やんまの気まぐれ・一句拝借!

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かいつむりみな潜りたり人も去る 林火

2017年01月31日 | 俳句
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大野林火
かいつむりみな潜りたり人も去る

私はかいつぶりと覚えていた。人によって違うようだが鳰と書く。鳰の海とは琵琶湖であるが日本中どこでも見られる水鳥である。別に「もぐっちょ」とも言われ潜水の名手である。小魚昆虫を捕食する生活行動である。これは人の目には遊んでいるかに見えてしまう。尻尾を立てて潜ってゆくのだが何処から浮き出てくるか興が尽きない。大分眺めていたがふいっと皆潜ってしまい、我に返った人々もようやくその場所を離れてゆく。誰も居ない静かな水辺が取り残された。:「合本俳句歳時記」角川書店(1974年4月30日)所載

叱られて目をつぶる猫春隣 万太郎

2017年01月30日 | 俳句
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久保田万太郎
叱られて目をつぶる猫春隣
犬にも猫にも思い出が多々ある。猫については溝に捨てられた子猫を助けた事があった。誰か貰い手が無いかと妻がスケッチしたポスターを張って飼い主を見つけた事があった。見つかるまでの間とにかく足元に纏い付かれて往生した。牛乳を入れた皿をぺちょぺちょなめる姿も愛らしく見飽きなかった。時に柱や襖をがりがり引っ搔いたのは爪とぎの本能だったか。手で頭をちょんと叩きこらっと𠮟りつける。それにしゅんとなる姿も愛しほしかった。あれもこれも夢。この歳になるとペットを残して先立てないのであらためて飼う気持ちにはなれない。もうすぐ立春、春にはこんな甘酸っぱい気分が付き纏う。:「合本俳句歳時記」角川書店(1974年4月30日)所載

山茶花の白きがゆゑの昼の酒 小野田健

2017年01月29日 | 俳句
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小野田健
山茶花の白きがゆゑの昼の酒
山茶花の白が目に眩しい。冬麗とはいえ寒さが厳しい。耐え忍んで暮らすがごとき日々の生活である。日が差す中の日向ぼこ、ふと目に飛び込んだ山茶花の見事な咲きっぷり。おおと感動する、感動すれば昼だろが何だろうが即酒となる。酒飲みにとって酒を飲む口実はそこら中に転がっている。:俳誌「はるもにあ」(2017年1月・第60号)所載

鍋底を鳴らしすき焼き始まりぬ 佳音

2017年01月28日 | 俳句
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坂石佳音
鍋底を鳴らしすき焼き始まりぬ
冬は鍋物が美味しい。野菜が美味しい季節なのでどんな具材も引き立つ。スーパーを一廻りしながら閃いた。今日はすき焼き!そうと決まればそのようにあれこれと取りそろえてゆく。鍋は家族一同打ち揃って始まる。主導権を握るのは鍋奉行。奉行様が「よっしゃゆこか!」と鍋底を叩いた。我先にと各々の好みを投入する。そんな家族一人一人の好き嫌いを主婦は熟知しているのである。:糸瓜俳句会・20周年記念「へちま歳時記」(2016年12月20日)所載

冬ひばり利根の渡しの時刻表 山﨑刀水

2017年01月27日 | 俳句
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山﨑刀水
冬ひばり利根の渡しの時刻表
春を待つ雲雀であるがまだまだ風が冷たい。大利根の大河となると橋から橋の距離も長く昔の渡船場が残っている。ぶらりと水の流れを見に来た旅人はふと渡船場の旗を見つける。ほお、と近寄って見れば時刻表まである。日に朝の往復と夕の往復が書かれている。船頭の家はきっと最後の着岸側にあるのだろう。広々とした河川敷に忙しげに冬の雲雀が鳴いている。めったに来ない客ではあるが常連の客もありそうだ。:俳誌「春燈」(2017年2月号)所載

またしても切符失ふ手袋よ 杉中元敏

2017年01月26日 | 俳句
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杉中元敏
またしても切符失ふ手袋よ
眼鏡とかボールペンの置き場所に定位置を定めた。そうしないと毎日探し回る事になる。そんな覚悟や日常のルーテインまで定めて自己管理をしっかりやっている。したがって失策は自分以外の要因で起こる。今日は殊更に寒い日だったので手袋での外出となった。ある意味で日常のルーテインを外れた。さて改札で事件発生、手袋に握っていた切符が無いのだ。切符を失ったのも自分が悪い訳では無いこの手袋のせいだ。私はまだまだ耄碌などしておらぬぞ、手袋め手袋め。:読売新聞「読売俳壇」(20170116)所載

鴛鴦あはれ南京豆を争へる 富安風声

2017年01月25日 | 俳句
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富安風声
鴛鴦あはれ南京豆を争へる
鴛鴦(オシドリ)は夫婦仲がよく美しい鳥として知られている。もっとも美しいのはオスの方でメスは暗褐色で目立たない。オスの翼の先はイチョウの葉形をし華やかな彩に飾られている。主として山間の水べの樹木の洞に巣を作るが、秋から冬にかけて人里の池にも姿を現す。人々は愛らしさ故に餌を与えるので意外と人間に懐くことがある。この時、この優雅なイメージの鳥が南京豆を争う世俗の様を露わに晒す。清少納言の枕草子に「水鳥、鴛鴦(おし)いとあわれなり。かるみにゐかはりて、羽の上の霜払ふらむほどなど」と著された哀れさはここには無い。『俳句の鳥』(2003・創元社)所載。

強霜の登校の子等きらきらす 国定義明

2017年01月24日 | 俳句
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国定義明
強霜の登校の子等きらきらす
寒さ厳しい登校時間。霜で通学路も真っ白である。夏場も冬場も朝の散歩を欠かした事は無いがさすがにこの強霜で吐く息も凍りそうである。その中をきらきらと朝日を浴びて子等が行く。少々濁り始めた大人の目には朝日以上に子等の姿が眩しい。お早うございます!の挨拶におはよっ!と声を返す。目頭が潤むのは老いの涙目で仕方の無い事だ。:読売新聞「読売俳壇」(20170116)所載

つぶやきのやうに梟鳴きにけり 土肥あき子

2017年01月23日 | 俳句
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土肥あき子
つぶやきのやうに梟鳴きにけり
独り言である。何を漏らしたかは本人しか分からない。そういへば梟はどこか寡黙な哲学者を思わせる。哲学者につぶやかれては下衆な小生などにはますます意味不明となる。しかし夜を徹してつぶやくこの哲学博士はきっと不眠症であり昼間はこくりこくりと居眠りをしている事だろう。他に<蝌蚪はみな鯨の子供と教へ込む>鯰じゃなかったか。<今たしかにおたまじやくしの笑ひをり>見られてしまったのです。<この穴に入るべからず春隣>入るなと言はれると入りたい穴がある。「鯨が海を選んだ日」(2002)所収。

大寒と敵のごとく対(むか)ひたり 富安風声

2017年01月22日 | 俳句
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富安風声
大寒と敵のごとく対(むか)ひたり
小寒から20日の大寒までが寒の内。小生には今が一番寒く感じられる。暑さ寒さと言うが夏には寒い方が良いと思い冬には暑さが羨ましくなる。年齢とともに堪え性が無くなって行くのが分る。今は寒さが堪えられない。ポストへの僅か何十歩が寒くて難儀する。今年の寒さは記録的だぞ、地球は一体どうなっているんだと愚痴る。まあ大寒が過ぎれば春隣、節分はすぐやって来る。コンビニの恵方巻の特売も始まった。:彩図社「名俳句一〇〇〇」(2002)所載

蠟梅や胸のボタンを触る癖 服部さやか

2017年01月18日 | 俳句
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服部さやか
蠟梅や胸のボタンを触る癖
付近の蠟梅が香る今日この頃。何かにつけて胸ボタンに触る癖があって今それが出た。梅に触発されて取り留めもなく物を想っている。それは思い出す「ひと」が居るという事だろう。私にも白梅に触発されて想う人がある。そんな時はいつしか頬杖体制となっている。知らず知らずに出る自分の癖。無くて七癖あると言う。自分で自分の癖を幾つ数えられるだろうか。:俳誌「ににん」(2016・春号・vol.62)所載

おでん酒自慢話をしてしまふ 秋岡実

2017年01月17日 | 俳句
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秋岡実
おでん酒自慢話をしてしまふ
心置きなく話せる相手と酒となる。近況報告も済んで思い出話にも弾みがつく。来し方行く末と飛躍脱線と方向性が見えない。相手の瞳も活き活きとしてピリオドの着けようもない。と我が得意分野へと話が触れた瞬間、「それねっ」と割り込んでゆく。堰が切れた様に一気に自慢話の御披露となる。場が少々白けた事に気が付くはずも無い。聞き役に徹する事は難しい。:読売新聞「読売俳壇」(20170116)所載

冬の果蒲団にしづむ夜の疲れ 蛇笏

2017年01月16日 | 俳句
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飯田蛇笏
冬の果蒲団にしづむ夜の疲れ

冬も終盤に入り寒さも極まった。日々雑多な営みに追われつつも一日一日が過ぎてゆく。さして歩き回った訳でも無いがこうした日々の生活に疲れを感じる。またこう寒いと夜は直に布団に潜りたくなる。寝ながらのテレビ鑑賞、と言ってもお笑い番組を見る聞くでなくただ掛けているだけなのだが。終日身心共に疲れた体がその重力に沈んでゆく感覚がする。そして今日もどうやってテレビを消したのか意識が無いままに深い眠りへと落ちてゆく。:彩図社「名俳句一〇〇〇」(2002)所載

港より人の声せり夕時雨 海野涼音

2017年01月15日 | 俳句
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海野涼音
港より人の声せり夕時雨

港近くの波止場に今日の自分の在処があった。淋しさを紛らす逍遥も突き当たった場所がこの波止場。これから先はもう進めない海が洋々と広がっている。朝から続いた時雨。もう辺りも薄暗くなって来た。港にぽつりと明かりが灯る。
叩きつける様な雨音に混じって人の話し声が聞こえた時ふつと淋しさが和らいだ。暖かきは人の声である:ネット掲示板「つぶやく堂」(2017/01/10)所収。

鬼に酒酌ませて山は眠りたる 稲生正子

2017年01月14日 | 俳句
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稲生正子
鬼に酒酌ませて山は眠りたる
冬に山は眠る。春に笑い夏に滴り秋に粧うた山。酒呑童子の伝説ではないが山には鬼が棲む。こうした暴れん坊が騒いではおちおと眠っていられないので酒を与えて置いた。鬼の方もご機嫌で手酌ですいすいと飲んでいる。これで世は事も無しである。:雄山閣「新版・俳句歳時記」(2012/06/30)所収。