やんまの気まぐれ・一句拝借!

俳句喫茶店<つぶやく堂>へご来店ください。

イヤホンに流るる落語鯊日和 重岡藍玉

2017年10月31日 | 俳句
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重岡藍玉
イヤホンに流るる落語鯊日和
のんびりと鯊を釣っている秋の一日。耳のイヤホンで聞くとはなしにラジオを聴いている。いつしか落語の番組となった。・・・でもご隠居さん、そいつあー鯊の餌っだあね・何だいその鯊の餌てえのは・だからゴカイ(誤解)だってえの・・・そんなこんなで時間がゆったりと流れてゆく。陸の人も舟の人もぼうと霞んでいる。そういえば鯊の顔も何処かのんびりとしている。:俳誌『百鳥』(2017年1月号)所載。

蜻蛉の顔は大かた眼玉かな 知足

2017年10月30日 | 俳句
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知足
蜻蛉の顔は大かた眼玉かな
言われてみればなるほどそうだ。残りの顔は口という事になろう。短い生存期間にはこれで十分だ。余計なことは耳にせず極楽とんぼを決め込んで楽勝というもの。またその眼は複眼なので捕まえるのに指をぐるぐる回して近づくと蜻蛉が目を眩ますと言う迷信があった。これを孫に教えたかったが男の子が出来なかったのでこの夢はついえた。蜻蛉は「勝ち虫」と考えられて刀の鍔に刻印されたらしい。知足は尾張の銘酒「玉の井」醸造の冨商で芭蕉のスポンサーの一人。一家あげての俳諧道楽に金を使った。:やんまの備忘禄より。

耳たぶに何も無い日よ草の花 月野ぽぽな

2017年10月29日 | 俳句
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月野ぽぽな
耳たぶに何も無い日よ草の花
今日は久しぶりに自宅でゆっくり過ごすと決めた。イヤリングの品定めなど迷わずにたっぷりとした「時」が流れる。思えば都会のジャングルを走り回る忙しい昨今である。何に追い回されて来たのだろう。手帳には明日からの予定がびっしりと詰まっている。これが人生の充実と言うものだろうか。ベンチでぼんやりと寛げば、素でいる自分が草の花を愛でている。今日一日は素直な耳で居よう。:俳誌『俳句』(角川・2017・11月号)所載。

引力はともだち木の実草の実よ 川村研治

2017年10月28日 | 俳句
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川村研治
引力はともだち木の実草の実よ
秋も深まって紅葉した木の葉が舞いその実が大地へ落ちてゆく。大地から芽生えた命が大地へ還ってゆく、これ万有引力のなせる業なり。かく重力あるものは引力を友とする。全ての所作は引力と共にある。ところで吾輩の行方は草葉の陰なのか天国なのか。願わくば極楽とんぼで引力を超越してありたいものだ。:俳誌『ににん』(2016年冬号)所載。

少年に秘密ありけり黒葡萄 山口襄

2017年10月27日 | 俳句
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山口 襄
少年に秘密ありけり黒葡萄
秘するから秘密なのでそれが何かは分からない。そして句が黒葡萄を取り合わせたのも秘密めいている。これが少女なら恋の甘い香りがするのだが少年となるともっと広がりを持つ。夢多き時代の秘密、はて。自分では恥ずかしいから言えない事はあったが秘密を意識して抱いた記憶は無い。他人の秘密は何か宝物のようにきらきらして見えるのが羨ましい。甘酸っぱい黒葡萄でも食べて想像を広げようか。:俳句雑誌『角川・俳句』(2017年10月号)所載。

一行の詩となり雁の渡りけり 坂本玄々

2017年10月26日 | 俳句
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坂本玄々
一行の詩となり雁の渡りけり
気配を感じて空を見上げる。長々と列をなして雁が渡って行く。淡く澄み切った空は一服の絵の様に美しい。いやむしろこれは一行の詩ではなかろうか。越冬の為労苦を重ねて渡るものある一方で熊や蛇など冬眠するものもある。それぞれの種族の知恵が血脈を後世へ繋いでゆく。この雁の列も長々と見えるが言い換えればたったこれだけの一族でしか無いのかも知れぬ。頑張れ。:朝日新聞『朝日俳壇』(2017年10月16日)所載。

しみじみと日を吸ふ柿の静かな 前田普羅

2017年10月25日 | 俳句
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前田普羅
しみじみと日を吸ふ柿の静かな
秋の穏やかな一日。枝先の柿がしみじみと日を吸って熟れている。秋寒の中ベンチでの日光浴が気持ち良い。日の暖かさが身に沁みてありがたい。太陽は富める者にも貧しき者にも公平だ。否地上の存在すべてに公平である。見上げれば柿の赤さが眩しい。わが心の内の静まったところで鐘が一つ鳴った。柿食えば鐘が鳴るなり満腹寺~ゴーン。:彩図社『名俳句一〇〇〇』(2006年11月10日版)所載。

万歩計泡立草を見て帰る 吉田ひろし

2017年10月24日 | 俳句
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吉田ひろし
万歩計泡立草を見て帰る

万歩計を付けて散歩に出た。住宅街の外れまで出たところに空き地がある。背高泡立草がわが世の季節を謳歌している。万歩計を見ればそこそこの歩数を稼いでいる。今日はここまで、と踵を返すこととした。健康で歩ける事の幸せを感謝する。何時までもこうありたいものだ。今夜の酒も美味そうだ。:雄山閣『新版・俳句歳時記』(2012年6月30日版)所載。

霜の朝肩すくめゐる道祖神 熊谷順子

2017年10月23日 | 俳句
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熊谷順子
霜の朝肩すくめゐる道祖神

霜が降り始める気候となった。朝の通勤か通学の道に道祖神が鎮座している。見れば薄っすらと霜を被っている。心なしか肩をすくめているようだ。今や様々な古道へと観光客が訪れる時代となった。地元では気にも留めなかった道祖神がSNS上でアップされ見直されることもしばしばである。中には新たに夫婦神など置いたとかどうとか。道祖神も表情が無い様で結構な表情の持ち主である。古人も多分我らとおなし心根を持っていたのだろう。:俳誌『春燈』(2017年3月号)所載。

鍵穴に嵌る五番目秋の夜 かよ

2017年10月22日 | 俳句
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かよ
鍵穴に嵌る五番目秋の夜
名月や池を巡りて夜もすがら、秋の夜気が肌に心地よい。すっかりと暮れてご帰還となった。数あるキーの中から一つを鍵穴に入れる、む、これではない。次を入れるがこれもダメ、次々と試して五番目で嵌った。日常の細やかなドラマを終えてこれから長い夜の細やかな営みが始まる。虫が鳴き出した。:『つぶやく堂俳句喫茶店』(2017年10月20日)所載。

色鳥や友に笑顔の戻りたる 宮下京子

2017年10月21日 | 俳句
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宮下京子
色鳥や友に笑顔の戻りたる
秋になると鶸、尉鶲など色彩の美しい小鳥が渡ってくる。こんな小鳥たちのことを総称して色鳥と言う。個体としておなしかどうか不明だが、何時ものコースで何時もの樹木に顔を出す。悩み事を打ち明けていた友の顔に笑顔が戻った。指さす枝先に尉鶲が止まっている。野生はライオンでも雉でも概してオスの方が派手である。尉鶲の真っ赤な色彩に目を丸くした友の顔からは憂いの様はすっかり消えている。:俳誌『百鳥』(2017年1月号)所載。

忘れゐし病ひ問はれぬ木の実独楽 松谷みどり

2017年10月20日 | 俳句
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松谷みどり
忘れゐし病ひ問はれぬ木の実独楽
一病息災では無いが一病を得て生き永らえると言うこともある。自重した生活態度がそうさせるのだろう。独楽など回して無邪気に遊んでいると「君本当に病人なの?」と問われた。逆に自分の病いを思い出して苦笑いである。天寿のことは天の神様に任せて今を楽しむしか無いではないか。木の実独楽は今にも勢いを失ひそうにふらりふらりとしながらもしたたかに回転している。:『合本・俳句歳時記』(角川書店・1990・12・15版)所載。

東京を遠しと思ふ落葉かな 涼野海音

2017年10月19日 | 俳句
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涼野海音
東京を遠しと思ふ落葉かな
落葉を踏みながら思う「東京は遠いなあ」。地方の住家から見る東京は遠い。物理的空間としても精神的な空間としても遠い。青年よ大志を抱け!その夢は何故か日本の中心である東京で叶えられると思い込んでいる。しかし東京でしか出来ない事とは何だろう。何処にいてもテレビやネットや活字で情報を共有している。それでも尚、生の人間には東京でしか会えない。良い師良い団体はみんな東京に在りと言う錯覚がそうさせる。東京は大志を果たす夢の到着点なのか?遠い遠い東京、いつの日にかきっと。:『句集・一番線』(文学の森・2014・7・21版)所載。

ベンチ錆び黄花コスモス揺れやまぬ 香田なを

2017年10月18日 | 俳句
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香田なを
ベンチ錆び黄花コスモス揺れやまぬ
昔からここに在るベンチに錆色が滲む。このベンチにも長い間お世話になりすっかりと馴染んできた。季節は今コスモスを風に靡かせている。ここのは黄色のコスモスである。錆色が似合っている。何時までも揺れ止まぬ花と何時までも座り続けている自分がここにある。孤独には気安さと淋しさがある。明るく透明な風がベンチをつと吹き抜けた。:俳誌『はるもにあ』(2017年1月号)所載。

銀河へは向かはぬ列車森に入る 望月周

2017年10月17日 | 俳句
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望月 周
銀河へは向かはぬ列車森に入る

夜汽車が闇を疾走する。迫るような満点の星。列車はこのまま銀河へと突き進む勢いである。赤い明滅は蠍座だろうか。ああ銀河鉄道、孤独な少年ジョバンニと友人カムパネルラは今どの辺り。ふと視界が森の木々に遮られひと時の想いが覚める。列車は銀河へは向かっていない。現には現に想う人が居る。:俳句雑誌『角川・俳句』(2014年11月号)所載。