
滝本かよ
姉さんが欲しいと泣く子春の雨

春の雨が降っている。細やかで少し明るいがやや冷え込む雨である。泣いている子がいる。泣く子は男の子だろうか親は母親だろうかそんな詩情が読み取れる。お姉さんが欲しいよ~と泣いている事から推し量れば一人っ子なのかも知れぬ。私は幼くして妹を失っている。以来一人っ子の独りには慣れている。両親の愛情を独占し世間の苦労を知らずに育ってしまった。成長してからこれが祟ってまったく世渡り下手で随分と苦渋をなめさせられた。思えば妹は七つ下ながら私よりずっと賢かったと覚えている。別れるには早すぎた。:つぶやく堂ネット喫茶店(2018年3月20日)所載。

在りし日の父母を偲びて彼岸餅 福山久江

2018年03月21日 | 俳句
566
福山久江
在りし日の父母を偲びて彼岸餅

暑さ寒さも彼岸まで、今年も春の彼岸がやってきた。例年通り餅を作り父母の墓前に供えるのであった。長寿社会となって父母の齢を越える方も多くなった。ようやくあの頃の父母の苦労が分かる年齢になったと言う事か。それにしても墓前に浮かぶ面影は優しく頬笑む顔ばかり。自分もそんな良い顔を残して逝きたいものだと思うが無理だろうなあ。遺影用の写真もそろそろ考えようか。あれやこれや物を思う:俳誌『百鳥』(2017年6月号)所載。

囀や深きねむりを日に幾度 野見山朱鳥

2018年03月20日 | 俳句
565
野見山朱鳥
囀や深きねむりを日に幾度
春眠暁を覚えずと眠たい季節の到来である。外からは絶えず小鳥の囀る声が聞こえてくる。朝だけで無く昼寝に覚めても夕方覚めてもいや夢の中まで聞こえて来る。何かの事情で寝ては起き起きては眠る事が習慣になってしまった人であろうか。小生の場合は微睡み程度の軽い眠りしかとれない。只でさえ不整脈で心房細動を持つ上に神経質な私は深い眠りがとれないのである。出来る事なら三日間くらいぶっ通しの深い眠りをとりたいものだ。:角川「新版・俳句歳時記」(1990年12月15日版)所載。

青空ゆ辛夷の傷みたる匂ひ 大野林火

2018年03月19日 | 俳句
564
大野林火
青空ゆ辛夷の傷みたる匂ひ

空が青い。大気から匂う香りは辛夷のものか。真っ白な辛夷の花が突き刺さる様に咲いている。しばし茫然と辛夷の空を仰ぐ。と、よく見ると早くも痛んだ花を見つけてしまう。ああ純白の傷み易さよ。この匂い辛夷の傷みゆく苦痛の叫びとも思われる。命あるもの皆傷み易きかな。:山本健吉「鑑賞俳句歳時記」(1997年1月15日)所載。