やんまの気まぐれ・一句拝借!

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風光る旅に頂く朱印帳 上床直美

2019年03月31日 | 俳句
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上床直美
風光る旅に頂く朱印帳
晴ればれとした旅の一日。風ごとに木の葉が光っている。旅鞄には常時「御朱印帳」が入っている。お寺さんに寄るたびに朱印を頂くのが習いとなった。その寺独自の朱印の上に墨痕鮮やかな文字を書いてもらう。四国48ヶ所に習って各地のお寺さんで取り入れている様だ。私も板東とか秩父のご朱印を集めたことがある。確かにそこまで歩いて辿り着く行動は適度な運動を伴い健康には誠に良い。帰路の心身共に健やかなる事そのものがご利益なのだろう。:俳誌「百鳥」(2018年6月号)所載。
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仰向きに椿の下を通りけり 池内たけし

2019年03月30日 | 俳句
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池内たけし
仰向きに椿の下を通りけり

咲いた花には気が漂う。仰向きに眺めてみれば見事な椿の花である。古木の風格あるこの一本。通い慣れた道も何時もとは違った空間が演出されている。花の精と目を合わせればまたこの季節に出会えた嬉しさがこみ上げる。願わくばまた来年も出会いたいものだ。振り向けばそこにはただ風があるだけ、と演歌に無かったかな。:角川「新版・俳句歳時記」(1990年12月15日版)所載。
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楤の芽の仏に似たる瀬のひかり 角川源義

2019年03月29日 | 俳句
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角川源義
楤の芽の仏に似たる瀬のひかり

山菜の王者と言われるものに楤の芽なるものがある。渓流へ下る斜面などに穴場がる。採取するには棘に注意しないと痛い目に遭う。見方によればば仏に似た姿なのかも知れぬ。岩魚や山女魚釣りの祭にはよく採取した。雪解けも済んだ渓流は豊かな恵みを供してくれる。瀬の脇でのキャンプには少し早いかも知れぬ。自宅に帰り唐揚げにして熱々を塩で食べれば絶品である。:山本健吉「鑑賞俳句歳時記」(1997年1月15日)所載。
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フリージア亡き妻にくる誕生日 草部宏

2019年03月28日 | 俳句
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草部 宏
フリージア亡き妻にくる誕生日
春は花の季節である。亡き妻が愛した花の様々を思い出す。生前は家族の誕生日には必ず祝杯を上げたものだった。子供達が巣立って妻に先立たれてこの家族の誕生日が今はずっしりと胸に迫る。さはさりながら時間空間を隔てても彼らの面影は心の中に生き続けている。小さな庭の片隅に咲いたフリージアの花。今咲き誇る花の色が目に沁みる。:俳誌「はるもにあ」(2018年7月号)所載。
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綿虫や底見えてゐる島の井戸 中村遙

2019年03月27日 | 俳句
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中村 遙
綿虫や底見えてゐる島の井戸
島の井戸は浅い。底近くに綿虫が見えている。海水に近い真水がこの島では貴重である。閑話休題。戦時中「疎開」での田舎暮らし。足下の素掘りの井戸に墜落してしまった。泳ぎも知らぬ年齢でじっとしていたのが怪我の功名溺れずに済んだ。生活用水だったのでやがて村人に発見され助かった。その丸い空間から見えた青空が今も忘れられない。あの東京空襲の直後の事であった。水は命の水である。:俳誌「角川・俳句」(2019年3月号)所載。
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水の空揺れて鴨引く気配かな 留舎利愛子

2019年03月26日 | 俳句
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留舎利愛子
水の空揺れて鴨引く気配かな
水が揺れ水に映った空が揺れる。鴨の一家が北へ帰る準備に余念がない。水の揺れを眺めながらもうそろそろかなと気配を感じ取る。昨秋に渡来した時の喜びも今は一抹の別れの寂しさが伴う。会うは別れの始めとは言えどこか哀しい。春と言う別れと出会いの季節が暮れてゆく。:読売新聞「読売俳壇」(2019年3月18日)所載。
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ふらここや早や半袖の子の漕げり 納富篤

2019年03月25日 | 俳句
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納富 篤
ふらここや早や半袖の子の漕げり

三寒四温とは言え彼岸も過ぎて日ごとに暖かくなってきた。ふらここには早くも半袖の子が遊んでいる。この子も草木もぐんぐんと成長してゆく。老いの目には眩しくてならぬ。暑さ寒さも彼岸までとはどこかの偉い方の句にあったか。何はともあれ小銭が欲しやとは愚凡なる小生の呟きである。例えば旅行などには桜から新緑の季節が最も心地よい。<老いの春如何に遊ばん小銭欲し や>。:俳誌「百鳥」(2018年6月号)所載。
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花種を蒔きしその夜は饒舌に 吉川康子

2019年03月24日 | 俳句
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吉川康子
花種を蒔きしその夜は饒舌に
花の種を蒔いて一汗かいた。朝顔は例年の定番であるが店頭で見つけた洋文字の目新しいものも幾つか取りそろえた。軽い疲労を伴いながらその夜は自分でも不思議なくらい饒舌となった。気候もぐんぐん快適になりあれこれと楽しみも増えてきた。夢を語りやがて来し方の思い出を語る。そうこうする内に結論めいた考察に至り感慨を深くする。小生も終活にあたり今年度で納める事多々ある。物にならなかった俳句もそろそろ店じまいしようか。などと本音がついつい出てしまう。:雄山閣「新版・俳句歳時記」(2012年6月30日版)所載。
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新聞をめくる音のみ春の雨 古屋清

2019年03月23日 | 俳句
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古屋 清
新聞をめくる音のみ春の雨
新聞をめくる音のみが響いている。外は雨。晴耕雨読ではないが特に外出の予定も無くこうして居る。雨の音が耳に優しいのは春の陽気のせいだろう。眠りはしないがどこか気怠い気分でもある。読んだか読んでいないのか新聞の同し頁を繰り返しつつ時が過ぎてゆく。世の事件の数々を見渡しつつもこの場所だけは平和が漂っている。:俳誌『春燈』(2018年5月号)所載。
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自転車にやつと乗れる子水温む 中村重雄

2019年03月22日 | 俳句
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中村重雄
自転車にやつと乗れる子水温む
とうとうこの子も自転車に乗れるようになった。本人も嬉しいが両親や祖父母の喜びも一入である。赤ちゃんから幼児へと子の成長は誠に早い。万物の輝きの中にキラキラと輝きを加えている。折しも春のただ中にあって河川や湖沼の水も温み水草は芽ぐみ鮒や諸子も活き活きと動き出す。この子はまだ挫折を知らない。:読売新聞「読売俳壇」(2019年3月18日)所載。
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春風に吹かれ二万歩目指し行く 枦雪子

2019年03月21日 | 俳句
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枦 雪子
春風に吹かれ二万歩目指し行く

万歩計を装着しての散歩である。健康を維持する為に晴れの日は必ず歩く。今日は爽やかな春風の中快調な出足でスタートした。よし二万歩に挑戦しよう。もう一歩足を伸ばせば水鳥の憩ふ沼地へ出られる。渡りの鳥達はまだ居残っているだろうか。湖畔の辛夷は咲いただろうか。歩るけば人生の楽しみが膨らんでゆく。纏わりつく春風が心地よい。:俳誌『百鳥』(2018年6月号)所載。
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浅蜊に水いつぱい張って熟睡す 菖蒲あや

2019年03月20日 | 俳句
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菖蒲 あや
浅蜊に水いつぱい張って熟睡す

今関東では潮干狩りの季節を迎えている。浅蜊は結構採れるが蛤はめったなことではお目にかかれない。そんなこんなで今日の収穫の浅蜊の塩抜きにかかる。真水に一晩漬けておけば良い。容器に水をいっぱい張って段取りは完了する。日常にしては少し張り切り過ぎた感あり、その疲れで睡眠も熟睡状態である。前に熟睡出来たのが何時なのか思い出せない位い久々の眠りである。春眠暁を覚えず昼前にやっとのお目覚め。今日も好日に違いなし。:角川「新版・俳句歳時記」(1990年12月15日版)所載。
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彼岸会や広げし地図の濡れ始む 小春日ゆり

2019年03月19日 | 俳句
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小春日ゆり
彼岸会や広げし地図の濡れ始む

マイカーと運転免許証にさよならをして墓参は電車とバスを乗り継いで行く。ある年、雲雀鳴く好天気に恵まれて停留所を幾つか手前で降りて歩いたことがある。乗り物に連れられて来た時はぼーっとしている内に着いたのだか自分の足で歩くとこれが中々の難題。曲がりくねった道や三叉路の分岐点でとうとう迷う事になった。地図を広げて南北の見当をつけやっとこさで辿り着いた。良い思い出は出来たがあの時掲句のように一転にわかに掻き曇って降られていたら事件であった。健康で墓参出来る内が花とも思う。ピクニックを兼ねて今年も出かける。:俳誌「はあるもにあ」(2018年5月号)所載。
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初蝶の遠きところを過ぎつつあり 山口誓子

2019年03月17日 | 俳句
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山口誓子
初蝶の遠きところを過ぎつつあり

菜の花の畑に目を引くものあり。遠いけれども蝶である。ああ初蝶だ。この感動を置いてどんどん通り過ぎてゆく。手の中の一握の砂では無いが惜しむがごとき気持ちが満ちて来る。<美しきもの皆哀れ紋黄蝶 や>。そう言えば蝶は1頭2頭と数える人がいる。飛び去った残像だけが瞼に焼き付いた。:山本健吉「鑑賞俳句歳時記」(1997年1月15日)所載。
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春夕焼あかあかと父母想ひけり 大牧広

2019年03月17日 | 俳句
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大牧 広
春夕焼あかあかと父母想ひけり

春のあかあかとした夕焼に照らされながら父母の事を想う。思えば戦争に身を捧げ家や子を守った人生だったか。自分の夢や憧れなどつゆ考えた事もないだろう。生きる事ただそれだけに忙殺されていたに違いない。その後不器用で貧乏な生活の中我ら子供を成人させた。今父の亡くなった年となってもまだ年齢差は縮まっていない。母の胸には今も抱かれたい。:俳誌「角川・俳句」(2019年3月号)所載。
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