やんまの気まぐれ・一句拝借!

俳句喫茶店<つぶやく堂>へご来店ください。

春更けて諸鳥なくや雲の上 前田普羅​

2020年04月30日 | 俳句
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春更けて諸鳥なくや雲の上 前田普羅
春も更けて雲の上では様々な鳥が囀っている。大らかで大きな景が目に浮かぶ。これから新緑に掛けては絶好の旅行シーズンとなる。信州の盆地を歩き甲斐の山々を見渡したらどんなに気持ちがスカットするだろう。おっと今は外出を辛抱する時局であった。せめて夢で雲上に遊ぶとするか。個人的趣味のバードウオッチ、これは自宅の窓からでも充分出来る。<青春に一区切りつけ四月尽:やんま>:山本健吉「定本・現代俳句(2001年4月10日)」所載。
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新緑や雨後の空濃き副都心 大串若竹​

2020年04月29日 | 俳句
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新緑や雨後の空濃き副都心 大串若竹​
目には青葉山時鳥初鰹(山口素堂)の季節である、新緑が目に眩しい。新宿副都の雨後の空の紺碧が目に沁みる。都心のどこか薄汚れている空も雨に洗われ深く濃い空の色を呈している。これがきっと本来の色であろうか。そんな空の下では今日もあくせくと人が行き交い仕事に励んでいる。せめて一時心をリフレッシュ出来たらいいな。<新緑に身を委ね行き老い一日:やんま>:大串若竹「句集・風鈴(2020年9月7日)」所載。
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ふらここや追風のごと父の声 上田日差子

2020年04月28日 | 俳句
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ふらここや追風のごと父の声 上田日差子
ぶらんこを漕ぐ背を父が押してくれる。遠い夢の世界の父在りし日を思い出す。今もふらここにいると父が背を押している様な錯覚に陥る。きっとこの追い風のせいだろう。そう思うと父の声までが甦ってくる。厳しかった父、優しかった父、一緒に入ったお風呂での鼻唄、酔えば笑い上戸だった父。思い出は日々に美化されて私の宝物となってゆく。<ふらここや天地には無きわが居場所:やんま>:俳誌角川(2020年春2月号)付録「俳句手帳・春」所載。
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世との時差広ごるばかり春炬燵 出口善子​

2020年04月27日 | 俳句
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世との時差広ごるばかり春炬燵 出口善子
もう春だと言うのに炬燵から抜けられぬ。春寒という程では無いが身体がそうさせる。よく他人に口は軽いが尻が重たいなどと言はれる。窓の外からは動き出した世間の生活音が聞こえてくる。そろそろ時差出勤でもしようかな。でもその前に何時ものお茶としなければ。電話が鳴り出した。重たい腰を炬燵から引っ張り出す。今日の生活の出発である。<春眠に覚めて時差呆け目覚め呆け:やんま>:俳誌「角川(2020年4月号)」所載。
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八十路にも新学期ある四月かな 中嶋陽太​

2020年04月26日 | 俳句
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八十路にも新学期ある四月かな 中嶋陽太
高年齢化社会にあって八十歳はまだまだ元気である。思い立って**講座なるものへ挑戦する事にした。今日から新学期が始まった。様々な遍歴のある面々に混じってまずは神妙に教師の話を聴く。我が孫ほどの年齢だろうか淀みの無い話しっぷりに感心する。と、気が付いた事あり。ちょっと前までは右の耳から入った話しが左の耳へと通過してしまっていたが、今はまったく耳へ入らない!のである。一つ単語の意味を考えている内に講義は先へ先へと飛び去ってしまう。これもまた佳し、気分の高揚を得ただけでもメッケモンである。<読めないと見えないがあり春燈:やんま>:朝日新聞「朝日俳壇(2020年4月19日)」所載。
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陽炎へばわれに未来のあるごとし 安土多架志

2020年04月25日 | 俳句
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陽炎へばわれに未来のあるごとし 安土多架志
眼前に陽炎を見る。ふと自分の未来がこの中にある様な気がした。自分が何処から来て何処へ行くのか。過去の記憶も朧であり行く末も陽炎の如しである。生まれる前の記憶の不確かさ死んだら本当に無に帰するのか生きて見る陽炎の如きものである。確かなのはここに今在ると言う事だけである。ただ茫々と命を抱え愛しんでいる。自分が何を為すも為さないも自分次第と言うことか。我がメモ帳によれば作者は37歳で夭折したクリスチャンとある。<もう半分生きてもみたき朧かな:やんま>:メモ帳より
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散るときの来てをだまきの仰向けり 星野恒彦

2020年04月24日 | 俳句
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散るときの来てをだまきの仰向けり 星野恒彦
苧環(をだまき)をご近所の未亡人から戴いた。花言葉は「愚か」だそうだ。ま、そんな事は気にしないのが小生の取り柄で在る。きっと好意を持たれているに違いない。そんなこんなの日常も移ろって苧環の花も散った。散り際の仰向けの反り返りに生への執着をみて哀れである。<人偲ぶわが苧環の雨に散る:やんま>:雄山閣「新版・俳句歳時記(2012年6月30日版)所載
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こんな夜を吾にも欲しやぬくめ鳥 木下光代

2020年04月23日 | 俳句
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こんな夜を吾にも欲しやぬくめ鳥 木下光代
季語が当季ではないのですが気に掛かりましたので取り上げました。この「ぬくめ鳥」は冬の寒い晩など、鷹 が小鳥を捕らえてつかみ、自分の足を温めることを言うそうだ。翌朝、鷹はその鳥を放してその飛び去った方向へその日は行かないようにしてその恩に報いるという。恩と言えば私などは自分に能力が無いくせに人様のご厚情に甘えて生き長らえている。頼りたい人が先立っても夢の中で助けてくれる。幸せな人生であった。<こんな夜は人肌燗に溺れたし:やんま>:俳誌「春燈(2020年4月号)所載
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新緑の野山恋しき籠る日々 寂仙​

2020年04月22日 | 俳句
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新緑の野山恋しき籠る日々 寂仙
桜々と浮かれていたがあっという間に季節は移ろってゆく。花は葉に、そして新緑の候が目前である。こうしてコロナ籠りて鬱陶しい中にあると新緑の野山が恋しくなってくる。濃厚接触が許される家族共々飛び出して行こうか。さりながら都道府県の知事様からは移動自粛のお達しもある。だめと言はれればやりたくなるのが人情、ああ。<身辺りの野の花盛り青き踏む:やんま>:ネット喫茶店「つぶやく堂(2020年4月19日)所載
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​特別室の病窓よりの遠霞 河野宣子​

2020年04月21日 | 俳句
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特別室の病窓よりの遠霞 河野宣子
重病なのだろう。高層階の特別室に入っている。連れ合いが長い時間付き添っている。する事も無く病窓から外を眺めれば遠く霞が掛かっている。無意識ながら来し方行く末の事が胸に去来する。夫と連れ添った永い時間はそのまま我が人生と重なる。酸いも甘いも喜怒哀楽を共にして来た。そしてこれからどれ程の時間を共にするのだろう。茫々たる思いは果てし無く続く。<充分に飲んで生きだり遠霞:やんま>:俳誌「百鳥(2019年7月号)所載
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すすり泣くやうな雨降り花ミモザ 後藤比奈夫​

2020年04月20日 | 俳句
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すすり泣くやうな雨降り花ミモザ 後藤比奈夫
春の雨がしとしとと降っている。まるですすり泣いているようだ。その中に花ミモザが匂ふが如く立っている。雰囲気で言えば西田佐知子の鼻声である。~アカシアの雨にうたれて♪このまま死んでしまいたい♪~。余談ながら男の雨には土砂降りが似合う。<花ミモザ並ぶ路ありざんざ降り:やんま>:角川「合本・俳句歳時記(2019年3月28日版)所載
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酔えぬ夜は菜の花色の夢が欲し 橋閒石​

2020年04月18日 | 俳句
230
酔えぬ夜は菜の花色の夢が欲し 橋閒石
胸にあるこだわりの為今夜は酔えない。他人への愚痴自分への不甲斐なさ。暗く沈む心に疲れてしまう。こんな夜には明るい菜の花色の夢が見てみたい。きっとそよ風が五感をくすぐり気分が一新されるであろう。そんなこんなで時を過ごせばぐい飲みを手にしたままいつしか夢無き眠りに陥っているのであった。<妻と居る終の住家に菜花咲く:やんま>:山本健吉「鑑賞俳句歳時記・春(1997年1月15日版)所載
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チューリップ喜びだけを持ってゐる 細見綾子

2020年04月18日 | 俳句
229
チューリップ喜びだけを持ってゐる 細見綾子
チューリップ。何と言う純粋な花だろう。入学のランドセルがよく似合う。様々な品種が開発されていようが、我が好みは原色の赤白黄色である。市内の公園のでは風車小屋の周りを一杯に飾るチューリップが見事である。思い出が一つある。小学校入学時に新しいノートに描いた赤いチューリップ。他の学童はノート一杯に伸び伸びと描いていたのに自分は国語ノートの一枡(1センチ枠)に小さく描いていたのだ。その頃から小さく生きていんだなあと今述懐している。<学び舎の花壇に開きチューリップ:やんま>:山本健吉「鑑賞俳句歳時記・春(1997年1月15日版)所載
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​永き日の歩け歩けと傘寿来る 淵脇護​

2020年04月17日 | 俳句
228
永き日の歩け歩けと傘寿来る 淵脇護
八十才。よく生き長らえた。戦禍にもこのコロナ禍にも絶えて元気である。秘訣など無いが好き嫌い無くよく食べよく歩いている。昔、早噛いを諫められ30回はよく噛む事にしている。また近頃は毎日散歩を日課にしている。膝の痛みには膝の筋肉を鍛えねばならぬ。歩け歩けと万歩計も7千歩達成である。日々の薬もカレンダーに貼り付けて飲み忘れは無い。最近は通信講座で趣味を掘下げる勉強も始めた。もっとも晩学の学なり難しで遅々として進みはしないが。今日の一日も充実して永かった。まだまだ死ぬまでが人生だ。<歩き来て来し方行く末みな朧:やんま>:俳誌「角川(2020年4月号)所載
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マスクつけひねもすのたりのたりかな 釋蜩硯

2020年04月16日 | 俳句
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マスクつけひねもすのたりのたりかな 釋蜩硯
マスクは今この瞬間の季語(嘱目)として自然に受け入れられている。このコロナ騒動のキーワードの一つが「マスク」騒動である。コロナウイルス感染防止の立役者として登場した。巷とか公園ではひねもすのたりのたりと行き場を失った人々が漂っている。この時期全員がマスクをしているのも異様な風景であるがのたりのたり言う長閑さが不気味だ。幸か不幸か我が家では花粉症対策でマスクは常備されていた。<一病の果ての息災春マスク:やんま>:朝日新聞「朝日俳壇(2020年4月12日)
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