後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

アクセス数アップをしてくれるSNS;みんなの足跡「あし@」

2009年05月24日 | うんちく・小ネタ

ソーシャル・ネットワーク・システム(SNSと略記します)には色々特徴のあるものが有ります。教養のある老齢期の男女が集まっているSNS、ジャズ音楽の好きな人々の集まっているSNSなど色々あります。その中でみんなの足跡「あし@」は特に面白い特徴があります。まず構成員が圧倒的に若いのです。それと商品販売のための広告のスペースの間にブログの写真や文章が割りつけたものが半分くらい有ります。商品が売れればお小使いが貰えるシステムになっているようです。しかし商品の宣伝を主たる目的にしないで、自分の写真と文章だけを大きく掲載したブログも半分くらいあります。

このSNSへ入会(無料)すると自分のブログの表紙の左上端に「あし跡」というタグが出てきます。そこをクリックすると自分のブログを開けて見てくれた人々の一覧表がでます。それぞれの名前をクリックするとその人のブログが開けられます。その上、開けたブログが興味ある、良い内容なら「Good!]という項目をクリックします。そうすると私が先方のブログを開けてみて、良い!と褒めたことが先方に分かります。

それを知った先方のブログのオーナーはお返しに私のブログをすぐに見てくれます。気に入ったら、Good!と褒めてくれます。このようにお互いにブログを即刻、読みあうことを推進する機能が付いているのです。私は時にはアクセス数が少ない日もあります。そんな時にはこのお互いに読み合う機能を大いに使います。するとアクセス数が直ぐに増加し始めます。このように打てば響くような機能を持っているSNSは珍しいと思います。先刻、ご承知の方も多いとは思いますが、このSNSは特にアクセス数アップに有効なSNSなので、ご紹介したいと思います。

このSNSのもう一つの特徴は構成メンバーが若いのです。一つの例として、このSNSの中で友人関係になっている、Parismidorさんという若い日本の女性をご紹介したいと思います。南西フランスのボルドー・カスティヨン地区に在住し、お菓子のアトリエの「コクリコの風」と日仏食文化アソシエーションの「ボルドー・みんなのテーブル」を主宰し、運営されている方です。お菓子の写真やお話も素晴らしいのですが、南フランスの花々の写真や風景の写真が心をなごませてくれます。

この方のブログ;http://blog.livedoor.jp/parismidori/ から3枚の写真を下に転載させて頂きました。自然がいっぱいの南フランスの雰囲気をお楽しみ頂ければ嬉しく思います。(終わり)

Chevaux

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ブログを書いているとこんな嬉しいコメントが貰えます!

2009年05月24日 | 日記・エッセイ・コラム

私は、皆様がこのブログを読むと心が休まり、日頃の疲れが霧散するように書いています。写真も大きな数枚を組合わせて、一見しただけで癒されるように、文章の間に割りつけているつもりです。しかし時々は世界平和の問題や、宗教間の対立の問題など、少し考えて頂きたいこともまじえて書いています。

昨日は福島県の山中にひっそり広がる羽鳥湖をご紹介しましたところ下のような2件のコメントを頂きました。このブログの編集方針をご理解して頂き、とても嬉しく思います。

ジークレフさんは心の安らぐ方法を専門にしている方です。 vasenoirさんは村田 旭画伯のことで、一昨日、このブログで2枚のパステル画をご紹介した方です。

==========ジークレフさんからのコメント=============

素敵なブログですね。偶然お邪魔したのですが、本当に素敵なブログで偶然を感謝いたします。

こんにちは。
羽鳥湖をご紹介頂きありがとうございます。

静かで。。。私のすきな場所です。
ブリティッシュヒルズに行く道ですね。

秋の羽鳥はまた格別ですし
冬には氷が張り、ワカサギ釣りも楽しめます。

時々地元のベテランの道案内で温泉&
秘密の山菜採りに出かける場所でもあります。


教養としてのキリスト教(11)歌ミサとキリストの昇天

2009年05月24日 | うんちく・小ネタ

キリスト教では日曜日に教会に集まり一緒に礼拝やミサを行います。そのとき、全ての祈りや、信仰告白の言葉を一緒に歌うことがあります。神父さんが独りで歌い、信者がそれに答えて歌う。対話も歌になっています。それが歌ミサです。もっとも聖書の朗読と説教だけは歌うことが出来ないので普通に話します。

昨日の夕方のミサはこの歌ミサでした。旋律が宗教的で、そして美しく組み上げてあるので1時間のミサが楽しく、陶酔した気分でアッという間に終わります。カトリックの歌ミサも綺麗なメロディーで進みますが、特にロシア正教の歌ミサは感動的なものと聞いています。

宗教的陶酔も楽しいのですが、それだけでは偏狭な信仰になる危険性があります。そこで神父さんの論理的な説教が必要になります。昨日の山本量太郎神父さんの説教はキリストの昇天の事でした。キリストは金曜日の夜に処刑され3日後に復活します。その後の40日の間、12人の弟子たちの前に現われて色々な話をします。そして最後に弟子たちへ、「全世界へ行って、すべての人々へ福音を宣べ伝えなさい」と言って、天に昇って行きます。神の右の座につきます。

これでキリストと人間は、天と地と遠く離れてしまったのです。山本神父さんは、「そうではない」と言います。昨日朗読したマルコによる福音の16・15-20の最後の部分が重要です。と、言います。「弟子たちは出かけて行って、いたる所で宣教した。キリストはいつも天から地上に降りてきて、彼らと共に働いた」と書いてあります。このように話す山本量太郎神父様の隣にキリスト様が立っている。なにか呆然と立っていて、時々我々の方をほほえみながら見るのです。

山本神父さんの優れている点は、何時も自分を中心に考えないで、キリスト様を中心にして考えていることです。従って、毎週の説教は、キリスト様を小金井教会へ呼び寄せる内容になっています。これは容易なようでなかなか出来ないことです。

さてこの稿は「教養としてのキリスト教(11)」です。無宗教の方も、仏教に関心のある方も読んで頂けるように書いているつもりです。特に無宗教の方々も私は尊敬しています。その方々でも以下のようなことは「仏教徒にとっては嬉しいに違いない」と、ご想像出来ると信じています。

「四国88ケ所のお寺を巡るお遍路さんの苦労や、疲れも弘法大師が一緒に歩いてくれれば楽しい旅になる・・・同行二人ですね」---この文章を生涯の旅路に喩えることも出来ます。弘法大師のところを親鸞に置き換えても良いし、 唐時代の玄奘三蔵法師に置き換えてても良いのです。

弱い人間が宗教によって生きる勇気を貰うことは上に書いたようなことと、私は理解しています。(続く)

今日は皆様のご健康と、毎日、はつらつとした勇気をもって生きるようにお祈り申し上げます。藤山杜人