後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

水辺の風景(7)本当に何も無い能取湖の雄大さ、人間の小ささ

2012年09月29日 | 日記・エッセイ・コラム

網走湖の北隣にあってオホーツク海へつながっている能取湖(ノトロ湖)は観光地ではありません。岸辺に立って沖を見やればただ広い海の水が静かな風波をたたえているだけです。

兎に角、うるさい観光地から逃れて、独り大自然の中に身を置くには丁度良い場所です。そして、しばし考え込ませる場所です。

人間の小ささや、人生の一瞬の輝きがあまりにも儚いという実感に身が震えます。

そして浩然たる気分になるのです。

その気分を大切に胸に抱いて女満別空港から帰って来ました。

4日にわたる道東の旅の締めくくるにふさわしい場所でした。

道東は自然の雄大さ、人間の小ささを無言で教えてくれるのです。そして神の力の偉大さも感じさせてくれます。

下に家内が撮った写真をお送りいたします。

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なおこのノトロ湖南岸の卯原内 地区はサンゴ草の群生地として有名なようなのでその写真を画像検索して下にご紹介致します。詳しくは、http://www.nacsj.or.jp/pn/houkoku/h01-08/h05-no04.html をご覧下さい。

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===参考資料(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%83%BD%E5%8F%96%E6%B9%96)======

能取湖(ノトロ湖):

北海道の東北部に位置し、オホーツク海に通じる海跡湖である。日本の湖沼では13番目の面積規模を有する。以前は海水流入部の湖口が季節的に開閉しており汽水湖であったが、1973年(昭和48年)に護岸工事が行われて湖口が固定され、現在は完全な海水の湖となっている。

南岸にはアッケシソウ(サンゴ草)の群生地があり、毎年9月頃になると一面が赤色で埋め尽くされる。なお卯原内地区にはかつて日本最大とされる群落があったが、環境改善のための工事に失敗し、生育数が激減している。

湖では主にホタテ、サケ、ホッカイエビやカレイ等が漁獲される。

東岸の能取港町(二見ヶ岡漁港)地区には能取工業団地が整備されており、団地北端にはオートキャンプ場「レークサイドパーク・のとろ」がある。4月中旬 - 10月中旬は同施設周辺から湖北端にかけてが潮干狩りができるよう開放されている


学校の運動会を大いに楽しむ人々、運動会が嫌いな人

2012年09月29日 | 日記・エッセイ・コラム

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今日は裏の小学校で運動会があります。5年生の男の双子の孫が出るので家内が張り切って朝から出かけています。兎に角、運動会が大好きで何日も前から楽しそうにしているのです。

私は運動会というものが嫌いです。しかし先程、上と下に示した写真を撮ってきました。このキーボードを打っていると楽しそうな歓声や応援の太鼓の音が聞こえています。

それは聞くと平和は良いなあ!としみじみ思います。なにせ私の小学校は戦中、戦後でしたのでこのように楽しげな雰囲気ではなかったのです。

しかし現在でも運動会が好きな子と嫌いな子がいる筈です。

嫌いな子にとっては「みじめな思い」をする季節です。

協調性が無いと非難されるので無理して楽しそうにしています。

生まれつき運動神経が鈍い子も居ます。団体で無理に運動をすることに内心反発している子も居るかもしれません。

そのような気持ちを自分で殺しながら運動会の練習をするのです。

国民学校だった私の運動会の思い出はそのようなものでした。走るのが遅くて何時もビリでした。その事で差別されたのです。ですから現在でも運動会は好きではありません。

その一方で老人になっても運動会が大好きな人々も沢山います。

家内のように朝からはしゃいで楽しそうに見に行く人が近所には沢山います。本当に人それぞれなのです。

プログラム内容も時代によって変わります。

戦争中の国民学校では走る速度は、突撃の場面と関連させて重要と教えられました。騎馬戦や棒倒しは文字通り敵を倒す速さの訓練でした。

それにボールの遠投は手榴弾を投げる訓練でした。そんな殺伐とした運動会の雰囲気なのでした。

最近の運動会は、全員が楽しめるお祭りのようにプログラムに作ってあります。その上、最近の校庭は青々と芝生が一面に植えてあります。

個人の運動能力の差が目立ないように配慮されています。徒競争は相変わらずありますが、遅い子と、早い子をクラスわけにし、遅い子にも一等のチャンスを与えています。

そんなことを見ながら今年も昔の私の小学校のことを懐かしんで来ました。仙台市の高台にある向山小学校です。現在も存続しています。

それはそれとして、あの猛暑も過ぎ去り、良い季節になりましたね。

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名言を批判する(1)温故知新

2012年09月29日 | 日記・エッセイ・コラム

私は昔、学校で数多くの名言を暗記させられました。意味の説明がなく兎に角、暗記させられたのです。戦前、戦後の学校とはそういう雰囲気だったのです。

しかし意味不明のまま暗記した言葉は意識の底に棲みついています。

最近、暇になったのでそれらを思い出して、いろいろ考えてみると、それらは案外に日本人共通のものとしてこの国の文化に大きな影響を与えていると思います。

それにもかかわらず、多くの名言や漢語熟語は意味がよく定義されていなく、誤った考えかたを与える危険性がある場合があると思います。それらの例を数回に分けて示しながら日本人の考え方の傾向を考察してみたいと思います。

今日は「温故知新」という漢字4文字の名言を考えてみます。この4文字はよく額に入れて校長室や講堂に掲げてあったものです。

「温故知新」

この言葉は論語にあり、孔子が、「昔の人の思想や学問をよく勉強すれば新しいことも知ることが出来る。そうすれば人の師となれるのです」と教えたことに由来します。

この4文字を訓読すれば、「子いわく、ふるきをたずねて、新らしきを知り、もって師となるべし」と読めるそうです。

この言葉の弱点は歴史的な研究だけを重視して、時代の変化を見落としていることです。昔の偉い人の思想や学説だけを大切にしなさいということでは創造性が否定されます。すなわちこの教えに忠実であると、新しい学説の提案も学問の進歩も無くなります。

東洋にガリレオやニュートンが生まれなかった原因の一つになったような気がします。

このような額を掲げている人は、自分は儒教が大好きで、孔子の教えだけを教条主義的に信じいますと宣言しているようでいけません。

誤解しないで下さい。私は孔子を傑出した指導者として尊敬しています。栃木県の足利学校や東京の湯島聖堂を訪れると孔子の偉さがしみじみと判ります。

だからこそ「温故知新」という言葉だけを有難がって振り回さないで貰いたいのです。

この欠点を指摘した中国の昔の「戦国策」という書もあるのです。その書には、「いにしえをもって今を制する者は、事の変にたっせず」とあるそうです。

過去を見つめる目、現在の的確な判断、そして未来への指針がなければ目的を達することが出来まいと教えているのです。(この部分は、リベラル社編「中国の名言集」44ページから引用しました)

温故知新の知新には新しい創造性も含めた意味があるという人もいますが、それは「ひいきのひきたおし」と言うものです。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。

後藤和弘(藤山杜人)