やんまの気まぐれ・一句拝借!

俳句喫茶店<つぶやく堂>へご来店ください。

春あさく南方の傷うづく父 小野田健

2018年03月18日 | 俳句
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小野田健
春あさく南方の傷うづく父

第二次世界大戦が終わって73年の歳月が経とうとしている。春まだ浅き日本の日々は多少の寒さを肌に感じるがいたって平和裏に送られてゆく。南方戦線に展開した兵士の多くは死して帰らぬ者となった。生還した者の多くが心身ともに傷を負って帰った。父の傷が今寒さに疼いている。心の芯に響く疼きである。南方ジャングルに身を潜め人間である条件すらをかなぐり捨てて生き延びて来た。私の父は全滅部隊に属していたので戦死通達が届いていたが、ある日ひょっこり帰還してきた。多くを妻子に語らず左の脛に埋めた銃弾は死ぬまで処置をしなかった。:俳誌「はるもにあ」(2017年5月号)所載。

春満月うす目して見む死に際は 大木孝子

2018年03月17日 | 俳句
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大木孝子
春満月うす目して見む死に際は

春の満月がどここか朧げに浮かんでいる。それをゆったりと心和ませて見ている。こんな死に方だったらいいな、とふと考える。最後の時間は日常の茶飯事や仕事の煩わしさが霞んでただぼーとなって一切の苦しみが消えるのだろうか。いやいや断末魔の苦しみと言う事もある。一寸先は不明で想定外の時であろうと覚悟はしているが。そんなこんな考える年齢に私はなった。:俳誌「角川・俳句」(2018年3月号)所載。

ポストまで春の一句と歩きけり 鬼形のふゆき

2018年03月16日 | 俳句
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鬼形のふゆき
ポストまで春の一句と歩きけり
朝日俳壇へは通常葉書に一句記載してポストへの投函となる。句が出来た日はいそいそとポストへ歩いて行くのである。今日はぽかぽかの春日和で体調も良く一句も上出来である。運が良ければ(出来が良ければ?)複数の選者選もありうる。そして月曜日の選句掲載日には朝の目覚めと共に新聞受けへ直行となる。投稿者の中には名前に馴染んだ常連もいてその名を見るのも楽しみである。宝くじでは無いがどうぞ当選していますように!:朝日新聞「朝日俳壇」(2018年3月12日)所載。

わが机妻が占めをり土筆むく 風生

2018年03月15日 | 俳句
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富安風生
わが机妻が占めをり土筆むく

毎日習慣で「10年日誌帳」なるものを付けている。今日も机に向かおうとしたら先客ならぬわが妻が既に座している。何とどこで摘んだか笊いっぱいの土筆の袴を剥いている。この後あく抜きの為に灰汁に一晩漬けるのであるがこれが年中行事となってしまった。春来たりと確認する。これまで食した山菜を思い浮かべてみる。筍、多羅の芽、蕗の薹、野蒜、ゼンマイ、コゴミ、水菜、クレソン、土筆、後何かなあ。:山本健吉「鑑賞俳句歳時記」(1997年1月15日)所載。

覗いてはまた覗いてる巣箱かな 柳澤茂

2018年03月14日 | 俳句
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柳澤 茂
覗いてはまた覗いてる巣箱かな

野鳥の巣作り期に入った。この男巣箱を作ってここに営巣させる作戦である。思惑どうり四十雀などの小鳥が入ってくれれば至福の喜びである。そして卵が幾つか産み落とされてその雛が孵る事となる。この間一喜一憂浮き浮きどきどきと季節を送る事となる。早朝から五分十分おきに覗いて一人にんまりとする。絵日記を付け上手くゆけば雛の写真も撮れて仲間に自慢して見せる事となる。人生に喜びを持てる人は幸せである。:俳誌「はるもにあ」(2017年5月号)所載。

卒業の拳に拳軽く当て 池谷秀子

2018年03月13日 | 俳句
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池谷秀子
卒業の拳に拳軽く当て
三月は卒業の月である。我々の昭和っ子は「蛍の光」と「仰げば尊し」だったが今はどうなんだろう。式も終わって学校から解放される時、親しく学び遊んだ友との別れがやって来た。おうおうと肩を叩き拳と拳を軽く当て合う。二度と会うことが無い友、何時までも傍に居る友となって行くのだか、お互いに明日の事は全く分からない。ただ輝く未来である事の予感に満ち溢れている。:ネット誌『丘ふみ游俳倶楽部』(163号)所載。

栄転はた左遷たんぽぽの絮飛べり ひであき

2018年03月12日 | 俳句
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ひであき
栄転はた左遷たんぽぽの絮飛べり

そろそろ4月新年度の辞令シーズンとなる。今二人に仙台支店と金沢支店と地方でもぴかっと光る支店へと辞令がでた。同僚は栄転だと肩を叩いてくれた。うんうん今の社長もここを経由しているんだと一人は喜んだ。もう一人は気になる女性と遠距離になる事も重なって左遷かあと暗い気持ちである。それぞれの人生に夫々の春が訪れた。たんぽぽの綿毛が公園の空いっぱいに散ってゆく。金子兜太は福島支店から長崎支店へと転勤しながら俳句の花を咲かせていった。向かうところ敵なし、我が道を行く志これ佳しとする。:つぶやく堂ネット喫茶店(2018年3月9日)所載。

再びの震災の映像冴え返る 小林正子

2018年03月11日 | 俳句
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小林正子
再びの震災の映像冴え返る
2011年のこの日東日本大震災が勃発。今も癒えない傷跡を残していった。今年もこの日なるとあの痛ましい映像がテレビに繰り返し流される。津波の恐ろしさを知らされ原発を操る事の危険さが議論されてゆく。その度に背筋から冴え返る思いを抱く。人の心に消えて行ったあの顔この顔が再び浮かび上がる。忘れようとして忘れられ無いあの時あの顔がある。:俳誌『百鳥』(2017年6月号)所載。

もの言うて歯が美しや桃の花 森澄雄

2018年03月10日 | 俳句
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森 澄雄
もの言うて歯が美しや桃の花

妖艶な桃の花の下に佇む麗人。話を聞いている中に相手の歯の美しさに感動した。その人格全てが美しく思えてくる。容姿の美しさもさりながら話から迸る知性の輝きが美しい。美しい歯並びを見ればこの丈夫な歯で心身ともに健康である事も想像出来る。物が噛めて有難く思うのも丈夫な歯があっての事。町内に虫歯は一本も無いよと粋がった男、実は総入れ歯と言う落ちを付けた。:角川「新版・俳句歳時記」(1990年12月15日版)所載。

下萌や土の裂目の物の色 炭太祇

2018年03月09日 | 俳句
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炭 太祇
下萌や土の裂目の物の色

時は春。生命がみずみずしい色を増して来た。土の裂け目にも物の色が見えている。下萌の目に沁みる鮮やかな色である。土手へ出れば菫、蒲公英、土筆や蓮華。空では雲雀がピーチクパーチク。人々の服装も明るい春色となって来た。かくも世間が喜々とした背景にあるのに小生はこの頃に何時も病む。花粉症に非ず春愁だと固く信じている。:山本健吉「鑑賞俳句歳時記」(1997年1月15日)所載。

お手玉の色とりどりや暖かし あべあつこ

2018年03月08日 | 俳句
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あべあつこ
お手玉の色とりどりや暖かし
小豆とか大豆などを布でくるんで手作りの遊び道具が出来上がる。空中に放り投げては右手左手を上手に使って受け止める。片手操作が見せ場である。まずは一個から始めて二個三個と数を増やしてゆく。名人級の祖母は五つ以上の操作を出来たろうか。そうなると玉の数だけ色の数も様々で彩りだけでも楽しくなってくる。もう今は春、随分と暖かくなった。思い出もまた心の芯を温ためる。:俳誌「ににん」(2017年夏月号)所載。

おもひ出せぬ夢もどかしく蕗の薹 寂聴

2018年03月07日 | 俳句
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瀬戸内寂聴
おもひ出せぬ夢もどかしく蕗の薹
昨夜の夢が気になって思い出そうとするのだが思い出せない。なんとももどかしい。私も夢を見る方だ。不整脈があって悪夢が多く寝汗を掻いて目を覚ます。嫌な感じを残すのだがその内容が思いだ出ない。ただ東京空襲を浅草で体験していた事がトラウマとなっていて、爆撃とか焼夷弾が降り注ぐ夢はリアルに思い出す。初恋の夢でも見たいものだと妄想を念じながら眠ってもそんな夢は見た事は無い。寂聴が見る女の夢はどんな夢だったのか。蕗の薹出ずる候、春の夢淡し。:俳誌「角川・俳句」(2018年3月号)所載。

風花やどこを塒(ねぐら)の次男坊 佐藤勇治郎

2018年03月06日 | 俳句
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佐藤勇治郎
風花やどこを塒(ねぐら)の次男坊
冬が終わろうとしている。晴れた空を雪がひとひらずつ舞落ちてくる。どこから湧いたものやら検討もつかない。きっと自由気ままに宙を舞っているのだろう。自由気ままと言えばうちの次男坊も今頃どこでどうしているだろう。長男は家督を譲り受け得をした気もするが自由と言う面では家に縛られる事も多かろう。どこを塒の次男坊に無性に憧れることが無いだろうか。ふと渥美清の寅さんを思い出した。:朝日新聞「朝日俳壇」(2018年2月26日)所載。

迂闊にも亀鳴くころをいつも病む 森澄雄

2018年03月05日 | 俳句
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森 澄雄
迂闊にも亀鳴くころをいつも病む
冬の厳しさから解放されて春らしい一日となった。この茫々たる感じを表現するに亀鳴くと言う季語が発明された。そんな心を緩める時節なのに私はいつでも病んでしまうのである。迂闊なものよと自嘲する。ところで生まれながらに心不全を負っている小生は通常病んで暮らしている。<今生は病む生なりき烏頭:波郷>とおなしかも。一病息災、耳鳴りかも知れないが亀は何時でも鳴いている。:山本健吉「鑑賞俳句歳時記」(1997年1月15日)所載。

駅前の居酒屋消ゆる花の冷 番匠博雄

2018年03月04日 | 俳句
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番匠博雄
駅前の居酒屋消ゆる花の冷
駅前から居酒屋が一つ消えた。勤め帰りにふらりと良く行ったものだった。仕事の緊張と家庭のくつろぎの狭間をアナログに程よく結んだ店だった。今日はこの店の熱燗で温まる事もなく通り過ぎる。梅から桜へと花の便りがちらほらと届く。さはさりながら肌には寒い花の冷えである。わが街に消えた居酒屋「京助」には竹下夢二の美人画を思わせる女将がいた。往時茫々。:俳誌「はるもにあ」(2017年5月号)所載。