やんまの気まぐれ・一句拝借!

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何事もほどほどが良し冬夕焼 太田絵津子

2019年01月31日 | 俳句
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太田絵津子
何事もほどほどが良し冬夕焼

他に<流さるるままに喜寿なり年の暮>があって小生と同年代の方と知る。時代背景は戦中戦後を駆け抜けた年代である。夢あり挫折在り様々なドラマを生きて来た今の実感が「ほどほどが良し」である。過酷も嫌暇過ぎるのも嫌。思えばほどほどに平凡な境地を求めた続けた人生だったか。静かな平穏な暮しをしたい。食は腹八分目の日々にそんな念願が少しは叶った気がしている。血の様に赤い冬の夕焼けが燃えている。:俳誌『百鳥』(2018年3月号)所載。
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朝やけも夕やけも映る障子かな 原石鼎

2019年01月30日 | 俳句
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原石鼎
朝やけも夕やけも映る障子かな
広々とした庭に面している座敷。その障子には朝焼けも夕焼けも映る。南面に面した山水の庭の借景には奥山の景を戴いている。太陽は今日も東に上り朝焼け色をなし西に没すれば夕焼けの色を為す。希望の朝焼けと滅亡を躊躇う夕焼けを日々に実感してこの家に暮らす。さて同様の障子ではあるが起きて半畳寝て一畳の我が家には希望の光など思いもよらないのだが。:角川「新版・俳句歳時記」(1990年12月15日版)所載。
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野を焼くやぽつんぽつんと雨至る 村上鬼城

2019年01月29日 | 俳句
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村上鬼城
野を焼くやぽつんぽつんと雨至る
野焼きの季節がやってきた。私の経験では渡良瀬遊水地とか霞が浦湖畔のものが印象深い。これは草の芽がよく出るように早春に野の枯れ草を焼く訳であるがこれが済むと野は若草色に染まり春色の一色になってゆく。関係者も見物人も燃え盛る炎を前に何故か高揚した気持ちになって立ち尽くす。そんな人々の上にぽつんと雨粒が当たった。彼方から雨の煙が迫って野焼きも終盤を迎えることになる。:山本健吉「定本・現代俳句」(2000年4月10日)所載。
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朝市や泥付き葱を凍土より 田井中椎太

2019年01月28日 | 俳句
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田井中椎太
朝市や泥付き葱を凍土より
農家直売の朝市が開かれている。冬野菜の王者「葱」に目がゆく。採れたての泥付きである。凍てついた畑から採ったのだろう新鮮感にあふれている。そんな実直な農家のおばちゃんが人懐かしい声で話しかけて来る。値引きはしねーずら、だがよ旦那は男前だから一本サービスで増やしてやんべえ。と新聞紙に包まれてしまえばこっちも後へ引けなくなる。少々長引く叔母ちゃんとの会話もサービスの内だろう。:俳誌「はるもにあ」(2018年3月号)所載。
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笹鳴や痩せし日射を膝の上 岸田稚魚

2019年01月27日 | 俳句
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岸田稚魚
笹鳴や痩せし日射を膝の上
藪に鳥の影がちらちら見える。チャッチャッと聞こえて鶯の笹鳴きと気が付く。本格的春のホーホケキョウの喉慣らしである。縁側で日を浴びて茶を喫していたが春の訪れが近い事を知らされる。痩せた日射しはまだまだ寒いが心の芯がほっこりと温かくなって来た。冬来たりなば春遠からじ。万人に平等に春は訪れる。:俳誌「角川・俳句」(2019年1月号)所載。
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しかたなく冷たい孫の手背に入れる 塚原賢治

2019年01月26日 | 俳句
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塚原賢治
しかたなく冷たい孫の手背に入れる
この冬は例年になく乾燥が続いている。乾燥は皮膚に大敵である。何故か痒いところに手は届かない。ちょいと呼びつけて孫に背中を掻いてもらいたいのだが生憎そんな孫は身の回りにいない。しかたなく竹製の孫の手の世話になる。自分が子供の頃はお小遣い目当てで背中を掻いたり肩を揉んだりしたものだ。少子化の時代孫に恵まれぬ爺婆が増えている。孫の手が冷たいのは心が寒いからかも知れぬ。:読売新聞「読売俳壇」(2019年1月21日)所載。
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円陣を組めりワセダのラガーシャツ 山本あかね

2019年01月25日 | 俳句
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山本あかね
円陣を組めりワセダのラガーシャツ

冬のスポーツの花形の一つにラグビーがある。今伝統の早明戦の開始寸前。早稲田の先発メンバーが円陣を組んだ。勝たねばならぬ。どうしても勝たねばならぬ。選手の一人一人が胸に誓う。思えば全国から早稲田に憧れて集まった面々のまたその代表選手である。補欠やボール拾いを含めた何百人の中のたった15人である。グランドに立つことの無かった多くの無念の青春の犠牲の上に彼らは今日あるのだ。さはされど敵もまたおなし状況にある。青春どうしが激突しやがて決着する。ラグビーの試合終了はノーサイド(ここで敵味方無し)と言う。勝とうが負けようが青春は輝いている。:山本あかね句集「緋の目高」(2018年11月27日)所載。
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久女忌の焚火に残る傘の骨 中島登美子

2019年01月24日 | 俳句
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中島登美子
久女忌の焚火に残る傘の骨
焚火の炎が勢いよく立ち上がる。めらめらと燃えている傘ではあったがその骨だけが焼けずに残骸を晒している。ふと久女の顔が浮かぶ。一生を燃えて過ごすなんて何と素敵な事であろうか。浮世の世渡りに身を費やしている我が身が情けない。限られた命の時間を心に任せて生きてみたいものだ。骨になるまで燃えてみたい。情熱的俳句の杉田久女の没年は1946年1月21日であった。:雄山閣『新版・俳句歳時記』(2012年6月30日)所載。
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春を待つ音符のやうなかいつぶり 山尾郁代

2019年01月23日 | 俳句
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山尾郁代
春を待つ音符のやうなかいつぶり
秋から冬に数羽から数十羽の群れを為していたかいつぶり。近頃羽ばたきが多くなって春の訪れを待っているかの様だ。潜っては浮かび浮かんでは潜る様子は音符が浮かんでは消え消えては浮かぶ様に似ている。見ている人間の心が永い冬を終えて春を待つ心となっているからそれがかいつぶりに投影されている。はるよ来い!早く来い!歩き始めたミーちゃんが~♪。:彩図社『名俳句一〇〇〇選』(2002年2月1日)所載。
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駅弁の箱うつくしき春隣 小林松風

2019年01月22日 | 俳句
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小林松風
駅弁の箱うつくしき春隣
2月3日の節分が近付いてきた。心に疼く旅心を抑えきれずに旅に出る。乗り継ぐ駅で駅弁を調達。これも旅の楽しみ、正に醍醐味である。選んだ駅弁はその箱が気に入って選んだ。ゆつくりと噛みしめ味わい車窓の眺めを満喫する。田畑や山並みにぐんと緑が増している。ぽっかり浮かぶ空の雲は春を先取りしている。青春切符は年齢に関係なく買えると聞く。いざ吾輩も。:雄山閣「新版・俳句歳時記」(2012年6月30日版)所載。
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薬飲む寒九の水をたつぷりと 鬼久保明子

2019年01月21日 | 俳句
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鬼久保明子
薬飲む寒九の水をたつぷりと

小寒から九日目の厳寒の寒九である。日々の薬も数が増え水をたつぷりと飲まねば飲み干せぬ。喉をこくこくと鳴らしながらようようにして飲み干した。一病息災とは言うがこうして命ある事にまずは感謝である。後幾年元気でいられるであろう。健康で友達に恵まれて小銭を少々使える幸せ。寿命は神のみぞ知る事なればこの事は考えぬ。:俳誌『百鳥』(2018年4月号)所載。
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くらがりに歳月を負う冬帽子 石原八束

2019年01月20日 | 俳句
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石原八束
くらがりに歳月を負う冬帽子
帽子を被って暗がりを散策する。ふいに生きて来た歳月の重さがずしりと負い被さる。歳月は人様々の様相に流れてゆく。負うものも病苦だったり戦禍の苦さだったり時にキリストの原罪だったりする。思えば無力な私は縋りくる誰一人助けられなかった。冬帽子が忸怩たる思いに歯ぎしりをしている。家康の遺訓に人の一生は重き荷を背負いて遠き道を行くがごとし とある。ひとは夫々に暗がりや重たい荷物を負っている。:角川「新版・俳句歳時記」(1990年12月15日版)所載。
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毛糸帽さて前後なし左右なし 藤田湘子

2019年01月18日 | 俳句
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藤田湘子
毛糸帽さて前後なし左右なし
寒い日である。ちょっと外出の段となり帽子を手にする。毛糸の帽子である。あれどっちが前で後ろかな。左がどっちで右はどっちかな。妙な事に作者は感心している。それはさておき小生などは帽子の中身の脳みそがそんな状態である。時間の前後感覚、空間の左右感覚が消失されつつある。口論のきっかけは相手の言葉だったか小生の失言だったか。山手線の駅の順番はどうだったか。この忘却という悲しい現実に茫然とする。えーと朝飯は済んだのかまだだったかな?:講談社「日本の四季・旬の一句」(2002年2月5日)所載。
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短日や子の歳の人とジルバかな 同前悠久子

2019年01月17日 | 俳句
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同前悠久子
短日や子の歳の人とジルバかな

昼の時間が短い季節を過ごしている。今日はイベントのダンス会。踊る相手は子の歳とおなしくらいの男性、流れているのはジルバである。心も若返って上機嫌のステップである。衣装も若作りで正解だった。ダンスのお陰げで腰痛も膝の痛みにも縁がない。健康で人生を楽しむって最高!。たった一度の人生だもの踊らにや損々。日は短い。:俳誌「ににん」(2018年冬号)所載。
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影も無く飛んで紫冬の蝶 深見けん二

2019年01月16日 | 俳句
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深見けん二
影も無く飛んで紫冬の蝶
透明な空気の中を紫色の蝶が飛んでいる。小さな命ゆえなのか影も無い。現役を退いてこの方歩く事が日課となってるが蝶は春夏秋冬飛んでいる事に気が付いた。春の爛漫の蝶こそ旬であるが夏の盛りにも逞しく飛び回り秋には秋の蝶が優雅に舞っている。冬の蝶には命の儚さを思いその哀れに感傷したりする。数少ない冬の花巡りの蝶々に一期の幸よあれ。:俳誌「角川・俳句」(2019年1月号)所載。
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