やんまの気まぐれ・つぶやっ句 「一句拝借!」

談話は、俳句喫茶店・つぶやく堂へお越しください。

五月の風浴びたくなりて野に出でぬ 岩橋秀高

2017年05月31日 | 俳句
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岩橋秀高
五月の風浴びたくなりて野に出でぬ
五月の風が爽やかに吹き渡る。そうだこの風を浴びよう。思い立つと心がはやり即野外へと飛び出した。桜が終わって五月の花々が競い咲く。山は緑で鳥が鳴き騒ぎせせらぎは唄うが如きである。各地の薔薇園も種類を揃えて五感を楽します。私の青春は渓流釣りであった。釣れても釣れなくても夢中で時を費やした。土産には山菜がいつもの事であった。JRの青春キップは大人なら年齢制限は無い、いざ。:俳誌「百鳥」(2016年8月号)所載。:やんま記
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夏鶯の悲願の遠音あるばかり 飯田龍太

2017年05月30日 | 俳句
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飯田龍太
夏鶯の悲願の遠音あるばかり
春先には里で鳴いた鶯も夏には高地へ移り鳴いている。春先の若いイメージからは風格のある老いて落着きのある老鶯の雰囲気を醸し出す。ホホホケキョウ・法・法華経の絞り出す鳴き声が何か悲願を訴える如きに聞こえるのは聞いている人間に悲願があるからに違いない。遠い遠い峪深く鳴くこの悲願を適えるものは神以外にはないだろう。金も要らなきゃ名誉も要らぬアタシャも少し背がホシイーとは言わないが、この夏を少し涼しくありたいと思うのみである。:角川『合本・俳句歳時記』(1990年12月15日30版)所収。
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昼寝覚天井高き読書室 小野田健

2017年05月29日 | 俳句
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小野田健
昼寝覚天井高き読書室
天井の高い読書室。図書館には読み切れない程本がある。せっせと通うこの部屋も大分馴染んでわが書斎ほどに気楽な空間となった。そうなると天井の高いこの空間に眠気が襲ってくる。たっぷりとした空気感に包まれて熟睡の昼寝となった。夢を見た記憶も無くはっと目覚める。そこには枕にしていた部厚い書籍と高い天井が現(うつつ)に存在していた。気持ちの良い昼寝覚めであった。:俳誌「はるもにあ」(2017年5月第62号)所載。:やんま記
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待つてゐてくれる人あり夏野行く 赤猫

2017年05月28日 | 俳句
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赤猫
待つてゐてくれる人あり夏野行く
恋人だろうか。友人かも知れない。自分の手を待っている病める人かも知れない。暑い夏の野は気持ち次第で遠くにもなり近くにもなる。家康では無いが人生は重荷を負うて坂道を上るが如きなのかも知れぬ。看取る人と看取られる人と選択の余地なく運命は訪れる。覚悟が出来ても出来ていなくとも現実は訪れ日常を形成する。唇に唄を心に太陽をと言い聞かせ一刻一刻を踏みしめる夏野ではある。待っている人が居て自分の居場所がある、これで良し。:俳句喫茶店「つぶやく堂」(2017年5月20日)所載。:やんま記
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夏燕訪ひ来る店に事務を執る 矢野博子

2017年05月27日 | 俳句
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矢野博子
夏燕訪ひ来る店に事務を執る

今年も燕がやって来て何時ものように営巣している。我が身は十年一日の如くに経理や給料計算などの事務に明け暮れている。おなし「何時もの様に」でも燕の訪れはいつも新鮮である。この燕は昨年の記憶を辿って来たのだろうか。いやその子が本能に導かれて来たのだろうか。執務そっちのけで想像が広がってゆく。今年は何羽の子育てに成功するだろうか。そして来年はどの燕が親となって帰って来るのだろう。今日も心わくわくの楽しい一日に感謝して過ごすのであった。:俳誌「百鳥」(2016年9月号)所載。:やんま記
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食パンの焦げ目ほど良き今朝の夏 菊池鈴枝

2017年05月25日 | 俳句
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菊池鈴枝
食パンの焦げ目ほど良き今朝の夏

食パンの焦げ目が程良くついて朝食が美味しい。程よいと言えばこの爽やかさは夏の始まりを感じる。立春が今朝の春、立秋が今朝の秋、立冬が今朝の冬として今朝の夏は立夏と言うところ。日ごろもやもやと感じていた季節感もこの言葉により季節の実感を得ることになる。パンも玉子焼きもサラダも完食し、さてと今日の一歩を踏み出して行く。健康こそわが宝物なり。:俳誌「百鳥」(2016年8月号)所載。:やんま記
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夏つばめ同齢者皆一家なす 能村登四郎

2017年05月24日 | 俳句
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能村登四郎
夏つばめ同齢者皆一家なす
燕が今年も飛来して例年通りに軒先に巣を懸けた。この村の各家々も変わらぬ佇まいを見せている。とはいえ少しずつ世代交代や店舗の改装、閉店などがあり微妙な変化が現れている。ここに居着いた同年齢の者も夫々に妻子を為して概ね落着いている。相応の来し方を経て同年齢の者はそれぞれに一家をなしたところだ。この間都会へ出てまた戻った者や何かの縁で新しく住民となった者もぱらぱらとはある。今年来た燕もまた遺伝子の中でこの故郷を自ずと受け入れている。この夏もいつもの様に忙しい夏となるだろう。:角川「合本俳句歳時記」(1990年12月15日30版)所載。:やんま記
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馬車道に恋の日傘を回しけり 小山繁子

2017年05月23日 | 俳句
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小山繁子
馬車道に恋の日傘を回しけり
横浜、レンガ街、馬車道とくれば一度は訪れたい観光地。何処か大正ロマンの香りがする。花柄の日傘に洋装の貴婦人が恋人。彼女は左手に傘右手は紳士に腕を預けている。接岸の船から目を遠くに向ければぼうと霞んだ外国国旗の貨物船。ボクタチモイツカイコクノタビヲシヨウネ。多く語らなくても愛の告白は確実に伝わる。その証拠に恋の日傘がくるくると回っている。:俳誌「春燈」(2016年8月号)所載
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お互ひが元気の素や茄子南瓜 中村昭義

2017年05月22日 | 俳句
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中村昭義
お互ひが元気の素や茄子南瓜

妻のことと言う一句。二人ともお元気で何よりで元気な秘訣は茄子と南瓜が日常の食材と言う点。この平凡さは二人ののんびりとした性格にぴったり合っている。戦も無いこの時代のこの日本に住んで、運良くそこそこ健康に暮らしている。元気が一番と有難さを実感している。余談ですが我夫婦は妻が珈琲にパン私が納豆に味噌汁で性格が相反しながらもまあ仲良くやってます(お呼びでない!失礼いたしました)。さて茄子と南瓜の幸せな日々を永久にと願うが人生そう上手くいくかどうかが問題だと愚考する今日この頃。:大阪百鳥の会「合同句集・空へ空へ」(2016年6月5日)所載。:やんま記
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源は富士涼風も湧く水も 甲斐遊糸

2017年05月21日 | 俳句
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甲斐遊糸
源は富士涼風も湧く水も

富士の湧水は各所にあるのだろう。私は忍野八海と柿田川の湧水を目にしている。その周辺を散策すれば富士霊峰の撮影ポイントが探せるはずである。しかしこれには運が必要で晴れの天気を期待せねばならない。東海道新幹線でも運の良い日は見えて悪い日は見えない。今日は見えるといいなと言うわくわく感は富士独特のものかも知れない。運良く今日はくっきりと見えて富士からの風も涼しく湧水も格別に美味しい。今日のわが元気の源は富士山にあった。:俳誌「百鳥」(2017年5月号)所載。:やんま記
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ラムネ店なつかしきもの立ちて飲む 鷹羽狩行

2017年05月20日 | 俳句
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鷹羽狩行
ラムネ店なつかしきもの立ちて飲む

母がラムネを好んだので私の子供時代の記憶にはラムネが焼付いている。敗戦後の食料難も母の奮闘努力の甲斐あって乗り切って来た。やがて少しは世の中が落ち着いてラムネが飲める様になった時は、ああ戦争が終わったんだなと言う実感が湧いてきた。母と私は一本のラムネ瓶を飲みかわし互いの笑顔を確かめ合った。そしてあれから七十年、谷中銀座でポリバケツに冷やされたラムネを見た時は思わずも立ち飲みしたものだった。ああ懐かしきラムネ、母の味よ。:角川『合本・俳句歳時記』(1990年12月15日30版)所収。
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初夏のガチャピンムックンよよいのよい ひつじ

2017年05月19日 | 俳句

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ひつじ
初夏のガチャピンムックンよよいのよい
外に出ても汗ばむ今日この頃。初夏のさっそうたる風の中、フジテレビ系のTV番組の主役「ガチャピン」と「ムック」君が画面にイベントにと暴れ廻っている。ヤングママさんが子の目線で物を見、子供言葉で語っている。そんな公園で遊ぶ母子の姿が眩しくも頬笑ましい。余談であるが先妻が亡くなる病床で「ポンキッキ、ポンキッキ」と幼児を遊ばすうわ言を言っていた事を思い出す。季節の流れは過ぎてみればあっと言う間である。その時その一瞬をよよいのよい!と楽しみ過ごすのみである。:俳句喫茶店「つぶやく堂」(2017年5月5日)所載。:やんま記
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空へ若竹のなやみなし 山頭火

2017年05月18日 | 俳句
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種田山頭火
空へ若竹のなやみなし
つい最近まで筍だらけだったのに今日はこの若竹。なやみなど無く一直線に空へ伸びている。それに引き換えこんなにも悩みを抱え、生きる事に耐えている我が身である事よ。身体の重力は歩くのもあえぎあえぎである。空へ向かう事など出来ないとすれば自分は何処へ。漂泊!彷徨い!流離い!不本意ながらも風任せ雨任せの風雲の旅である。魂と一緒の根無し草、軽く流れて行く。は、は、は。:「山頭火句集」(2014年4月5日:筑摩書房)所載。:やんま記
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風薫る階段状の講義室 松山悠介

2017年05月17日 | 俳句
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松山悠介
風薫る階段状の講義室

私も高校、大学と階段状の講義室で授業を受けてきた。夏場は少し暑いと小窓を開けて風を入れていた。空調設備で冷房にするより気持ちが良かった。学校も沢山の教室全部に冷暖房設備を入れる余裕は無かったと思う。思い出としては哲学の講義は面白く皆勤賞だった事と代返(休みの学生に代わって出席の返事をしてあげる)の学生がバレてしまい授業そっちのけでお説教された事、海上保険の講義で「海ってなんですか」と質問したら保険そっちのけで七つの海の浪漫に話が飛んでいった事、テレビで売れっ子のタレント教授が昨夜銀座キャバレーでの冒険談を生徒に披露した事、体育の先生がラグビー部の監督だったので学期テストは早明戦を見ての分析レポだった事などなど。当時は人間味ある授業が多かったので階段状の教室には甘く楽しい思い出が詰まっている。昨今は大きな講義室でも空調が効いているのかも知れないなあ。:俳誌「はるもにあ」(2017年5月第62号)所載。:やんま記
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噺家のやうな庭師や花は葉に あらゐひとし

2017年05月15日 | 俳句
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あらゐひとし
噺家のやうな庭師や花は葉に

庭師さんが家庭の庭に入り込んで仕事中である。この家のご主人がその仕事ぶりを見守っている。交わす言葉もまるで噺家の様に如才なく面白おかしく話題を繋ぐ。仕事がら植木の形を近づいたり離れたりして眺め、合間にご主人の注文を聞いたり結構忙しい。さりながら毎年の勝手知ったる作業なので緊張はしていない。かく茫々と時は流れ、季節は花から新緑の候へと移ろってゆく。:読売新聞「読売俳壇」(2017年5月9日)所載。:やんま記
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