後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

昭和の悲しさ(3)東京駅の魚影、内田百閒、戦没画学生の絵画展などなど

2009年05月04日 | インポート

あれは昭和17年の夏だった。東京駅、中央通路に白いタイル貼りの円形水槽がある。数十匹の小魚が群れをなして円周に沿って一斉に泳いでいる。連戦連勝で日本中が湧いていた頃。仙台の大学で働いていた父が、夏になると兵庫県の田舎へ帰省する。あの小魚の群れは鰯だったのか、ハヤなどの淡水魚だったのか知らないが、6歳の幼児の網膜に焼きついて一生忘れ得ない。翌年、昭和18年夏、魚の群泳を楽しみにして東京駅中央通路へ行く。無い。魚が居ない。空の白いタイルの水槽があるだけ。のちに考えると戦争が負け始めたのか、魚の水槽どころではなくなって来たのだろう。駅の雰囲気も乗客が少なくなり淋しい。

そして何年も時が流れる。少し気持ちが少し落ち着いた。そんな時分に内田百閒の「百鬼園随筆集」や摩阿陀会に関する話を読んだ。百閒さんが好きになってしまう。鋭い人間描写を彼一流のユーモアをまじえて書いている。短い文章でも、味わい深い随筆になっている。つい吸い込まれるような作品が多い。彼の書いたものには何時も東京ステーションホテルのダイニングが出て来る。

作品が好きになれば、関係する場所へも行ってみたくなる。1970年ころから東京ステーションホテルのダイニングへ時々行った。重厚な赤レンガの建物で、内装はヨーロッパ風のシックイ壁。昔風の黒い鉄の窓枠の外には、一番線の電車から新幹線の列車までよく見え、旅情をかきたてる。ステーションホテルの正面入り口の階段を上がった所にウイスキーも出すコーヒー店がり、そこにもよく通った。仕事で人と会うときはよく使った店である。昼間はコーヒー、夕方になるとウイスキーの水割りと、どちらにしても便利な場所であった。

また何年かたった。丸の内中央改札口を出て右手にステーション・ギャラャリーが出来た。時々、絵画の企画展をするようになった。あれは20世紀が終わり、21世紀が始まった頃だったような気がする。「戦没画学生の遺作展」があった。ポスターには母のような女性が描いてある。出征する前に精魂込めて描いた絵だ。企画展では数十枚の油絵が展示してある。戦争で死んだ画学生の作品。家族の人物像が多い。征く前に寸暇を惜しんで描いている。時間が無くなり、未完成のものもある。パンフレットに遺作画を常時展示している、「無言舘」のことが紹介してある。泊がけで訪ねて行った。

無言舘は、長野県上田市、別所温泉近くの山中にある。車で、山の中を探しあぐねた末に辿り着いた。鎮魂という言葉を連想させる、修道院のようなコンクリート製の建物がある。戦没画学生の作品を常設展示している。館長が遺族を訪問し、一枚一枚集めた絵画である。

東京ステーションには色々な思い出がある。(終わり)

今日も皆様のご健康と平和をお祈り致します。    藤山杜人