やんまの気まぐれ・一句拝借!

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工事場の焚火いつもの顔揃ふ 宮森足歩

2018年01月31日 | 俳句
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宮森足歩
工事場の焚火いつもの顔揃ふ

工事場の朝は焚火から始まる。三々五々と到着した仕事前の面々である。少し長引いた工事に全員顔見知りとなっている。お天気や気温の話やたわいも無い話に時折お国自慢などが混じる。火は良い、身も心も温まる。都市近辺では焚火禁止の場所が増えた。最近では農家の畠中とか神社の境内で見ただろうか。:俳誌『百鳥』(2017年3月号)所載。

家々に主あり朝の雪を掻く 竹内俊吉

2018年01月30日 | 俳句
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竹内俊吉
家々に主あり朝の雪を掻く

夜中に降った雪が積もっている。町内の道路ではあちらこちらで雪掻きが始まった。見るとどこでも男の手で掻いている。ああどの家にも主人がいたんだっけ。普段は主婦の顔しか見られないのにこんな時には主人の出番がやってくる。珍しい雪に童心に帰って自ら乗り出した人も居るだろうが、多分奥方に言われたお宅も多いと思う。通勤前のお父様方ご苦労様です。:角川『合本・俳句歳時記』(1990年12月15日版)所載。

凩や畠の小石目に見ゆる 蕪村

2018年01月29日 | 俳句
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与謝蕪村
凩や畠の小石目に見ゆる
凩に身を竦めて歩いている。その視線の先に畠の小石が目に入る。辺りに遮るものとてない荒涼たる中を風に吹かれて歩いている。目の先だけの風景にこの石ころが存在を自己主張している。俯瞰してみればもう一つ並んで凍てついた蕪村が佇んでいる。こんな時には熱燗で一杯と行きたいが今宵そんな贅沢にあり付けるだろうか。一歩一歩と目前のものを見て歩く。:山本健吉『与謝蕪村』(1987年5月25日版)所載。

母でなく父に会ひたし冬の海 柳澤茂

2018年01月28日 | 俳句
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柳澤 茂
母でなく父に会ひたし冬の海

母は海父は山なりそんな心地の昨日今日である。私事ですが独り子として両親の愛情を独占して育ちました。目の中に入れても痛くない目の中で育ったのであります。しかしながら実直正直な両親は真実貧乏に甘んじておりました。母は人に知られたくない苦労を負って堪えました。父は自分の屈辱に溺れ死ぬ如き生き様でした。競馬に狂い酒に狂った戦後の人生でした。思えば夢破れるは人生の常、やるせない父の思いが分かる年齢となったワタクシであります。もしかして父の生き様をなぞっているのかなあ。:俳誌『はるもにあ』(2016年3月号)所載。

波音に洗はれてゆく日向ぼこ 西山睦

2018年01月27日 | 俳句
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西山 睦
波音に洗はれてゆく日向ぼこ

波音を聞きながらの日向ぼこである。日常の雑音が無い世界に耳が波音だけを楽しんでいる。働く事人と交わる事食べて排泄する事から遠く身を置く。正に身も心も洗われてゆく心地である。奇跡の星地球の上に奇跡の我があり。地球と言う水ある星に心身ともに一時の安らぎを得るのであった。:角川(月刊俳誌)『俳句』(2018年1月号)所載。

俳句などなんで語るか日向ぼこ 馬目空

2018年01月26日 | 俳句
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馬目 空
俳句などなんで語るか日向ぼこ

全く何ででしょうね。TVの人気番組で女先生が並居るタレントの俳句をばっさばさと切り捨てて行く。この方人の言葉を何と思っているのだろうか。見渡してみると俳句と言う世界には結社とか同人と言う組織が掃いて捨てるほどある。そのどこにも主宰とかのリーダーがTV番組に似たような指導をされている。そこでは語り語られ誉められ貶されてゆく。そんなにまでして俳句などなんで語るのでしょうね。:朝日新聞『朝日俳壇』(2018年1月15日版)所載。

霜夜明け白鷺空を漂へり 日高降夫

2018年01月25日 | 俳句
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日高降夫
霜夜明け白鷺空を漂へり

白鷺が飛んでいるのは夏の水辺ではない。霜の降った夜明けの空である。何処へ向かうともなく漂っている。仕事か飲み会か日付が変わるまで過ごし今朝のご帰還となった。都市近郊の住宅街と言っても白鷺が飛ぶ静かな街である。後ろめたさを心に抱え何か淋しい。今日一日がずっと暮色の中に在った思いである。尤、喜寿を迎える年齢ともなれば何を見ても暮色を纏って見えてくるのではあるが。:句集『暮色』(2014年3月10日版)所載。

天敵を穴にのがれて冬眠す 浜渦美好

2018年01月24日 | 俳句
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浜渦美好
天敵を穴にのがれて冬眠す

生きる事は即ち生存競争である。食物連鎖の中で何かを戴き何かに授けて生きてゆく。しかし餌の乏しい冬にはそれすらも諦めて寝て暮らす事になる。一切のエネルギーを節約する為である。ここで疑問なのはこの期間の死亡率はどうなっているのだろう。衰弱死は無いのだろうか。またその穴はどうやって掘るのだろう。熊は腕力があるだろうが蛇はどうするのか、舐めて掘る!?土竜の穴でも拝借するのかな?因みに私は巳年で常時冬眠している気分で生きている。:雄山閣『新版・俳句歳時記』(2012年6月30日版)所載。

蜜柑むく真正面に赤城山 舟田房江

2018年01月23日 | 俳句
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舟田房江
蜜柑むく真正面に赤城山

お国にはそれぞれの名山があろう。上州の赤城山もこの土地の名山である。日常の生活が恙なく営まれている。そして作者は今蜜柑を剥いて寛ぎの時を過ごしている。開け放した障子の真正面には赤城山がどっしりと構えている。ここに嫁ぎここに根を張ってもう幾年になるだろう。山は真正面に動かない。見守られているのかしら。:俳誌『春燈』(2017年4月号)所載。

一枚の葉書が刺さり冬館 石井薔子

2018年01月22日 | 俳句
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石井薔子
一枚の葉書が刺さり冬館
寒々とした洋館の扉のポストに一枚の葉書が刺さっている。何の通知だろうかと思いめぐらせば一つドラマが生まれようと言うもの。暗い発想なら訃報もあるが同じ仲間からの明るい知らせかも知れぬ。内に籠った長い冬の生活に一つの転機が訪れるのだろうか。誰にだって春は確実にやって来る。:石井薔子句集『夏の溪』(2012年9月20日版)所載。

冬の雨番犬吠える開拓地 石川和夫

2018年01月21日 | 俳句
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石川和夫
冬の雨番犬吠える開拓地
とある開拓地に冷たい雨が降っている。疎らながらぽつりぽつりと人家がある。珍しく余所者がそこを訪ねて来た。人に慣れていない犬が吠えまくる。思えば人間は様々な場所に居場所を構える。どんな山奥だろうが人は住んでいる。そこを出られなかった人生もあろう。また流れ着いた人生もあろう。人は夫々に様々な事情を持っている。そしてどの土地も住めば都と思える様に住み古してゆくのだろう。:俳誌『百鳥』(2018年1月号)所載。

湯豆腐や酔ひの饒舌治まらず 佐野欣三

2018年01月20日 | 俳句
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佐野欣三
湯豆腐や酔ひの饒舌治まらず
温かくて淡白な湯豆腐のフアンは多い。若いうちはカロリー的に物足りなかったが、社会で揉まれ胃薬を飲む程な酒を覚えてからは湯豆腐の有難さが分かって来た。そんなこんなで熱燗となり話が弾んできた。差しつ差されつして身も心も熱くなって来る。性格も夫々に笑い上戸に泣き上戸と本性を現してゆく。少しくらい羽目を外しても翌日になれば「あれは酒の上の話」と都合よくちゃらになる。いやご同役お疲れ様でした。:俳誌『百鳥』(2017年3月号)所載。

夢の世に葱を作りて寂しさよ 永田耕衣

2018年01月19日 | 俳句
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永田耕衣
夢の世に葱を作りて寂しさよ
この世は夢幻の如きなり。そんな夢の世で独り葱を作り暮らしている。処世に長けていない己が性格であれば孤高と言われてこれを甘受している。しかし寂しい。自分が無なのか、それとも全宇宙なのか。解答の無い闇を彷徨っている。孤独を愛する事は自分を愛する事と知る。我思う故に我在り。:『声に出して味わう日本の名俳句100選』(2003年11月19日版)所載。

寒梅や孫はケーキをたづさえて ミコ

2018年01月18日 | 俳句
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ミコ
寒梅や孫はケーキをたづさえて

周辺の梅が咲き始めた。そんな日常の或る日孫がやって来た。小さな手で大きなケーキを差し出した。春が来て孫が来て一気に幸福の二重奏となる。小生の脳裏に大泉逸郎のだみ声が響く。~なんでこんなに可愛いのかよ~孫というなの宝もの♪。およびてナイ、はい失礼いたしました。さて婆ちゃまはさっそくこの日の為に用意したプレゼントを差し出すのである。ささやかな年金から大きな買い物なのであった。:ネット喫茶店『つぶやく堂』(2018年1月17日)所載。

受験子の寒い寒いと言ひ小さし 今瀬剛一

2018年01月17日 | 俳句
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今瀬剛一
受験子の寒い寒いと言ひ小さし
この寒い季節に受験期がやって来る。昔は大学受験だけだった気がするが今や幼児の頃から大変らしい。そんな彼ら彼女らには寒いの暑いのなどと言っていられない。寝ても覚めても受験勉強である。何だか凍えた姿が縮まって小さく見える。青年よ大志を抱け!大志が無かった小生の哀れな末路の轍を踏むな。そう成りたくなければハイお勉強。「何時やるか・今でしょう!」今熱くならないでどうするの、とは言っても寒いものは寒い。:『日本の四季・旬の一句』講談社(2002年2月5日)所載。