やんまの気まぐれ・つぶやっ句 「一句拝借!」

談話は、俳句喫茶店・つぶやく堂へお越しください。

陽炎やふくらみもちて封書来る 村越化石

2017年04月30日 | 俳句
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村越化石
陽炎やふくらみもちて封書来る
ゆらゆらと物の形がゆらいで見える。陽炎である。そんな或る日門の郵便受けがぽとんと鳴って何かが配達された。さてと手にして見れば何か歪なふくらみがある。この差出人からして封書の文面に緊急性もなさそうだし。封書は読む前にひとつ心のドラマを持っている。便りが無いのが良い知らせ、さて来てしまった便りの中身とは。陽炎がゆらめいている。:角川書店「合本・俳句歳時記」(1990年12月15日版)所載。
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水音に耳の慣れゆく山桜 岩淵喜代子

2017年04月29日 | 俳句
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岩淵喜代子
水音に耳の慣れゆく山桜
街を離れて山に入る。野鳥の声が静寂を一層引き立てる。その耳に水の流れる音が重なる。渓流の雪代の濁りもようようとれた。タラの芽コゴミと目を配れば、遠い山裾の山桜が山を明るくしている。鶯が一声で谷を渡りまた静寂が戻る。耳には取り残されたように水音だけが響いている。:句集「嘘のやう影のやう」(2008年2月4日)所載
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漂流のごとき心や春の雲 宮本郁江

2017年04月28日 | 俳句
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宮本郁江
漂流のごとき心や春の雲
漂流とは漂い流れること。漂流とはさすらい歩くこと。心に形は無いけれど例えば空行く雲の様なものだろうか。刻々と変幻し消えては現れる気ままな振る舞い。いやむしろ風任せの無心無我の様と言うべきか。それはさすらい。人の心に潜む憧れでもある。君は明日どこへ向かいたいのか。遠く空を眺めればとりとめも無く春の雲が流れてゆく。:俳誌「ににん」(2017年春号)所収。
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チューリップ喜びだけを持つてゐる 細見綾子

2017年04月27日 | 俳句
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細見綾子
チューリップ喜びだけを持つてゐる
チューリップがあっけらかんと原色を誇っている。赤白黄色ときれいである。このさっぱり感はただただ咲く喜びに浸っている様に見えてくる。喜怒哀楽や愛憎の襞を見せる事無し。おなしこの世の存在でありながらかくもさっぱり出来る不思議さよ。人間もかくありたい。でも出来ない。何故か!?:俳誌「俳句」(2017年4月号):角川書店)所載。
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春愁や猫は老いても従はず 吉竹純

2017年04月26日 | 俳句
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吉竹 純
春愁や猫は老いても従はず
よく犬派か猫派かと言うが私には猫の時代と犬の時代があった。犬のポンチは今も心に生きている。改めて振り返るに他にもいろいろ飼ってきた。鶏、兎、金魚や目高、四十雀などなど。さて猫時代、猫は外出勝ちで言う事もあまり聞かなかった気がする。その癖甘える事が得意で猫なで声にはコロリと騙された。当時は蚤採りが大変であったが冬の日向ぼこには最適の作業であった。いくら叱っても言う事を聞かず襖や柱を引っ搔いて傷だらけにした。あの独善的な生き方を真似たかったが出来なかった。親に従い師に従い妻に従う。俺の独善は夢の中だけ。:読売新聞「読売俳壇」(2017年4月11日)所載。
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菜の花の盛りに一夜啼く田螺 曾良

2017年04月25日 | 俳句
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河合曾良
菜の花の盛りに一夜啼く田螺

実際には鳴かない田螺も俳人の耳には鳴いて呉れるらしい。菜の花が辺りを黄一色にして咲いている。百姓にとって過酷な労働に目が冴えてかえって寝付けない。五感が敏感になっているのだろうか、目を瞑っても寝られない。まして耳鳴りか何かが耳に響いていよいよ眠れない。ふと、この鳴き声は昼間踏んずけていたあの田螺ではないかと妄想が巡る。一晩中羊を数えながら田螺を聴いている夜となった。我が身を振り返るにこんな労働はもうする事は無いだろう、いや出来ない。:『名俳句一〇〇』(2002・彩図社)所載。
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子雀のへの字の口や飛去れり 川崎展宏

2017年04月24日 | 俳句
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川崎展宏
子雀のへの字の口や飛去れり
心地よい春の風に吹かれてベンチに座っている。今年生まれの子雀が寄って来て、さして人を恐れずに身の回りの餌を啄んでいる。どんな野生も生まれると直ぐに自立を求められる。生存の厳しさである。口をへの字に結んで懸命に啄んでいる姿が健気だ。と近くで親雀だろうか鳴き声がして、それを合図に子雀が飛び去った。眼裏にドラマとも言えない残像が焼き付いた。:『新版・俳句歳時記』(2012・雄山閣)所載。
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航跡の島まで伸びる暮春かな 雪絵

2017年04月23日 | 俳句
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雪絵
航跡の島まで伸びる暮春かな
島通いの船が島を離れて長く航跡を引いている。さっきまで滞在していた島がぽっかりと浮かんでいる。見送りに手を振った人影ももう見えない。この春何があって何が終わったか。暮れゆく春に包まれて、出会いと別れの万感の情が満ち溢れる。かく青春は激情を燻らせたまま終ってゆく。:「丘ふみ游俳倶楽部:百五十号発刊記念句集」(2017年春)所載
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うらうらの海風肌にやはらかし 浜風

2017年04月22日 | 俳句
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浜風
うらうらの海風肌にやはらかし
「うらうら」は浦々でもあるがうららかな響きに通じる。耳には波の音肌には海風目には優しい海光が心を安らげる。街での騒音やビル群からの圧迫ましてや人間関係の煩わしさにある日常を飛び出して非日常に逃げ込みたくなる事あり。私は年に一度は海を見に出かける事にしている。海はおおらかでちっぽけな私の悩みなど吹き飛ばしてくれるからだ。その度に私は生まれ変わった気がする。こんな気分の良い日にこんな柔らかな風を浴びて、海辺の散策の何と贅沢な事よ。:つぶやく堂「俳句喫茶店」(2017年4月21日)所載
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つるのびて軒にとどくや豆の花 中山美知

2017年04月21日 | 俳句
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中山美知
つるのびて軒にとどくや豆の花
春の進行とともに植物の成長が目を引く毎日となった。各家庭のベランダや軒下などのちょっとしたスペースに種が蒔かれ苗が飾られる。豆の蔓がぐんぐん伸びて朝の水やりが楽しみとなった。今日は軒に届く勢いであるが嬉しい事に花が咲いている。日々の小さな暮らしの中の大きな驚きと喜び。生きているっていいなあ。:俳誌「百鳥」(2016年6月号)所載
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ちらばりて皆が見えをりわらび狩 皆川爽雨

2017年04月20日 | 俳句
258
皆川爽雨
ちらばりて皆が見えをりわらび狩
春は山野草の季節である。食用に経験しただけでもノビル、ワラビ、ゼンマイ、コゴミ、タラの芽などなど。それぞれの場所に穴場的ポイントがあり地元の人々の毎年の楽しみである。私の近辺でも利根川水系の各河川畔でピクニックを兼ねた山菜採りが賑わう。各自てんでばらばらに散らばって腰を丸めているので、ああそうかと分かる。菜の花の盛りもピークを越えたようだ。雲雀鳴く土手の風がとても気持ち良い。命の洗濯をたっぷりとして帰ろう。:角川書店「合本・俳句歳時記」(1990年12月15日版)所載
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木の芽草の芽歩きつづける 山頭火

2017年04月19日 | 俳句
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種田山頭火
木の芽草の芽歩きつづける
山頭火は歩いた。歩き続けた。歩きたかったのか?歩かねばならなかったのか?いや他にどうする事も出来ず歩くしか無かったのである。春夏秋冬を歩き続けそしてまた春が来た。野には木の芽草の芽が吹き出し命の喜びに輝いている。そんな四季の巡回に身を振り回されながら変わらない自分はただ只管に歩いて行く。歩くより他になかった、他に無かった。男は誰でも心中に山頭火を飼っている。:「山頭火句集」筑摩書房(2014年4月5日)所載
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集まればみんな老人春の午後 海苔子

2017年04月18日 | 俳句
256
海苔子
集まればみんな老人春の午後
人が集まっている。見たところみんな老人である。小子高齢化かくの如し。小生の近辺でも同様である。町内の見回り隊然り、お茶飲み会然り、グランドゴルフ然りである。70歳代80歳代が元気溌溂としている。中には90歳代の方が交ったりする事がある。人間50歳の時代はとうに終わってい今は平均80歳。90歳100歳を目指す時代となった。でもなあ寝たきりで生きるのも辛いだろ。健康で元気な余生を過ごしたいもの。そうだぽっくりさんにもお願いしておこう。:つぶやく堂「俳句喫茶店」(2017年4月15日)所載
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蝌蚪小さし浮かびて消ゆる水泡(みなわ)よりも 草田男

2017年04月17日 | 俳句
255
中村草田男
蝌蚪小さし浮かびて消ゆる水泡(みなわ)よりも
俳句を初めて蝌蚪は「カト」と読みオタマジャクシの事だと知った。その蝌蚪がぽっかりと水面に浮かびすぐに水中に没していった。そこらあたりに水泡がぷくりと浮かぶ。残像に残る蝌蚪はこのアブクより小さな存在である。私の育った東京都葛飾区の60年も前は田園地帯であった。近くに中川が流れその河畔が主な遊び場であった。蝌蚪はよき友よき遊び相手であった。蝌蚪小さし、我もまた。童話の世界に遊んでいた頃へ、もう帰れない。:「合本・俳句歳時記」(1990年12月15日:角川書店)所載。
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よく伸びる猫の胴体春炬燵 斎木百合子

2017年04月16日 | 俳句
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斎木百合子
よく伸びる猫の胴体春炬燵
猫が長々と胴体を伸ばして炬燵に入っている。三寒四温とは言うがまだまだ寒さには油断が出来ない。仕舞はずにいた炬燵が随分と役に立っている。何を食べるにも読み書きするにもこれ一つ。テレビを見ながらのうたたねがが心地よい。こうして主の指定席が出来上がっているが猫ちゃんも何時しか居場所を確保したようだ。やがて欠伸をして起き上がったと思ったら、前後にストレッチをして即歩き出した。徘徊は猫ちゃんの常である。:読売新聞「読売俳壇」(2017年4月11日)所載。
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