やんまの気まぐれ・一句拝借!

俳句喫茶店<つぶやく堂>へご来店ください。

休日は素顔でをらむ胡瓜もむ:神田喜久子

2020年07月31日 | 俳句
333
休日は素顔でをらむ胡瓜もむ:神田喜久子
休日は会社も無いし学校も無い。他人様ともほとんど会はない。気取らない素顔のままで過ごしたい。今日は農家直売の胡瓜の浅漬けを食べようか。揉んでいる内に母の手捌きを思い出した。そうだお八つに出された胡瓜が美味かった。味噌を付けて一本まるごと囓ったっけ。またそうしてみよう、母の顔を思い出すだろうから。<八十路なる歯にてばりばり胡瓜食む:やの字>:角川書店『合本・俳句歳時記』(1990年12月15日)所載。
<俳句喫茶店・つぶやく堂へどうぞお入りください>

引き行くを足裏にじわり夏の潮:寂仙

2020年07月30日 | 俳句
332
引き行くを足裏にじわり夏の潮:寂仙
夏の浜辺に遊ぶ。足裏に引きゆく波の感触が気持ち良い。潮の香りが胸にじんと沁みる。一病息災この夏もこうして迎え楽しんでいる。一時一時が限りある命を滴らせている。地位よりも金よりも健康が大切と知る年齢に為った。だから夢を持ち希望を持つ喜びがある。おっと大波がやって来た。<来る波のどれも眩しく雲の峰:やの字>:ネット喫茶店『つぶやく堂』(2020年7月27日)所載。
<俳句喫茶店・つぶやく堂へどうぞお入りください>

慈悲心鳥ひびきて鳴けば霧きたる:水原秋櫻子

2020年07月29日 | 俳句
331
慈悲心鳥ひびきて鳴けば霧きたる:水原秋櫻子
十一と言う鳥がいる。ジュウ~イチ!と言う鳴声が時にジヒ~シン!と聞こえる事がある。そこで別名慈悲心鳥を賜った。ああ鳴いたなと思って辺りを見渡すと霧が立ちこめてきた。ホトトギス類の鳥で比較的高地によく飛来する。ワタクシの場合は名前から慈母観世音を連想して手を合せたくなってしまう。<慈悲心鳥鳴いて観音堂に霧:やの字>:山本健吉『鑑賞俳句歳時記』(1997年2月10日)所載。
<俳句喫茶店・つぶやく堂へどうぞお入りください>

るるるると角を曲がりぬかたつむり:村松二本

2020年07月28日 | 俳句
330
るるるると角を曲がりぬかたつむり:村松二本
退屈な梅雨の一時にかたつむりを発見して目で楽しんでいる。この葉からこの枝へと伝って、別の葉へ向かう。暫く眺めているとかたつむりが「る」の字に見えて来た。るるるるると鼻唄を唄ふがごとく角を曲がって行った。梅雨明けは間近である。<家あれば安らぎもあり蝸牛:やの字>:俳誌『角川・俳句』(2020年8月号)所載。
<俳句喫茶店・つぶやく堂へどうぞお入りください>

さぼうるてふ茶房混み合ひ休暇明け:加古宗也

2020年07月27日 | 俳句
329
さぼうるてふ茶房混み合ひ休暇明け:加古宗也
神田神保町の書店街の裏路地にこんな名前の喫茶店があった。サラリーマンの四連休、学生の夏休みと休暇の多い昨今である。その休暇も明けてこの喫茶店が混み合っている。それぞれの休暇をどう過ごしたかの話しに持ちきりである。どこか土産話が自慢めく一時があっと言う間に過ぎてゆく。時の流れは夢の如し。<学生はさぼるが本文夏の午後:やの字>:俳誌『角川・俳句』(2020年8月号)所載。
<俳句喫茶店・つぶやく堂へどうぞお入りください>

驚倒のバックホームや雲の峰:佐藤 茂

2020年07月26日 | 俳句
328
驚倒のバックホームや雲の峰:佐藤 茂
夏の高校野球甲子園大会は中止になったが地方大会は開催されている。わが千葉県でも無観客で実施される。野球少年の夢舞台である。今得点圏にランナーを置いての外野フライである。ランナーがホームを目指して疾走、外野手が強肩を駆使してバックホームである。空には雲の峰。少年達の夢は果てしない。甲子園球場が地方の高等学校のグランドを配慮して土のグランドにしてある。この土こそ球児の夢の舞台なのである。<青春の眼に眩し雲の峰:やの字>:朝日新聞『朝日俳壇』(2020年7月19日)所載。
<俳句喫茶店・つぶやく堂へどうぞお入りください>

目が二つありて目高の子が泳ぐ:菅野孝夫

2020年07月25日 | 俳句
327
目が二つありて目高の子が泳ぐ:菅野孝夫
只でも小さな目高である。その目高に子が生まれた。今のところボウフラより小さい。しかしながらよく見るとしっかりと目が二つある。我が家では今年200匹ほど生まれた。そうなると餌やりと水の管理に忙殺される。まずは水道水のカルキを取る為に前日から水を汲みおく。餌は磨りつぶして微粒子にする。そうそう親がボウフラと間違えて口にせぬよう飼育容器は別にしておかねばならぬ。この夏は多忙となりそうだ。<目高はや兄弟喧嘩して廻る:やの字>:俳誌『角川・俳句』(2020年8月号)所載。
<俳句喫茶店・つぶやく堂へどうぞお入りください>

松島は極みのけしき朝焼ける:逸見真三

2020年07月24日 | 俳句
326
松島は極みのけしき朝焼ける:逸見真三
ああ松島や松島やの絶景が朝焼けに燃えている。この極めつけの景色を前に感涙に咽せっている。旅は良い。青春の旅も良し老境の旅もまた良しである。小生は心臓に弱みを抱えているので旅はおおむね国内の近場に限っている。それでも海に山に四季の里山にその都度感動している。感動している自分発見が旅にはある。出来る事は出来る内にやって置こう。<朝焼けの海を呑み込み深呼吸:やの字>:雄山閣『新版・俳句歳時記』(2012年6月30日)所載。
<俳句喫茶店・つぶやく堂へどうぞお入りください>

夏うれふ持病とコロナにをののきて:神田恵琳

2020年07月23日 | 俳句
325
夏うれふ持病とコロナにをののきて:神田恵琳
新聞にテレビにコロナ報道が賑っている。持病を持ってはいるがこれは慣れっこで上手に付き合っている。さりながら新型コロナウイルスには一抹の不安がある。高齢、持病、これも日常で受け入れ済である。出歩かない、他人と話さない、目高の管理に精を出す、暫くはこれでゆこう。一病息災でう少しだけ生きていたい。<何を病む君が憂ひのカサブランカ:やの字>:俳誌『春燈』(2020年6・7月合併号)所載。
<俳句喫茶店・つぶやく堂へどうぞお入りください>

飼ひ犬にかくれ場所ありはたた神:森下賀升

2020年07月22日 | 俳句
324
飼ひ犬にかくれ場所ありはたた神:森下賀升
鬼の形相で雷神が暴れている。耳が敏感な犬は自分の居場所を確保せねばならぬ。いつもの隠れ場所はご主人の傍のソファーである。頭や喉をさすられればこれで安心。鼻が濡れてご主人の酒のつまみに心が動く。でもこれはダメ。人間のものは犬には塩分過多と知っている。涎に気が付いた主人がドッグフードを差し出した。はたた神が一光した。<遠雷にぴんと立ちたる犬の耳:やの字>:雄山閣『新版・俳句歳時記』(2012年6月30日)所載。
<俳句喫茶店・つぶやく堂へどうぞお入りください>

聴くほどに数の増え逝く夜の河鹿:加藤瑠璃子

2020年07月21日 | 俳句
323
聴くほどに数の増え逝く夜の河鹿:加藤瑠璃子
清流の音も涼しい夜となった。さっきから河鹿の鳴声が聞こえていたがだんだんとその数が増えてきた。昼には山の鹿が鳴くと言う。いずれ鳴声が我が身の哀愁を募らせる。この河鹿が鳴く姦しさを静かと感じる五感の不思議さよ。満天の空には天の川。天地が呼応して今日も更けて行く。<山小屋のランプの窓辺河鹿鳴く:やの字>:俳誌『百鳥』(2020年7月号)所載。
<俳句喫茶店・つぶやく堂へどうぞお入りください>

籠り居て麦は穂となりそよぎけり:荻原栄子

2020年07月20日 | 俳句
322
籠り居て麦は穂となりそよぎけり:荻原栄子
麦秋と言う夏の季語がある。どこか広がりを感じさせる。今コロナ騒ぎで自粛生活をしている。そんな中で思いは外へ外へと募ってゆく。広大な麦畑の中を遠い山並みに向かって歩きたい。夏の帽子も万歩計も準備は整っている。でもなあやっぱりここは籠もる一手か。たまには籠もる事も良いではないか。<麦秋の風に叫べば独りなり:やの字>:俳誌『百鳥』(2020年7月号)所載。
<俳句喫茶店・つぶやく堂へどうぞお入りください>

片隅に旅はひとりのかき氷:森 澄雄

2020年07月19日 | 俳句
321
片隅に旅はひとりのかき氷:森 澄雄
旅の小店の片隅に座して疲れを癒やす。旅はひとりが良い。純粋な自分が呼吸し周囲に反応している。少し火照った身体と心を癒やそうとかき氷を啜っている。この「ひとり」人によっては様々であろう。家族を家においての一人もあろう。家族の居ない一人もあろう。一人には様々な独りと淋しさがある。<父が掻き母が色着けかき氷:やの字>:彩図社『名俳句一〇〇〇』(2006年11月10日)所載。
<俳句喫茶店・つぶやく堂へどうぞお入りください>

子のバケツ目高の下に鮒しづか:篠原梵

2020年07月18日 | 俳句
320
子のバケツ目高の下に鮒しづか:篠原梵
子のバケツに目高が泳いでいる。覗き込むとその下に鮒が身を潜めている。今年はスケジュールが狂っているが本来は夏休み直前の季節となった。捕虫網を武器に子は山野を駆け巡る。傍にはお父さん。この季節の父との思い出が生涯の父の面影と為る。そんな日々に得た目高であり鮒つこである。夢の中でも泳いでいる目高や鮒。きっと明日は蝉や蜻蛉が夢を巡るであろう。<空近き目高が大将硝子鉢:やの字>:彩図社『名俳句一〇〇〇』(2006年11月10日)所載。
<俳句喫茶店・つぶやく堂へどうぞお入りください>

泥鰌浮いて鯰も居るといふて沈む:永田耕衣

2020年07月17日 | 俳句
319
泥鰌浮いて鯰も居るといふて沈む:永田耕
俳句は客観写生をと言う派が今は主流になっている。それでも中には自己表現の主観表記をされる人もいるらしい。泥鰌が浮いて来て鯰も居るぞと告げて沈んだそうだ。俳人殺すに刃物は要らぬ「それがどうした?」と言えば良い。ううむ、この人はこんな句風(工夫)で名を成した。たった一度の人生なのだから人目を気にせず自分が自分らしく生きてみたい。<呟きが風に流され雲の峰:やの字>:角川『俳句』(2020年7月号)所載。
<俳句喫茶店・つぶやく堂へどうぞお入りください>