やんまの気まぐれ・一句拝借!

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をだまきやいつもさゆれてもの想ふ 大徳澄子

2019年04月30日 | 俳句
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大徳澄子
をだまきやいつもさゆれてもの想ふ

苧環(をだまき)の花が風に揺れている。僅かな風に僅かに揺れている。ああ、又季節が巡り季節が去って行くなどと感傷に浸るのもこの頃か。春愁いとも違う何かを思い出している感傷である。わが家にもご近所から頂いた苧環が鉢にある。さして世話もしていないが毎年咲き継いで季節の訪れを告げている。菫ほどの姫苧環は絶やしてしまった。苧環の句は未だに発想出来ていない。:角川「新版・俳句歳時記」(1990年12月15日版)所載。
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水彩のいろ薄く描く蜆舟 浜風

2019年04月29日 | 俳句
983
浜風
水彩のいろ薄く描く蜆舟

目線の彼方に湖水の風景が広がっている。絵筆の前に小さく目を引くものは蜆舟である。簡単な鉛筆のスケッチもそこそこに水彩の絵筆を走らせる。こうして健康な一日を賜わる幸せを静かに噛みしめる。健康に良いと祖母から教わり堅く信じている蜆汁、今朝の食事もここから始まった。今日も元気で!と万歩計を装着して散歩を兼ねてやって来た。春の色は淡い。:つぶやく堂「俳句喫茶店」(2019年4月25日)所載。
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夜通しの雨を衣に藤の花 小春日ゆり

2019年04月28日 | 俳句
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小春日ゆり
夜通しの雨を衣に藤の花
夜通しの雨で藤の花がびっしょりと濡れている。まるで雨の衣を纏っているようだ。その瑞々しさは息を飲む美しさである。時折の風に揺れて見る者の五感を刺激する。古来藤は家紋にされて来たのもその優雅さ故で有ろう。花を伝う雨垂れのリズムに何時しか眠りが誘われてきた。:俳誌「はるもにあ」(2018年7月号)所載。
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揚雲雀空の奥にも空のあり 小島健

2019年04月27日 | 俳句
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小島 健
揚雲雀空の奥にも空のあり
大空高く雲雀が鳴いている。見上げれば目眩いがしそうな高さである。と、声の高揚した雲雀がさらに一段と高みへ向かって小さくなった。ほう空の奥にも空があるんだと得心する。普段は空は宇宙へ続くとは頭で分かっているのに今現実の雲雀を実体験すれば改めて五感がこれを納得する。やがてまっしぐらに落下する様を見たところで引き上げることとした。:俳誌「角川・俳句」(2019年4月号)所載。
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春しぐれ紙舗に買ひたるものの嵩 望月清彦

2019年04月26日 | 俳句
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望月清彦
春しぐれ紙舗に買ひたるものの嵩

春の長雨で殊更に寒い日、特別な用紙を買いに専門店へと出かけた。目的の紙は直ぐに見つかった。が、店舗に並べられた沢山の和紙が目を魅了する。ほうこれも、ふむあれもと次々と求めてしまう。手に抱えきれなくなって今日のところはこれまでとする。好きな事が有り夢中になれることは真に幸せである。:読売新聞「読売俳壇」(2017年5月29日)所載。
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浅間燃え春天緑なるばかり 前田普羅

2019年04月25日 | 俳句
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前田普羅
浅間燃え春天緑なるばかり

浅間山が燃えている。信濃路の春は深く緑を成している。旅はいい。日常に飽いたなら旅へ出ると良い。火山の活力が気を注いでくれるかも知れぬ。森の緑が心を休めてくれるだろう。少しの体力と小銭があったら鈍行列車に飛び乗りたい。ふと思いついた駅に降り立って止めどなく歩いて見たい。桜が終わった今頃が気候も安定して最適な旅が出来るだろう。今の小生には夢のまた夢ではあるが。:山本健吉「鑑賞俳句歳時記」(1997年1月15日)所載。
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次々と水に刺さりて上り鮎 小島健

2019年04月24日 | 俳句
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小島 健
次々と水に刺さりて上り鮎
鮎が川を遡上し始めた。川の流れは緩んではまた急に走り出す。段差の堰やや小滝を跳ね上がってゆくのは鮎たちである。ひらりひらりと空に舞ひ又水に突き刺さってゆく。躍動する若鮎の姿が眩しい。こんな溌剌とした鮎達も上流での産卵を終えれば命の尽きる一年魚である。儚い命の愛しさよ。:雄山閣「新版・俳句歳時記」(2012年6月30日版)所載。
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春眠のひととき得たる床屋かな 高羅駿治

2019年04月23日 | 俳句
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高羅駿治
春眠のひととき得たる床屋かな
春はやたらと眠い季節である。それに床屋の居心地良い椅子に嵌まってしまうとついついうとうととなってしまう。現代人は普段何かと気忙しく神経がなかなか鎮まる事が無い。そこで日常を離れた床屋の椅子でたちまち春眠と言う贅沢を得るのである。時代は髪結い、床屋、理髪店と代わり令和の御代となる。せめて床屋の春眠は変わらずにあれ。:俳誌「春燈」2018年7月号)所載。
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いのちひたすら囀りに血のにほひ 小林たけし

2019年04月22日 | 俳句
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小林たけし
いのちひたすら囀りに血のにほひ
長閑な春が進行してゆく。空に囀る雲雀の声が耳に優しい。しかしよくよく聴いてみるとその必死さが伝わって来る。命を絞り出す鳴き声に聞こえる。思えば我が人生にこれ程夢中になれた事があったろうか。命愛しく、死ぬほど立ち向かう事など何も無かった。雲雀が少々羨ましい。と、揚げ雲雀が鳴き切ってまっしぐらに墜落していった。:朝日新聞「朝日俳壇」(2019年3月31日)所載。
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常の道はづれ一樹の山ざくら 加藤かな恵

2019年04月21日 | 俳句
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加藤かな恵
常の道はづれ一樹の山ざくら
何時もの道をちょっと外れてみたい。時々そんな気分に襲われる。今日も何かに呼ばれた気がして脇道へ出る。なんとそこには見事な山ざくらが咲き誇っているではないか。きっとこの大樹の妖気が私を誘ったのだ。どんな些細なことでも日常を逸脱すれば新しい自分が蘇る。:俳誌『百鳥』(2018年7月号)所載。
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諸子釣り朝靄の中身じろがず 本田博子

2019年04月20日 | 俳句
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本田博子
諸子釣り朝靄の中身じろがず
朝靄(もや)の中に釣り人がいる。じっとしていて身じろぐ事もない。釣りは朝まずめ夕まずめに釣れる時間帯がある。魚の食欲の関係なのだろう。そして諸子は1束2束と言う単位で釣れる。この1束は百匹の事である。釣れますか?と問えばぼちぼちでんねんと応えあり。つまり相当釣れたのだろう。:角川「新版・俳句歳時記」(1990年12月15日版)所載。
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チューリップ喜びだけを持っている 細見綾子

2019年04月19日 | 俳句
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細見綾子
チューリップ喜びだけを持っている
チューリップは原色を楽しむことが多い。赤白黄色綺麗だな♪と唄われているがまさしく「喜び」の感触がぴったりである。チューリップの花言葉は「思いやり」ではあるが色毎にそれぞれの花言葉を持つようだ。現代人の抱えている複雑な感情からみれば何とさっぱりとした「喜び」色なのだろうか。:山本健吉「鑑賞俳句歳時記」(1997年1月15日)所載。
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青森のマタギの村や花三分 佐々木靖子

2019年04月18日 | 俳句
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佐々木靖子
青森のマタギの村や花三分
桜前線が北上し青森では三分咲きとなった。マタギの村にも遅い春の訪れとなる。マタギというのは熊や鹿など獣を捕獲して生活している山の男の事である。中でも青森岩手秋田などを渡り歩いていた。昔白神山地が自由に入山出来た頃小生も渓流釣りの為に野営した事がある。そこへ巡回して来たマタギと親しく語らった事がある。彼は岩魚を新鮮な内に食えと言い都会派の我らは少し熟成させて食いたいと議論になった。星は恐ろしい程瞬いて威圧してきた。朝ぼらけ川面一面の木の葉を見て??と思って近付いたら何と岩魚の大群であった。今は昔のお話。:俳誌「ににん」(2018年夏号)所載。
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春泥の道どこからかとなく乾く 片山由美子

2019年04月17日 | 俳句
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片山由美子
春泥の道どこからかとなく乾く
春泥の泥濘み道を歩いて来た。ふと気がつくとどこからとなく道が乾いている。春泥と言う響きに人生の挫折と屈辱を思い重ねてしまう。恋はことごとく破れ争いはことごとく敗れた。その都度逃れられぬ現実に歯ぎしりして耐えた。そんな時代も今は遠くなった。日々風化してゆく記憶ではあるが、青春の叶わぬ思いはそれはそれで美化されて温存されている。:俳誌「角川・俳句」(2019年4月号)所載。
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追伸の一行にある余寒かな をがはまなぶ

2019年04月16日 | 俳句
970
をがはまなぶ
追伸の一行にある余寒かな
寒暖を繰り返して春は深まってゆく。昨日まで暖かくなったというのに今日のこの寒さである。一通の手紙が来てとりとめも無く近況が綴られている。時にちょっとした昔話も交じり今に続く絆の太さが伝わってくる。追伸に自分の病状とご自愛くださいがあって結ばれる。伏している淋しさがこの一言でぐっと伝わってくる。実は追伸のこの一行こそ本当に聴いてもらいたかった事なのである。:読売新聞「読売俳壇」(2019年4月9日)所載。
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