学校制度はその国の社会や経済に甚大な影響を与える基盤的な制度です。
明治維新後、政府はヨーロッパ式の学校制度を急いで導入し、その制度が昭和20年(1945年)の直後まで続きました。
しかし日本を占領したマッカーサー司令部は明治以来の学校制度を廃止して新しいアメリカ流の学校制度に変革する命令を下します。日本側は嫌も応うも無く昭和22年までに新制の中学校を発足させたのです。
それまでの学校制度は旧制の学校と言い、アメリカ流の制度を新制の学校と言いました。
私は中学校から新制中学校の二期生として入学しました、その後入学した高等学校と大学には旧制の時代の先生方が全てそのまま残っていたので旧制とあまり変わらない教育をうけました。従って、旧制と新制の違いを体験的に理解したのです。そのことは後にして、まず学校制度の違いを以下の図で示します。左が旧制で、右が新制です。
(出典:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:SchoolSystemJapan.jpg )
旧制の特徴は旧制高校から帝国大学へ続くエリート教育のコースと、工業学校、商業学校、師範学校、などと専門別の実務教育コースと分類されていました。
この考え方はヨーロッパの国々の戦前の教育制度だったのです。
一方、戦後のアメリカ流の制度ではエリート教育と大衆教育を一本化して単純に小学6・中学3・高校3・大学4年の制度にしまったのです。アメリカ社会ではエリートと大衆を子供の頃から差別することを悪と考えているのです。頭脳明晰で努力さえすれば大人になってから誰でもエリートになれるという考え方です。
さて日本ではこのアメリカ流の考え方が理解出来ず、表面的には新制の学校制度が出来上がりましが、学校差別は何時までも続くのです。
旧帝大、旧制中学校が新制の大学や高等学校になったものは現在でも社会的に上位の学校として入試が難しいのです。
さて、次に昭和時代に起きた教育界の大きな変化を考えて見ましょう。
まず戦後から共産主義の影響がつよい日教組が、「先生は聖職でなく単なる労働者」 という考えを広めたのです。
それに追い打ちをかけたのが昭和43年(1968年)、昭和44年(1969年)頃に全国で起きた学園紛争です。
生徒や学生が先生や教授をつるしあげて、徹底的に非難したのです。東大や日大では校内で暴力事件が続き、終いには機動隊との内戦のような光景が続いたのです。
それまでの日本社会では教職は聖職と言われ、先生は絶対的に尊敬されていたのです。
その先生をつるしあげて罵詈雑言を浴びせたのです。この時の先生側の対応が優柔不断で、その決断力の無さに社会人達が驚いたのです。
そんな事情もあってそれ以来、「教職は聖職だ」、という言い方が死語になってしまったのです。私は当時、ある大学の助教授をしていたので、学生の意識が急速に変化して行くのを身近に見ていたのです。
この学生の意識の変化は学校制度の変化よりも、その後の教育界へ甚大な影響を与えたと信じています。
さて最後に日本の教育とアメリカの教育の比較を申し上げて終りといたします。
日本の教育は可能な限り数多くの知識を教えるのです。アメリカの教育では与える知識は厳選して出来るだけ少なくします。そしてその数少ない知識を組み合わせて重要な問題を解く能力を訓練するのです。考える訓練を徹底的にするのです。
それは1962年にオハイオ州立大学に留学したときに身を持って体験しました。
そこでその大学の風景写真を上と下に示します。
結論です。日本の旧制と新制の学校制度のどちらが優れているかは判りません。日本の現在の教育とアメリカのどちらが優れているかと考えても優劣は判りません。しかし見かけの制度以上に教育の現場の雰囲気が非常に違う事だけを結論として申し上げたいとおもいます。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。
後藤和弘(藤山杜人)