やんまの気まぐれ・一句拝借!

俳句喫茶店<つぶやく堂>へご来店ください。

スカイツリー朝顔市の真向ひに 岡田智恵子

2017年07月31日 | 俳句
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岡田智恵子
スカイツリー朝顔市の真向ひに
朝顔の選別や値踏みをしていたがふと顔を上げてみるとスカイツリーが聳えている。下町入谷の朝顔市は毎年七月の六日から八日までの三日間開催される。入谷鬼子母神を中心として、言問通りに百二十軒の朝顔業者と百軒の露店が並び多くの人出で賑わう。目と鼻の先にあるスカイツリーが真向かいみえるロケーシュンである。因みに私はスカイツリー直下の東京市向島区で出生と戸籍にある。:俳誌「百鳥」(2016年10月号)所収。

枝豆や酒さめまじく黙りをる 榎本冬一郎

2017年07月30日 | 俳句
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榎本冬一郎
枝豆や酒さめまじく黙りをる

ほろ酔いの気分を覚ましたくないのでじっと黙っている。枝豆の塩加減も上々である。酒の酔いもさりながらこの夢心地の夢も覚ましたくない。今宵は美化され増殖された夢を肴としている。肴と言えば、私はビールに枝豆清酒に冷奴か焼き海苔、焼酎にゲソが定番となっている。焼き鳥はとうに卒業した。ほろ酔いの揺りかごに魂は半分眠り半分覚めている。:角川「合本・俳句歳時記」(1990年12月15日)所載。

片陰や道は神社で行き止まる 大島英昭

2017年07月29日 | 俳句
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大島英昭
片陰や道は神社で行き止まる

こう暑いと少しでも陰を探して歩くことになる。ちょっとしたぶらり旅だがまずは片陰を探して歩く。目的がある訳でもなし鼻の向いた方へ歩いて行くと道が行き止まった。そこには赤い鳥居の神社が鎮座していてご神木の樟の大樹が緑陰を作っている。ありがたやと鈴を鳴らして一休み。人生一休みが肝要である。:句集「ゐのこづち」(2008年12月15日)所載。

山﨑君より届きたる水やうかん 香田なを

2017年07月28日 | 俳句
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香田なを
山﨑君より届きたる水やうかん
君づけで呼べる親しい仲であろう。水羊羹が届いた。お中元か何かの陣中見舞いだろうか。自分の嗜好品まで熟知して呉れているとは嬉しいな。さっそく冷蔵庫で冷やす事にした。さっきまで喜怒哀楽の激しい時間を過ごしていたのだが、何故か爽やかな気分で一日が終われる。今夜は久々に甘い夢が見られそうだ。:俳誌「はるもにあ」(2015年9月号)所載。

かたはらに古きオカリナ夕涼み 涼野海音

2017年07月27日 | 俳句
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涼野海音
かたはらに古きオカリナ夕涼み

今日も一日中暑かったが夕方になって風も出て来た。そこで足を投げ出しての夕涼みとなる。傍らには昔から愛用のオカリナが置かれている。生まれながらの音痴であった私だが唯一オカリナを口にした事があった。母から貰い母が奏でて呉れたものである。暫くは形見として持っていた大事なオカリナではあった。さて気分が乗ったところで何を奏でようか。:俳誌「角川・俳句」(2017年7月号)所載。

田も山も昼寝してゐる小さき村 をがはまなぶ

2017年07月26日 | 俳句
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をがはまなぶ
田も山も昼寝してゐる小さき村
田も山も昼寝をしている様な人気のない村である。多分村人も昼寝をしているのだろう、とは都会っ子の勝手な思い込みである。山村の暮らしは大自然の運行に追われて年がら年中忙しい。苗床作りから秋の収穫冬の作付け計画と休む暇が無い。余談であるが戦中に私は栃木県の小さな村に疎開した事がある。水を井戸に頼っていたのだが私はそこへ落っこちてしまった。村人が作業を終えて帰って来て救出されたのだが、小さな村に残した大きな思い出となっている。:朝日新聞「朝日俳壇」(2017年7月24日)所載。

町ひとつ津波に失せて白日傘 柏原眠雨

2017年07月25日 | 俳句
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柏原眠雨
町ひとつ津波に失せて白日傘

天災が忘れた頃にやって来た。人々は大自然の猛威に蹂躙されてしまった。お決まりの人災提起に責任追及が始まったが後の政(祭)りである。立ち上がろうと町ごと高台に移転したりしているが家族もあの日の時間も戻らない。瓦礫は未だに点在している。そんな瓦礫の道の日盛りを蝶々の様に白日傘が漂い歩いている。:角川俳句付録「現代俳人名鑑Ⅰ」2017年5月号付録所載。

河童忌や一生徒のみ肯はず 兼安昭子

2017年07月24日 | 俳句
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兼安昭子
河童忌や一生徒のみ肯はず
教室で一生徒のみ肯(うべな)はなかった。他の生徒はみんな賛成なのに彼はがんとして肯定しない。どこか天才肌で先生をも睥睨する眼差しである。今日7月24日は河童忌、作家芥川龍之介の90年目の命日である。服毒自殺だと言う。天才は死にたがる(やんま語録)、老いさらばえるのもいいのになあ。:雄山閣「新版・俳句歳時記」2012年6月30日版所載。

落合ひてまづ噴水の話より 近藤真啓

2017年07月23日 | 俳句
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近藤真啓
落合ひてまづ噴水の話より
待ち合わせて顔を合わす。どちらからともなく噴水の話が挨拶代わりとなった。噴水のダンスは水音のリズムに乗って展開してゆく。場所の指定が噴水のせいか他にも何組かがたむろしている。同性の集団もあるがどちらかと言えば男女のペアー方が多いだろうか。噴水の涼味の前で暫し憩いの時を経て三々五々と散って行く。さて異性と噴水前で待ち合わせた記憶が定かでない。多分皆無だったのだろう。:俳誌「春燈」2016年10月号掲載。

真実の暗闇に光る夏の星 同前悠久子

2017年07月22日 | 俳句
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同前悠久子
真実の暗闇に光る夏の星
この世の闇と光の極致に真実の暗闇と寂光が有る。今宇宙の暗がりに夏の星が輝いている。丸い地球に佇む人間がその小さな肩幅で立ち見上げおほと言う。東京近郊に生まれ育った私は青年期に白神山地に野営して真実の暗闇を経験した。しかしブナの梢の空間には銀河が恐ろしい程の輝きで瞬いていた。あの晩は何故か膝を抱えて泣いて過ごした記憶がある。:俳誌「ににん」(2017年夏号)所収。

梅雨晴れ間空に羊の闊歩する 岡崎靖生

2017年07月21日 | 俳句
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岡崎靖生
梅雨晴れ間空に羊の闊歩する
抜ける様に青い梅雨晴れの空。そこに羊が闊歩している。広大な空に放牧された羊たちは思い思いに散らばって自由そのものである。自由でありながら一定の方角へ向かっている。時折牧羊犬らしい黒いのが走って行く。雲雀笛も聞こえる。旅人の頬に風が気持ち良い。勿論羊は雲。雲は良いなあ、趣味は?と聞かれたら「行雲」と答えるだろう。:俳誌「百鳥」(2016年10月号)所収。

全員に一気に梅雨の明けにけり 赤猫

2017年07月20日 | 俳句
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赤猫
全員に一気に梅雨の明けにけり
日本列島を覆っていた梅雨前線が去って一気に梅雨明けとなった。この島国に住む全員が晴れ晴れとした顔になる。これから夏休みに掛けて天気晴朗緑の季節に突入する。海佳し山佳しである。花は盛り鳥は舞い、世は隅々まで活力に満ちる。然りながら人生多事多難故悩みも多かろう。せめて夢絶やさずに詩を口ずさんで明るく生きたいものだ。:「つぶやく堂俳句喫茶店」2017年7月16日掲載。

神童のよく食べてゐし桑いちご 望月喜久代

2017年07月19日 | 俳句
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望月喜久代
神童のよく食べてゐし桑いちご

桑いちごは苺状の果実がなるバラ科の落葉低木である。郷里のちょっとした所に自生していた。地元で神童の呼び声高い子がこれをよく口にしていた。今あの子はどこでどうしているのやら。私事ですがすぐに<青あらし神童のその後を知らず:大串章>を思い出す。一方で具体的にさる編集長の風貌をも思い出す。神童も世に名を成す方もあれば埋没された方もあるだろう。その後を知らないので想像を膨らませるばかりである。世俗を離れ虹の橋を渡っている透明人間を思ったところでビールが一本空いた。:朝日新聞「朝日俳壇」(2017年7月17日)所載。

この世からすり抜けてゆく螢かな 浜岡紀子

2017年07月18日 | 俳句
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浜岡紀子
この世からすり抜けてゆく螢かな
螢がすーっとこの世の闇をすり抜けて行った。この世の光と闇を暮らし分けて命がある。原則人間は夜明けに目覚め暗闇の宵に眠る。そうで無い梟やモモンガなどの夜行性の生き物も併存している。そして螢。この世の闇に命を全開させそこをすり抜けてゆく。やがて消えゆく先の別の世を誰も知らない。:俳誌「ににん」(2017年夏号)所載。

緑陰に休む子鼻血止まるまで 守屋明俊

2017年07月17日 | 俳句
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守屋明俊
緑陰に休む子鼻血止まるまで
緑陰に鼻血を出した子が休んでいる。鼻に詰めた白いテイッシュの赤い血が目に染みる。周りでは仲間たちが相変わらず跳び回っている。早く遊びに戻りたくてうずうずしている。そんな熱き血潮が少年時代の自分にもあった。我を忘れ興奮過熱して遊んだ事があったのだ。この子に幼き自分の姿を重ね見ているが、もう帰れない大昔の幻影に過ぎない。:角川「俳句」(2017年7月号)所載。