山代中ブログ~伊万里市立山代中学校~

学校の日常の様子や山代の行事・歴史や自然等について、いろいろな記事を掲載しています。

PTAの歴史②(伊万里市史/教育・人物編より)

2010年05月04日 18時26分29秒 | 学校全体

 このようにして組織されたPTAの進展を現在まで振り返ると、時代的に次の3つに分けることができる。1つは、昭和20年代(1945~)の学校現場の環境整備に全力を傾けた時代。2つは昭和30年代(1955~)から昭和50年代(1975~)前半にかけての教育界の思想的、政治的対立の調整に勢力を奪われた時代。3つは昭和50年代(1975~)後半から現在までのPTA本来の姿を求めて研修と実践を深めた時代、となる。

 PTAの本来の活動内容を具体的に挙げると、①保護者の成人教育、②児童・生徒の福祉、③教育環境の整備となっている。昭和20年代(1945~)には戦後の混乱の中で、地方財政は極度に貧弱であった。新制中学校の建設をはじめ、老朽校舎の営繕や給食施設の整備、学校図書館の設置、ピアノの購入、産業教育施設の充実、視聴覚教材の整備、プール建設などではいずれもPTAの資金援助がものをいった。(続く)

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PTAの歴史①(伊万里市史/教育・人物編より)

2010年05月04日 04時25分34秒 | 学校全体

伊万里市のPTAの歴史について、断続的に連載いたします。出典は、伊万里市史(教育・人物編)です。

○PTA活動の展開

 昭和21年(1946年)3月に来日した第一次アメリカ教育使節団やGHQ民間情報教育局(CIE)は日本の教育のあらゆる面で改革を勧告した。それまで各学校ごとにあった保護者会、父兄会などは解散し、新しく民主的な組織「PTA(Parents and Teachers' Association=父母と教職員の協力団体)が誕生した。

 新憲法や教育基本法では、教師が児童生徒を教育するのは、保護者から共同して親権を委託されているためとされ、教師と保護者の協力・連携の場が最も大切であると考えられた。文部省も積極的にPTAの組織づくりを推進したのである。伊万里市域(当時は西松浦郡)でも昭和22年(1947年)には各小中学校ごとにPTAが組織されている。ただ、PTAという名称は戦後すぐにはなじみが薄く、多くは「育友会」と称して発足した。(続く)

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