老頭児おじさん奮闘記

老頭児(ロートル)になっても、何事にも興味を持って行動をしているおじさんの奮闘記。

世界文化遺産 国宝 姫路城訪問

2022年08月20日 | 日記
令和4年8月17日(水)~19日(金)まで所用で関西方面小旅行に出かけた。
東京駅から久しぶりの新幹線「こだま」に乗車。



生憎の曇り空で富士山が辛うじて遠望できた。



西宮で所用を済ませ。
その夜は宝塚の宿へ宿泊。

川の対岸には宝塚大劇場の裏側が良く見えました。



翌日は宝塚の花のみちを歩く。
所々にブロンズ像がありましたよ。





宝塚大劇場を経て、



手塚治虫記念館へ。



火の鳥がお出迎えです。



中には手塚治虫の歴史や関連のグッズや資料がぎっしりと展示されていました。





宝塚から山陽本線で姫路へ移動です。
尼崎で特急に乗り換えで1時間ぐらいかな?
ホテルにチェックインし休憩後夕方、姫路城へ下見に行って見ました。





見学は翌日にすることにしてホテルに戻って鋭気を養うことにした。

翌朝は早速「国宝姫路城」へ参上となりました。
珍しく一番に並んで見学開始でした。

国宝姫路城は平成5年12月、奈良の法隆寺とともに、日本で初の世界文化遺産となりました。
世界文化遺産とは、文化庁が国宝や重要文化財などに指定している歴史的、普遍的価値のあるものの中から推薦。イコモス(国際記念物遺跡会議)の審査を経て、ユネスコの世界遺産委員会で正式に指定されたものです。
現在指定されている世界遺産は、エジプトのピラミッド、フランスのベルサイユ宮殿、中国の万里の長城などがあります。いずれも芸術的価値のあるものや、時代を象徴するものばかりで、姫路城は17世紀初頭の日本の城郭建築を代表する史跡建造物として評価を得ました。















特別公開をしていて乾小天守・東小天守・渡櫓なども見学ができました。





西の丸から。





好古園も併せて見学をしてきました。

「好古園」の愛称は、藩校「好古堂」に因んで命名されました。
江戸時代最後の姫路藩主であった酒井家は、前任地上野国厩橋(群馬県前橋市)において元禄5年(1692)に藩校「好古堂」を開校しました。寛延2年(1749)酒井忠恭が姫路藩へ移封されたとき、藩校も姫路城内大名町東南総社門内の元藩会所跡に移設されました。
その後、好古堂は桜町大手門前南側を経て、天保13年(1842)に酒井忠学は、「好古堂」を大手門西側(現在の好古園入ロ付近)に移転拡張しました。このとき、寄宿舎を私学校「仁寿山饗」から移築し、演武場などを新築し、藩校の規模を拡充して文武の基礎を固め、両道の振興を図りました。







暑い中、広大な姫路城の見学は結構疲れました。
6層の天守閣も急な階段の上り下りと大変です。
天守閣の窓から吹き込んで来る風は心地よく、天然のクーラーのようで癒されました。
大きな石や太い柱など、当時の職人の技にビックリしどのように立てたのか、動かしたのか昔に思いが馳せました。
約半日かかりの見学でしたが、大変有意義な時間でした。