やんまの気まぐれ・つぶやっ句 「一句拝借!」

談話は、俳句喫茶店・つぶやく堂へお越しください。

ちらちらと空を梅散り二月尽 原石鼎

2018年02月28日 | 俳句
545
原石鼎
ちらちらと空を梅散り二月尽
ちらちらと早春の空を梅の花びらが舞っている。そうこれで二月もお終い。三月ともなれば少しは春を実感出来るだろう。一月は「行く」、二月は「逃げる」、三月は「去る」とはどこかの先輩の呟きであった。3月4月は春が尽きると言う意味で三月尽、四月尽と感覚的に使える。同様に6月は冬の気が消え夏の気に変わるので六月尽。9月は秋が尽きるので九月尽。昔の歳時記ではこれくらいしか載せなかったものだ。日数の短い二月が逃げて行く。:備忘録。
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塩辛を壺に探るや春浅し 漱石

2018年02月27日 | 俳句
544
夏目漱石
塩辛を壺に探るや春浅し
春とは言えこの寒さ、熱燗で体を温めよう。ちょうど肴に塩からがある。と、これは呑み助の小生的発想である。食事に出されたものかも知れぬ。まその詮議はともかく、毎年の事だろうが春浅き頃の寒さは身に堪える。とはいえ三寒四温の繰り返しで徐々に本格的春へと向かって行く。近辺では鶯が来ない代わりに目白と鵯がやって来る。そんな庭先を眺めながら壺の塩辛を探っている。:備忘録。
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立春のこころがひとり歩きをり 上村敏夫

2018年02月26日 | 俳句
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上村敏夫
立春のこころがひとり歩きをり
寒い日が続くが季節は立春からこの方春へと移ろっている。心に春だ春だと言い聞かせれば心が少し明るくなってくる。多分紫外線などもぐんと増えているのだろう。小生の場合は春を直ぐに察知するセンサーを持っている、曰く花粉症である。鼻がぐじゅぐじゅになり泪が止まらない。さはさりながら春である、外に出て大いにあるこう。久々に深呼吸もしようか。:朝日新聞『朝日俳壇』(2018年2月12日)所載。
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無名たのし芽をいそぎゐる雑木山 児玉南草

2018年02月25日 | 俳句
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児玉南草
無名たのし芽をいそぎゐる雑木山
先生と言われる程の馬鹿で無し。市井の無名の存在の何と自由で楽しい事よ。功成り名を遂げて故郷に錦を飾ると言う意思は最初から無い。凡庸の凡を貫きぼーっと生きて来た。心赴くままに自分を楽しんできた。それでも生きていれば一喜一憂し喜怒哀楽の情は押し寄せる。今日もまた新たな一日でありますようにと目覚める。名も知れぬ雑木山の木々の一本一本が今まさに芽吹かむとしている。:角川「合本・俳句歳時記」(1990年12月15日版)収録。
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多羅の芽の十や二十や何峠 波郷

2018年02月24日 | 俳句
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石田波郷
多羅の芽の十や二十や何峠
峠の途中に多羅の芽を発見。早春の味である。否応なしに目線が多羅の芽を探す事となる。早春の山菜は味覚もさることながら心を喜ばせるものである。一つ摘んではまた近くに一つを発見。あれよあれよと時の経つのも忘れて十ほども摘んだ。まだまだ辺りには有るが気が付けば崖の斜面である。我が身大事と諦める。帰ってから新妻の揚げた唐揚げを頬張る一日の充実よ。どこか危険な青春の一日であったがあれは何峠だったか。ほろ苦さが脳裏に焼き付いている。:雄山閣『新版・俳句歳時記』(2012年6月30日版)所載。
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和菓子屋の色鮮やかに春来たる 嶋崎美智子

2018年02月23日 | 俳句
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嶋崎美智子
和菓子屋の色鮮やかに春来たる
お茶の文化のある日本に和菓子の文化又有り。専門の和菓子に色鮮やかな菓子が並べられて、お、春が来たなあと感じた。街の雨鶯餅がもう出たか(富安風生)の世界である。俗に甘党辛党と言うと茶菓派か酒派と言われ小生は酒派の辛党を自認して来た。それが年齢と共に甘いものが恋しくなり両刀使いとなった。饅頭怖い昨今ではある。:俳誌『春燈』(2017年5月号)所載。
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死にし骨は海に捨つべし沢庵噛む 金子兜太

2018年02月22日 | 俳句
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金子兜太
死にし骨は海に捨つべし沢庵噛む
人は死に対し何を思うのだろう。兜太の場合骨を海にすてて欲しいのだそうだ。先の大戦では南洋トラック島の激戦から奇跡の生還を果たした。多くの部下や戦友を目の前で失い自分だけ生き残ってしまった。そんな後ろめたさをずっと引きずって来た。忸怩たる時間を漂いながら俺の屍は海へ捨てられたいと無性に思うのだった。沢庵をぼりぼり噛みながら「俺は死ぬ気がしない」と言っていた兜太もとうとう人並に亡くなってしまった。:備忘録。
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入りゆく暖簾久しき春の宵 重陽

2018年02月21日 | 俳句
538
村上重陽
入りゆく暖簾久しき春の宵

人の生き方は日々変わらないようで長い目で見ると大きく変わってゆく。久しぶりに訪れた有楽町は俳句のオフ会の為である。かつて馴染みの暖簾に「かんだ」と書いてある。そうそう昔はよく通ったものだ。企画を決済した第一生命サラリーマン川柳も好評だし長く継続している。話題に事は欠かない。今は現役を離れて仲間との間に上下も無くなった。今宵は春の宵である。ゆるりと会話と〆鯖と酒を味わって過ごそう。:つぶやく堂『いちご摘み』(2004年2月25日)所載。
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失ひしものは数へず根深汁 望月喜久代

2018年02月20日 | 俳句
537
望月喜久代
失ひしものは数へず根深汁
朝晩寒いので冬の季語で面目ない。朝の味噌汁を手際よく調理しているがちょっと一品が足りない。とて早朝の事無い物は無いで済ませる。根深汁(ねぶかじる)は葱の味噌汁。土を盛り上げて根を深くし白軟化させた白葱である。どこか人生の襞に隠れた暗闇を感じる。そんな暗闇に失ったものは何だろう。思い出すだけで辛いものだろうか。数えるのはやめよう、凡凡と日常の朝餉の席に着くのみである。葱が美味い。:朝日新聞『朝日俳壇』(2018年2月19日)所載。
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春燈やみな再会の瞳持つ 砂川真一

2018年02月19日 | 俳句
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砂川真一
春燈やみな再会の瞳持つ
同窓会だろうか久しぶりに旧知の顔が揃った。それぞれ仕事や家事から解放されて、自分が輝いていた過去へ戻ろうとやって来た。春燈に浮かぶ瞳は輝いてはいるがどこか朧げである。現実と想い出が内混ざり過去と現在が交錯する。初恋のひとは良き家庭人となっているし、悪友も少し角が取れた感じがする。おなし時間を潜って来た仲だが夫々に夫々の人生があるんだと頷くのである。:藤田湘子「男の俳句、女の俳句」角川書店(平成12年4月25日版)所載。
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春泥を背中に走るユニフォーム 山下添子

2018年02月18日 | 俳句
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山下添子
春泥を背中に走るユニフォーム

プロ野球もキャンプインして球信が嬉しい季節となった。校庭では野球部の練習も始まった。霜解けなのか背中を泥んこにして選手がランニングをしている。ベンチからは女子マネージャーの黄色い声が飛んでくる。体育系の部活はサッカー、ラグビー、テニス、陸上、チェアガール、応援団と青春に輝いている。「青春は春泥に塗れるべし:やんま語録」。:俳誌『ににん』(2017年春月号)所載。
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鳥雲に話弾みて墓の前 たかおさむ

2018年02月17日 | 俳句
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たかおさむ
鳥雲に話弾みて墓の前
春になると渡って来ていた鳥たちが北へ帰って行く。雲間に竿を為している軍団は時に感動すら覚える。カリ、カモ、ハクチョウ、ツルなどだろうか。彼岸の墓詣りにやって来た家族が久々に会話らしい会話を交わしている。空高く鳴き渡る鳥に気が付き全員で上を見る。墓の前に一瞬の静寂が訪れ再び会話が戻り弾んでゆく。:俳誌『角川・俳句』(2017年5月号)所載。
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動くとも見えぬ流れや蝌蚪の水 井芹眞一郎

2018年02月16日 | 俳句
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井芹眞一郎
動くとも見えぬ流れや蝌蚪の水
僅かな流れがあるが止まっている様にも見える。そこに産み付けた玉子が孵ってお玉杓子がぽつりぽとりと水面に顔を出す。春の訪れ、春の使者は他にも見られる。鶯、犬ふぐり、蕗の薹等々。肌にはまだ寒く感じられる東風も吹いている。ふらここに遊び疲れた子供達も水辺にやってきて遊んでいる。季節は確実に動いている。:朝日新聞『朝日俳壇』(2018年2月12日)所載。
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制帽を後ろ手に持ち梅真白 山口蜜柑

2018年02月15日 | 俳句
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山口蜜柑
制帽を後ろ手に持ち梅真白
梅が香っている。冬が去り新しい春が始まろうとしている。人はそれぞれに新しい進路に向かっている。昨日までの制帽に名残を惜しみつつ新しい道を向いている。風が季節の香りをたっぷりと含んでいる。私事に関しても大切な人との別れがあったのも二月。受験を終えて大学が決まったのも二月。大切な人との出会いもあった。どの記憶にも傍らには真白な梅が盛っている。:俳誌『はるもにあ』(2017年5月号)所載。
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バレンタインの日なり山妻ピアノ弾く 景山筍𠮷

2018年02月14日 | 俳句
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景山筍𠮷
バレンタインの日なり山妻ピアノ弾く

バレンタインデイは敬虔なクリスチャンの祈りの節目の日。家族全員がクリスチャンの筍吉は静かに妻のピアノに耳を傾けている。山妻は愚妻で山家育ちと謙遜した言葉である。景山筍𠮷は藤倉化成の入社が昭和39年で私と同期生であった。ただし筍吉は社長で私は学卒の新入社員としてである。私が初出社の日門前の掃き掃除をしている方に道を尋ねたら、その方は「社長です一緒に来てください」と言われロッカールームに案内された。ここをお使い下さいとご自分の隣りを当てがっていただいた。伝説としては品川までの帰宅の際「運転手君、日陰を通ってください。」が有名である。:雄山閣『新版・俳句歳時記』(2012年6月30日版)所載。
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