やんまの気まぐれ・一句拝借!

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癌を打つピストルが欲し六月尽 福地記代

2018年06月30日 | 俳句
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福地記代
癌を打つピストルが欲し六月尽
冬の気が去り夏の気に切り替わる六月尽。そんな日に突然の癌の宣告をされてしまった。天の定めと言われても癌の宣告は衝撃である。ピストルで苦しまずに死んでしまいたい、と頭を掻きむしる。今でこそ日進月歩の医療技術で治癒率は格段と上がったと聞く。それでも死のきっかけになる率は十分にある。凡人悟り難く死にとうは無いである。東京五輪も見てみたいし山の彼方への旅も出かけたい。そんな夢諸共に死が眼前に立ちはだかった。人は誰でも遅そかれ早かれ死ぬんです!南無。いやいや医学の進歩を信じましょう。:雄山閣「新版・俳句歳時記」(2012年6月30日版)所載。
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ホームから見ゆるお城や夏燕 宮本郁江

2018年06月29日 | 俳句
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宮本郁江
ホームから見ゆるお城や夏燕
どのお城だろうか駅のホームからお城が見えている。そんなプラットフォームの屋根裏には例年通り燕が営巣し子を成した。旅人の心にふる里への郷愁が湧いてきた。ふる里の燕は健在だろうか。今は鉄筋コンクリートの駅舎が多くなった記憶の中の駅舎は木造である。旅先の駅舎と燕の姿はお城の姿と共に記憶に深く刻まれる事となった。:句集「馬の表札」(2014年6月30日)所載。
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追ひ行きて棚田に転ぶ蛍狩 大沢勝美

2018年06月28日 | 俳句
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大沢勝美
追ひ行きて棚田に転ぶ蛍狩
各地に蛍が見られる季節となった。この棚田の蛍もこの地の人々が毎年楽しみにしている。初蛍の情報と共に毎夜蛍狩りの人出となる。先を歩く両親を追って幼い児が走り出した。転びませぬ様に。浴衣の娘のあとを若者が早足で追う。転んで笑われるのも何かの縁結びななるかもしれぬ、あやっぱり転んだ。清流の源氏田んぼの平家と言われるがこの棚田はどっちかな。夏の夜遊びいと楽しい。:俳誌「はるもにあ」(2017年9月号)所載。
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山畑を小雨晴行くわか葉かな 与謝蕪村

2018年06月27日 | 俳句
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与謝蕪村
山畑を小雨晴行くわか葉かな
小雨降る山村の畑中をやって来た。だんだんと辺りが明るくなって雨が上がった。透明な空気を通して目には緑が宿る。季節は若葉の時を迎えている。わが生業は旅の俳画師と言われてお金持ちを訪ねては作品を収めている。旅こそ人生。春夏秋冬を貫く旅路の中に今日も筆を奮う。どんな作品を生み出すのか、自分探しの旅である。若葉が目に優しい。:備忘録。
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休日の校長先生目高飼ふ 田中由紀子

2018年06月26日 | 俳句
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田中由紀子
休日の校長先生目高飼ふ
今日は学校の休日と言う事で校長先生ものんびりと自宅で休養となる。そこで趣味で飼っている目高の世話などしている。人生の多くを教育に捧げ今でも仕事には身を削る思いだ。仕事の対象は人の命であり人の将来である。みんな良い子で元気な子とはゆかない。よせば良いのにテストで人間を値踏みする教育制度である。でも仕事だから務める。近頃は先生の多くが女性となったが、私の占うところこの校長さんは男性とみた。経験則からいって口に髭を生やしている。:朝日新聞「朝日俳壇」(2018年6月24日)所載。
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田水張る雲流れたり止まつたり 甲斐よしあき

2018年06月25日 | 俳句
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甲斐よしあき
田水張る雲流れたり止まつたり
田んぼに水が張られた.稲代の苗が運ばれて本格的田植えとなる。今では近代的に進化した耕運機が効率的に作業してくれる。それでも棚田であったり地域的な理由で非効率的なやり方の地方もあろう。わが周辺では古代米を手作業で育てているボランテイア団体がある。無農薬なので例年蛍が乱舞する。そんな地上を見下ろして雲がゆったりと流れている。時には止まって見える事があるが実際には微かに動き漂っているらしい。風も凪いでいるようだ。草笛を吹いてみる。:甲斐よしあき「句集・抱卵」(2008年5月4日)所載。
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ぐい呑みの底が明るし吊忍 梅村すみを

2018年06月24日 | 俳句
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梅村すみを
ぐい呑みの底が明るし吊忍
独り昼酒となった。酒を覗くとぐい呑みの底が見えた。明るい光が緑色に揺れている。ちりんちりんと音がして吊忍の風鈴が鳴った。爽やかな風を浴びて気持ちの良い時を過ごす。長い人生いろいろあって今がある。今生の今が幸せ吊忍いや紫木蓮だったか、大分酔いが回ってきた。:雄山閣「新版・俳句歳時記」(2012年6月30日版)所載。
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古書市の本の起伏や風薫る 金子敦

2018年06月23日 | 俳句
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金子敦
古書市の本の起伏や風薫る
古書市を冷やかしにぶらりと出かける。上野の池之端の骨董市に交じった古本店にやって来てかがみこむ。本は雑に積まれて高低の起伏がある。下積みの中からおやと思う一冊が出てきた。本の山の起伏に淀んでいた空気が一陣の薫風にさっと清められた。思わず天の啓示ではないがこの本を買うはめとなった。こうした衝動買い癖の為積んであるだけの本がまた増えてしまうのである。晴耕雨読ともいかないが秋になったら灯火親しむツモリである。:金子敦句集「音符」(2017年5月5日)所載。
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麦秋や大きく変へて散歩道 鬼頭博

2018年06月22日 | 俳句
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鬼頭博
麦秋や大きく変へて散歩道

麦の穂が実り収穫期を迎えた。景色は初夏の様相へと移った。季節の変化を肌で感じたこの日散歩の道を大きく変えてみた。いつもは行かない東の方面へ足を延ばす。やがて住宅街は田園風景に代わり小さな河川へと出る。河川敷には野鳥が飛び交い山野草が花をつけている。空気も美味しく気分が清々しい。そう日常をちょっとだけ変えてみるのもなかなか良いものだ。:俳誌『春燈』(2017年9月号)所載。
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夏至の日の紙のお日さま切り取りて 鬼野海渡

2018年06月21日 | 俳句
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鬼野海渡
夏至の日の紙のお日さま切り取りて
一年の中で最も昼が長く夜の短い日である。昼の太陽が頭の上へと高くなる。天芯の炎帝は地上のものを見下ろして君臨している。この日射に対抗の術もない。紙に描かれた太陽を切り取りってカレンダーに張り付ける。一週間のほとんどがお日様マークとなってゆく。これから来るであろう猛暑の日々が思いやられる。加齢とともに暑さ寒さに弱くなったのは気のせいだけだろうか。:俳誌『はるもにあ』(2017年9月号)所載。
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ビヤホール背後に人の増えきたり 八木林之助

2018年06月20日 | 俳句
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八木林之助
ビヤホール背後に人の増えきたり
ちょっと前まで銀座ライオンとか言うビヤホールに立ち寄っていた。当時は予約をとらなかったので席の確保に苦労した。そこで明るいうちから早々と出かけたものである。最初は仲間だけの話が弾んでゆくがあたりがざわざわとして見渡せば結構な客の入りとなっている。ほとんどが仲間と連れあって来ているので次第に騒がしくなってくるのである。近頃は自宅で晩酌スタイルとなってしまいあの雰囲気は懐かしい思い出の中にある。発泡酒が安いので年金暮らしにはとても助かる。:角川「新版・俳句歳時記」(1990年12月15日版)所載。
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蛍やこんなに生きて人見知り 坂石佳音

2018年06月19日 | 俳句
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坂石佳音
蛍やこんなに生きて人見知り
季節が巡り来て蛍が飛ぶようになった。今日は初めての人に誘われたが生まれながらの人見知りゆえもじもじするばかり。考えてみれば子を持つ母親である。こんなに生きてまだ人見知りする自分が可笑しい。君って何時までも初々しいね、なんて言われたらどうしよう。思うのは勝手です。我が居住区の田んぼにも平家蛍が且つてはいた。しかしこの辺り都市近郊の田んぼの宿命で一大物流センターに開発されてしまった。田んぼも蛍も夢のごとくに消えゆくばかり。:糸瓜俳句会「続続へちまのま」(2011年12月15日)所載。
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西日中電車のどこかつかみてをり 石田波郷

2018年06月18日 | 俳句
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石田波郷
西日中電車のどこかつかみてをり
夏の西日は一日の猛暑を中々終わらせない。身体もばてばてで通勤も楽ではない。電車に乗ってもどこかに摑まってようよう立っている。進行する向きによってはもろに西日を浴びる事となる。近年は車中も程よく冷やされるようになった。それでも西日の窓に向かいつり革にぶら下がれば疲労感がどっと押し寄せる。帰宅すれば冷えたビールがきっと待っている、きっと。:角川「新版・俳句歳時記」(1990年12月15日版)所載。
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杖とればうなづく夏野かぎりなし 中川宗円淵

2018年06月17日 | 俳句
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中川宗円淵
杖とればうなづく夏野かぎりなし
引き籠りがちだったが久々に杖をとって外出した。山野は夏の緑に満ちて空は晴れ渡っている。うん、これだと頷く。自己に籠って何がこの世だ。わが山河には花咲き鳥が唄っている。酒を酌み交わす友もいる。ド貧乏ながらもまずまずの健康体がありがたい。一つ命を生き惜しみなどするものか。:備忘録。
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猫の子に鳴かれつ家族会議かな 高田菲路

2018年06月16日 | 俳句
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高田菲路
猫の子に鳴かれつ家族会議かな
少子化時代にペットは家族の一員となっている。食事も散歩も人並に気を使ってなされる。そんな状況下幼い我が子が胸に抱きしめ子猫を持ち込んだ。さあ家族はてんやわんやの大騒ぎ。家族は満杯もう沢山!のママ派と情愛限りなしの長女派に二分した。優柔不断のお父さんは終始無言である。さて猫の子の運命やいかに。:朝日新聞「朝日俳壇」(2018年6月3日)所載。
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