やんまの気まぐれ・一句拝借!

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人目にはつかぬところの涼しさよ:室達朗

2021年06月30日 | 俳句
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人目にはつかぬところの涼しさよ:室達朗
暑い中を歩いて来た。ふと目立たない木陰を発見。これが意外と涼しい。早速ポケットのスマフォを出してSNSに取りかかる。仲間からのメールをチェックしイベントの実行状況を眺める。ひとしきり風が来て一層心地良くなった。見渡せば人様々に周囲を彩っている。キャッチボールの親子ありジョギング夫婦あり吾もこの一景の点となって暫し安らいでいる。緑陰の読書と洒落てみようか。:朝日新聞「朝日俳壇」2021年6月27日掲載
(独り居て猫と暮らせる涼しさよ:やの字)
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母と子の同じ顔してバナナ喰ふ:松村史基

2021年06月29日 | 俳句
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母と子の同じ顔してバナナ喰ふ:松村史基
血は争えないのか母と子が同じ顔してバナナ食べている。食べている時が人生のハッピータイムである。今でこそバナナは手軽に手にする事が出来るが戦後の一時期は高嶺の花であった。やがて路上の「バナナの叩き売り」パフォーマンスが登場し一般庶民の口に届く様になった。あの時の幸せ感は忘れられない。平和呆けと言われようが戦争はやっぱり嫌である。この日本の今の平和が永久であらん事を祈る。:朝日新聞「朝日俳壇」2021年6月27日掲載
(考えぬ為の作業にバナナ喰う:やの字)
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ところてんたぶたぷゆれてひのなごり:仙田洋子

2021年06月28日 | 俳句
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ところてんたぶたぷゆれてひのなごり:仙田洋子
昼間の時間がとても長い。そんな昼間もようよう暮れようとする時刻となった。あれやこれやと日常の諸事にも目途が付きここで一服タイム。大好きな心太をたぷたぷと揺らしながらぼんやりとしている。陽の光が今日の名残のように漂う。明日の事は煩らはない。:俳誌「角川・俳句」2021年7月号日掲載
(わが母の想い出辿る心太:やの字)
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夏来たる榛名十峰色たがえ:小暮陶句郎

2021年06月27日 | 俳句
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夏来たる榛名十峰色たがえ:小暮陶句郎
雲が吹き払われぱっと陽が射せば今は夏である。榛名山に並ぶ数々の山並みくきりと聳え立つのが見渡せる。その山一つ一つが識別出来るのはそれぞれに色を違えているからだ。近くは黒く遠く薄墨をなすものもある。紅葉樹や常緑樹の加減で微妙に趣を変えているのがろう。若い頃訪ねた山頂の湖水や名物の蕎麦の味等々が脳裏に巡ればまたまた旅心が疼いて来る。:俳誌「角川・俳句」2021年7月号日掲載
(夏に病み遠き旅路の夢ばかり:やの字)
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老い二人つかず離れず初夏の風:小谷義孝

2021年06月26日 | 俳句
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老い二人つかず離れず初夏の風:小谷義孝
長寿の時代に入った。目出度く二人揃っての長寿である。相方は居て当たり前の存在で何時でも傍に居る。と言ってべったりもたれ掛かって居るわけではない。つかず離れずの距離感である。衣食住を同じくするが趣味も出掛ける先も別世界である。翻って我が家ではゴミ袋へ詰めるのが女房で集積場へ運ぶのが私。コーラスが女房でグランドゴルフが私。どうでも良い空気見たいな関係である。どうぞ一方だけ寝たきりになりません様に。:読売新聞「読売俳壇」2021年6月21日掲載
(初夏の風心に疼く旅心:やの字)
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落下する滝に風の譜光りの譜:熊埜御堂義昭

2021年06月25日 | 俳句
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落下する滝に風の譜光りの譜:熊埜御堂義昭
滝に出て滝の前に人は佇む。風の中の滝夫とは音楽を奏でているかの様だ。風の譜に心揺すられていると光りの譜が加わる。音と光りの競演にしばしうっとりとしてしまう。ふと神聖なるものを感じとるのは小生だけだろうか。何鳥か鳴いて影が光った。神の造形の様々に面白し。:朝日新聞「朝日俳壇」2021年6月20日掲載
(滝の裏潜り抜けたり人の影:やの字)
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水描かれざる鯉の軸夏座敷:梅木兜士彌

2021年06月24日 | 俳句
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水描かれざる鯉の軸夏座敷:梅木兜士彌
伺った夏座敷に鯉の掛け軸が下がっている。水が描かれていない空間には芳醇な水の存在感が漂っている。昔は開け放した障子の向こうから涼風が吹き込んでいたが今は空調で硝子越しの風景である。禅寺の枯山水ではなく本物の池に水が張られ光りが弾んでいる。さて私を前にすればたちまちビールの持てなしとなる。枝豆は出たが鯉コクは出なかった。:朝日新聞「朝日俳壇」2021年6月20日掲載
(夏座敷やっぱりごろんごろんかな:やの字)
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日と月と地球一直線に夏:額田浩文

2021年06月23日 | 俳句
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日と月と地球一直線に夏:額田浩文
2021年5月26日は24年ぶりの満月のスーパームン皆既月食であった。外に出て見る人窓を開けて見る人様々であったろう。幸運にも晴れた地方では写真や動画でSNSへアップされた方多々あり。小生の場所では雲が厚く見る事が出来なかった。天体のロマンにわくわくドキドキの時を過ごした事である。久々の夜の外気に当たれば季節は「夏」を主張していた。もうちゃんちゃんこは仕舞わねばならぬ。:朝日新聞「朝日俳壇」2021年6月20日掲載
(気に入りて古びてきたり夏帽子:やの字)
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行々子暮れねば顔の定まらず:加藤楸邨

2021年06月22日 | 俳句
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行々子暮れねば顔の定まらず:加藤楸邨
今行々子が騒がしく鳴いている。暮れて塒(ねぐら)に帰ってやっと落ち着いた様だ。一日を尽くした安堵の顔がここに居場所を得ている。彼らの鳴き声を聴いていると野生で生きる事の大変さが伝わって来る。せめて夜くらい安眠を得て欲しいものだ。そういえば日中企業戦士として闘って来た世のお父さん方がやっと晩酌にありついた図が吾が脳裏に重なった。:角川書店「合本・俳句歳時記」1990年2月15日掲載
(毎度なる葭切ヶ原の一大事:やの字)
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金雀枝やわが貧の詩こそばゆし:森澄雄

2021年06月21日 | 俳句
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金雀枝やわが貧の詩こそばゆし:森澄雄
今年も金雀枝(エニシダ)の花が咲いた。風に吹かれて豊かに揺れている。一詩なさんと頭を絞るがこれと言う詩が浮かばない。自分の発想力の貧弱さが悲しい。やっと出来たこの詩言葉を飾りすぎてどこかこそばゆい。:角川書店「合本・俳句歳時記」1990年2月15日掲載
(金雀枝や豊かなる風生み出せり:やの字)
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八十にして赤が好き薔薇が好き:渡辺美智子

2021年06月20日 | 俳句
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八十にして赤が好き薔薇が好き:渡辺美智子
とうとう八十歳になった。傘寿と言うそうだ。少し前までは人間五十年の時代があった。もしかして今でもそんな国があるのかもしれない。吾が八十がらみの連中が集まってグラウンドゴルフなるものを始めた。男女が入り交じっての個人戦である。どの顔も喜びに満ちている。プレイの合間合間には世間話が飛び交っている。今年の薔薇はどうだとか黄色の方が好きだとかそんなら挿し芽にするから分けてくれよとか。小生も美人の未亡人から紅薔薇を戴いた。花ぞ愛しき。:読売新聞「読売俳壇」2021年6月15日掲載
(凜と咲く薔薇一本を剪りくれし:やの字)
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白波や真つ新(さら)な夏寄せ来たる:信里由美子

2021年06月19日 | 俳句
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白波や真つ新(さら)な夏寄せ来たる:信里由美子
白波が寄せては返す夏の海にやって来た。潮風は夏の薫りに満ちている。五感の感受性が真つ新(さら)な夏を受け止める。生まれてこの方幾度の夏を迎えた事だろう。さりながらどの一時も新しい一時であった気がする。思えば去年の波もおととしの波もその時々に新しくあった。そして明日も又新しい波を迎えるだろう。さて足裏のどの白波と遊ぼうか。:朝日新聞「朝日俳壇」2021年6月13日掲載
(夏怒濤どの浪もみな砕け散る:やの字)
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汗かいて目覚めて何の夢なりし:田中久幸

2021年06月18日 | 俳句
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汗かいて目覚めて何の夢なりし:田中久幸
寝汗をかいた。高温多湿のせいばかりではない。夢のなかで悪戦苦闘していたからである。とは言っても目覚めてみれば夢はもう記憶の外である。さて何の夢だったか思い出せない。自分の場合おなし夢を何度も見る事がある。父母の夢もそうだが自分の魂が浮遊している夢である。ただ身体の周りをぐるぐるするだけで遠い山河へ向かう事は無い。小心者の正体が魂の中にあるらしい。:朝日新聞「朝日俳壇」2021年6月13日掲載
(汗かくや夢魔の炎に逃げ惑ふ:やの字)
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傘雨忌や雨のち雨にひとり酌む:菅原悟

2021年06月17日 | 俳句
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傘雨忌や雨のち雨にひとり酌む:菅原悟
傘雨忌は久保田万太郎の忌日である。いっとき傘雨の俳号を使ったからである。5月6日が命日であった。おりしもの雨、独り酌む事となった。どんな奇跡で自分が生を受けああしたそうして今日こうなっている。妄想が来し方行く末を駆け廻る。このところ降り続いた雨ではあるが雨は雨で楽しみ方があろうと言うものである。:朝日新聞「朝日俳壇」2021年6月13日掲載
(万太郎偲べばけふの冷や奴:やの字)
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紫陽花に染まってしまふ立話:縣展子

2021年06月16日 | 俳句
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紫陽花に染まってしまふ立話:縣展子
季節の花紫陽花に囲まれての立話となった。話が弾んで長話となる。紫陽花の色彩が衣服に染まってしまいそうだ。土地土地に紫陽花が名所となった場所があるそうだ。あの寺が今見頃だとかどの路地が満開状態だとか口コミ情報が広がってゆく。わが町では駅西口が紫陽花ロードとなっている。個人ボランテイアの方が剪定管理している。さてご両人雨が強まってようやく散会となりそうだ。:朝日新聞「朝日俳壇」2021年6月13日掲載
(尼寺の紫陽花参道華やげり:やの字)
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