現在では、これらの経費は公的支出が当然とされるものばかりである。
当時の学校は施設設備が十分ではなく、そのため保護者は子弟の教育を
少しでも良い条件のもとでと望んだのである。
つまりは、当時のPTA活動は「教育環境の整備」に重点が置かれ、
戦前に組織されていた後援団体の「保護者会」や「父兄会」と実情は
あまり変わらない状況であったとも言える。
昭和23年(1948年)3月には、郡内各小・中学校の単位PTAは、
大同団結して西松浦連合育友会を結成した。初代会長には
後に公選で佐賀県教育委員を務めた有浦三男が就任している。
この郡連合育友会は伊万里市が発足した昭和29年(1954年)以降も
「伊万里市・西松浦郡連合育友会」として合同の組織をつくり、
昭和35年(1960年)まで活動を続けた。(続く)