やんまの気まぐれ・つぶやっ句 「一句拝借!」

談話は、俳句喫茶店・つぶやく堂へお越しください。

ハロウィンや南瓜の悪魔口ひらき 中村里子

2016年10月31日 | 俳句
87
中村里子
ハロウィンや南瓜の悪魔口ひらき
私の町内会では子供会の子供が老人会の老人宅を廻るハロウイン行事があった。楽しい事には何でも飛びつくのはバレンタインデー同様日本人の良き習性だと思う。その時は親たちも様々な仮想をして幼児やお爺ちゃんお婆ちゃん共々に楽しませてくれた。こんな楽しみも数年前に小学生が5人未満となって子供会自体が解散して消えてしまった。各戸各戸に南瓜が飾られる習慣は残ったが子供の顏を見る事は無くなった。10月31日前後の日曜日が心なしか淋しい。俳誌「百鳥」(2016年2月号)所載。:やんま記
コメント

途中下車してしばらくは霧でいる ぽぽな

2016年10月30日 | 俳句
86
月野ぽぽな
途中下車してしばらくは霧でいる
旅の途中でふいと途中下車した。その町は霧に閉ざされていた。自分とは一体何者?と自分探しの旅の中。花在れば花に喜ぶ自分有り、友あれば友に泪する自分あり。花鳥諷詠のどれにも感動している。今日の自分はどんな顏をするのだろうか。人生はよく旅に例えられる。旅は枯野を駆け巡り、果てしなき夢を見ては疲れて果てる。実在の肉体が霧の中を漂っている。俳句誌「角川・俳句」(2015年11月号)所載。:やんま記
コメント

十年に及ぶカルテや草の花 山本あかね

2016年10月29日 | 俳句
85
山本あかね
十年に及ぶカルテや草の花
草の花が目を引く心地よい気候となった。高年齢化時代、生き残ったる人の誰もが持病の一つや二つは抱えていようというもの。患者が多い分診察までの待ち時間も多くなる。病院の待合室では病院で馴染みになった友達が病気自慢に余念がない。やっと順番が来ると十年来の担当医がにこにこと迎える。十年に及ぶカルテを見なくても主治医は万事心得ている。何を訴えても「まあお歳ですから」とあしらわれるのがオチである。一病息災これまた結構。山本あかね『大手門』(2007):やんま記
コメント

ラグビーのキックつま先空を指す

2016年10月28日 | 俳句
84
松山ひろし
ラグビーのキックつま先空を指す

冬のスポーツシーズン到来。花形の一つにラグビーがある。学生ラガーが燃え社会人ラガーが燃焼する。局面はここ一番のキックに掛かってきた。キッカーが祈るがごとく集中し渾身の力で蹴り上げた。今そのつま先が空を指し一瞬時が止まる。おお!、、、ラグビーの試合終了をノーサイド(敵味方なし)と言う。青春は美しい。今年また往年の花形選手が逝った。俳誌「はるもにあ」(2016年1月号)所載。:やんま記
コメント (1)

葡萄食べをはれば静かなる家族 柘植史子

2016年10月27日 | 俳句
83
柘植史子
葡萄食べをはれば静かなる家族

家族の団欒がある。妻と夫と子に孫とでこの家の家族である。同居者と訪問者かも知れぬ。誰の土産であろうか葡萄が皿に盛られている。それぞれに手を出しそれぞれの顔を見ては話が弾む。やがて葡萄が食べ終わると、話す事もあらかた話尽されて一同押し黙ることになる。ふっと静かで安らかな瞬間である。角川「俳句」(2014年11月号)所載。:やんま記
コメント

独学や拭き消す窓の天の川 寺山修二

2016年10月26日 | 俳句
82
寺山修二
独学や拭き消す窓の天の川
師や学問所に教えを乞うのでは無く独習している。深夜疲れて窓を開ければ煌々たる天の川が横たわっている。宇宙と言う真実の大海を前にちっぽけな自己を思い知ってしまう。左に非ずと頭を振って妄念を拭き消す。「少年老い易く学成り難し・一寸の光陰軽んずべからず・いまだ覚めず池塘春草の夢・階前の梧葉すでに秋風」かとて独り学べば学はなはだ成り難しとも心得る。:彩図社「名俳句一〇〇〇」(2002)所載。:やんま記
コメント

読むことのなき書も買いて夜長かな 三橋達郎

2016年10月25日 | 俳句
81
三橋達郎
読むことのなき書も買いて夜長かな
日が短くなって明けるのが遅く、暮れるのが早くなった。その分夜が長くなって、その時間の過ごし方が問題となる。対策として本を買い込む事になる。今は目的の書物はネットで直ぐ買えるが、古本屋さんで手に取って物色するのも一興である。不思議なことにその場ではあれもこれもと複数冊を求めてしまい卓上に積んだままの場合が多々ある。さあて村上春樹と三島由紀夫をいつ読もうか、バイブルもまだ開いていないなあ。読売新聞「読売俳壇」(2016年10月24日)所載。:やんま記
コメント

鯊(はぜ)船の昼に天ぷら揚げる音 小林敏和

2016年10月24日 | 俳句
80
小林敏和
鯊(はぜ)船の昼に天ぷら揚げる音

今頃は鯊を釣らせる乗り合い船が毎日の様に出ている。昔小生も行徳とか近辺の陸釣にはよく出掛けた。ある時何かの縁で友人に誘われ「ハゼ釣り大会」なるものに参加するはめになった。何とびっくり江戸前鯊釣りの名人クラスの連中に囲まれてしまったのだ。右も左も入れ食い状態の中不思議な事に小生だけには掛からない。腕の差の歴然たるに身の細る思いであった。釣れ頭が一千何百匹のところ当方が五、六匹だったという嘘のような本当の話。船頭が大鍋で勢いよく揚げる鯊の天ぷらの味がどうであったかは全く記憶に無い。波は静か空には鱗雲、命の洗濯だけは出来た。読売新聞「読売俳壇」(2016年10月17日)所載。:やんま記
コメント

菊供養ばかりともなき人出かな 池田笑子

2016年10月23日 | 俳句
79
池田笑子
菊供養ばかりともなき人出かな
10月18日、東京浅草観音堂で菊の花が供養される。旧暦9月9日重陽の節句を現代に引き継いだもの。新しい菊を供えすでに供えられた菊を戴いてくる。この交換した菊は陰干しした後、枕の下に敷いて寝ることでご利益があるとされる。境内では「金龍の舞」の奉演が行われる。平日でも地方からの参拝者が「偶然お祭りの日だった運が良い」と驚くほどの人出がここにはある。今日の人出も菊供養にやって来た参拝者ばかりとは限らないのであった。雄山閣「新版・俳句歳時記」(2001)所載。:やんま記
コメント

コスモスを見てゐて風になりにけり 福本五都美

2016年10月22日 | 俳句
78
福本五都美
コスモスを見てゐて風になりにけり
広大な平野をコスモスが咲き競っている。思わずも引付けられて見とれてしまう。と、爽やかな風がさっと吹き渡った。ああこんな風になって何処までも飛んで行きたいなあと嘆息する。佇み続ければいつしか風になっている吾身がそこにある。綿のような雲と一緒にどこまでも軽やかに流れる肉体。現実に戻れば己が重力には抗し難し、かな。雄山閣「新版・俳句歳時記」(2001)所載。:やんま記
コメント

笑茸食ひし笑いぞ医師の前 白岩三郎

2016年10月21日 | 俳句
77
白岩三郎
笑茸食ひし笑いぞ医師の前
たぶん引きつって痙攣して苦しんでいるのだろう。美味には目が無いが河豚や茸の中毒経験も無い。どんな症状か本当の所分からない。胃を洗浄したところで血液中に浸透したのであれば手遅れと言うこともある。小生頑固おやじと言われめったに笑顔なんぞは見せないが、もしも楽しく笑えるのだったら一度試してみるか?いやいや流石に恐いもの見たさの域を超えている。雄山閣「新版・俳句歳時記」(2001)所載。:やんま記
コメント

秋夜長好物は皆控へめに 平田海苔子

2016年10月20日 | 俳句
76
平田海苔子
秋夜長好物は皆控へめに
秋の夜は長い。読書に手芸にたっぷりと時間が取れる。だんだん口が淋しくなって茶とか菓子とか夜食に手を出す。自分を誤魔化して少量ですんでいる内はいいが、これが好物となればそうは行かない。ついつい多めに摂取しまたドクターにご注意を受けるはめとなる。体重管理は気にはするけど本能が相手だからなあ、わかっちゃいるけど。ネット「つぶやく堂俳句喫茶店」(2016・10・16)所載。:やんま記
コメント

大花野亡き父と行く風と行く 関澄ちとせ

2016年10月19日 | 俳句
75
関澄ちとせ
大花野亡き父と行く風と行く

秋の野は花に満ちてまるで万華鏡。思えば様々な人と花野を歩いたものである。今日秋の晴天を歩けば父の思い出が沸々と湧いてくる。ある時は叱りある時は呵々大笑しているあの顔この顏が入れ替わり浮かんでくる。そんな思い出を抱いて歩く大花野には爽やかな風が惜しげもなく吹き渡っている。雄山閣「新版・俳句歳時記」(2001)所載。:やんま記
コメント

紅葉酒櫂引く人の力瘤 白馬

2016年10月18日 | 俳句
74
白馬
紅葉酒櫂引く人の力瘤

紅葉を愛でながらの酒、しかも清流に掉さす舟の上である。水あくまでも青くあちこちで魚が跳ねている。時折色鮮やかな鳥影あり、ヤマセミだろうか。時に急流に差し掛かり櫂引く人の腕に力が入る。浮かぶ木の葉の色も鮮やかに、今極楽の境地に浮遊する心地である。夢ならば覚めてくれるな。ネット「つぶやく堂俳句喫茶店」(2016・10・16)所載。:やんま記
コメント

笠にとんぼをとまらせてあるく 山頭火

2016年10月17日 | 俳句
73
種田山頭火
笠にとんぼをとまらせてあるく
男のロマンではないが自分も山頭火になってみたいと思う事がある。会社や家庭での人間関係に難渋した時は特にそういう気持ちになる。でも成れない。山頭火は勇気があるなあと感嘆して終わる。しかし笠は被らないが帽子くらいは日常に被っている。風の中に赤とんぼが湧き出でた。グランドゴルフ仲間の帽子にとんぼが留っている。生きているから歩くのだ。今日もぶつぶつ言いながら。彩図社「名俳句一〇〇」(2002年)所載。:やんま記
コメント