やんまの気まぐれ・つぶやっ句 「一句拝借!」

談話は、俳句喫茶店・つぶやく堂へお越しください。

ゆく年のひかりそめたる星仰ぐ 久保田万太郎

2018年12月17日 | 俳句
850
久保田万太郎
ゆく年のひかりそめたる星仰ぐ

いよいよ年も押し迫って来た。ここのところ双子座流星群が観察できている。冬は空気も澄んで晴れていれさえすれば星空が美しい。夕暮れに光り初めるのは宵の明星。金色あざやかな金星である。大きさで言えば木星、色で言えば赤い火星。銀色の一等星はシリウスであろうか。特に都会を離れたところでは言葉を絶する美しい星空が見られる。正月の七ケ日くらいは東京で天の川を見てみたいものだ。:備忘録
<いらっしゃいませー俳句喫茶店・つぶやく堂ーどうぞお入りください>
コメント

垣根越し二言三言冬日和 二ノ宮一雄

2018年12月16日 | 俳句
849
二ノ宮一雄
垣根越し二言三言冬日和
垣根の向こうから声を掛けられた。時候の挨拶程度の二言三言であるが人の言葉の温もりが有りがたい。菊がお見事ですなあとかお風邪を召されましたか程度の事かも知れぬ。風のない冬日和。燦燦と降り注ぐ太陽が眩しい。垣根は風も通すが言の葉もよく通す。:俳誌「角川・俳句」(2018年12月号)所載。
<いらっしゃいませー俳句喫茶店・つぶやく堂ーどうぞお入りください>
コメント

先生は何の先生冬ぬくし 平井辰夫

2018年12月14日 | 俳句
848
平井辰夫
先生は何の先生冬ぬくし
世に先生と言われる方々が大勢いらっしゃる。教育の先生、代議士の先生、囲碁将棋習い事の先生まで色々である。中には意味もなく「あの先生上手くやってるなあ」などと一般庶民まで先生にされてしまう事がある。今日向ぼこで喧々諤々と雑学を披露している男、この方も先生のうち。温かな日差しを浴びて議論は果てし無く尽きない。冬ぬくし。:読売新聞「読売俳壇」(2018年12月3日)所載。
<いらっしゃいませー俳句喫茶店・つぶやく堂ーどうぞお入りください>


コメント

山小屋のオンザロックの氷柱かな 成沢零

2018年12月14日 | 俳句
847
成沢 零
山小屋のオンザロックの氷柱かな
冬の山小屋で氷柱をコップにいれてウイスキーを飲む。こんな日常から離れた時間が楽しくてならない。山小屋と言う密閉された空間に居合わせた人々に妙な一体感が生まれる。飛び交う言の葉の一語一語が心地よい。人は皆善人だと言う性善説を確認するばかりである。それにしてもここまで来られる体力がいつまで続くだろうか。歩け歩け健脚こそわが命。:雄山閣「新版・俳句歳時記」(2012年6月30日版)所載。
<いらっしゃいませー俳句喫茶店・つぶやく堂ーどうぞお入りください>
コメント

稲干すや胸にずつしり日の匂ひ 松田ぼくる

2018年12月13日 | 俳句
846
松田ぼくる
稲干すや胸にずつしり日の匂ひ
刈り取られた稲が干されている。前に佇めば胸にずっしりと日の匂いが襲う。晴れ渡った空にぽっかりと雲が浮かび静かに流れてゆく。日は燦燦と地に注ぎ水が大地を巡ぐり空気がこの世の様々な匂いを運ぶ。こんな天と地の狭間で生きている喜びに血が滾る。大地の恵みは命の糧となり命を育む。さあて今夜も命の糧を聞し召そうか。:丘ふみ游俳倶楽部(第170号)所載。
<いらっしゃいませー俳句喫茶店・つぶやく堂ーどうぞお入りください>
コメント

木枯を上手く避け行く齢なる 中島美冬

2018年12月12日 | 俳句
845
中島美冬
木枯を上手く避け行く齢なる
木枯らしと声に出しただけで寒い。この風を上手く避けたいとあの手この手を考えるが無駄と言うもの。襟を立ててもまだまだ寒い♪と五木ひろしが歌っていた。ふとそんな自分が情けなく思えた。これも歳のせいだ。これからは歳なりに伊達の薄着とさよならだ。厚着も良いだろう。家の中ではちゃんちゃんこかな。:俳誌『春燈』(2018年3月号)所載。
<いらっしゃいませー俳句喫茶店・つぶやく堂ーどうぞお入りください>
コメント

遥かより木の葉焼く香や終の家 二ノ宮一雄

2018年12月12日 | 俳句
844
二ノ宮一雄
遥かより木の葉焼く香や終の家
人生最後の住処と定めた家である。微かに木の葉を焼く匂いがする。少し離れたお隣さんが焚火をしているのであろう。長い間の都会生活に疲れてゆるりと過ごしたかった。余生こそ我が本番とも思っている。晴耕雨読と言うか気儘勝手に時を使っている。鳥の囀り小川のせせらぎ季節の山野草そして広々とした空を雲が渡ってゆく。趣味はと聞かれれば直ちに「仰雲」と答えることが出来る。我が終の家である。:俳誌「角川・俳句」(2018年12月号)所載。
<いらっしゃいませー俳句喫茶店・つぶやく堂ーどうぞお入りください>
コメント

錠剤に三桁の数字小春かな 西沢さち子

2018年12月11日 | 俳句
843
西沢さち子
錠剤に三桁の数字小春かな
冬に入ったのにまるで春の様なぽかぽか陽気である。そんな中一病を得て日々錠剤のお世話になっている。薬に記された三桁の数字ともお馴染みになった。この小さな錠剤が細々と命を繋いでいるのかも知れない。何はともあれ鳥は唄い花は地を飾り風は日に輝いて眩しい。今日様を戴けた事に感謝々々でる。:俳誌『百鳥』(2018年2月号)所載。
<いらっしゃいませー俳句喫茶店・つぶやく堂ーどうぞお入りください>
コメント

てつちりと読ませて灯りゐるところ 阿波野青畝

2018年12月10日 | 俳句
842
阿波野青畝
てつちりと読ませて灯りゐるところ

「鉄」は河豚ふぐの俗称である。鉄は鉄砲の略で河豚は毒に「アタル」と言う事らしい。フグのちり鍋これ温かく美味そうだ。駅西口だろうか「てつちり」と書かれた提灯看板が揺れている。通勤の帰路が遠いお父さんの心も揺れて来た。頑張ったお父さんたまには自分へのご褒美も良いではないか。遠い記憶にある福岡の鉄っちり水戸の鮟鱇鍋が忘れられない。:備忘録。
<いらっしゃいませー俳句喫茶店・つぶやく堂ーどうぞお入りください>
コメント

漱石忌余生ひそかにおくりけり 久保田万太郎

2018年12月09日 | 俳句
841
久保田万太郎
漱石忌余生ひそかにおくりけり
文豪夏目漱石が亡くなったのが大正5年12月9日。胃の病だそうだ。文豪を尊敬してやまない万太郎であった。漱石が他界したのが59才で万太郎が73才、万太郎は14歳以上長生きをしたことになる。余生と言えば余生であったが「ひそかに」送ったと言うのはどうか。俳誌春燈の重鎮として売れっ子俳人であったろう。因みに万太郎の三中同期生には芥川龍之介がいた。どうでもよいが小生も学区の関係でこの学校を卒業している。:角川「新版・俳句歳時記」(1990年12月15日版)所載。
<いらっしゃいませー俳句喫茶店・つぶやく堂ーどうぞお入りください>
コメント

大鷹が神学校の森に来し 高木良多

2018年12月08日 | 俳句
840
高木良多
大鷹が神学校の森に来し
こんもりとした森の中に神学校がある。そんな森にある日大鷹が来て羽を休めていた。神聖な森に人影は少なく豊かな自然が残っている。わが近辺に「おおたかの森」と言う駅がある。この駅が出来る前は大鷹が生息する自然豊かな里山であった。開発の為森は片隅に追いやられ大鷹は数匹確認される程度に減った。近くの河川林へ続く農村と一体となって種族を永らえている。神よお救いたまえ。ところで大鷹とは言うものの大きさは鳩くらいのものである。見慣れたつもりの小生でも双眼鏡が無ければなかなか識別が出来なくなった。:雄山閣「新版・俳句歳時記」(2012年6月30日版)所載。
<いらっしゃいませー俳句喫茶店・つぶやく堂ーどうぞお入りください>
コメント

縁側にまた人の来る小春かな 仁平勝

2018年12月07日 | 俳句
839
仁平 勝
縁側にまた人の来る小春かな
立冬もとうに過ぎたのにまるで春の様なぽかぽか陽気となった。ここのところ家に籠っていたのか訪問客が絶えていた。ところが今日はどうだろう次々と人がやって来る。座敷に上がるでもなく縁側で茶飲み話の花が咲く。中にはへぼ将棋を始めた組もある。健康で友達に恵まれた老後。言う事なし、茶が美味い。:俳誌「角川・俳句」(2018年11月号)所載。
<いらっしゃいませー俳句喫茶店・つぶやく堂ーどうぞお入りください>
コメント

あの山のやうに眠れるものならば 白土武夫

2018年12月06日 | 俳句
838
白土武夫
あの山のやうに眠れるものならば
山並みが眠っている様に横たわっている。小春日和のような一日だろうか。最近は夜型の生活となってしまい昼が眠たくて仕方がない。仕事なんぞ気にしないであの山の様にどっしりと構えて眠ってみたいものだ。ところで山眠ると言う季語は誰が考えたのか言いえて妙である。春には山が笑い夏には山が滴りそして秋には山が装う、言われてみれば確かにそんな気がする。:読売新聞「読売俳壇」(2018年11月19日)所載。
<いらっしゃいませー俳句喫茶店・つぶやく堂ーどうぞお入りください>
コメント

田鳧群れ冠羽を動かさず 岩淵喜代子

2018年12月05日 | 俳句
837
岩淵喜代子
田鳧群れ冠羽を動かさず
刈り取り後の冬の田に田鳧(タゲリ)の群れが遊んでいる。特徴の冠羽を動かさないのは一休みしているのだろうか。静かな冬の一日に日光浴は欠かせない。急にミューミューと猫の様な声で鳴き一斉に動き出した。何かへの警戒か。それも静まりやがて首だけを上下に動かしだした。きっと何かを捕食しているのだろう。冬は野鳥観察の絶好機である。双眼鏡に目を当てればバードウヲッチの魅力に必ずや取り付かれることだろう。:自注現代俳句シリーズ「岩淵喜代子集」(2018年10月31日)所載。
<いらっしゃいませー俳句喫茶店・つぶやく堂ーどうぞお入りください>
コメント

かいつぶり雨が嫌ひでまた潜る 飯田直

2018年12月04日 | 俳句
836
飯田 直
かいつぶり雨が嫌ひでまた潜る
かいつぶりを眺め楽しんでいる。小雨催いではあるが偶然目にして立ち去れない。潜っては浮かび浮かんでまた潜る。きっと雨が嫌いで直ぐ潜るのだと勝手に思い込む。潜ったものがさてどの辺に浮かぶかと目をきょろきょろさせて探す。お、ここに出て来たぞと発見するやまた潜ってしまう。小生の近くに利根運河という小河川があって毎年ここで楽しめる。だが難題は匹数の補足である。何度数えても潜った数と浮いた数が合わない。:雄山閣「新版・俳句歳時記」(2012年6月30日版)所載。
<いらっしゃいませー俳句喫茶店・つぶやく堂ーどうぞお入りください>
コメント