やんまの気まぐれ・一句拝借!

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鴨鍋を食うて長寿を願ひけり:山本あかね

2020年12月31日 | 俳句
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鴨鍋を食うて長寿を願ひけり:山本あかね
鴨鍋を食う。健康でかく生き長らえてこの至福。これから先の長寿をと切に望むところである。信長の時代は50年の寿命だったらしいが今や100年の寿命と言う声が聞こえる。心臓に欠陥のある小生も60歳の定年を過ぎて生き長らえた。これから80,90,100と目標の旗が翻っている。余白とは言へ熱く生きてみたいものだ。鴨鍋、食うぞ!。<妻子とも健啖家なり鴨鍋食う:やの字>:山本あかね句集「大手門」2008年11月29日所載。
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侘助の一輪を剪る雨催ひ:同前悠久子

2020年12月30日 | 俳句
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侘助の一輪を剪る雨催ひ:同前悠久子
侘助の花を剪った。一輪挿しに活けるのだろう。どこか茶室の侘び寂びに似合う花である。折しも今日は雨催ひ。重苦しい空気の片隅を侘び助がぽっと明るくしてくれている。~雨に唄えば心も楽し♪それでいて芯の淋しさが拭えない。<侘助や横顔淋しひとと歩く:やの字>:俳誌「ににん」2021年冬号所載。
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冬帽子人の頭のさびしさに:別所健二

2020年12月29日 | 俳句
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冬帽子人の頭のさびしさに:別所健二
帽子を被った人の頭が淋しそうだ。感覚として寒さと淋しさが通じるのは何故だろう。夏の麦藁帽子にはないものを持っている。話は飛ぶが旅は冬がいいですな。それも一人旅。食べ物も美味いし空気が澄んで景色も良く見える。逍遙する列車で素敵な出会いがある、、、訳は無いが。これは淋しさが生む妄想であった。む、何方かな。淋しいのは頭髪だろうなんて言う御人は。<冬帽子胸かき抱く日本海:やの字>:朝日新聞「朝日俳壇」2020年12月27日所載。
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一日の命ありけり熱き酒:丸山巌子

2020年12月28日 | 俳句
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一日の命ありけり熱き酒:丸山巌子
今日かくある事がありがたい。そんな一日の最後は晩酌で締める事になる。今の季節なら熱燗である。こんな毎日では在るが遊びも熱くなるほど全力で遊んでいる。こんな老境に自分もなってしまった。我が母の最晩年を思い出した。一日一日を構えて生きていたのがやがて一時一時を熱く生きるようになり病床では一息一息を真剣に生きていた。<近頃は手酌にも慣れ熱き酒:やの字>:朝日新聞「朝日俳壇」2020年12月27日所載。
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牡蠣剥場氷川きよしのエンドレス:あらゐひとし

2020年12月27日 | 俳句
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牡蠣剥場氷川きよしのエンドレス:あらゐひとし
牡蠣剥きの作業が真っ盛りである。この作業場に流れる「きよしのずんどこ節」が作業に弾みを持たせている。何度も何度も聞いている内にこの曲が魂の一部となって溶け込んでくる。さて今年は松島の観光船に乗る事が出来た。船内では牡蠣の食べ放題と言う事で各人バケツ一杯をあてがわれたけれど体調を考えてほどほどに治めた。エンドレスもやがては疲れる。<食べ放題ゴーツーイートの牡蠣美味し:やの字>:朝日新聞「朝日俳壇」2020年12月20日所載。
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今日ぼくにアリバイのない手袋ぬぐ:皆月ましゅう

2020年12月26日 | 俳句
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今日ぼくにアリバイのない手袋ぬぐ:皆月ましゅう
今日ぼくは何処で何をしていたのだろう。後期高齢の徘徊ゆえアリバイと言われても思い出せない。手袋の手に持ったボトルを見ればどこかのコンビニで酒を買ったのは確かだ。財布は持っていないので支払いはペイペイ払いだったろう。脱いだ手袋に鳥の糞あり。きっと公園を通って来たらしい。キレッキレの現役時代には手帳一杯にアリバイがあったのになあ。恙無し。<手袋に鳥の糞あり老いの昼:やの字>:読売新聞「読売俳壇」2020年12月21日所載。
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神父老い信者われ老いクリスマス:景山筍吉

2020年12月25日 | 俳句
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神父老い信者われ老いクリスマス:景山筍吉
今年もクリスマスがやって来た。教会の神父とも長い付き合いとなった。悩みを共有し神の言葉を様々に与えてくださり導きたもうた。その度にその言葉の重たさを物質のようにずしりと受け止めた。人間の脆さ弱さを抱えて生きて今日はかく或る。神父は今日の儀式を淡々とこなしつつ今日かく在る事を感謝してる。思えば神父も年老いた。我も然り。<クリスマスワインの赤に光射す:やの字>:景山筍吉句集「萩叢」1954年7月5日所載。
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聖夜眠れり頸やはらかき幼な子は:森澄雄

2020年12月24日 | 俳句
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聖夜眠れり頸やはらかき幼な子は:森澄雄
邪念の無い幼子が眠っている。聖夜に見る夢も無邪気で汚れがない。まだ頸も座らず柔らかいこの子の夢も純である。思えば誰しも幼い日々があったのだ。それが何時しか大人になってみればこの罪悪感。幾度欲を抱き人を泣かせて来ただろう。敗北感に泣いた幾夜を過ごした事だろう。明日は懺悔のクリスマス。清く生まれ代るのに遅くはない。<熱燗やわが泣き上戸とめどなし:やの字>:角川書店「合本・俳句歳時記」1990年2月15日所載。
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にほどりの息をあはせて潜りけり:加藤浜風

2020年12月23日 | 俳句
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にほどりの息をあはせて潜りけり:加藤浜風
にほどりの一群れが息を合わせて潜っていった。さてどこへ浮き上がるのかこちらも息を詰めて見守っている。とここに一羽あそこに一羽と顔が出る。この鳥は別にカイツブリとも言い日本各地の池沼に棲息している。琵琶湖などは鳰の湖などと呼ばれたりする。今日も公園の池でこの潜りショーを楽しむ人々が多いことだろう。潜った数と浮いた数が合っているのかご心配の方もおられると聞く。ハイ合ってます。<にほどりの一家を上げて流れ来し:やの字>:ネット喫茶店「つぶやく堂」2020年12月15日所載。
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寒柝の一打に闇のあたらしく:田口紅子

2020年12月22日 | 俳句
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寒柝の一打に闇のあたらしく:田口紅子
わが町内でも恒例の当番制夜廻りが始まった。七人一組で拍子木を叩く者火の用心を叫ぶ者と割り当てられる。さてこの拍子木だが何処で買えるのか。スーパーに無しコンビニに無し。でもそこはネット社会の素晴らしさ検索すれば一発で出てくる。ただし音色は届いてからのお楽しみとなる。一番手が本部に帰って来た。二番手が出発である。ポットに潜めた熱燗を煽る輩が一人や二人は居る。ヒノヨ~ジン!カッチカッチ!!<寒柝の声上げる役をなごなり:やの字>:俳誌「俳壇」2020年12月号所載。
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白々と女沈める柚湯かな:日野草城

2020年12月21日 | 俳句
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白々と女沈める柚湯かな:日野草城
冬至には柚子湯を湧かす習慣である。一年の苦労の垢を洗い流して新しい年へ向かってゆく。今一人の女が身を沈めて寛いでいる。湯の中に白々とゆらめく姿は妙に艶めかしい。当人は今年の苦労一切合切をすっかり洗い流して無の状態になっている。クリスマス大晦日新年と時の流れの音が聞こえる。まずは斯く在る今年に感謝である。来年も家内安全一病息災で迎えたし。<母様の胎内記憶ありて柚子湯:やの字>:日野草城句集「花氷」所載。
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着膨れてしまへば怖いものは無し:菅沼葉二

2020年12月20日 | 俳句
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着膨れてしまへば怖いものは無し:菅沼葉二
日に日に寒さがつのって来た。重ね着を脱いだり着たりしている内にこの着膨れとなった。伊達の薄着はもう出来ぬ。さあこいと構えて本格的な寒気に対峙する。最近は薄くても温かい素材の着衣の衣服だと聞く。老人会の面々も着膨れが少なくなってきた。ちゃんちゃんこは居ない。<着膨れてグランドゴルフ善戦す:やの字>:読売新聞「読売俳壇」2020年12月15日所載。
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火の如し我に答へる枯野人:斉木直哉

2020年12月19日 | 俳句
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火の如し我に答へる枯野人:斉木直哉
寒さの極限は熱さとおなし感覚だという。行ってみれば「痛い」に似た感覚かも知れぬ。いま凍てついた枯れ野の人に声を掛けた。それに答える枯野人は声からして身も心も燃えている。こんな処に身を置くなんて酔狂極まりない事だ。それとも恒例の野焼き(葦焼き)の準備かな。さて我が輩は炬燵に潜って芭蕉でも読み直そうか。<枯野にて流れ行く雲弔へり:やの字>:朝日新聞「朝日俳壇」2020年12月13日所載。
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母若し冬の泉を覗き見て:笹本千賀子

2020年12月18日 | 俳句
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母若し冬の泉を覗き見て:笹本千賀子
好奇心は若さのバロメーターと言う。母が嬉々として泉を覗き見てはしゃいでいる。元気でいるから冬の外出も厭わないし物事に興味津々なのだ。都会で泉と言えば噴水か。かつて夜間の照明ショーもあった。それもこのコロナ禍では無理だろう。この句の作者は泉と母の笑顔に出合った素敵な一日を過ごしたのであった。ま、小生にある野次馬根性は若さと無縁だろう。<けふ一日生きむと冬の泉去る:やの字>:俳誌「俳壇」2020年12月号所載。
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晩節こそ華やか冬虹消ゆるまで:塩貝朱千

2020年12月17日 | 俳句
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晩節こそ華やか冬虹消ゆるまで:塩貝朱千
私たちは今高年齢社会のど真ん中にいる。様々な叙勲対象にもなるし自動車事故の主役でもある。さて我々が晩節を迎える人生の終章こそ華やぎてありたい。春夏秋冬を幾度を経て晩節の冬。そこに七色の虹が架かっている。戦争も子育ても終わった晩節は趣味三昧の暮らしのただ中にある。儚き虹が消えるまで精一杯華やごう。<まずまずの顔にて仰ぎ冬の虹:やの字>:俳誌「俳壇」2020年12月号所載。
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