やんまの気まぐれ・つぶやっ句 「一句拝借!」

談話は、俳句喫茶店・つぶやく堂へお越しください。

秋の蝶さみしき色に崖のぼる 柴田白葉女

2016年08月31日 | 俳句
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柴田白葉女
秋の蝶さみしき色に崖のぼる

眼前の蝶が崖に突き当たりそれでも先へ進まんと上昇して行く。華麗に舞う蝶も春の軽い明るさをとは対象的に、少し昏い重厚さを感じさせるのである。多分観察者の心を反映してそうなるのだろう。自分の心が淋しければ蝶も淋しく見えてくる。私の心は秋の愁いに染まっている。だから秋の蝶にも今はメランコリーを見てしまうのである。『名俳句1000』(2002)所収。:やんま記
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これからの旅尊かり秋の虹  大牧広  

2016年08月30日 | 俳句
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大牧 広
これからの旅尊かり秋の虹

憧れのハワイ航路を夢に見て叶わないまま日々自堕落に暮らしている。足腰が立つ内に行っておきたいそんな場所が幾つあるだろうか数える。感動している新しい自分を発見する、そんな自分探しの旅が後幾つ出来るのだろう。叶う事ならオーバー・ザ・レインボウを極めたい。でも美しい虹は直ぐ消えるだろうな。残された時間は短い。虹も又夢の如し。『大森海岸』(2012)所収。:やんま記
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月明や土台ばかりの四百戸 高木俊明

2016年08月29日 | 俳句
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高木俊明
月明や土台ばかりの四百戸

四百戸ほどの陸奥の街が突如この世から消えた。2011年(平成23年)3月11日午後2時46分に発生した東北地方太平洋沖地震とそれに伴って発生した津波がさらっていったのだ。何の咎罪の無い住民があっと言う間にさらわれていった。天災という不条理に人間はなす術を知らない。あの顔この顔が消えて人気のない街。かつて在りし家の土台ばかりが月の光に曝されている。『復興いわき・海の俳句全国大会:大賞句』(2016)より引く。:やんま記
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鴨渡る鍵も小さき旅カバン 草田男

2016年08月28日 | 俳句
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中村草田男
鴨渡る鍵も小さき旅カバン

旅する鴨が空を渡ってゆく。ふと思い立った小さな旅の小さな鞄を携えて旅人は空を見上げている。お前も旅人かと呟いたとき、鴨の列は底抜けに青い空に吸い込まれる様に消えて行った。日々の愚行に汚がされた小生にとっては消え去ることに一種の憧れを感じている。小生の住まいは利根川と江戸川とそれを繋ぐ利根運河にほど近い。何かにつけて土手へ出る事が多い。草叢は日々四季の表情を変えている。そんな所に佇んでいるある日ふと空が騒がしくなった。見上げると長い長い渡りの列である。やがて鳥たちも空に沁み込む様に消えて行く。無性に旅に出たくなる。机の下には何時もの旅鞄。最小限のグッズが常備されている。いざ日常を消さん。『長子』(1936)所収。:やんま記
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暑うしてありありものの見ゆる日ぞ  今井勲

2016年08月27日 | 俳句
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今井 勲
暑うしてありありものの見ゆる日ぞ

学校も夏休み終盤となり暦の上では立秋も処暑も過ぎた。さりながら残暑がひときわ身にこたえる今日この頃である。熱中症寸前の頭もぼーとして目は遠い眼差しとなる。何も考えない頭ではあるが五感だけは外界に素直に反応している。小賢しい理屈なんぞの入る余裕など無く、ありありとものが見えている。こんな時は冷たいソーダ水が無性に欲しくなる。『天楽』(2008)所収。
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秋草のにほひの手紙届きたる 涼野海音

2016年08月26日 | 俳句
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涼野海音
秋草のにほひの手紙届きたる

秋草の匂うところから手紙が届いた。それ以上の事は作者は言っていない。読み手の想像力へどうぞというサービスだろう。そこであれこれと南瓜頭は詮索する。都会の青年へ国の彼女からだろうか。いやいや現実は田舎の実家の母からの手紙かも知れぬ。ひょっとすると町役場からふる里納税の礼状かもしれぬ。いずれにせよ、青年はたまらぬ郷愁に駆られその胸に固く手紙を抱きしめるのであった。『角川・俳句』(2016)より引く。:やんま記
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棘すべて残る貝殻星流る 望月周

2016年08月25日 | 俳句
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望月 周
棘すべて残る貝殻星流る

温かき潮の流れに育まれ棘ある貝殻に守られた命。今は浜に打ち上げられてその抜け殻を晒している。太古から寄せる波の音はその虚ろな抜け殻に響かせている。命は儚く時は悠久である。その悠久な時の流れに天空の星が一つ流れた。見事に天と地の実相が呼応し、悠久が一瞬に収束する。一瞬の儚さを哀れむべきや。『俳句手帳2015秋』角川俳句付録(2015)所収
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水をのむ猫の小舌や秋あつし 徳田秋声

2016年08月24日 | 俳句
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徳田秋声
水をのむ猫の小舌や秋あつし

残暑にうだる日々が続く。猫がぺちゃぺちゃと水をのんでいる。見ているだけで喉の渇きがどっと押し寄せる。と言っても秋の声を聴くのもそう遠くないのだが。余談だが家では猫の「ワガハイ」と犬の「ポンチ」と同居した事がある。猫派犬派の気持ちは両方ともよく分る。この彼女や彼との別離の後はもう再び同棲する気はなくなった。空を自由に飛び囀っている野鳥を眺めては又聴いてはこれを楽しんでいる。さて徳田秋声、明治に生まれ昭和に没した小説家と聞けば何だか熱い時代を過ごした人だなあと思う。秋あつし。『名俳句1000』(2002)所収
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ゴキッチョと鳴く声きけばうづらかな 北野照夫

2016年08月23日 | 俳句
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北野照夫
ゴキッチョと鳴く声きけばうづらかな

鶉(ウズラ)は特有の斑(フ)を持っているので、枯草に紛れると保護色となって見えなくなる。以前は人家の近くでも結構見かけたが昨今の東京近郊ではほとんど見かけなくなった。江戸時代にはグツクルルルルと高く澄んだ声を鳴かせて鑑賞する「鳴き鶉の会」が武家町民の間で流行ったとも。鳥の声は人間の言葉に聞きなされてきたが代表的なのはウグイスの「法、法華経」、ホトトギスの「特許許可局」、コジュケイの「ちょっと来い、ちょっと来い」などなど。人によって様々に聞こえる鳴き声であるが、今作者は鶉の声を「ゴキッチョ、ご吉兆」と聞きなしている。今日も明るい秋の空が広がっている。「読売俳壇」(「読売新聞社」2014年12月29日付)所載。
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啼いて鴉の、飛んで鴉の、おちつくところがない :山頭火

2016年08月22日 | 俳句
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山頭火
啼いて鴉の、飛んで鴉の、おちつくところがない

嘴太鴉も嘴細鴉もこう顔が黒いと見分けがつきにくい。がどの鴉も何時も何かせかせかして見える。飛びながら啼くのも一声で終わらずカアカアと続けて忙しそうだし、地べたを歩くのもピョンピョン跳ねて落ち着かない。他人事の様にぼうっと眺めていたが、考えてみれば自分にしてみても落ち着くところもなく漂流をしている身。身につまされながら鴉を観ている山頭火ではある。「山頭火句集」(1996年12月)所収。
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翡翠を見にゆく傘が乾いたら 土肥あき子

2016年08月21日 | 俳句
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土肥あき子
翡翠を見にゆく傘が乾いたら

翡翠(カワセミ)は飛ぶ宝石と言われるように実に美しい鳥である。頭から水中へ飛び込みこの長い嘴で小魚を捕食する。メスでは下のくちばしの基部が赤くなっている。多くの地方では留鳥として湖沼、池、川、濠等に棲むので情報があれば出かけて見るとかなりの確率で見る事ができる。私の場合は東京上野の不忍池や地元柏市付近の運河などで良く見かけた。句の作者も情報を得てすぐにでも出かけたいのだがこの雨で躊躇している。今度晴れたらと満を持して待っている。その捕食ショーが見たい、いや姿だけでも見られるかしらと疼く心を胸に秘め傘を干している。誰の胸中にも美しいものへの憧憬がある。生きとし生ける命は斯くも美しくそして愛おしいと思う。『鯨が海を選んだ日』(2002)所収。:やんま記
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新宿ははるかなる墓碑鳥渡る 福永耕二

2016年08月20日 | 俳句
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福永耕二
新宿ははるかなる墓碑鳥渡る

学校で就職でと若人は東京で出る。初めての都会に戸惑いつつ街の生活に塗れてゆく。学校では少々の知識と多くの友人を得た。やがて就職、辛い勤務に日々埋没して行く。様々な喜怒哀楽に揉まれ酒の味を覚える。憧れの女性に出会ったのもあの街であった。こんな青春を謳歌し遊んだ街は東京を代表する新宿であった。ゴールデン街と言う薄暗い繁華街に入り浸ったりした。そうあれが「青春」と呼ばれるものだったろうか。やがて疲れ果て故郷へ戻ってくる。あの東京は今時間空間ともはるかなるものとなった。青春は今新宿と言う墓碑に刻まれはるかなるものとなった。見上げる天空には鳥の群れが次の居場所へ向かって渡っている。「踏歌」所載。
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翡翠の色まだ残る山雨かな 星野高士

2016年08月19日 | 俳句
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星野高士
翡翠の色まだ残る山雨かな

宝石のヒスイ(翡翠)もこの鳥にちなんで命名されたという珠玉の美しさを持つ鳥である。川中や水辺近くの岩や木の枝などに止まり、獲物の魚が捕獲距離に入ると、ものすごい勢いで水中に突入し、その長い嘴で捕食する。空中から水中の魚を狙って捕食するので水が澄む辺りに棲息している。都市近郊の清き水のある場所でも見かけるが、なんといっても山間の清流なんぞに虹色のかたまりが一瞬矢の様に飛び去る美しさは圧巻である。眼裏の鮮烈な印象に息をのんでいる作者には山の雨が容赦なく降り注いでいる。「無尽蔵」(2006年)所収
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三十回噛めが口ぐせ生身魂  高階和音

2016年08月18日 | 俳句
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高階和音
三十回噛めが口ぐせ生身魂
恩師に言われ妻にも言われ今またこの句で出会った「三十回噛め」、これがなかなか出来ない。盆は故人共々生きている目上の者にも礼を尽くす日でもある。生きている先輩の魂つまりは生身魂ともども家族一同で会食をしたりする。せかせかと食する姿を見て生身魂さまは「よく味わってよおく噛むのだよ」と何時ものように諭す。うん、と言ったその傍から何時ものように早や呑込みをしている。どうにもこうにも我がセッカチは墓場に入っても直りそうがない。生身魂さまの口癖も直らない訳である。他に<燃え残るもの未だ熱し施火の跡><夜どほしの太鼓止みたる祭かな><火に投げん蛇打ち据ゑし棒切れを>などあり。俳誌「斧」(2007年8月号)所載
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帰省子の翼大きくなつてをり 前田倫子

2016年08月17日 | 俳句
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前田倫子
帰省子の翼大きくなつてをり

日本の風土では夏季休暇が習わしとなっている。学校では7月8月の猛暑期、会社ではお盆前後に設定される。この時期、子に限らず帰省している人のことを帰省子という。俳句では夏休中に帰省をすることから 夏の季語とされているが実際に帰省のピークを迎えるのは初秋の月遅れの盆前後といわれている。日常を「都会」で過ごした者たちが、ふらりと「田舎」の実家へ帰ってくる。親の知らない別の世界の情報が次々と語られ興味が尽きない。逞しい我が子の姿がまるで翼を持って飛び回るかのように眩しく映る。飛べ飛べ我が子よ。だけどギリシャ神話のイカロスの翼のように太陽には近づき過ぎないでね。大阪百鳥の会編『空へ空へ(第2集)』(2016)所収:やんま記
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