後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

ブログのアクセス数アップの秘訣は?

2009年05月09日 | うんちく・小ネタ

ブログを書いていると出来るだけ多くの人々に読んで貰いたいと思う。これが人情というものです。私は2007年11月にこのブログをはじめて約一年6ケ月になります。アクセス数を教えてくれる有料のサービスを申込毎日このブログのアクセス数を見ています。始めは50件位でしたが記事を沢山掲載し始めましたところ100件、200件と次第に伸びました。1年位まえから、毎日250件から350件でこの5月12日における過去一週間の平均で、毎日350件以上です。過去3け月の平均の毎日アクセス数は275以上という数字が続いています。

総アクセス数は10万件を超えました。アクセス数を増やすために4つほどのSNSへも入会しています。いくつものトラックバックもして検索エンジンに掛かるようにもしていす。しかしそれらはほとんど効果がありません。アクセス数は毎日平均350件くらいで止まっています。

私の得た結論は、「アクセス数増加のための秘訣は無い」ということです。秘訣が無いとなれば平静な気持で、はじめから守ってきた編集方針をより一層徹底することにしました。その編集方針を列挙します。

(1)文章を読まないで、写真だけご覧になる方々のために美しい写真をなるべく多く掲載する。

(2)写真の内容は山、湖、海、などの静かな風景写真を掲載する。趣味のヨットや山小屋の四季折々の風景写真も出す。見る人の心がなごむような内容にする。

(3)文章を読んでくれる人々の為には、取り上げる話題をなるべき広くする。色々な趣味の話だけでなく政治論、社会時評、マスコミ批判、外国事情、宗教を信じることの実態などを体験にもとずいて書く。

(4)読みやすくするために、一つの文章は短くきる。はじめの文章だけ読んで止める人のために結論的なことをはじめに書いて置く。あるいは題目だけで文章の内容が想像できるように題目のつけかたを工夫する。

(5)文章は建設的に書き、読者が明るい気分になるようにする。不愉快になるような書き方は絶対にしない。

(6)話題を広くするために他の優れたブログの写真や文章を転載する。もちろん著者の転載許可を貰う。

いかがでしょうか? 皆様のご意見を頂ければ嬉しく思います。

最後に、山と湖と海の風景写真と趣味のヨットの写真の4枚を掲載します。皆様のお気持ちがいやされるとことお祈り申し上げます。(終わり)

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「日本のマスコミが報道しない中国の事情」

2009年05月09日 | 日記・エッセイ・コラム

日本の文化は古来より中国から深い影響を受けて来た。積極的に宗教や文学、絵画を輸入して来た時代もあった。その中国人とつきあうとき忘れてはならないことがある。

中国5000年の歴史で、西洋人に侵略され植民地になったことは悲しい大事件である。その期間は清朝末期から1949年の共産国家成立までの約100年に及ぶ。植民地になった中国人の悲しみは我々の想像を絶する。そして日本も武力で台湾や満州を植民地としたのである。

1981年に北京の大学へ集中講義に行った際、親しくなったある教授から「1959年にソ連と中国が大喧嘩をした理由を知っていますか」と聞かれたことがある。「日本の新聞では、イデオロギー路線の論争でソ連が絶交して出て行ったことになっている」と私は答えた。

この教授は苦笑いして「イデオロギー論議なんて高尚な話ではない。ソ連の空軍と海軍が中国全土の空港と港湾を自由に使い、すべての軍事作戦の指揮権をソ連に与えよと要求したからである。簡単に言うと、中国全土がソ連の植民地になるということです」「それは知らなかった」「毛沢東は断固拒絶した。それでソ連は中国全土から引き揚げ、ほとんど絶交状態になりました。その時、無償供与した工業設備をネジ一本まで貨車に積んでシベリア鉄道で撤収したのです。私の大學でもすべての実験装置が持って行かれ、ガランとした建物だけが残ったのです」

当時、日本のマスコミはこのような具体的な事情を報道しなかったのです。

親しくなった中国人の教授の顔に静かな、そして深い怒りの表情が一瞬浮かびます。

昔、上海の英国租界の公園に「中国人と犬は入るべからず」という看板があったそうです。この看板を中国人は今でも忘れない。

明治政府は日清戦争で台湾を植民地にした。満州を侵略し、上海事変を起し、やがて日本は中国へ攻め込んだ。満州という植民地を完全に日本のものにした。

礼儀正しい中国人は決して日本人へ直接、台湾や満州のことは話題にしない。ニコニコ笑って別の話題にする。

1990年代に、靖国神社参拝が問題になったことがある。それを非難する中国に理由がある。その頃、中国全土の国家重点工業特区に、欧米や日本の企業が立派な工場をつくった。工業団地は周辺の貧しい農村とあまりにも違う。特区の恩恵にあずからない貧困農民には、工業特区がかつての外国租界や植民地と同じように見えたに違いない。

1990年代に河北省の工業団地へ何度か行ったが、日本の工場進出歓迎は尋常でない。しかし、街の映画館のポスターには日本軍閥粉砕の赤い字が大きく踊っていた。「あの映画はなんです?」「あ、あれは娯楽映画ですよ。現在の日中友好に関係ないです」と、特区の幹部は軽く答える。

あれ以来10年以上になる。中国の経済発展は想像以上に躍進し、今や世界の経済へ大きな影響をおよぼしている。最近の日本人は中国との経済交流のみに興味があるようだ。しかし我々日本人は日清戦争以来、中国人へ与えた悲しみの深さを忘れるべきではないと思う。外国との真の友好関係は、その国との歴史的関係を忘れるべきではない。

最近、中国は経済発展を背景にして軍備予算を増大しているという。こういう時こそ隣国、中国との賢明な交流が必要となる。日本の将来の為にも中国との賢明な交流が重要になってきたと思います。

皆様は中国との交流の仕方を如何お考えでしょうか?(終わり)