後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

日本は軍事国家?そして田母神氏についての一意見

2009年05月28日 | インポート

gatayanさんという方から下記のご意見を頂きました。現在の日本の世論が以前とは変わったのが本質的なもんだいです。と、明快にご説明なさっています。他の方々のコメントも是非頂きたいと思っています。gatayanさん有難う御座いました。

===========gatayanさんのコメンントです===========

田母神氏に関わっての最近の出版の状況については、非常に苦々しく感じています。
 おっしゃるように、彼自身、公的な立場を離れた人物なのですから、今どのような考えを持っていようと、或いはどのような発言をなされようとご自由に・・・と言うしか有りません。
 問題はその彼の発言をなぜかくも多くの出版社が取り上げるのかという一点に絞られると思います。
 出版社がそれ自体が一個の営業体である以上、営利を追求するのが当然であり、結果として売れると見込めるものをプロデュースし、大々的に売り出すのは、仕方のないことではあります。(そこに出版人としての一定の見識を示して欲しいのは山々ですが。)。
 となれば、その問題はさらになぜ出版社が「売れる」と見込むのか、という点が、考察の対象でありましょう。
 答えは端的に示すことが出来ます。
 多くの人々がそれを望んでいるからに相違ないでしょう。
 それは政治の世界においての力関係の変化が明瞭に物語っています。正面切って戦争を肯定する発言こそなけれ、その心中は「さもありなん」と思えるような人物が与党・野党にかかわらず頭角を示し、そうではない人々や党派が次第に埋没して言ってる事実は、国民の意思があってこそのものです。
 なぜこんなふうになってしまったのか、私には窺い知れません。戦後教育への反動なのでしょうか。地域によって温度差はあれ、平和の大切さはどのような教育現場でも語られてきたであろうし、親たちからも語って聞かされていました。 それが、何の効力も持たなかったのか。

 空しい思いにおそわれるのみです。

 しかしながら、息を消沈させてばかりもいられません。たとえ、影響力は小さくとも、この時代の流れに対しては常にアンチの立場でものを言って行きたいと思います。


暗い雨の日なので明るい気分になる写真をお送りします

2009年05月28日 | 写真

今日の東京地方は朝から黒雲が空を覆い、激しく雨が降っています。気圧も低いらしく気が滅入ってしまいます。そこで昨年の梅雨明けの乾燥した山の風景写真を1枚お送りいたします。

皆様の住んでいらっしゃる地域の今日の天気は如何でしょうか?

そのうちジメジメした梅雨になるのでしょう。そして夏が来て、1年がアッという間に過ぎてゆきます。時の流れが早く感じられるのは年のせいでしょう。(終わり)

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日本が軍事国家になる可能性と田母神氏(前航空幕僚長)について意見交換をお願い致します!

2009年05月28日 | 日記・エッセイ・コラム

自衛隊の戦力を現場の判断で自由に使えるように法律を変えなさい。と、現職の幕僚長が政治運動をしたので防衛大臣によって辞めさせられました。その人が田母神氏です。

防衛の全てに関する事項に関して自衛隊の制服組は勝手に意見を言ってはいけない。これがシビリアン・コントロールなのです。田母神氏は、かつて関東軍が自由に軍隊を動かし日本を破滅へ導いたことを忘れているのでしょうか?

まあ、そんな人も居たのでしょう。辞めさせたのですから、これで一件落着と思っていました。ところが昨日、本屋さんへ行ったら、彼の軍国主義的内容の本が山のように積んであります。何種も本を出しているのです。出版社は売れ行きが良いから出すのです。

そしてそれらの本の広告が全国紙に大きなスペースで出ています。

「座して平和は守れず!」、「核ミサイルを打ち込まれても「戦争放棄」するのか?」、「クラスター爆弾禁止の大きな誤り」、などなど扇動的な活字が躍っています。

彼の本は、「アメリカも国連も頼りにならないから日本は本格的な軍事力を持って、それを即刻使えるように法律を変えなさい」と言っていると誤解させるような危険性があると思います。

日本は1945年の敗戦以来64年の長きにわたって、外国との紛争は平和的な外交交渉で解決してきましきました。アメリカの核武装の傘の下ではそれが可能だったのです。平和憲法を護持し、紛争の解決に武力を使わないと憲法に明記した唯一の国家です。

田母神氏は、そんな馬鹿馬鹿しい憲法は止めて、日本は紛争解決には武力も使うべし!と主張しているのです。自衛隊を辞めてから後なら、本を出すのも自由です。それこそ言論の自由です。

しかし、そのような本が大いに売れていることが心配なのです。多くの国民が田母神氏の主張に関心があり、それを支持しているのです。日本が重大な曲がり角に差し掛かっているのです。皆様は軍事国家への可能性のある道を踏み出そうとしている社会の雰囲気をどのように感じていらっしゃるでしょうか?

このブログの紙上でいろいろなご意見を交換出来れば嬉しいと思います。コメントを頂けたら、編集・整理をあまりしないで、後日ブログの本文へ掲載し、ご紹介したいと思っています。どうぞコメントをお送り下さい。 敬具、藤山杜人


無宗教の方々を尊敬します

2009年05月28日 | 日記・エッセイ・コラム

日本には「私は無宗教です」と言う人が多いです。

1960年代のアメリカでは、「あなたの宗教は?」と聞かれたことがしばしばありました。この質問を深刻に考え込み、「無宗教です」と答える日本人が多かったものです。聞いたアメリカ人が暗い顔になります。「仏教徒です」、という答えを期待している場合が多かったのでした。この会話はそんな深刻な会話でないのです。日本で近所の人に会ったら、「どちらまで?」、「ちょっとそこまで」というやりとりと同じように軽い挨拶のようなものでした。

ベトナム戦争で負けたアメリカ。アメリカ人は無邪気でなくなりました。「貴方の宗教は?」などと気楽に聞かなくなったようです。ベトナム戦争後、アメリカ社会の雰囲気が変わりました。

1960年代までのアメリカ社会は陽気で、無邪気で、エチケットを良く守る楽しい社会の一面を持っていました。当時、「何故、無宗教はいけないのですか?」と聞き返し、気まずい雰囲気になったことを思い出しました。どうもハッキリしませんが、「無宗教は悪魔」と思い込んでいるようでした。それ以来、無宗教ということを考えるようになりました。カトリックの洗礼を1972年に受けてから、目から鱗で理解出来るようになったのです。

周りを見回してみると無宗教の人々が多いものです。しかし善良で立派な人々です。昔のアメリカ人は「無宗教は悪魔と同じだ」と思い込んでいたのは完全に間違っています。

洗礼を受けて、宗教のことが深く理解できるようになりました。日本人が自分で無宗教と言う場合は、「そうですか。それも良いですね」と答えるようにします。それ以上の議論はしません。しかし私にとって無宗教の方々の多くは立派な仏教徒に見えます。色即是空、空即是色ですね。証明できない宗教の教義は信用してはいけない。偶像を拝んでもいけない。死ぬことは無に帰ることです。と、いうのがお釈迦様の教えでした。その教えを日本人が1500年の間信じてきたのです。無意識のうちに心の中にしみ込んでいます。丁度、空気のように意識する必要もなくなりました。

ですから日本人の多くは「無宗教です」と自分で信じています。自分でそうおっしゃるのですから反対しては礼儀上いけません。しかし私は、無宗教の方々を尊敬しています。それだけの話です。失礼しました。

今日も皆様のご健康と平和をお祈り致します。     藤山杜人