やんまの気まぐれ・つぶやっ句 「一句拝借!」

談話は、俳句喫茶店・つぶやく堂へお越しください。

水底に届く光や猫柳 香田なを

2017年02月28日 | 俳句
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香田なを
水底に届く光や猫柳
春の陽射しが眩しい。水辺の猫柳も大きく膨らんで銀色に輝いている。そんな光線が小さな清流の水底を照らしている。雪解の濁りもとれた川は透明で底の小石や岩石まで見えている。三月には渓流魚の釣も解禁され、あちらこちらで様々な芽吹きが始まる。春よ春。:俳誌「はるもにあ」(2016年5月号)所収。
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風花や路地裏に来し入浴車 斎木百合子

2017年02月27日 | 俳句
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斎木百合子
風花や路地裏に来し入浴車

高年齢時代に突入している。父母を自宅で看取った私は自宅介護の有難さを実感している。当時自身が定年退職の時期にあたり子会社の役職をと提示されていた。父母の身の回りは妻に任せていたが実際の所家庭崩壊寸前のすざましい状況にあった。私は事業経営を諦めて直ちに退職の道を選んだ。路地裏の自宅には定期的にケアマネイジャーが訪問してくれたし入浴車も巡回してくれた。スタッフの若々しさがどんなに頼もしかったか。昼夜を問わず苦しむ父母に寄り添えた時間は献身の機会を賜った神に感謝しても仕切れない。:読売新聞「読売俳壇」(2017年2月20日)所載。
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癒えさうな風邪のかけらが喉にあり 竹村哲男

2017年02月26日 | 俳句
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竹村哲男
癒えさうな風邪のかけらが喉にあり
風邪の治りかけである。微熱もとれ咳も大分楽になった。もう一息で抜け切れると思って過ごしているが芯のところで残ってしまう。喉のちょっとしたいがらっぽさが気になる。私などは風邪に気が付かず春愁いだなんぞと気取っている内に治ってしまう場合が多い。誰です、馬鹿は風邪を引かないでしょっておっしゃったのは。:読売新聞「読売俳壇」(2017年2月20日)所載。
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畑打つやうごかぬ雲もなくなりぬ 蕪村

2017年02月25日 | 俳句
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与謝蕪村
畑打つやうごかぬ雲もなくなりぬ
白い雲は3分以内には形が変わるか消え去ると言う。春耕にいそしむ農夫の頭上には雲雀が歌い春の雲が浮いている。まだまだ寒いとはいえ風は春風である。絵心を持つ身であれば何時までも見飽きない風景である。明るさを増す中ふと我を取り戻せば止まっていた様なあの雲はもう既に無くなっている。さてと腰を上げて鼻の向く方へ歩き出す。:『名俳句一〇〇〇』(2002・彩図社)所載。
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珈琲の味も香もなく春の風邪 植木千鶴子

2017年02月24日 | 俳句
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植木千鶴子
珈琲の味も香もなく春の風邪
毎朝容れたての美味しい珈琲を飲んでいたが今日に限って味も香りも無い。同じ品質同じドリップで温度も変わりない。だが何故か美味くない。そう言えば頭が少し重く感じる。昨夜の寝不足のせいだろうか。それとも風邪インフルエンザか春愁なのか腰痛なのか雑多な憂いの中に今私は沈没している。ま、たかが春の風邪恋の微熱みたいなものさ。:『新版・俳句歳時記』(2012・雄山閣)所載。
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箸墓に卑弥呼眠らす春の雪 佐藤信子

2017年02月23日 | 俳句
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佐藤信子
箸墓に卑弥呼眠らす春の雪
一度古墳の見聞に奈良方面を訪れた事がある。この箸墓古墳は一説に卑弥呼墳と言われ、その気になって見るとそう見えてくる。この作者もそう信じ言い切っている。栄枯の季節が繰り返し今この春に雪が降っている。遠い遠い時間軸が今と言う時間に接して雪を降らせているのだ。そしてこの雪の下には卑弥呼が眠っていると確信する。:俳誌「春燈」(2016年5月号)所載
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母からの文やもしれぬ春の雪 寂仙

2017年02月22日 | 俳句
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寂仙
母からの文やもしれぬ春の雪
三寒四温を繰り返しているが暦の上では春である。作者は繰り返す日常の生活に来し方行く末を想っている。思えば父母が揃った昔が懐かしい。~夏は火の車抱いたまま冬は心の闇を凍らせて母が祈った星がある(都はるみの千年の古都より)~きっと母は今天上から私を見守っている。ただおろおろと暮らす私を見守り言葉をかけて呉れている。はらはらと雪が降っている。この雪こそ母からの文なのである。母さん家族一同健やかにしていますよ。:つぶやく堂「俳句喫茶店」(2017年2月19日)所載
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春愁の手を振りて友見送りぬ 矢野博子

2017年02月21日 | 俳句
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矢野博子
春愁の手を振りて友見送りぬ
春は愁いの季節と言う。閉じ籠る様な冬の時間からふっと放り出される。そんな時の心細い戸惑いの中に佇む愁いであろうか。現実には多くの出会いと別れが待っているのが春。卒業や人事異動で友人と別れる季節である。折角気心知れた友達になったのに今日はこの別れである。悲しむなかれわが友よこの先には新しい出会いが待っている。素晴らしい未来にするかどうかは君次第なのである。:俳誌「百鳥」(2016年5月号)所載
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退院の一歩春風まとふなり 朝倉和江

2017年02月20日 | 俳句
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朝倉和江
退院の一歩春風まとふなり

久々の入院だった。それも思いの外長引いた。検査点滴外科の処置。それやこれやの闘病生活も今日は晴れての退院である。囚われた様な病棟を出てさてそれからのこの一歩。風だ、春風だ!。解放された身が弾む様に舞う様に風をまとって行く。生きる喜びをこの時ほど感じたことはない。:角川書店「合本・俳句歳時記」(1990年12月15日版)所載。
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鳥交る綿のこぼるる縫ひぐるみ 利普苑るな

2017年02月19日 | 俳句
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利普苑るな
鳥交る綿のこぼるる縫ひぐるみ
これから私の近くの利根川周辺では「ケーン、ケーン」と雉が叫び始める。鳥の発情はおおむね春から初夏にかけてである。そのころオスは囀ったり、嘴を触れ合ったり、毛色が変わったりする。尾を広げて見せるクジャクや、愛嬌のあるエミュー(ダチョウ)のダンス、ツルの翼の舞。そして季節は孕み鳥へと移ろってゆく。命はめくるめく性の営みによって万古の時を紡いでゆく。様々な愛の形を他所に、独り人形を抱きしめるだけの孤独な愛もある。来る日も来る日も綿のこぼるるまで抱いて過ごした愛の残滓の縫ひぐるみがそこに置かれている。:『舵』(2014)所収。
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蜆汁死よりも老いを恐れけり 真砂女

2017年02月18日 | 俳句
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鈴木真砂女
蜆汁死よりも老いを恐れけり
蜆汁を吸いながら考えた。足腰に不自由を感じる様になって毎日の生活に老いを感じる。新しい夢一つを持っても実現の可能性はゼロ。まして再び恋に向かう事など思いもよらない。こうした希望の無い日々の生活時間がとてつもなく長く感じる。寝たきりにならなければと気を病む。若い頃は肉や塩辛いものを好んだが何時の間にか淡白な味に嗜好が変わってきた。今日も蜆汁と豆腐の一汁一菜で満ち足りた。死は一瞬の出来事。神様に任せておけば恐れる事はない。:句集「紫木蓮」(1999)所収。
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さざ波は風のささやき蕗の薹 ひであき

2017年02月17日 | 俳句
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ひであき
さざ波は風のささやき蕗の薹
早春の風が吹き渡り水面に細波が立った。水辺には春を告げる使者の如くに蕗の薹が突き出ている。春は青春、明るい未来に向けて希望に満ちている。来し方を捨て行く末の夢を見る。風は何を囁いたか。勿論春が来た喜びの言葉である。万物が訪れた春の喜びを囁いているのである。:つぶやく堂「俳句喫茶店」(2017年2月13日)所載
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飯台(はんだい)の焦げた民宿牡丹鍋 吉田信雄

2017年02月16日 | 俳句
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吉田信雄
飯台(はんだい)の焦げた民宿牡丹鍋
飯台の焦げは鍋物とか火や熱いものが何度も置かれての事だろう。そんな民宿で牡丹鍋が出た。牡丹鍋は猪肉を用いた日本の鍋料理。猪鍋とも呼ばれる。いかにも山深い場所の民宿を想はせる。ひょっとするとこの猪はご亭主の猟の獲物だろうか。気楽に声をかけて聞いてみる。よくぞ聞いてくだすったとみるみる亭主の顔が赤らみ口が軽くなった。話半分にしてもこの武勇伝は面白い。ついつい夜の更けるまで拝聴する事になる。かくて山の夜の漆黒が深まり瞼も重くなってきる。風呂は客人が入った後の終い湯をこの家の家族が入る。:読売新聞「読売俳壇」(2017年2月6日)所載。
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春いくたび我に不落の魔方陣 清水哲男

2017年02月15日 | 俳句
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清水哲男
春いくたび我に不落の魔方陣
四角い升目に数字を書いて、縦横斜めのいずれを足しても同数になるのが魔方陣。人生の難題にも似ている。数学的法則で解けるそうであるが脳味噌の少ない小生にはそれは不可能。春になるとその歳々の悩みが襲う。子供には子供の、思春期には思春期の、高齢には高齢の悩みである。今年も春が巡って来た。毎年襲う春の愁いの悩ましさよ。いずれ不落の魔方陣。「増殖する俳句歳時記」(2014年2月15日)所載。
      8・1・6
      3・5・7
      4・9・2
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亀鳴くや事と違ひし志  安住敦

2017年02月14日 | 俳句
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安住 敦
亀鳴くや事と違ひし志

亀が本当に鳴くのか真偽は知らない。水を飲む音だろうとか呼吸の音だとかとも思う。これが春の季語と言うから鳥の囀りのように雄の雌を慕う声かも知れぬ。さて春は別れと出会いの季節。男子志を持って郷里を出る候である。そして「あれから*十年」どこをどう間違っての変遷か今日かくかくしかじかに収まっている。これは志と全く違っている自分の姿である。一方で結果オーライ自分の自然体であり上手く収まったなあとも思っている。:「名俳句一〇〇〇」彩図社(2006年11月10日)所載
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