やんまの気まぐれ・一句拝借!

俳句喫茶店<つぶやく堂>へご来店ください。

一言に躓く会話走り梅雨 太田絵津子

2019年05月31日 | 俳句
1004
太田絵津子
一言に躓く会話走り梅雨

楽しい会話が続ていたがある一言にグサッと来て会話が躓いた。折しも降り続く雨は走り梅雨と言う事か。人には琴線帯と言って心に響く場所がある。極めて楽しい思い出や極めて悲しい思い出が秘められている。父は先の戦争で南方の玉砕部隊に属していた。奇跡的に生還したがその顛末を決して語らなかった。人にはそれぞれ語りたくないものがあろう。かと言って孤独は淋しすぎる。:俳誌『百鳥』(2018年8月号)所載。
<いらっしゃいませー俳句喫茶店・つぶやく堂ーどうぞお入りください>

くるくると少女のごとく白日傘 草部宏

2019年05月30日 | 俳句
1003
草部 宏
くるくると少女のごとく白日傘
白日傘をくるくると回して歩く人あり。このリズムやテンポはまるで少女のように弾んでいる。何が嬉しいのか、きっと良い事があったのだろう。男性としては心の秘密を覗いてみたいと言うもの。さてこれからの夏日には日射病対策が必要である。最近では男性用の日傘が売れていると聞く。健康を第一に考えて恥ずかしがらずに日傘をさそうか。いやいや吾には使い古した麦藁帽子がある。何はともあれ水分補給を忘れまい。:俳誌「はるもにあ」(2018年9月第70号)所載。
<いらっしゃいませー俳句喫茶店・つぶやく堂ーどうぞお入りください>

万緑に芥子粒ほどの吾がゐる 高橋とも子

2019年05月29日 | 俳句
1002
高橋とも子
万緑に芥子粒ほどの吾がゐる
野は緑に溢れ雄大な自然が君臨する。こんな大自然の中に佇めば「吾」と言う存在の何と小さなものか。等身大の吾は芥子粒ほどのものに思われる。旅へ出れば様々な事に感動している初めての自分に出会う。非日常に身を置くのもたまには良いもんだ。大きな夢に膨らんだのも自分。病んで小さく萎えたのも自分。孫悟空の如意輪棒ではないが心次第で大きくも小さくもなれる。自分の心を自在に操れたらどんなに楽しいだろう。:朝日新聞「朝日俳壇」(2018年7月29日)所載。
<いらっしゃいませー俳句喫茶店・つぶやく堂ーどうぞお入りください>

越後屋に衣裂く音や衣替 榎本其角

2019年05月28日 | 俳句
1001
榎本其角
越後屋に衣裂く音や衣替

呉服屋の店先から衣(きぬ)裂く音が聞こえてきた。そう言えばそろそろ衣替えに時節である。和服オンリーの江戸時代そろそろ浴衣も欲しい時候となって来た。日本は四季に恵まれた国である。これから緑濃き時間を潜り雨多き梅雨を凌ぎ初夏の新緑花火の盛夏へと移ろってゆく。どの時にも命のトキメキがある。越後屋は今の三越百貨店の前身と聞くり。:大岡信(おおおかまこと)「百人百句」講談社(2002年6月28日)所載。
<いらっしゃいませー俳句喫茶店・つぶやく堂ーどうぞお入りください>

薔薇園にばらの歩幅となるふたり 花谷清

2019年05月27日 | 俳句
1001
花谷 清
薔薇園にばらの歩幅となるふたり
薔薇の花盛りである。各地の薔薇園も見物客の足が絶えない。様々な薔薇にはそれぞれに名札があって何となく名前に相応しい花が輝いている。きょうは二人揃っての見学となった。一花一花に愛しみの眼差しを注ぐ。普段はせっかちな夫とのんびりやの妻ではある。が、その歩幅もいつしか揃ってきた。二人揃っての今が幸せ。人生楽しむべし。::俳誌「角川」(2019年5月号)所載
<いらっしゃいませー俳句喫茶店・つぶやく堂ーどうぞお入りください>

貌よりも口を大きく仔猫かな 荻原行博

2019年05月26日 | 俳句
1000
荻原行博
貌よりも口を大きく仔猫かな
仔猫が貌(かお)よりも大きな口を開けた。器用な猫がいるものだと思っていたらご近所の奥様がおなし芸を見せた。武士の情けで見て見ぬ振りををして通り過ぎる。世は事も無く誠に平和である。閑話休題。大きな口を開けるのは欠伸の他にどんな時だろう。母親への甘えか飼い主へ餌のおねだりか。精一杯鳴き声を張り上げている図だろうか。我が身を振り返るに最後に精一杯の何事かがあったのは何時だったろうか。今はただ凡々と時を過ごすのみである。:読売新聞「読売俳壇」(2019年5月13日)所載。
<いらっしゃいませー俳句喫茶店・つぶやく堂ーどうぞお入りください>

南風や屋上に出て海は見ゆる 高屋窓秋

2019年05月25日 | 俳句
999
高屋窓秋
南風や屋上に出て海は見ゆる

天気晴朗風は最早南風である。風の来し方は遠き海からの風と思う。いざ海を見むとすれば屋上に出れば良い。寄せては返す浪音を聞くならばサンダルを引っかけて海へ出れば良いだけだ。内陸部に住む小生は年に一度は海を見たくなる。我が千葉県には内房総の海、外房総の海がある。九十九里では地球が丸い。そろそろ旅心が疼いてきた。:雄山閣「新版・俳句歳時記」(2012年6月30日版)所載。
<いらっしゃいませー俳句喫茶店・つぶやく堂ーどうぞお入りください>

麦秋や大きうねりの風を見せ 鈴木ふみを

2019年05月24日 | 俳句
998
鈴木ふみを
麦秋や大きうねりの風を見せ
初夏の風が大きく麦の穂を揺さぶっている。今頃の気候が外で過ごすには一番佳い時候であろうか。草木は緑に満ちて鳥は今を盛りに囀っている。風はおおらかに景色を騒がせている。子供の頃小さなメダカを救っては狂喜乱舞したものだった。生きる。生きている素晴らしさを感じている今が幸せである。万歩計は今日も万歩を超えて快調である。:雄山閣「新版・俳句歳時記」(2012年6月30日版)所載。
<いらっしゃいませー俳句喫茶店・つぶやく堂ーどうぞお入りください>

万緑をゆく胸の火を消さぬまま 酒徳せつ子

2019年05月23日 | 俳句
997
酒徳せつ子
万緑をゆく胸の火を消さぬまま
外は草木の緑に溢れ、人間にとっても心身共に心地が良い。そんな風景を潜って歩けば燃ゆる胸の火もいよいよ高ぶろうと言うもの。永い冬の日を目覚め春には膨らんだ夢を終に実行する時が来た。思えば幾たび企て挫折した事か。だがその度に消える事の無かった夢がある。たった一度の命だもの思いの尽きるまでやり遂げよう。:俳誌『百鳥』(2018年8月号)所載。
<いらっしゃいませー俳句喫茶店・つぶやく堂ーどうぞお入りください>

ひと一人ゐて緑陰入りがたき 飯島晴子

2019年05月12日 | 俳句
996
飯島晴子
ひと一人ゐて緑陰入りがたき
汗ばむような陽気となった。熱くなった身体を冷やそうと緑陰に入ろうとした。おや先客あり。と言うことで少々入り難くなってしまった。新緑から夏休みまでの間は身体を動かすのに誠に気分が良い。万緑は心身共に癒やして前向きな自分を作ってくれる。さはさりながら何故か病む事になってしまった。何でこんな時に、何で自分が、、、。とつぷりと後ろが暮れてきた。:角川「新版・俳句歳時記」(1990年12月15日版)所載。
<いらっしゃいませー俳句喫茶店・つぶやく堂ーどうぞお入りください>

五月来る身も鬣も白き馬 しなだしん

2019年05月11日 | 俳句
995
しなだしん
五月来る身も鬣も白き馬
五月来る、何と力強い響きだろう。そこに身も鬣(たてがみ)も白い馬がやって来た。山野は緑に満ち力強い風が吹き渡る。大きな鯉のぼりが尾を靡びかせて空を泳ぐ。この時日常の憂さに埋没していた精神がつと我に返り立ち上がる。一度限りの人生に勇気が蘇り命の出し惜しみなどすまいと決意する。:俳誌「はるもにあ」(2019年5月第74号)所載。
<いらっしゃいませー俳句喫茶店・つぶやく堂ーどうぞお入りください>

病院に母を置きざり夕若葉 八木林之助

2019年05月10日 | 俳句
994
八木林之助
病院に母を置きざり夕若葉
若葉を潜って母を見舞いに来た。他人には出来ない部分の介護を済ませ小半日を過ごす。母はそんな手の行き届いた介護よりも息子の顔を見ている事に寛ぐ。話す言葉に一喜一憂しあれやこれやと多く訪ねる。そんな時の経過のあげくふとこの子の哀れを感じてしまう。時は若葉の季節自分自身の時を輝かせたいだろうに心に暗がりを持たせせてしまった自分が憎い。帰り行く息子を窓から見送れば若葉にはすでに夕闇が迫っている。:角川「新版・俳句歳時記」(1990年12月15日版)所載。
<いらっしゃいませー俳句喫茶店・つぶやく堂ーどうぞお入りください>

川底の石の三角薄暑光 渡辺紀美子

2019年05月09日 | 俳句
993
渡辺紀美子
川底の石の三角薄暑光
うっすらと汗ばむ気候となった。郊外へ出て水辺に遊ぶ。川底を覗くと三角の石が光っている。澄み渡った水に足を浸せば心が洗われる。5月6月と清流の魚釣りの盛期が到来する。人間の狩猟本能が疼き男らは川へ海へと繰り出してゆく。家族はキャンプに火を焚き収穫を待っている。余談だが昔野営した白神山地のほとんどが入山禁止となってしまった。出会ったマタギ達も年老いていることだろう。:読売新聞「読売俳壇」(2017年6月5日)所載。
<いらっしゃいませー俳句喫茶店・つぶやく堂ーどうぞお入りください>

水ふんで草で足ふく夏野哉 小西来山

2019年05月08日 | 俳句
992
小西来山
水ふんで草で足ふく夏野哉
足を水に浸すと冷たく気持ちの良い時候となった。小さな流れを踏み越えて草で足を拭いた。心が洗われたように清々とする。今やって来てこれから辿る夏野ではあるがこれまでの疲れを一新して気力を取り戻す。来し方行く末に四季あり、又訪ね行く友ありである。夏来たり。さあこの夏をどう過ごそうか。:大岡信(おおおかまこと)「百人百句」講談社(2002年6月28日)所載。
<いらっしゃいませー俳句喫茶店・つぶやく堂ーどうぞお入りください>

文束のおほかた故人夏の月 ながさく清江

2019年05月07日 | 俳句
991
ながさく清江
文束のおほかた故人夏の月

ある年齢になって終活を思いつく。身の回りの整理に何から手をつけよう。日記、手帳、趣味の絵画帳、、。取敢えず菓子箱に詰め込まれた手紙の束に目をつける。差出人を眺める度に往時茫々思い出が吹出してくる。そのうちふと故人名が多い事に気がつく。さはさりながら自分もおなじく年を重ねているのだが。それにアルバム、この廃棄が至難の事と思い知らされる。窓を開ければいつの間にやら煌々と夏の月が照っている。夏の夜は永い。::俳誌「角川」(2018年7月号)所載
<いらっしゃいませー俳句喫茶店・つぶやく堂ーどうぞお入りください>