老頭児おじさん奮闘記

老頭児(ロートル)になっても、何事にも興味を持って行動をしているおじさんの奮闘記。

吉野山・奈良・近江名桜紀行に行ってきました。(2日目)

2019年04月11日 | 旅行
平成31年4月8日(月)、奈良・近江名桜紀行2日目。
吉野山の名刹「金峯山寺」の参拝から始まりました。

金峯山寺とは
大和の国 、吉野山から大峯山山上ケ岳にかけての一帯は古くは金峯山(きんぷせん)と称し、古代より世に広く知られた聖域でした。この金峯山に役行者神変大菩薩が白鳳年間(7世紀後半)に修行に入り、修験道独特の本尊・金剛蔵王大権現を感得されます。この姿を山桜に刻んで、山上ケ岳(現:大峯山寺本堂)と山麓の吉野山(現:金峯山寺蔵王堂)に祭祀されます。これが金峯山寺の開創と伝えられています。  明治7年(1874年)、明治政府により修験道が禁止され、金峯山寺は一時期、廃寺となり復職神勤しますが、同19年(1886年)に天台宗末の仏寺として復興。昭和23年(1948年)には、蔵王堂(国宝)を中心に、金峯山修験本宗が立宗し、その総本山として今日に至っています。山号は国軸山、宇宙の中心の山という意味を号しています。平成16年「紀伊山地の霊場と参詣道」の一つとして金峯山寺本堂蔵王堂及び仁王門がユネスコの世界文化遺産に登録されました。

本堂・蔵王堂(国宝)







金峯山寺の本堂。秘仏本尊蔵王権現(約7m)三体のほか、多くの尊像を安置しています。
  重層入母屋造り、桧皮葺き、高さ34メートル、四方36メートル。堂々とした威容の中に、優雅さがあり、たいへん勝れた建築という高い評価を得ています。
  金峯山寺内では古くから、白鳳年間に、役行者(えんのぎょうじゃ)が創建されたと伝えており、また、奈良時代に、行基菩薩が改修されたとも、伝えています。その後、平安時代から幾度か焼失と再建を繰り返し、現在の建物は天正20年(1592)頃に完成したものです。大正5年から13年にかけて、解体修理が行なわれ、昭和55年から59年にかけて、屋根の桧皮の葺き替えを主として大修理を行ないました。







蔵王堂近くからの眺め。







仁王門(国宝)は生憎、改装中でした。



続いて向かったのは、真言宗豊山派の総本山長谷寺です。
三輪そうめんの昼食を済ませての参拝となりました。
丁度桜が満開で圧巻でした。

長谷寺とは
朱鳥元(686)年、僧道明上人が天武天皇のために銅板法華説相図(国宝)を西の岡に安置したことが始まりという。平安時代には貴族、江戸時代には徳川家の崇敬を集め帰依を受けて栄えた。舞台造の本堂(国宝)は徳川家光による再建。寺宝類としては、本尊十一面観音像をはじめ、約千点にも及ぶ文化財を所蔵する。仁王門を抜け、本堂へと続く登廊(重要文化財)は399段に渡る石段になっており、天井には楕円形の灯籠が吊られている。登廊は4月下旬から5月上旬に見頃をむかえるボタンに彩られる。西国三十三所第8番札所となっている。





登廊です。399段あるそうです。

























次に向かったのは大神神社です。

大神神社は、日本最古の神社といわれています。ご神体は三輪山そのもので、本殿はなく、拝殿から三ツ鳥居を通して山に向かって拝みます。三輪山は国を開いた大物主大神(大国様)が御魂を留めたという霊山。「パワースポット」と称されるよりはるか昔から「神の宿る山」として崇められてきた聖地です。ご神体の三輪山は、古くから一木一草にいたるまで斧で伐採することを許されていないそうです。松や杉、ヒノキなどの大樹が生い茂る参道は、どこか懐かしくて優しい雰囲気に包まれていました。









奈良の桜を満喫し宿泊地の滋賀県は琵琶湖に向かいました。
ぶわ湖大津プリンスホテルです。
客室は529室で全室が琵琶湖に面した「レイクビュールーム」となっているほか、客室からは琵琶湖の雄大な景色と比叡山・比良山・鈴鹿山の山並が大パノラマで堪能できまる。



部屋から琵琶湖を望む。



夜景です。





2日目は結構上り坂の多い観光になりました。
琵琶湖を見渡す「びわ湖大津プリンスホテル」ホテルでゆっくりを休みました。


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