やんまの気まぐれ・一句拝借!

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サングラス外す姿も裕次郎:上田秋霜

2021年07月31日 | 俳句
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サングラス外す姿も裕次郎:上田秋霜
ある年代のヒーローに石原裕次郎があった。庶民の生活には度肝を抜く活劇スターの出現に裕次郎ブームが巻き起こった。ちょっと斜すっぱな歩き方を真似る者や夜でもサングラスを掛ける者もいた。何をやっても絵になる裕次郎。我もかくありたいと言う夢と願望が若者にサングラスを掛けさせる。外す姿も裕次郎気取りである。<憧れは裕次郎歩き大夕焼:やの字>:朝日新聞『朝日俳壇』(2021年7月25日)所載。
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老人の体内時計明易し:冨田裕明

2021年07月30日 | 俳句
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老人の体内時計明易し:冨田裕明
年を重ねると時間の感覚がだんだんずれてくる。朝は暗いうちに目が覚め昼寝たっぷりで夜は中々寝付けない。そんな体内時計によって今日も早朝のお目覚めとなった。手帳を見てもたいしたスケジュールが有るわけで無く大安か仏滅を気にするくらいである。ラジオ体操まではまだ少し間がある。<検診の予定確認明易し:やの字>:朝日新聞『朝日俳壇』(2021年7月25日)所載。
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わが儘な命と暮す暑さかな:小川弘

2021年07月29日 | 俳句
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わが儘な命と暮す暑さかな:小川弘
暑いと言っては寒さを懐かしみ寒いと言っては暑さに焦がれる。誠に我が儘な命である。こんな自分の肉体を携えてこの齢まで生き長らえた。我が家の場合手動かき氷機の登場となる。これは急速冷却にはもってこいである。それにしても人災でもあろう地球の温暖化恨むべし。とは言え暑さ寒さも彼岸まで、もう少しの辛抱である。<堪えがたき暑さを堪えて虫の息:やの字>:朝日新聞『朝日俳壇』(2021年7月25日)所載。
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飛ぶ鳥の腋平らなり朝曇:櫛原希伊子

2021年07月28日 | 俳句
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飛ぶ鳥の腋平らなり朝曇:櫛原希伊子
今日様の窓を開けると鳥が飛んでいる。翼をいっぱいに広げて飛んでいるので腋がぴんと平らに張られている。折しもの朝曇り、さして眩しくも無い空の色がしっくりと目に馴染む。来し方も平凡、行く末もそうありたいなどとふと思う。ワタシも随分遠くまで飛んできたものだが、思い残す事もさしてないなあ。などと清々しい気分で空を眺めている。今日も斯く安らかな命の一時を得て、お茶がことさら美味しい。他に<目にふれるものことごとく旱石><宇や宙や土用入りなる作法あり><のどぶえの湿りほどほど天の川>など。<憧れは裕次郎歩き大夕焼:やの字>:俳誌「百鳥」(2014年10月号)所載。
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聖堂のステンドグラス西日落つ:多田羅初美

2021年07月27日 | 俳句
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聖堂のステンドグラス西日落つ:多田羅初美
広い聖堂の中なので少しは涼しいかと思いきやこれが中々の暑さであった。ステンドグラスを通して西日が落ちてゆく。この後黄昏の道を一番星を見ながら帰れば涼しい宵闇の風が吹くだろう。今日も人と話し言の葉で人を傷付けてしまった。原罪を負う人間に自分の余罪を重ねれば眠れぬ夜も待っている。懺悔する胸中が暑い。<けふ一日何も釣れずや西日落つ:やの字>:朝日新聞『朝日俳壇』(2021年7月25日)所載。
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甚平や性懲りもなく人の世話:山本蓬郎

2021年07月26日 | 俳句
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甚平や性懲りもなく人の世話:山本蓬郎
ちょいと顔を見せた者からの頼まれ事である。よせば良いのに性懲りもなく相談にのってしまう。この昭和は甚平世代の男らは人に立てられるのに誠に弱い。「頼れるのは俺にはフーさんだけになっちゃった」なんぞ言われたら例え借金をしても頼み事を引き受けてしまう。正し金は貸さない。後でこじれたら大切なこれまでの人間関係を壊してしまうからだ。相手が借りたつもりでもこちらは差し上げたつもりで忘却するに限る。<甚平や終の住処に隠れ住む:やの字>:角川書店『合本・俳句歳時記』(1990年12月15日)所載。
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淋しさは船一つ居る土用波:原石鼎

2021年07月25日 | 俳句
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淋しさは船一つ居る土用波:原石鼎
人は理由も分らずに淋しくなる。眼前に浮かんでいる一艘の船。それだけで淋しいのだ。荒らしい土用の波がその船を打ち続けている。我が身を船に置けば我が身が淋しい。寄せては返す無情の波に何時までも揺られ揺られている。静かに時が流れている。<だらしなき身を携える土用かな:やの字>:角川書店『合本・俳句歳時記』(1990年12月15日)所載。
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噴水のねぢれ昇りてひらき落つ:奥坂まや

2021年07月24日 | 俳句
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噴水のねぢれ昇りてひらき落つ:奥坂まや
町の中心に噴水がある。火照った身を慰めようと暫し佇む。水はねぢれて昇り空に開いて舞い散ってゆく。こんな踊るが如き様相はまるで生き物のようである。本来水は空の雲となり山を走って海を巡る。そうした折々に人の心と長く付き合ってきた。見た目には涼しい噴水も吹き出す汗は止められない。あは盛夏。<噴水の飛沫を浴びて立ち去らず:やの字>:俳誌『角川』(2021年8月号)所載。
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炎天に怒りおさへてまた老うも:大野林火

2021年07月23日 | 俳句
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炎天に怒りおさへてまた老うも:大野林火
列島全域梅雨が明けたと思ったらこの炎天。心なしか年々暑さが厳しくなる気がする。老いのせいだろうか。それにしても何て暑いんだと怒り心頭である。ことわざに「一笑一若一怒一老」とあるが怒る度に老いを感じる年齢になった。こんな時はソーダー水でも飲んで母の笑顔でも思い出そう。<炎天を来て湧き水に顔浸す:やの字>:角川書店『合本・俳句歳時記』(1990年12月15日)所載。
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蟻地獄寂莫として飢ゑにけり:富安風生

2021年07月22日 | 俳句
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蟻地獄寂莫として飢ゑにけり:富安風生
待っている。生きるが為に餌を戴かねばならぬ。蟻などの昆虫が罠と仕掛けたこの砂穴に落ちてくるのを待っている。不器用な自分がどう生計を立てるのか。なすすべも無く貧乏を貫いてきた。幸運を待っていたが何も奇跡は起こらなかった。ま、これもまた安穏と言う幸せの形ではあろうか。待つ身は長しまして飢えを凌ぐ餌待ちならばなおさら長かろう。<蟻地獄流るる雲を見て過ごす:やの字>:角川書店『合本・俳句歳時記』(1990年12月15日)所載。
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寝る場所は四の五の言はず三尺寝:佐武次郎

2021年07月21日 | 俳句
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寝る場所は四の五の言はず三尺寝:佐武次郎
暑さに疲れたのか無性に眠くなった。寝る場所など構っていられずちょっとした場所にゴロンとなってグーである。この三尺寝という熟睡の気持ちよさ。ほんのちょっとの短い時間が疲れを芯から癒やしてくれる。あとは少しだけ涼しい風が欲しいものだ。<久々に夢見ぬ眠り三尺寝:やの字>:朝日新聞『朝日俳壇』(2021年7月18日)所載。
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顔ぢゆうの汗遅れしを詫びてをり:福塚市子

2021年07月20日 | 俳句
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顔ぢゆうの汗遅れしを詫びてをり:福塚市子
一人が会合に遅れて来た。顔中が汗で濡れている。よほど急いで来たのだろう。そんな顔で詫びられたら返ってこちらも恐縮してしまう。がそんな微妙な雰囲気も労いの言葉のユーモアに爆笑して終わり。一気に旧知の雰囲気が取り戻され何事も無かったように場が進む。さてこのコロナ禍でどんな会合があるのだろう。我が同窓会は中止となった。その代わり趣味仲間のモニター句会が発足した。我、遅れまいぞ。<ハンカチの代わりにタオル汗拭きぬ:やの字>:朝日新聞『朝日俳壇』(2021年7月18日)所載。
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この路地に友ありしこと蚊遣香:野畑明子

2021年07月19日 | 俳句
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この路地に友ありしこと蚊遣香:野畑明子
長き路地暮らしであった。思えば幼友達はみんなここを出て行った。取り残された自分が今もここに安穏と暮らしている。ここが都会だと言う思い込みがあったが孫達にとっては爺婆が居る田舎となった。そんな路地裏にはかく家毎に鉢植えが飾られている。朝顔、鬼灯、風船蔓、金魚鉢。黄昏れて線香花火に子の顔が集まった。彼の友はもう居ない。<猫が寝る場所心地良き蚊遣香:やの字>:朝日新聞『朝日俳壇』(2021年7月18日)所載。
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荒梅雨を押しやり爛々たる入日:佐野美智

2021年07月18日 | 俳句
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荒梅雨を押しやり爛々たる入日:佐野美智
今年も梅雨がやって来た。例年起こる各地の豪雨災害の報も激しさを増してきた。ましてやコロナ禍の世の中であり鬱陶しさは格別である。そんな中梅雨の晴間があってこの夕陽となった。空の水蒸気の為か爛爛たる存在感に映えている。何故か人々の胸を熱くする血の色である。斯くして長い列島の西から東へ順次梅雨が明けて行く。<静かなる雨を楽しむ蝸牛:やの字>:角川書店『合本・俳句歳時記』(1990年12月15日)所載。
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年毎ごとに縮む身の丈夕端居:角田悦子

2021年07月17日 | 俳句
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年毎ごとに縮む身の丈夕端居:角田悦子
ふとした事で自分の身の丈が縮んだなあと感じた。そう言えばこの思い年毎に想って来た事だ。一つづつ歳を取り老いを深めて行く。そんな中熱さ寒さにも堪ええ性が無かなって来た。昼の暑さには直ぐクーラーのお世話になる。感覚の衰えか家族からは冷やし過ぎたと叱られる。そんなこんなの一日も夕刻には風が涼しくなる。空調を止め自然の風を身に当ててほっとする。老いの実感である。心身共にと言うが何故か心の老いの方は少し遅れて来る様だ。<空調を止めて窓開け夕端居:やの字>:読売新聞『読売俳壇』(2021年7月13日)所載。
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