後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

岡敬三著、「港を回れば日本が見える」 で何が見えましたか?

2009年05月11日 | 本と雑誌

ネット上の知人がこの本を紹介してくれました。さっそくインターネットで購入して読みました。著者の岡敬三さんが2003年から2007年にかけて34Feet(全長10、3メートル)、船重5トン弱のヨットで日本の全国の漁港に泊まりながら書いた旅日記です。彼方此方のさびれた漁港に何日も泊まり、荒れる海が静まるのを待っているのです。一人で暗く、狭いヨットの船室で、じっと時を過ごすのです。漁村の人々と話し込み、生活の状態を素直に描いています。沼津の重須を出発し、安乗、尾鷲、那智勝浦、田辺、阿尾、日生、庵治、琴浦と堪念に漁港を回ります。沖縄から北海道まで無数の漁港を回ります。

「港を回れば日本が見える」という題目の本ですが、著者にはどのように見えたか?、は一切書いてありません。読者にとって、どのように日本が見えましたか? ご自分でお考え下さい! そういう構成になっています。

一番先に書くべきことは、この本には真実だけが書いてあるという事実です。ドラマチックな脚色も意図的な省略もありません。漁港で会った数十人の人々と深い心の交流をしています。信頼関係にあるので真実だけを話してくれます。著者は人間が好きなのです。会ったすべての人が好きなのです。そのお陰で漁港の人々は心を許して本当の気持ちや生活の実態をーもっとはっきり言えば、「困窮した生活の様子」を淡々としゃべるのです。ですから現在の全国の漁港の人々の考え方や生活の記録として信用できる第一級の資料になっています。あるいは2003年から2007年にかけての「日本の漁村」の歴史的なドキュメントになっています。このような調査報告書は決して役人には書けません。いろいろな経済的な統計には絶対にあらわれない人々の生の考え方が根気よく拾い集めてあります。

前置きが長くなってしまいました。さて私は、この本から日本がどのように見えたでしょうか?

2つのことが理解できました。日本では、弱肉強食の残酷な自由経済が許されていて、漁村の人々がそれによって蹂躙されている風景がはっきり見えました。人々は、漁師が努力して取ってきた地魚よりも、冷凍で大量に輸入した安価な魚をスーパーで買います。輸入魚類は、冷凍技術の進歩で味も良く、日本の魚よりけた違いに安いのです。大型商社が利潤を独占します。漁師は困窮する一方です。

これに追い打ちをかけるのが消費者のブランド魚趣向です。地中海の本マグロ、インドマグロ、はては大間マグロなどはテレビでさんざん取り上げられます。煽動された人々はブランド魚だけを高価でも買います。ブランド魚は外国産に限りません。関サバ、城下カレイ、松葉カニ、馬糞ウニ、稲取のキンメダイ、鞆の浦の鯛などなどキリがありません。この消費者の軽薄なブランド趣味が真面目な漁村文化を破壊してしまったのです。東京湾のアナゴやアジ、カレイ、イカ、サバなどは活きが良い限りめっぽう美味なのです。たまにそういう魚を売っている店を見かけます。しかしそのような商売はすぐ消えてしまいます。

日本人はいつから軽薄なブランド趣味に落ちいったのでしょうか?若い女性がブランドもののハンドバックや洋服に目の色を変えるのは許せます。しかし消費生活のすべてにそれが広がったら文化破壊が起きるということが何故理解できないのでしょうか?

岡敬三著、「港を回れば日本が見える」 という本は日本文化の危機的状況を鮮明に見せてくれます。著者は決して批判的な論陣をはっていません。その事が読後感を一層、重厚にさせていると思いました。とにかくいろいろ考えさせる本です。

皆様に是非お読み頂きたい本です。(終わり)

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左の写真は、香川県の多度津港、平安時代は善通寺への門港として四国へ渡る拠点に、
また、その後は四国金比羅さんへ参詣する船の港として栄えました。
右の写真は、知床半島の突端、知床岬の袂にある小さな避難所、文吉湾です。写真は岡敬三さんのHP;http://www.geocities.jp/tiarashore/ から引用させて頂きました。


若い時の貧乏は買ってでもする方が良い、と言いますが

2009年05月11日 | 日記・エッセイ・コラム

貧乏は嫌だ。贅沢は素敵だ。ごく自然な人情です。しかし、「若い時の貧乏は買ってでもするが良い」と言います。これは半分嘘で、半分本当なような気もします。60才以上の多くの日本人なら若い時に貧しい生活をした筈です。1970年代の高度成長までは日本全体が貧乏だったからです。今、振り返って考えてみると、「貧乏は経験しないほうが良い!」という確信に至ります。第一、幼年から青春期まで、食物が悪いと体格が悪くなります。その後の人生の健康に問題を残します。そして貧乏をすると精神までねじけてしまう場合もあります。

私は昭和11年生まれなので終戦前後の飢餓生活を数年体験しています。大学を卒業して公務員になりましたが1974年の38歳まで月給で生活が出来ませんでした。すごい貧乏でしたが、結婚して2人の子供を育てました。どのようにして金銭のつじつまを合わせたか?忘れてしまいました。愚痴は言わず、ニコニコ笑いながら家内がやりくりしたのでしょう。

貧乏をすると「他人の気持ちが分かる」と言いますが、それも半分嘘です。貧乏しなくても優しい人は他人の心の痛みが分かるのです。貧乏しても分からない人が多いのです。

飢餓体験や貧乏生活のお陰で、一つだけ良いことがあります。それはすべての食物を美味に感じ、おのずと感謝の気持ちが湧いてくることでです。

以下の写真は最近、小金井駅の南口に出来たレストランの数々です。日本中どこにでも有るような店です。しかし飢餓体験をした小生にとっては感動的な店店です。決して金持ちではありませんが、どの店へ入っても心配なく自由に食事が出来ます。その上、清潔で、サービスも良いのです。この一帯に来るたびに昔の飢餓生活を思い出して、心に幸福感が満ちてきます。幸せを実感できるのです。これだけは飢餓体験の唯一の良い効果と思います。

皆様は、こんな気持ちをご理解出来るでしょうか?

そんな事は別にして、皆様のご健康と平和を今日もお祈りいたします。

                   藤山杜人

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