老頭児おじさん奮闘記

老頭児(ロートル)になっても、何事にも興味を持って行動をしているおじさんの奮闘記。

第44回ザ・ロープ帆船模型展見学

2019年04月22日 | 帆船模型作り
平成31年4月19日(金)、有楽町の東京交通会館で開催されている「第44回ザ・ロープ帆船模型展」に行ってきました。
今回も力作がたくさん出品されていました。

ショーウインドーの展示です。









会場入り口。



これは半分にして額に収めた作品です。



これはジオラマ風ですかね。



以下、出品されていた帆船模型たちです。

















































いやー、どれもすごいですね。
製作、お疲れ様でした。
今、1隻再作中の船があります。
刺激を受けたので早めに完成させたく思いました。



国宝 東寺ー空海と仏像曼荼羅の拝観

2019年04月21日 | 日記
平成31年4月13日(土)、東京国立博物館の平成館で開催されている「国宝 東寺ー空海と仏像曼荼羅」を拝観してきました。

平安京への遷都に伴い官寺として建立された東寺は、823年に嵯峨天皇より空海に下賜され、真言密教の根本道場として多くの人々の信仰を集めてきました。現在、東京国立博物館で開催中の特別展『国宝 東寺―空海と仏像曼荼羅』では、空海にまつわる名宝や、東寺に伝わる文化財110点が公開されています。



圧巻の仏像たちでした。



場内は撮影禁止でしたが、帝釈天だけは撮影が許可されていましたので、早速カメラに収めました。















素晴らしいお宝を拝観できました。
刺激されて、また仏像を彫りたくなりました。






吉野山・奈良・近江名桜紀行に行ってきました。(3日目)

2019年04月12日 | 旅行
平成31年4月9日(火)、吉野山・奈良・近江名桜紀行3日目。

朝の琵琶湖とプリンスホテル。







朝一で向かったのは三井寺です。
三井寺は、正式には「長等山園城寺(おんじょうじ)」といい、天台寺門宗の総本山です。平安時代、第五代天台座主・智証大師円珍和尚の卓越した個性によって天台別院として中興され、以来一千百余年にわたってその教法を今日に伝えてきました。 古い歴史と文化、多くの文化財や伝説の残るそうです。





重要文化財、弁慶の引き摺り鐘です。



















次は石山寺です。
「石山寺」は琵琶湖から流れ出る瀬田川のほとりに位置し、西国三十三所第十三番札所でもある天下の名勝。奈良時代後期に聖武天皇の命により開山、安産・厄除け・福徳・縁結びにご利益があると、今もたくさんの人が参拝に訪れます。





石山の由来にもなっている天然記念物「硅灰石(けいかいせき)」。石灰岩が地中から突出した花崗岩(かこうがん)と接触し、その熱作用のために変質したもので、これほどに雄大な「硅灰石」は大変珍らしく貴重だそうです。













紫式部の銅像。





石山寺の次は、琵琶湖の畔にある鮎家の郷で昼食を済ませ、彦根城に向かいました。

姫路城などとともに天下の名城の一つに数えられる彦根城は、井伊直継(なおつぐ)・直孝(なおたか)によって約20年の歳月をかけて建設され、元和8年(1622)に完成しました。佐和(さわ)山城・安土城・長浜城・大津城の石垣や用材が使われました。月明かりに浮かぶ彦根城は美しく、琵琶湖八景の1つに数えられています。明治時代の廃城令や戦火を免れた彦根城の勇壮な姿を、城内散策で眺められます。また、彦根城の別名金亀城(こんきじょう)の名は、彦根城築城以前、彦根山上にあった寺院に金の亀に乗った観音像が安置されていたため、と言われています。国指定の特別史跡です。









天守閣を拝観するのに並びました。
靴を脱いで入場するまで30分くらい並んで、さらに中に入ってからも30分以上かかりました。
会談が斜度60度くらいあり狭くてそこで渋滞が起きてしまいます。























西の丸三重櫓に向かいました。





三重櫓からの眺め。



その後、玄宮園を見学です。











彦根城を後にバスで名古屋に向かいました。
名古屋から新幹線で帰路につきました。

いやー、今回の旅行は体力勝負の旅行でした。
結構アップダウンがあり、これからはますます日頃の運動が肝心だと改めて思いました。
お疲れ様でした。

吉野山・奈良・近江名桜紀行に行ってきました。(2日目)

2019年04月11日 | 旅行
平成31年4月8日(月)、奈良・近江名桜紀行2日目。
吉野山の名刹「金峯山寺」の参拝から始まりました。

金峯山寺とは
大和の国 、吉野山から大峯山山上ケ岳にかけての一帯は古くは金峯山(きんぷせん)と称し、古代より世に広く知られた聖域でした。この金峯山に役行者神変大菩薩が白鳳年間(7世紀後半)に修行に入り、修験道独特の本尊・金剛蔵王大権現を感得されます。この姿を山桜に刻んで、山上ケ岳(現:大峯山寺本堂)と山麓の吉野山(現:金峯山寺蔵王堂)に祭祀されます。これが金峯山寺の開創と伝えられています。  明治7年(1874年)、明治政府により修験道が禁止され、金峯山寺は一時期、廃寺となり復職神勤しますが、同19年(1886年)に天台宗末の仏寺として復興。昭和23年(1948年)には、蔵王堂(国宝)を中心に、金峯山修験本宗が立宗し、その総本山として今日に至っています。山号は国軸山、宇宙の中心の山という意味を号しています。平成16年「紀伊山地の霊場と参詣道」の一つとして金峯山寺本堂蔵王堂及び仁王門がユネスコの世界文化遺産に登録されました。

本堂・蔵王堂(国宝)







金峯山寺の本堂。秘仏本尊蔵王権現(約7m)三体のほか、多くの尊像を安置しています。
  重層入母屋造り、桧皮葺き、高さ34メートル、四方36メートル。堂々とした威容の中に、優雅さがあり、たいへん勝れた建築という高い評価を得ています。
  金峯山寺内では古くから、白鳳年間に、役行者(えんのぎょうじゃ)が創建されたと伝えており、また、奈良時代に、行基菩薩が改修されたとも、伝えています。その後、平安時代から幾度か焼失と再建を繰り返し、現在の建物は天正20年(1592)頃に完成したものです。大正5年から13年にかけて、解体修理が行なわれ、昭和55年から59年にかけて、屋根の桧皮の葺き替えを主として大修理を行ないました。







蔵王堂近くからの眺め。







仁王門(国宝)は生憎、改装中でした。



続いて向かったのは、真言宗豊山派の総本山長谷寺です。
三輪そうめんの昼食を済ませての参拝となりました。
丁度桜が満開で圧巻でした。

長谷寺とは
朱鳥元(686)年、僧道明上人が天武天皇のために銅板法華説相図(国宝)を西の岡に安置したことが始まりという。平安時代には貴族、江戸時代には徳川家の崇敬を集め帰依を受けて栄えた。舞台造の本堂(国宝)は徳川家光による再建。寺宝類としては、本尊十一面観音像をはじめ、約千点にも及ぶ文化財を所蔵する。仁王門を抜け、本堂へと続く登廊(重要文化財)は399段に渡る石段になっており、天井には楕円形の灯籠が吊られている。登廊は4月下旬から5月上旬に見頃をむかえるボタンに彩られる。西国三十三所第8番札所となっている。





登廊です。399段あるそうです。

























次に向かったのは大神神社です。

大神神社は、日本最古の神社といわれています。ご神体は三輪山そのもので、本殿はなく、拝殿から三ツ鳥居を通して山に向かって拝みます。三輪山は国を開いた大物主大神(大国様)が御魂を留めたという霊山。「パワースポット」と称されるよりはるか昔から「神の宿る山」として崇められてきた聖地です。ご神体の三輪山は、古くから一木一草にいたるまで斧で伐採することを許されていないそうです。松や杉、ヒノキなどの大樹が生い茂る参道は、どこか懐かしくて優しい雰囲気に包まれていました。









奈良の桜を満喫し宿泊地の滋賀県は琵琶湖に向かいました。
ぶわ湖大津プリンスホテルです。
客室は529室で全室が琵琶湖に面した「レイクビュールーム」となっているほか、客室からは琵琶湖の雄大な景色と比叡山・比良山・鈴鹿山の山並が大パノラマで堪能できまる。



部屋から琵琶湖を望む。



夜景です。





2日目は結構上り坂の多い観光になりました。
琵琶湖を見渡す「びわ湖大津プリンスホテル」ホテルでゆっくりを休みました。


吉野山・奈良・近江名桜紀行に行ってきました。(1日目)

2019年04月10日 | 旅行
平成31年4月7日(日)~9日(火)まで、2泊3日で桜を愛でに行ってきました。

第1日目です。
東京発8時20分の「のぞみ」で名古屋まで。







名古屋からはバスで奈良県の吉野山に向かいました。
吉野山では宿泊場所の竹林院群芳園に荷物を置いて、タクシーで奥千本に向かいました。
奥千本の金峰神社に参拝です。





義経が弁慶らと追ってから逃れるために隠れた義経隠れ塔です。



展望台からの眺め、下千本から中千本あたりの桜な満開に咲いています。
吉野山は馬の背に道ができていてその両脇に家がやっと建っている感じですね。





水分神社です。
社殿は豊臣秀頼が再建したもので、本殿、拝殿、幣殿、桜門、回廊からなる桃山時代の大変美しい建築だそうです。



宿の「松竹院群芳園」の入り口です。
聖徳太子の創建と伝わる寺院で、格調高い宿坊としても有名。
護摩堂に安置されている聖徳太子坐像は南北朝時代の作です。
庭園の群芳園は千利休が作庭し、細川幽斎が改修したといわれ、 大和三庭園のひとつにもなっています。



群芳園の庭園の枝垂れ桜も満開です。





庭園の高見から本館を見下ろしたところ。



宿の部屋からの眺め。桜が山一杯です。





一泊目は由緒ある宿でしたがエレベーターのないので年配の方たちは3階までの上り下りには苦労していました。
吉野山では標高差を感じました。
下千本、中千本あたりでは満開だった桜が、奥千本ではまだ蕾か堅かったですね。