やんまの気まぐれ・一句拝借!

俳句喫茶店<つぶやく堂>へご来店ください。

春の雲別れし後に浮かぶ名よ 龍澤清

2017年03月31日 | 俳句
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龍澤清
春の雲別れし後に浮かぶ名よ
ぽっかりと春の雲が浮いている。ぽんと後ろから肩を叩かれる。懐かしい旧友の顔である。やあやあと一頻り旧交を温める。温めながらもその御人の名前が出てこない。そうかご子息は海外勤務で令嬢が孫を三人も作ったのか。ええと名前は。でも当人は不整脈で病院通いと言う。名前?。どちら様もご同様な事情なんだなと頷いてやがて又何時か会いましょうと別れる。白い雲の下に少し丸背になった友を見送る。あいつも昔は悪だったと思い出した瞬間、あいつの名前が浮かんだ。消化不良が解決した気分である。これで良しこれも順調に加齢している証拠なのだ。:俳誌「百鳥」(2016年6月号)所載

花冷えや誰も帰らぬ軒灯す  星野竹翠

2017年03月30日 | 俳句
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星野竹翠
花冷えや誰も帰らぬ軒灯す

日照時間を見計らって桜が咲き出した。一方気温の方は安定せずに冷え込む日が続く。そんなある一日が暮れて街に灯りが点り出した。一番乗りのおっちゃんが居間を点灯したが家族は誰一人戻ってこない。奥方も息子も娘もまだまだ花に浮かれているのだろう。かくしておっちゃんはインスタント焼きそばを肴に発泡酒を始める事となる。桜前線が細長い日本列島を縦断してゆく。:角川書店「合本・俳句歳時記」(1990年12月15日版)所載。

唄はねば夜なべさびしや菜種梅雨 森川暁水

2017年03月29日 | 俳句
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森川暁水
唄はねば夜なべさびしや菜種梅雨
風の日雨の日が矢継ぎ早にやってくる。ちょうど菜種がこぼれる時節の事である。そんな日常の日々を夜なべ仕事に暮らしている。雨と言い夜なべと言い心が滅入ってしまうから歌の一つも唄って心を励ますのである。こんな季節もやがては終わる事を知っている。明日への希望を胸に淋しさを紛らわす唄である。口びるに唄を心に太陽を。:角川書店「合本・俳句歳時記」(1990年12月15日版)所載。

野蒜掘るあしたのことは考へず 真砂女

2017年03月28日 | 俳句
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鈴木真砂女
野蒜掘るあしたのことは考へず
春の山菜の季節が来た。これを見つけ手に入れる楽しさは格別である。戦後間もない食料難の時代には山野草をあれこれ口にしたがこの野蒜も懐かしい。開けても暮れても明日の食料や生き方に悶々としていた。そんなある日野蒜の細長い葉を見つけた。せっせせっせと掘り始める。この時ばかりは無我夢中なので明日の事など悩み病む余地など全く無い。今生のこの一瞬の今が幸せ。:句集『紫木蓮』(1999年7月:第三版)所収。

老ゆるほど白くなる馬辛夷の芽 黒田はる江

2017年03月28日 | 俳句
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黒田はる江
老ゆるほど白くなる馬辛夷の芽

牧場に辛夷が芽吹いて春がやって来た。何匹も放たれた馬の中には溌溂とした駿馬も居れば肩の緩んだ老馬もいる。艶やかな駿馬の横には毛並みが白くなった老馬も居る。人間も老いとともに白髪が増えてゆくがとも白髪まで仲良し夫婦であれば理想であろう。人間も動物も老いとともに白くなってゆく。我愛犬ポンチも茶の部分が白くなっていった。老い哀し。:俳誌「はるもにあ」(2016年5月号)所収。

いま君はおたまじゃくしのような嘘 林田麻裕

2017年03月27日 | 俳句
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林田麻裕
いま君はおたまじゃくしのような嘘

おたまじゃくしが可愛い!と思っていたら何と蛙ちゃんの子どもであった。そんな驚きの幼児期が私にもあった。爽やかであどけないイケメン君だと思っていた君が今日私にこんなお悪戯をするなんて。君もいつしか大人の男になってゆくんだね。ね、メリーゴーランドに乗らないかい。うふふ少年と大人の狭間の君が可愛い。:俳誌「俳句」(2016年3月号)所載

畦焼きし男を犬の嗅ぎに来る 中村栄一

2017年03月26日 | 俳句
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中村栄一
畦焼きし男を犬の嗅ぎに来る

春の農事に畦焼きがある。枯れ残った雑草や害虫の卵を絶滅させる。後の灰が田畑の肥料となる。傍らの土手では家族同様の犬が放たれて遊んでいる。昼ともなれば土手でのお弁当である。その後の作業は軽く後始末くらいで日が高いうちに火が消される。土手に戻った男に犬が走りより、いつもと違う男の匂いを嗅いでいる。空には雲雀がぴーちくぱーちくと囀っている。:読売新聞「読売俳壇」(2017年3月13日)所載。

陽炎へばわれに未来のあるごとし 安土多架志

2017年03月25日 | 俳句
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安土多架志
陽炎へばわれに未来のあるごとし
現実の苦渋に満ちた日々が続く。悩んでも尽きせぬ悩みである。小生のお小遣い欠乏症とは違った内面的な深い悩みである。そんなある日ふと眼前に陽炎を見る。自分の内面を形にすればこんな風なのか。ちょっと明るい愉快な気分に襲われる。自分にもある未来は気持ちの持ちようでどうにでも描ける、とそんな気になってきた。なを多架志は37歳夭折のクリスチャンと聞く。:『名俳句一〇〇』(2002・彩図社)所載。

キャラメルの味の確かや春の夢 折井眞琴

2017年03月24日 | 俳句
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折井眞琴
キャラメルの味の確かや春の夢
最近キャラメルを頂く機会が増えた。グラウウドゴルフの合間にガールフレンドから頂戴する。男性が用具の運搬やセットをするので感謝の印しらしい。さて句中のキャラメルは夢の中でなめている。空間も時間も物質感覚も曖昧模糊としている。それなのにキャラメルの味だけが現実の様にしっかりとしている。よほどキャラメルに意味のある人生であったろう、潜在意識にまでしかと固定されているのだ。摩訶不思議なる夢よ。:『新版・俳句歳時記』(2012・雄山閣)所載。

人違ひの女ふり向く春ショール 川崎真樹子

2017年03月23日 | 俳句
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川崎真樹子
人違ひの女ふり向く春ショール

声を掛けたが顔を見て人違いだと分かった。年格好背格好も似ていた。ひらりと翻した春ショールの好みも如何にも彼女らしかった。でも振向いた顔つきも化粧の濃さも違っていた。その瞬間「**ちゃん」は「女」に転換され空気が白むのであった。私も現役時代どなたかに間違えられたことがあった。相手は暫くして様子がおかしいと気が付き失礼を詫びた。この世には自分に似た人が何人かいると言う。一度その人に会ってみたいものだ。:俳誌「春燈」(2016年6月号)所載

中三の胸のふくらみ名草の芽 赤猫

2017年03月22日 | 俳句
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赤猫
中三の胸のふくらみ名草の芽
中学三年生の胸が希望に満ちて膨らんでいる。時は春、菫蒲公英蓮踊子草と緑も鮮やかな草の芽が萌えている。その大地を闊歩する中三、希望と挫折恋らしきもの失恋らしきもの。あの頃に戻れたら夢多き思春期をどう謳歌していただろうか。プロになって大歓声を浴びる夢を抱きつ三角ベースの草野球を走ってみたかった。遠い外国へ逃れて違う自分に変身したかった。自分の頃の現実は受験勉強に明け暮れた日々であった。そして成る様にしか成らなかった。今飽食の時代を迎えその気になればどんな夢へ挑戦できる時代が到来した。ああ素晴らしき君ら中三に栄光あれ。:つぶやく堂「俳句喫茶店」(2017年3月5日)所載

制服の似合ふ少女や桃の花 池田初美

2017年03月21日 | 俳句
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池田初美
制服の似合ふ少女や桃の花

娘十三花なら蕾といった年頃だろうか。ぴっかぴかの制服に輝いている。傍らの桃の花が頬笑むように咲いている。物心がつき初め多情多感な思春期へ突入してゆく。ピアノの腕も少々上達しエリゼの為にとか乙女の祈りは空で弾ける。自転車の立ち漕ぎで疾駆すれば分け入る風もきらりきらりと光っている。:俳誌「百鳥」(2016年6月号)所載

春分の日切株が野に光る 安養白翠

2017年03月20日 | 俳句
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安養白翠
春分の日切株が野に光る
毎年春分の日には両親の墓に詣でる。郊外にあるのでちょっとした観光気分である。周囲の景色は変わらない様でいて年々わずかづつ変貌してゆく。去年は確か森であったがここも大分開発されている。平らな地面の野っ原に切株か点在している。バスが揺れる度にいずれかの切株の切断面がきらりと光る。雉がケーンと鳴いた。:角川書店「合本・俳句歳時記」(1990年12月15日版)所載。

花の種蒔いてしづかな日曜日 涼野海音

2017年03月19日 | 俳句
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涼野海音
花の種蒔いてしづかな日曜日
これから園芸のシーズンたけなわである。森や公園からご家庭に至るまで花に彩られてゆく。今日は静かな日曜日花の種を蒔いて心の休息にあてる。定年退職後平日も日曜も関係ないと思っていたがさに非ずであった。周囲の環境がや以前の様にはり「平日と日曜日」なのである。通勤通学の家族に囲まれ日曜はやっぱり日曜日であり続けている。:『一番線』(2014年6月)所収。

道聞かれやすき顔とやうららかに 岩田由美

2017年03月18日 | 俳句
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岩田由美
道聞かれやすき顔とやうららかに
歩いていると道を聞かれた。今日三回目である。お天気もよくうららかな春日和。こんなに人が歩いているのに何故か私だけが聞かれている気がする。道を聞かれ易い顔でもしていたのだろうか。いつもお人好しとは言われてはいるが。春は進学や就職のシーズンで新しい場所へ向かう人が大勢街に溢れる。でもね私ならスマホで万事解決だもんね。:俳誌「はるもにあ」(2016年5月号)所収。