やんまの気まぐれ・つぶやっ句 「一句拝借!」

談話は、俳句喫茶店・つぶやく堂へお越しください。

参道や落葉一枚なき清さ 金原洋子

2017年12月31日 | 俳句
486
金原洋子
参道や落葉一枚なき清さ
日常の参拝は早朝の習慣となった。家事も一段落して何時もの参道を歩く。落葉一枚も無く清められている。きっと寒さを修行の一つと掃き清めたのだろう。ものぐさの小生は日が昇って暖かくなった時間に散歩途中の参拝となる。そんな日常も押し迫って今日は大晦日。恒例の年末年始の大賑わい。お賽銭も少し弾んで、どうぞ来年も良い年でありますように。:俳誌『百鳥』(2017年2月号)所載。
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釦のみ光る老吏に年つまる 藤田湘子

2017年12月30日 | 俳句
485
藤田湘子
釦のみ光る老吏に年つまる
年も詰ったある日公務員と話をしている。ぴかっと釦が光って改めて顔を見直すとそこには老いたお役人の顔があった。役所の担当には先入観があってのっぺらぼうな「お役所の人」の顔しかなかったが、その顔を見てからその人柄が前面に現れて見えてきた。老いの奥に深い経験が隠されている。年の瀬の切羽詰まった今日の難題も何とかしてくそうだ。目線が釦に戻った。:角川『合本・俳句歳時記』(1990年12月15日版)所載。
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ラガー等のそのかちうたのみじかけれ 横山白紅

2017年12月29日 | 俳句
484
横山白紅
ラガー等のそのかちうたのみじかけれ
オーッ!!!。ただそれだけの雄たけびであった。私の出身校は当時ラグビーが強かった。北島忠治と言う名監督がいた時代である。先生は一般学生にも体育の授業で指導された。私はスクラムハーフのレッスンを受けた。教わったのは「前へ!」という一言。ゴールは前にある。どんな迷い道に迷っても前を探せばよい。それは人生を貫くレッスンであった。ラグビーの試合終了をノーサイドと言う。この瞬間敵側も味方側も無くなってそれぞれの健闘を称え合う。誰もがくじけずに前を向いて生きてゆく。:中経出版『日本の俳句100選』(2003年11月19日版)所載。
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水鳥のこはれラジオのやうに鳴く 東藤涼子

2017年12月28日 | 俳句
483
東藤涼子
水鳥のこはれラジオのやうに鳴く
水に浮く鳥たちがガーグアーとまるで壊れたラジオの様な声で鳴いている。この最も身近な野生は近づくと遠く逃げるものの餌など与えれば一斉に寄って来る。留鳥のシラサギ、カルガモに渡りのマガモ、コガモ、オナガガモ、ヒドリガモ、ホシハジロ、キンクロハジロが加わって池は大いに賑わっている。都市には貴重なオシドリは今年は来ていない。煤逃げではないが家にいるとお邪魔虫なる我身を鳥と遊ばせるのも一興である。ああ歳末。:俳誌『はるもにあ』(2017年3月号)所載。
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手袋に旅立ちの指満たしけり 月野ぽぽな

2017年12月27日 | 俳句
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月野ぽぽな
手袋に旅立ちの指満たしけり

旅に出る。寒いので指にしっかりと手袋を嵌める。寒くても旅の期待に気持ちは満ち足りている。旅は青春のシンボルであり旅心あるうちは何時でも青春である。特に冬季は空気も澄んでいて景色がくっきりと見える。初めての何かを見、感動している新しい自分を発見するであろう。この冬の旅にはどんな新しい自分との出会があるだろう。:俳誌『角川・俳句』(2017年12月月号)所載。
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素うどんのやうな亭主と冬籠 三浦大三

2017年12月26日 | 俳句
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三浦大三
素うどんのやうな亭主と冬籠
地方によっては「かけうどん」であろうか。立ち食いのかけそばはサラリーマン時代よく愛用した。具を入れて味を複雑にして食すればさぞかし美味かろうと思うのだが、なかなかこの素うどんの愛好者も多い。素朴ながらも飽きのこない味である。飾らない素朴さは我亭主みたいだなあとしみじみ感じながらこの冬を迎える。北国の長い冬籠は雪に埋もれて二人きりとなる。:朝日新聞『朝日俳壇』(2017年12月10日)所載。
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降誕祭讃へて神を二人称 津田清子

2017年12月25日 | 俳句
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津田清子
降誕祭讃へて神を二人称

クリスマス。神であるイエスが天から地上に降り人間の肉体を持って世に生まれた日。神よあなたはと二人称で讃える。私は八百万の神に祈るが宗教を持っている実感はない。神社にもお寺さんにも教会にも普通に出かけて行く。私が肉親の重病に「神様どうぞお助けを!」と祈るのは一体誰に祈ったのだろう。その都度奇跡が起こって、成る様になって解決されたと思う。宗教には奇跡が多い。それを疑ってはならぬ。なぜなら信じる事が宗教なのだから。:句集『二人称』所載。
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聖夜劇みな神の子の瞳もつ 小田切文子

2017年12月24日 | 俳句
479
小田切文子
聖夜劇みな神の子の瞳もつ
キリストを題材の聖夜劇が演じられている。子供会の企画で父母祖父母が観客である。どの子もきらきらと輝き一点の曇りもない。どの子もアニメの様なまん丸い瞳である。中央の聖樹には金と銀との星が飾られている。舞台袖近くには聖歌隊が陣取りクライマックスを盛り上げる。わが子ばかりでなくどの子も神々しい。子供はみんな神の子なのである。:雄山閣『新版・俳句歳時記』(2012年6月30日版)所載。
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すぐ逃ぐる冬日追ひかけ布団干す 佐藤玲子

2017年12月23日 | 俳句
478
佐藤玲子
すぐ逃ぐる冬日追ひかけ布団干す

冬至も過ぎて日照時間が短いとしみじみと感じる。この晴れ間を逃す手はないと布団を干した。昼食の片づけを済ませ一服したと思っている中に陽が傾き出した。短い日照時間の中に生活のルーテインを詰め込む日々である。あっと言う間に年が暮れてゆく。また一つ歳を取ってしまうのだな。:俳誌『春燈』(2016年2月号)所載。
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冬うらら足の運動空蹴上げぐ 白馬

2017年12月22日 | 俳句
477
白馬
冬うらら足の運動空蹴上げぐ
風の無いうららかな冬日である。思わず手足を躍動させ足を空に向けて蹴上げた。五体満足の今日様にただただ感謝あるのみである。今年もテニスの成績もまずまずだった。こんな年が来年もずっと先も続いてくれればと祈る。さて私事であるが近時膝を痛めて往生している。普通に有る日常の様々な事も失ってみればその有難さが嫌と言うほど分かって来る。今が大切。:つぶやく堂『俳句喫茶店』(2017年12月8日)所載。
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鰭酒を注文したる笑顔かな 嶋崎茂子

2017年12月21日 | 俳句
476
嶋崎茂子
鰭酒を注文したる笑顔かな
熱燗の日本酒に河豚の乾燥した鰭を浮かべて飲む。注文の声が大きかったのか顔もほころび友人も笑顔になった。今宵は楽しい酒になりそうだ。酌むほどに身体がぐんと温まる。貧乏な私は安売りの鰭を買ってはこれを焙って楽しんでいた。最近は酒も弱くなりそんな事をしなくても少量で限界に達する。晩年も又夢の如し。:俳誌『百鳥』(2017年2月号)所載。
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何もかも知ってをるなりかまど猫 富安風生

2017年12月20日 | 俳句
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富安風生
何もかも知ってをるなりかまど猫
火を落としたあとの温もりを求めて猫が竈に寝ている。この猫君、出不精なご主人の冬ごもりをずっと眺めていたに違いない。家族の出入りも振る舞いも泣くも笑うも全てである。何も悪い事をしてはいないが見られているとなると何処か後ろめたくなってくる。ご本人の猫君は喜怒哀楽の情を潜めて眠るが如くして薄目を開けている。今や昭和の竈が懐かしい。:角川『合本・俳句歳時記』(1990年12月15日版)所載。
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鴨の中の一つの鴨を見てゐたり 虚子

2017年12月19日 | 俳句
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高浜虚子
鴨の中の一つの鴨を見てゐたり
冬になると都市近郊の池にも様々な鴨がやって来る。真鴨(マガモ)、小鴨(コガモ)、尾長鴨(オナガガモ)、葦鴨(ヨシガモ)、鳰(ニオ、カイツムリ)、一番人気は鴛鴦(オシドリ)であろう。通りかかってこれらが目に入るとついつい立ち止まって眺め楽しむ事となる。そして興味は一つの鴨に焦点が絞られてゆく。時の経つのを忘れる一時である。昔勤務していた東京上野の不忍池では今でも様々な鴨が飛来しているのだろうか。:『俳句の鳥』(2010年6月10日)所載。
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大根の首青々と屋敷畑 宇陀草子

2017年12月18日 | 俳句
473
宇陀草子
大根の首青々と屋敷畑

塀に囲まれた屋敷の内に畑がある。ひょいと目を遣れば青い大根の首がぞろぞろと並んでいる。多分道の駅とかに生産者名入りで出したり、市場に出さずに自家消費したりするのであろう。周囲には葱とかちょっと目には分からない青い葉っぱが並んでいる。そう言えば春先には門前に筍と100円入れ箱な置いてあった家である。その内この大根も並ぶだろうか。冬野菜の美味しい今日この頃である。:俳誌『ににん』(2017年冬号)所載。
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大いなる火をかたはらに冬の耕 黛執

2017年12月17日 | 俳句
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黛 執
大いなる火をかたはらに冬の耕
刈り取りの終わった田が火で焼かれている。農事は冬でも休まずに様々な手順が巡っている。田畑は焼かれ鋤き起こされて雑草も生えにくかろう。土壌に空気が注入された農地は春には作物もよく実ると言うもの。畦ではポットの温かなお湯でお茶となりお結びに沢庵の弁当となる。ラジオでは美空ひばりが唄い、傍らには早咲きの蒲公英がぽつりぽつりと咲いている。火は炎となっている。:俳誌『角川・俳句』(2017年12月月号)所載。
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