宮尾登美子の本は一冊位しか、読んでいません。
ですから私は本の事以外で、ふと心に感じていることを、記そうと思います。
宮尾登美子が日本人に貢献したことは、あまり大きくクローズアップされていませんが、私は大いに貢献したことを感謝する一人です。
それは宮尾登美子は、自家の稼業について、また母親の稼業についても真実を書いているからです。
日本に娘を売り買いする稼業が存在していたこと、また自らの出自を花魁の太夫であった、父親の愛人が母親だったと明かしていることです。
これは、宮尾自身が物心がついてから、心から「嫌な稼業」そして人には決して言えないという稼業であることから、彼女は逃げるようにして、勉学に励んで来たのではないでしょうか。
当時としては珍しい高等女学校を出ていますし、かなり成績もよく、東京の学校に無試験で入れる位だったのを、「女に勉強はいらない」と父親から猛反対されて、やむなく女学校を出て、教員となり、17歳でおなじ教員の男性から望まれて、結婚をしますが、幼い子供を連れて満州へ家族で渡って、1年ほどで終戦を迎えたそうです。
命からがら、また背中の子供を売ろうとまで考えてしまうほどの、空腹感にもさいなまれたとあります。それを夫が止めたということでした。
引き上げてから、夫の実家である農家に移り住み、その後夫の暴力により、100円を持って東京へと行きその後離婚したということでした。
宮尾登美子は出した本の数も多く、テレビドラマ化、映画化などたくさんあります。
彼女が赤裸々に自分の自家の稼業を書いたのも、彼女の心には、別の心があり、過去の自分の心と決別をしたかったのではないでしょうか?
書くことで、心に蓄積されたものを昇華していく作業は、作家ならどなたにもあるのではないでしょうか?
こうして宮尾登美子の心の暗い部分は少しづつ軽くなっていたと思います。そして、やがては宮尾登美子は名声を手にしていきます。
しかし、女流作家協会の集まりでは、宮尾登美子は隅っこにちょこんと静かに座っている人、というイメージだったと言われています。
また瀬戸内から「彼女はぶりっこ」という声もあったという話もありました。
こういった女流作家協会の中での会話が、彼女を皆が受け入れていないことを、表していると私は思いました。
宮尾登美子は、自身の生まれを公に出す事で、本も売れ、一躍有名になっていったのですが、売れている作家はジェラシーにさらされてしまったのではないでしょうか?
女性達のこのような仲間として、受け入れることができない状態があったことで、彼女は「自分の出自」をまた、心が凍る思いで座っていたのではないでしょうか?その仕打ちをまた本にする原動力として行ったと、私は考えるのです。
宮尾登美子は、出自はその様であったのですが、離婚はしても、また再婚し、その結婚は長く続いていたのです。
かたや、瀬戸内は、出自については知りませんが、「恋は不倫がだいご味」と豪語するほど、作家との不倫を過ごしてきた女性であり、今は天台宗の尼になっているのですが、決して悟りを開くには至っていないように、私には見えるのです。
人生相談に乗る姿は、テレビなどでも放映されていますので、ご覧になった方は多いと思います。
作家仲間がどのようであったのかは、もちろん私は知りません。
いくつかの垣間見えるような文を読んで、私は考えただけです。
宮尾登美子が貢献したのは、この日本女性にとってまことに悍ましい稼業が数十年前まで実際にあったということなのです。
彼女は書いた本の中では、多分にその主人公を美化して、強くたくましく生きる女性を描いてきたのではないかと思いますし、それは宮尾登美子自身と重なります。彼女は被害者を見ていますが、被害者ではないからです。
世の男性に買われて行く女たちの涙を、私達はまだ正面からみていないと思いました。
同じ女流作家たちなら、女同士であるなら、そこのところがわかって欲しかったと、私は思っているのです。
そして、林真理子氏が、宮尾登美子の評伝本を最近書かれたそうですね。
このような本を男性同士なら、まず書かないでしょう。
同じ女性として、私は、本にする内容についてとても残念に思っているのです。
同じ女性として、私は宮尾登美子の勇気ある本を書いたことを、高く評価いたします。
そして、宮尾登美子は、亡くなる数年前から、付き合いを減らしてきたそうで、80歳を過ぎて、高知へ帰ったのですが、水が合わなかったようで、東京に帰りそして亡くなっているのです。
彼女は、高知が懐かしく思いだされて、晩年を高知で過ごしたいと思って、帰ったのでしょう。しかし、自分の想いとは重ならず、高知の人は彼女を昔の儘に見たのかもしれません。
彼女は自分の出自に悩まされたゆえに、あの本を書いてきたのでしょう。そして名声も得て、高知で変わった自分を受け入れてもらえると思い込んでしまったのでしょう。
彼女の偉業を、まだ日本人女性はわかっていないのです。(アイリス)