愛の銀河ウェーブ
投稿日2018.10.02
父の悲しみ1
父はサラリーマンで、農家の二男でした。その為、土地を譲り受けてその土地に家を建てたと聞いています。
都会から県内の町に越してきたのは、私が高校を卒業する少し前でした。しばらくの間姉とふたりでアパートで暮らして、卒業後にその地へ私達も引っ越ししました。それから2年後に、貸していた田舎の我が家が空き、田舎へ戻りました。
私が20歳の時でした。
父とふたりで歩きながら、久しぶりに見る畑の向こうに見える我が家を眺めていると、「爺ちゃんが柱を切ってしまって、こんな低い家になってしまって・・・」と意外なことに、愚痴がでたのです。初めて父の口から出る愚痴でした。
「何の事?」
「爺ちゃんが俺に内緒で、台風が来たら大変だからと、勝手に大工に柱を切らせてしまったんだよ。だから家の天井が低くかっただろう?なあ?」と悔しそうでした。
父には父の未来の家に対する望みを持って楽しみにしていたのでしょう。それを、息子には言わずに勝手に大工に切らせてしまい、望むような家に住むことが出来ずに、我慢しつづけた父だったのです。きっと言い合いもしたでしょう。でも爺ちゃんは、南側の生垣もまだ小さいことから、台風の風あたりによって、家がどうかなってしまうのではないかと、心配をしたようでした。
でも、父の知らない間にそれが決行されたことで、父の怒りと悲しみはどれほどだったでしょうか?
生涯住む家と、思っていたのに、父の未来は爺ちゃんの決行によってつぶれてしまったのです。
しかし、とろろ汁の時の思い出の中には、そんな素振りは一つもなかったのです。父も、母も。爺ちゃんにも。
祖父は、私達が都会暮らしをしている間に、亡くなりました。一度都会の我が家にも来ていますが、やはり田舎の景色と空気が自分にあっていると言っていました。
祖父は実は、若い時に私の生母の叔母と結婚をしていたのです。でも祖父の兄が家を継いでいたのに、若死にしてしまい、奥さんと子供が残されたために、子供がまだいなかった祖父は、自分の結婚をあきらめて、兄嫁と残された子供のために、実家に戻り兄嫁と結婚したのです。(家を存続させるためにです。)
私が小さい頃、よく祖父と姉と私とで、バスに揺られて生母の実家に泊りがけで行ったものでした。幼いときには、生母の実家を祖父の親戚かと思い込んでいたぐらいです。そして、その祖父は、翌朝私と姉を置いて昔一緒に暮らした女性の家に挨拶に行っていました。すでに女性は他界し、旦那さんと息子夫婦や孫の暮らす家になっていましたが、旦那さんと話をしたり、仏壇にお参りをするのが、その時の祖父にとっての大切な事だったのでしょう。
祖父が他界し、懐かしい家に帰ってきたので、父は思わず愚痴がでたのでしょう。長い間祖父と父はお互いに軋轢を抱えて暮らしてきたことを、初めて知りました。
私は、父が大工仕事が好きなのに、なぜか2階の部屋の一部が「お金がなくなってしまったから」と途中のままになっている部分を、自分で作りあげようとしないのか、私は父に聞いた時がありました。その時は、父はただ笑っていただけでしたが、もし柱が切られることなく、家が建てられていたら、きっと父の性分ですからやり遂げたことでしょう。その意気込みを父から無くしてしまった、出来事だったとわかったのです。
・・・・・
「父とわたし」は数年前に書き置いたものです。私は小学校5年までは田舎で過ごした後、都会へ引っ越しをしました。父とわたし達姉妹がどのように過ごしたのかを、私の子供達へ残すつもりで書き記したエッセイです。