ネット上の知人がこの本を紹介してくれました。さっそくインターネットで購入して読みました。著者の岡敬三さんが2003年から2007年にかけて34Feet(全長10、3メートル)、船重5トン弱のヨットで日本の全国の漁港に泊まりながら書いた旅日記です。彼方此方のさびれた漁港に何日も泊まり、荒れる海が静まるのを待っているのです。一人で暗く、狭いヨットの船室で、じっと時を過ごすのです。漁村の人々と話し込み、生活の状態を素直に描いています。沼津の重須を出発し、安乗、尾鷲、那智勝浦、田辺、阿尾、日生、庵治、琴浦と堪念に漁港を回ります。沖縄から北海道まで無数の漁港を回ります。
「港を回れば日本が見える」という題目の本ですが、著者にはどのように見えたか?、は一切書いてありません。読者にとって、どのように日本が見えましたか? ご自分でお考え下さい! そういう構成になっています。
一番先に書くべきことは、この本には真実だけが書いてあるという事実です。ドラマチックな脚色も意図的な省略もありません。漁港で会った数十人の人々と深い心の交流をしています。信頼関係にあるので真実だけを話してくれます。著者は人間が好きなのです。会ったすべての人が好きなのです。そのお陰で漁港の人々は心を許して本当の気持ちや生活の実態をーもっとはっきり言えば、「困窮した生活の様子」を淡々としゃべるのです。ですから現在の全国の漁港の人々の考え方や生活の記録として信用できる第一級の資料になっています。あるいは2003年から2007年にかけての「日本の漁村」の歴史的なドキュメントになっています。このような調査報告書は決して役人には書けません。いろいろな経済的な統計には絶対にあらわれない人々の生の考え方が根気よく拾い集めてあります。
前置きが長くなってしまいました。さて私は、この本から日本がどのように見えたでしょうか?
2つのことが理解できました。日本では、弱肉強食の残酷な自由経済が許されていて、漁村の人々がそれによって蹂躙されている風景がはっきり見えました。人々は、漁師が努力して取ってきた地魚よりも、冷凍で大量に輸入した安価な魚をスーパーで買います。輸入魚類は、冷凍技術の進歩で味も良く、日本の魚よりけた違いに安いのです。大型商社が利潤を独占します。漁師は困窮する一方です。
これに追い打ちをかけるのが消費者のブランド魚趣向です。地中海の本マグロ、インドマグロ、はては大間マグロなどはテレビでさんざん取り上げられます。煽動された人々はブランド魚だけを高価でも買います。ブランド魚は外国産に限りません。関サバ、城下カレイ、松葉カニ、馬糞ウニ、稲取のキンメダイ、鞆の浦の鯛などなどキリがありません。この消費者の軽薄なブランド趣味が真面目な漁村文化を破壊してしまったのです。東京湾のアナゴやアジ、カレイ、イカ、サバなどは活きが良い限りめっぽう美味なのです。たまにそういう魚を売っている店を見かけます。しかしそのような商売はすぐ消えてしまいます。
日本人はいつから軽薄なブランド趣味に落ちいったのでしょうか?若い女性がブランドもののハンドバックや洋服に目の色を変えるのは許せます。しかし消費生活のすべてにそれが広がったら文化破壊が起きるということが何故理解できないのでしょうか?
岡敬三著、「港を回れば日本が見える」 という本は日本文化の危機的状況を鮮明に見せてくれます。著者は決して批判的な論陣をはっていません。その事が読後感を一層、重厚にさせていると思いました。とにかくいろいろ考えさせる本です。
皆様に是非お読み頂きたい本です。(終わり)
左の写真は、香川県の多度津港、平安時代は善通寺への門港として四国へ渡る拠点に、
また、その後は四国金比羅さんへ参詣する船の港として栄えました。
右の写真は、知床半島の突端、知床岬の袂にある小さな避難所、文吉湾です。写真は岡敬三さんのHP;http://www.geocities.jp/tiarashore/ から引用させて頂きました。