「古都逍遥 京都・奈良編」「花の詩」「日常のこと」や花や風景写真

 京都・奈良を中心に古刹・名刹や「花の詩」等の紹介。花や風景写真、オリジナルの詩、カラオケ歌唱など掲載しています。

「今宮神社」(いまみやじんじゃ)

2007年03月09日 00時41分02秒 | 古都逍遥「京都篇」
 大徳寺に北接し、疫病の神として知られている今宮神社は、正暦5年(994)舟岡山に三神をすまわせていたのを、長保2年(1000)に一条天皇の疫病除のため、現社地に移された。境内にある疫(えき)神社は今宮神社創建以前から鎮座していたといわれ、疫病よけの社として有名で、神社の名称である「今宮」とは、この疫神社に相対して名付けられた言われている。祭神は、大国主命・事代主命・稲田姫命を祀り、社殿は1902年(明治35)の再建で、社の多くは明治時代の再建である。

 今宮神社のある紫野(むらさきの)の地は、平安京の大内裏に接した船岡山の東北一帯の地にあたり、昔から洛北七野(ななの)(内野、北野、平野、萩野、蓮台野、紫野、上野)の1つで、朝廷の禁野(しめの)として御猟または遊覧の野原であったと伝えられている。
 毎年4月の第2日曜日に行われる「やすらい祭り」は疫病除けの祭で、行列の花傘の下に入ると病気にかからないといわれている。またこの祭りは、太秦の牛祭・鞍馬の火祭とともに京都三奇祭の1つになっている。

 今宮神社を参拝すると食べずには帰れない「あぶり餅」がある。
 東門を出た所に「あぶり餅」を売る軒のれんの店が向かい合い、江戸時代の社頭風景の名残を漂わせている。
 股に分かれた竹串に、きな粉をまぶしたお餅を親指の先ほどの大きさにちぎって刺し、炭火で焼いて味噌だれをかけたものがこのあぶり餅は、1人前15本で500円で、舌鼓を打つのもご利益のおかげだろうか。

■玉の輿(たまのこし)祈願
 「玉の輿」という言葉の由来は江戸時代に京都・西陣の八百屋の娘・お玉が第3代将軍・徳川家光に見初められ、後の5代将軍・徳川綱吉(つなよし)を産み、世継の母として絶大な権力を持った桂昌院(けいしょういん)となったことから、玉の輿と言われるようになった。
 桂昌院(1627~1705)は、京都の多くの寺院の建立に尽力し、西陣も盛りたてた。今宮神社は西陣の氏神にあたることから、お玉にちなんだ「玉の輿」お守り(800円)を販売している。

■阿呆賢さんの霊跡
 参道の左手前に、小さな石が安置された祠がある。この石は両手で持てるほどの小さな石で「阿呆賢(あほかん)さん」と呼ばれており、説明版には「今宮の奇石」と書かれてある。この石を手でなでて、自分の体の悪い部分をさすれば、その悪い部分が治癒されるといわれ「神占石」の別称がある。
 また、この石を軽く3回たたいて持ち上げてみると非常に重くなり、今度は願い事を唱えて優しく石を3度さするとそこで石がとても軽くなったら、その願いことは成就する「重軽石」とも呼ばれている。

 所在地:京都府京都市北区紫野今宮町21。
 交通:阪急河原町駅、京阪四条駅から市バス46、今宮神社前下車。
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