後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「曹洞宗の大本山、永平寺を訪ねる旅」

2024年07月17日 | 日記・エッセイ・コラム
兵庫県で祖父が住職をしていたお寺は曹洞宗でした。毎年夏になると仙台から一家5人で帰省し数日泊まったお寺です。曹洞宗のお寺の本山は福井県の永平寺です。そんなことを思い出したので15年位以前に私は妻を伴って永平寺を訪ねる旅に出たのです。
今日は曹洞宗の本山の永平寺をご紹介したいと思います。
曹洞宗の大本山は永平寺と神奈川県にある総持寺の2つです。それぞれ西日本と東日本を担当しています。
永平寺は1万5千の末寺を持ち信徒800万人です。曹洞宗のお寺の住職などが毎年100名以上の人が修行僧として入山してくる修行道場です。永平寺ではこの修行僧のことを雲水(うんすい)と呼びます。この雲水の修行の日課は次の通りです。 
3:30 振鈴(しんれい)~起床~
3:50 暁天坐禅(きょうてんざぜん)朝の坐禅
5:00 朝課(ちょうか)朝のお勤め
7:00 小食(しょうじき)(朝食)
8:30 作務・坐禅
11:00 日中諷経(にっちゅうふぎん)昼のお勤め
12:00 中食(昼食)
13:00 作務・坐禅
16:00 晩課(ばんか)晩のお勤め
17:00 薬石(夕食)
19:00 夜坐(やざ)夜の坐禅
21:00 開枕(かいちん)(就寝)
1番目の写真は永平寺の雲水たちです。
2番目の写真は雲水たちが雪の中を托鉢に出て行くところです。
さてここで永平寺の歴史を簡単に書いておきます。
永平寺は道元禅師が1244年に作りました。九頭竜川支流の永平寺川上流に作ったのです。他宗派の迫害があり京都には作れなかったのです。
創建以来の火災でたびたび焼失しましたがその度に再建されます。現存する多くは近世から近代にかけて建てられた建物です。
一般の拝観ルートにある建物は国の重要文化財に指定されています。それでは私どもが入った拝観ルートの建物をご紹介したします。今日の写真はすべてインターネットの写真をお借り致しました。
3番目の写真は永平寺の正面入り口の山門です。この奥の山の斜面に20棟以上の建物がある規模壮大なお寺なのです。
4番目の写真は入ってすぐ通される大広間です。写真は座禅体験コースの様子です。一般参拝の場合は座禅をしないで座って人々が満員になるまで待っています。満員になると人品卑しからぬ高僧が静かに出て来て広い寺の中の参拝コースを説明します。曹洞宗の宣伝めいた話は一切しません。感じの良い高僧でした。
5番目の写真は広い参拝コースの中で私が一番感動した階段です。仏殿に登って行く階段ですが広いうえに傾斜が絶妙で楽にのぼれます。大げさ言えば仏の慈悲が自然に感じられるような傾斜なのです。登高の緊張も少しまじる傾斜です。この階段の上に本尊を祀る1902年完成の仏殿があります。
永平寺は門や堂が回廊で結ばれた七堂伽藍から出来ています。
6番目の写真は永平寺の主要な建物の写真です。手前が入り口の山門で一番上が本尊を祀る1902年完成の仏殿です。仏殿の左右に仏殿に登って行く階段が写っています。
 
さてもう少し詳しい話をしましょう。比叡山を下りた道元は建保5年(1217年)に建仁寺へ入り、栄西の直弟子である明全に師事しました。その後道元は真の仏法を学ぶには中国(宋)で学ぶしかないと考えたのです。貞応2年(1223年)に宋に留学します。
道元は中國の景徳寺の如浄に入門します。如浄の禅風はひたすら坐禅に打ち込む「只管打坐(しかんたざ)」を強調したものでした。
道元は4年あまりの中国滞在を終えて帰国します。
日本へ戻った道元は初め建仁寺や興聖寺で説法と著述に励みます。しかし旧仏教勢力の比叡山からの激しい迫害に遭って京都にいられなくなったのです。
迫害を避け新たな道場を築くため道元は信徒の1人であった越前国(福井県)の武将、多野義重の援助で越前に行ったのです。寛元元年(1243年)のことでした。
道元は翌寛元2年(1244年)に傘松峰大佛寺を建立し、これが永平寺の開創であり寛元4年(1246年)にお寺の名前を吉祥山永平寺と改めたのです。
永平寺へは福井駅から「えちぜん鉄道」の電車に乗りました。 そして「 永平寺口駅」で下車しバスで「大本山永平寺前」まで行きました。
7番目の写真はバスの終点、「大本山永平寺前」にある門前町です。
 
蛇足ながら永平寺の仏殿や法堂など主要19棟は国の重要文化財(建造物)に指定されています。禅宗寺院の基本的な建物配置である七堂伽藍を残しています。建物は雄大な規模で壮麗な意匠です。山の自然と一体となって魅力的な所になっています。

曹洞宗の大本山の永平寺をご紹致しました。
 
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

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