昭和という時代はどんな時代だったかという問題に対する正解はありません。昭和時代を生きた人それぞれの経験から描きだしたら、千差万別な答えが出てきます。
ですから、「昭和という時代はどんな時代だったか」という問題設定は意味がありません。
しかし何故このような曖昧な問題を設定したのでしょうか?
それは時代によって人生観や生活がどのような影響を受けるのかを考えて頂きたかったからです。そして、ご自分の人生をもう一度考え直して見ては如何でしょうかと言いたかったのです。
昭和時代の日本は戦争に勝って、満州帝国を作り、武力でもってアジアの盟主になるという明確な国家目標を持っていたのです。
そして敗戦後は工業技術を欧米に追い付かせ、追い越させて経済の上で世界の上位に立とうという強い国家目標があったのです。
私の場合は戦後の国家目標を自分の人生に重ねて生活をしていたと思います。全国の大学の工学部を卒業した人の大部分はこの国家目標を意識しつつ人生を過ごしていたと信じています。文化系の経済学部や法学部などの卒業生も大会社に就職したり、官僚になって日本の経済成長に努力したのです。
それに毎年のように収入の増加した時代には日本人の多くが経済成長の重要性を信じて疑っていませんでした。
大雑把に言えば昭和時代の日本人は戦前も戦後も国家目標の協力する人生を送ったのです。言い方を変えれば国家が個人の人生を規定し、個人の生活へ干渉した時代ともいえます。このような時代は日本の長い歴史のなかにあったでしょうか?
このように書くと「いや私は芸術家だから国家目標など無縁の生活でした」という人がいます。
そして宗教家達は国家目標と無縁でしたと言うかもしれません。しかし例えば戦時中キリスト教のいろいろな宗派は統合されて大政翼賛会へ協力させられたのです。
芸術家も協力させられたのです。以前、このブログで、藤田嗣治と戦争画・・・彼はやはり軍国主義者だった という記事でご紹介した通りです。
しかし少数ながら国家目標に逆らって個人の尊厳を通した人もいました。
その一例が左の写真の竹中彰元 師です。(出典は、http://www1.ocn.ne.jp/~yosisi/newpage2.htm です。)
このブログの記事、あなたは宗教が戦争を起こすと思っていませんか?でもご紹介した方です。
昭和12年に日中戦争反対を公言して、敗戦までその主張を変えませんでした。
陸軍刑法の流言飛語罪で禁固4月の刑をうけましたが、仏の教えに従ってまでなので考えは変わらないと敗戦まで主張続けたのです。
詳しくは「竹中彰元」を検索すると沢山の資料が出てきます。
竹中彰元を破門した大谷派は70年後に破門が間違いだったとして竹中師の名誉回復をしたのです。
昭和という時代は強烈な国家目標が存在していた時代と言えます。
さてそれでは平成という時代はどのような時代でしょうか。
一言で言えば国家目標の無い時代なのです。個人、個人が国家に振り回されないで自由に自分の人生観を考え、生活をして行く時代に変わったのです。
昭和という時代に生きた高齢者はこの新しい時代に戸惑っています。
しかし若い人々にとってはそれが当然なのです。私は日本が幸せな時代になったのだと信じています。
高齢者は若者に明確な人生目標がないとか職業観がいい加減だとか非難しがちです。しかし時代が変われば人生観が変わるのが当然ではないでしょうか。高齢者は若者の人生観を理解し、温かく見守るほうが良いと思います。
これが「昭和という時代はどんな時代だったか」という問題に対する私の個人的な答えです。
下に挿絵代わりに昭和天皇御陵への参道の写真をお送りして、この連載記事を完了したいと存じます。
どうぞ皆様の個人的なお答えをお送り下さい。楽しみにしています。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。
後藤和弘(藤山杜人)