社会人学生の遅れてきた学習意欲

実質的には、旅行フォトブログです

メルコスール5日目―炭水化物が山盛りの街

2010年03月31日 | 2010南米旅行




02/21 日曜日 メルコスール5日目(ブラジル)
滞在地:リオデジャネイロ→ベレン(ブラジル)





6:00
起床。コパカバーナの朝日。





海岸通はこんな感じ。見たところ平和そのもので何もありませんでしたが、ちょうど1週間ほど前にこの近辺の同時刻に邦人が首締め強盗の被害に遭っています。

空港行きバスをゲットするため車道と自転車道の分離帯でバスを待ちます。決まったバス停はないので好き勝手な場所でバスを止めていいことになっています。ちょうど同じエリアで先に空港行きバスを捕まえようとしている兄ちゃんがいたので便乗させてもらいます。





7:40→6:40
リオデジャネイロ・ガレオン国際空港着。チェックインを済ませて空港内の時計を見ると何か変です。サマータイムが終わったため自分の時計よりも1時間遅れています。空港に早く来すぎたようです。





ブラジルの国内線は全てこのTAM航空で飛ぶことにしました。ブラジル国内をあちこち周遊する場合は、個別にチケットを買うよりもエアパスを購入した方が安上がりです。飛行機は中産階級以上の乗り物なのであまり安くないのです。





国内線とは言え3時間半もかかるので朝食が出ました。ラスクとジャムとクリームチーズなどがパック詰めされた朝食キットが配布されます。

ブラジリアを越えトカンチンス州上空に差しかかった頃から気流が乱れ始め、機体が激しく上下左右に揺れるようになりました。隣の席には中年のブラジル人夫妻が座っていたのですが、私の隣に座っていたオバハンの方が機体が揺れるたびに今にも死にそうな形相で「アィアィアィアィアィ~」と騒ぐのです。

オバハン(アィアィ婆と名付けることにします)は叫んでいる声に自分で怯え始め、しまいには大泣きする始末。同じ機体に乗っているチビッコ諸君が平然としているのとはまさしく対照的です。スチュワーデスもアィアィ婆のただならぬ奇声に異変を察知し、落ち着かせるために水をよこして「落ち着いてください」と半ばあきれながら説得しに来ました。

ここからがブラジル的なのですが、アィアィ婆の後ろに座っていた見ず知らずの乗客が婆の手を握って「まぁまぁかわいそうに…大丈夫よ~」と落ち着かせ始めたのです。親切なのはいいことなんですけども、3,4歳の子供が大人しくしているのに、ギャァギャァ泣き喚く4,50のオバハンに手を差し伸べなくても、ねぇ。





12:40
ベレン・バウジカンス空港着。Y.YAMADAという日系人資本らしきスーパーの広告で空港内は埋め尽くされています。「ヤマダクレジットカード、すぐ、簡単!」

ベレンは観光地でもなんでもない普通の地方都市なので、空港からセントロまでの空港バスがありません。そのため普通の路線バスでセントロまで向かいました。運賃BRL 1.85(=90円)。サンパウロやリオなどの大都市と比べると3割ぐらい安い価格設定です。





ここベレンはアマゾン川の河口に開けた街でパラ州の州都となっています。地理的に言うと南緯1度の赤道直下で熱帯に位置しています。市内の街路樹にはマンゴーが植えられ、見上げればたわわに実るマンゴーの実が見て取れます。

今日は日曜日なのでヘブプリカ広場では日曜市が開かれていました。しかし、着いた頃にはもうお昼過ぎ、露天は次々と店じまいを始めています。すれ違う人を見ているとやたらとメスティソが多いのに気づきました。そしてなぜか半数がデブなんです。これは今朝までいたリオとは大きく異なる点です。





マンゴー並木に絡み付く種々雑多な植物。これが熱帯パワーか。





がらーん。繁華街の路地でこの廃墟っぷりです。そういえば今日は日曜日でした。それにしてもこの寂れ具合はひどい。仕方ないので港まで歩きます。





はるばる来たぜ、アマゾン河!
淡水なので波止場は全く磯臭くありません。





まるで海ですね。





河沿いにあるEstação das Docasという複合施設。レストランや雑貨屋がテナントとして入居しており、地元っ子たちのオシャレスポットとして機能しているみたいです。

この建物の端の方に営業中らしきツアー会社を発見しました。空港内のツアー会社は日曜日につき休業していましたが、ここはちゃんと明かりが点いています。

中に入って話を聞いてみると、どうやら明日の月曜日に催行しているツアーはアマゾン河&ジャングルトレッキングツアーしかないらしいのです。推量で「らしい」と書いたのは応対をしてくれた係員がポルトガル語オンリーで話すから正確に意味を掴みかねたのです。まぁ何とか申し込みは出来ましたが。

Estação das Docasのさらに向こう側に行くとヴェロペゾ市場があり、その手前の方には屋台街が広がっていました。リオなどによくあった軽食屋タイプのものから、本格的な地元料理屋台まで所狭しと50軒ぐらいが密集しています。





典型的な地元料理屋台の一例。メインディッシュを肉や魚の中から選び、それに主食類が供されるのです。





お肉を選んでみました。注文のたびフライパンで再加熱してくれます。やたらと筋張っていてなんか変な味がします。牛肉だとは思いますがはっきりと何の肉かは分かりかねる恐怖。





主食類がワンプレートディッシュとして運ばれてきます。





主食類の拡大写真。左上から順に米(炭水化物)、スパゲッティ(炭水化物)、煮豆(炭水化物)、ファロファ(=キャッサバの粉:炭水化物)、少量のサルサ(野菜)となっています。これを目の当たりにしてこの街にデブが多い理由が瞬時に理解できました。大阪人もびっくりです。





飲み物にグァラナを注文すると今まで見たことのない大瓶のグァラナを出してくれました。ビールの大瓶と同じサイズです。これはありがたい。肉・プレートディッシュ・グァラナ大瓶で締めてBRL 9(=450円)、リーズナブル。





料理の写真を撮ってるとオッチャンが自分を撮れと言わんばかりにポーズを決めていたのでカメラに収めました。このオッチャン、あれこれ世話を焼いてくれて親切なのですが、所作がクネクネしていてオカマ丸出しなのです。

この店の常連らしきペルー出身のオッサンが食べに来てこのオッチャンと交わした会話を聞いていると、オッチャンは始終「あら、やだ~」「んもぅ、チューしちゃうっ!」みたいなノリでしゃべってました。(こういうのはポルトガル語でも正確に分かるのです)





食事をしていると突然激しいスコールが降ってきました。こんな激しい雨は沖縄で台風に直撃されたとき以来です。オッチャンは全く動じずに「雨だわ~」とぼんやりしていました。激しいスコールはここの人にとって文字通り毎日のことなので、いちいち反応するのもアホ臭いのでしょう。





スコールの後のマンゴー並木の下には夥しい数のマンゴーが転がっています。マンゴー食べ放題の街、それがベレンです。

メルコスール4日目―聖像に犇めく人々

2010年03月29日 | 2010南米旅行
(前回の続き)
市電で丘陵地を単純往復して結局セントロに戻ってきました。ここからコルコバードの丘に行くバスを探すのですが、どのバスが目的地に行くのか不明なのでとりあえずコパカバーナに戻ることにします。





リオのバス。降りたいときは降りますボタンを押すか、あるいは天井伝いにユルユルに張ってある紐を引くとビーっと鳴って運転手に降りたい旨を知らせることが出来ます。





ボタフォゴ地区を走るバスから。天気がいいので気持ちいいです。ちなみにここは一般道です。

ホテルで一旦休憩した後、コルコバード行きのバスを探します。が、行き先にコルコバードという表示のバスは走っていません。地球の歩き方には「572番系統のバスがコルコバードに行く」と書いてあるのですがそんなバスは走ってません、困った。

よくよく広域地図を見るとコルコバードの丘のあるところはCosmeVelho地区というところで、このCosmeVelho行きのバスはさっきから目の前を何本も走っていたのでした。なんとか乗車。





14:00
40分かけてコルコバードの丘の登山電車駅に着きました。登山電車の切符を販売しているチケットブースがあるので列に並びます。





往復BRL 36(=1800円)、高いのか妥当な価格なのか…。キリスト像の入場料も含まれてると考えれば安いのか、よく判らん価格設定です。それよりも何よりも登山電車の出発時刻が16:40というではありませんか。世界的な観光地とは言え、登山電車に2時間半も待たされるなんて…

この待ち時間が中途半端で、元来た道を下って繁華街で時間を潰すには少し足りず、かといってそのまま待ち続けるには長いのです。おまけにこの登山電車駅の周囲にはな~んにも暇つぶしスポットがないのです。ひたすら待つのみ。





屋台でトウモロコシを茹でたのを売ってたので買いました、BRL 3(=150円)。スイートコーンのように甘くなく穀物丸出しのトウモロコシでした。うまからず。バイオエタノール用のトウモロコシかと疑ってしまうほどの穀物っぷりでした。





下から光学ズームで撮るとこんな感じです。暇潰しにバス停にあったバスの行き先案内を見ていると、知らんオバチャンがニコニコしながら「このバスはコルコバード行きやで♪」と聞きもしないのに教えてくれました。何でみんなこんなに親切やのに凶悪犯罪が多いんやろ?





さんざん待ってようやく乗車。通常こういうケーブルカーは床面が斜めになって走るという構造上、座席の座面を水平に保つべく座席を床面に対して斜めになるように設置するのですが、この登山電車は設計担当がそこまで考慮していなかったのか椅子が床面に対して垂直に据え付けられているので、座面が異様なまでに斜めになっていて非常に座り心地が悪くなっています。





景色を楽しむなら向かって右側がオススメという情報ですが、右側の座席は始終前のめりになってしんどいだけでした。景色もほとんどが森の中なので右も左も大して変わりません。





イパネマの裏手にある湖の脇にある競馬場が見えます。視界が開けるのは悲しいことにこの一瞬だけです。





丘の上に着いてまず見えるのは後ろ姿のキリスト像です。意外と猫背です。上に登っていくにつれてその全容が見えると思いきや…





キリストの足下は芋洗い状態でした。普通にカメラを構えてもフレーム内にキリストの全てを収めることができないので寝転がって撮影する奴、キリストと同じポーズをとって半笑いの奴、自分撮りがうまくいかないので何度もトライする奴などなど…

このキリスト像を見てたら「巨大+宗教」の連想から奈良の大仏を思い出し、「そういや今年は平城京遷都1300年祭やなぁ、行かんとアカンな」と、なぜか無性に関西に帰りたくなりました。ブラジルの地で本地垂迹を実感しました。





これはかの有名なポンジアスカル。





これはコパカバーナの海岸。後ろにそびえる山は昨日迷い込んだファベーラのある山です。





親切なカリオカが市電駅まで連れて行ってくれた辺りを中心にセントロを収めてみました。真ん中がメトロポリタン・カテドラルです。





リオの北側からセントロにかけて。遠目で見ると風光明媚な港湾都市に見えます。





逆光をうまく利用して撮れた一枚。ちょうど後光が射して神々しく見えます。

丘の上は景色がよくて吹き抜ける風が気持ちいい反面、あまりの人の多さに嫌気がさしてたった10分で下山しました。10分のために5時間も使ったと考えると壮大な時間の無駄使いだったように感じます。まぁ行ったからこそ分かる事実ですがね。

コルコバードの丘はリオ観光の目玉ではありますが、以上のように時間がもったいないのであまりオススメは出来ません。値は張りますがヘリコプターを使ってコルコバードの丘を上空から短時間でグルッと見て回れるツアーがあるのでそっちにすれば良かったです。

以前にも書きましたがブラジルのバスは総じて運転が荒く、コルコバードからの帰りのバスもその例に漏れずグァングァン揺れるバスでした。途中で乗ってきた爺さんが見ていて気の毒なくらい揺られていたので席を譲ってあげたのですが、爺さん座って一言「どうもありがとう、カバン持ってあげるからこっちに渡して」と言うのです。

この「席を譲ってもらった方がカバンをもってあげる」という習慣はブラジルではよくあることなんだそうです。これについては何かの本で読んで予備知識があったのでボクは遠慮なく爺さんにカバンを持ってもらいました。予備知識がなけりゃ「(ブラジルでカバンを他人に預ける…とんでもないっ)いいえ、結構です!」とガチガチに警戒し、爺さんは悲しそうな顔をしたに違いありません。

この日の晩はカーニバルのチャンピオンズパレードが催されていたようですが、興味がないので行きませんでした。クラブに出かけて地元っ子にカーニバルの話をふったら「え、カーニバルなんかもう終わってるで」的な反応だったので、チャンピオンズパレードは地元民にすら認知されていない観光客向けの出し物にすぎないようです。

メルコスール4日目―カリオカの親切に泣かされる

2010年03月23日 | 2010南米旅行




02/20 土曜日 メルコスール4日目(ブラジル)
滞在地:リオデジャネイロ(ブラジル)





昨日のどんよりした空が嘘のように晴れていい天気です。こうして見るとサーファーズパラダイスに負けてませんな。やっぱりビーチリゾートはこうでなくっちゃネ。





角度を変えてもう1枚。





東向きに撮ってみた1枚。天気でこうも変わるもんですね。





リオデジャネイロといったらコレです。ベタな題材、ビーチバレー。彼らは観光局に1セットなんぼで雇われて生計を立てているんでしょうか。本業が気になるところです。

今日は特に何をすると決めていないのですがこのままずっとビーチに居ても仕方ないので、コパカバーナを離れてリオのセントロに向かうことにしました。





メトロのCardeal Arcoverde駅。切符を窓口で買うと硬質プラスチックの磁気カードの切符を手渡されました。これを改札のスロットに入れるのかそれともタッチするのか、はてどうしたものかと悩んでると、通りすがりにオバちゃんが「ココに入れんねんで」とジェスチャーで教えてくれました。





プラットフォームはこんな感じです。きれいでもなし汚くもなし。この頃はまだ「ブラジルとは治安の悪い恐ろしいところだ!」と純に信じていたのでカメラを極力かばんから出さずにいて、写真を撮るときも周囲を過剰に警戒していたのでこういう出来損ないの写真になってしまいました。

ゆらゆら7駅揺られてCarioca駅で下車。地図を見るとこの近くから市電が出ているようす。ということで市電に乗るため市電駅を目指します。地図で見ると距離にしてわずか100mぐらいしかないのに歩けど探せど一向に見つかりません。





さまよい歩いてたらカリオカ水道橋(Aqueduto da Carioca)に出くわしました。写真で見る分にはきれいなところのように映っていると思いますが、実はここセントロなのに浮浪者がうろつき回ってる明らかにヤバいエリアのようです。

歩いていると10m間隔で小便臭い悪臭やら、道の窪みに溜まった生ゴミの汁の腐臭やらが太陽光線で熱せられて立ち上り、有無を言わせず通行人はそれらを吸引してしまいます。今後は夏場の生ゴミの匂いを嗅ぐとリオを思い出すことになるのでしょう。

オエッオエッと嘔吐きながら市電駅を探すもなかなか発見できません。交差点で地図とにらめっこして困った顔をしていると、親切なカリオカが「どこに行きたいの?」と英語で聞いてくれました。





親切なカリオカは炎天下5分以上歩いて、わざわざ市電駅まで連れて行ってくれたのです。このときばかりは口先だけでなく心からMuito obrigadoと言えましたね。言葉が分からないのでさっさとブラジル出国したいと思っていたけど、さっきの地下鉄の切符の入れ方を教えてくれたオバちゃんといい、この親切なカリオカといい、ブラジルが嫌いになれないっ!





市電内部はこんな風です。オープンエアーで脇はガラ空き、内装はほぼ木でできており年季が入ってます。この市電は1868年開業といいますから日本では明治維新の年に営業を始めたことになります。運賃片道BRL 0.6(=30円)





発車直後の映像です。向こう側に見える先っちょのもげたバドミントンのシャトルを伏せたような建物はメトロポリタン・カテドラル(Catedral Metropolitana)です。あれでも一応教会です。メキシコのグァダルペ寺院もかなりブッ飛んでいましたがこちらも相当なもんです。





オエオエ言って歩いてたカリオカ水道橋の上を市電が走ります。地上高10mはあるはずなのに、この高さをものともせず下から吹き上げるように生ゴミ臭い熱風が襲来し鼻腔を刺激します。





ご覧になるとお分かりのように結構なスピードを出して爆走します。住宅の壁や電柱もスレスレに走りますし、石畳の道に強引に敷設した線路なので上下の振動が激しく時折車体が浮きます。カーブでは片輪が浮いているような感覚でした。なかなか楽しい乗り物です。

(後編に続く)

メルコスール3日目―頭を忘れちゃいけまへん

2010年03月22日 | 2010南米旅行




02/19 金曜日 メルコスール3日目(ブラジル)
滞在地:サンパウロ(ブラジル)→リオデジャネイロ(ブラジル)





サンパウロの朝。パウリスタの普通の通勤風景を見て、自分は仕事をほっぽらかして南米をふらつき歩いていることを思い出しました。





サンパウロ、グァルリョス空港。今日はここからリオデジャネイロまで向かうのですが、国内線にもかかわらず国際線出発ゲートから入るよう言われます。おまけにイミグレでのパスポートコントロールまであります。国内線なのでパスポートをチラ見するだけですが。





搭乗口から機体まで向かうための空港バス。INFRAEROという空港業務管理公団のマークです。





サンパウロから直線距離にして360kmほど、ものの30分少々でリオデジャネイロ・ガレオン国際空港に着きました。この空港はもう今は名称変更されて別の名前になっているのですが、ガレオン空港で十分通じます。ちなみにサンパウロからリオデジャネイロまでバスで陸路で移動すると5時間位かかるそうです。

ターミナルを出て右に行けば空港バス乗り場があります。行き先が数種類あるのに乗り場は一つなので、やはり乗車前に行き先の確認が必要です。ブラジルでは一事が万事この調子です。料金はBRL 8(=400円)、いかにサンパウロの空港バス(BRL 31)がぼったくっているか分かるでしょう。

とりあえずコパカバーナ・イパネマ海岸行きのバスに乗ったはいいものの、初めての土地なので降りるポイントが分かりません。リオデジャネイロはブラジルを代表する観光地なのでホテルは星の数ほどもあり、そのため「○○ホテルに着いたら教えて」と言っても運転手がそのホテルを知っているかどうかは未知数です。

そういう事情なので走るバスから外を眺めて地図を追い、コパカバーナに入った辺りで下車しました。ホテルはそこから5分ほど歩いたところにあったのでまずは合格です。





軽食屋でピザ(写真ではよく判りませんが2枚重ねです)とオレンジジュースを注文します。アホの一つ覚えとはよく言ったもので、名称がはっきりしているパンの類がピザしかなかったので他のものを注文できなかったのです。ブラジルの軽食屋のピザはチーズが大量に乗っかっているので2枚は食べ過ぎかもしれません。





コパカバーナの海岸通りです。空が曇っているのでリゾート気分にはなれず、夏なのである程度の人は居るもののビーチは閑散としていました。





コパカバーナのビーチ。奥の方はレブロン海岸に続いています。全体的にどよ~んとしています。ゴールドコーストのサーファーズパラダイスを小汚くしたような感じです。





ビーチのジューススタンドも曇り空のせいで商売あがったりです。道路沿いに林立するリゾートホテルは数十年前に建設されたものが多く、鄙びた感じが伝わってきます。





イパネマ海岸。冬の日本海的な雰囲気を醸し出しています。海岸沿いをジョギングしている地元っ子や、ビーチバレーでキャッキャ言ってるのを想像してたんだがなぁ…

天気のことは嘆いていても仕方ないので市街地を散歩することにしました。リオデジャネイロはサンパウロに比べれば比較的安心して歩ける街なのですが、コパカバーナの街のすぐ裏手の山がファベーラ(スラム)になっているので要注意です。

実際、ビーチで貰ったビラに地元のツアー会社が催行しているファベーラツアーなるものがあり、そのツアーではリオに数あるファベーラの中でも比較的安全なファベーラを見繕って訪問できるようです。





スーパーで買ってきたITAIPAVAというビール。ブラジルではそこそこ有名なビールです。ボクは普段ビールを飲む習慣がないので、ブラジルビールの特徴に関してコメントできる立場にありません。こういうのは飲み慣れている「基準の味」があってこそ違いが分かるもんです。

このビールを買ったスーパーなんですが、頭が観光地モードになっていたのかレジを済ませて店を出るときに、購入した商品を持たずに出てきてしまいました。レジ係の子がオィオィと注意してくれたのでなんとか気づくことができたものの、我ながらアホやなと思います。

その際にレジ係が頭の横で手で何かのサインをしながらボクに何かを言っていたのですが、日本人の共通認識に基づいて解釈するならば、それは「オメェ頭オカシイのかコノヤロー!」のジェスチャーでした。

しかしもちろんそうではなくて、何かの本(旅の指差し会話帳だったかな)で読んだことがあるのですが、ブラジルでは大事なことを忘れる人に注意を促す際に「頭を忘れちゃいけないよ~」とジェスチャー付きで言うのだそうです。コレ知らなかったらきっとムッとしていたことでしょう。正確なことは忘れたので知っている方いらっしゃったら教えてください。





もう1本、ANTARCTICAビール。これに関してもビールであること以上は分かりませんでした。喉がカラカラに乾いている状態でビールを飲んでも何とも思わない人間なので味が分からなくても仕方ないのです。

さて、この後ナイトクラブに出かけたのですが、その道すがら道を一本間違えて知らない間にファベーラに迷い込んでいました。深奥部に辿り着く前に異変に気づいて、来た道を引き返したので何ともありませんでしたが、夜のファベーラなんて近づくもんじゃないですよ(←お前が言うな)

メルコスール2日目―ピザ一切れに粒粒辛苦

2010年03月21日 | 2010南米旅行
(前回の続き)
ヘプブリカ広場のバス停からブタンタン行きのバスに乗って40分、車掌が「着いたで」と言ってくれたのでお礼を言ってバスを降りると、そこはサンパウロ大学の正門前でした。

「ブタンタン研究所はコチラ!」みたいな看板も何も無く、大学正門の守衛室で研究所の所在を訊きますが、相変わらず何を言ってるのかサッパリ分かりません。守衛室から見てラウンドアバウトの向こう側にサンパウロ大学のインフォメーションがあるのでそこでもう一度訊いてみることにします。

係のオバチャンがニコニコ丁寧に説明してくれますが、やっぱりキーフレーズしか分かりません。されどここはインフォメーション、小さな案内図があったのです。オバチャンはその地図にこうやって行くんだよ、と鉛筆でルートをなぞって説明してくれたのでなんとか方向は見えてきました。





大学構内をあちこち彷徨い歩きつつ、昼ご飯中のオッチャンの邪魔をして道を教えてもらい、なんとかInstituto Butantan(ブタンタン研究所)に着きました。その名前から判断して大学の中にあると思っていましたが、実は大学の敷地の外にあり、そのせいで迷っていたのでした。

掘建て小屋みたいなチケットオフィスでチケット購入、BRL 6(=300円)。案内パンフレットはポルトガル語と英語の2バージョンあるようで、「スペイン語なら分かるよ」と言うとポルトガル語版を渡されました。





ヘビ小屋入り口。こじんまりした建物ですがそれに見合わず中のヘビの種類はそこそこいて、主に毒蛇をメインに展示しています。ちなみに屋外でも何種類かが放し飼いに近い形で飼育されています。

たまたま外で飼育係がシマヘビを持ち出してヘビに触ってみようコーナーみたいなのをやっていましたが、チビっ子が対象のようでしたのでボクは遠巻きに見ているだけでした。





ミドリツルヘビ。和名でこういうのかどうか知りませんが、英語名でGreen Vine Snakeと言います、中南米原産。ものすごくきれいな色の体色をしていて、愛嬌のある顔をしています。





ガラガラヘビ。言わずと知れた有毒種。この子に限らずヘビはサルのように絶えず無意味にチョコマカ動くことがないので、このように丸まってじっとしている子がほとんどです。









ヒキガエルの類。毒蛇メインにもかかわらずこういう補食される運命にある生物もいろいろ取り揃えています。





威嚇してくるのがちょっとムカつきますが、じっとしているヘビばかりのなかでこれだけ動いてくれるとむしろ有り難い感じがします。





どや顔のイグアナ。ポーズがかわいかったので思わず何枚も撮ってしまいました。





放心状態のミシシッピアカミミガメ。いわゆる夜店のミドリガメのことです。脚が完全に伸びきっているのがツボ。

さて、毒蛇はさんざん堪能したのでサンパウロ中心部に帰ることにします。サンパウロ大学は敷地が広く、構内を普通にバスが走っています。バス停に着いてバスの行き先を見ると…





学生が貼ったと思われるビラの数々。このビラの有る無しにかかわらず、バスの行き先や方面別表示などはどこにもありません。仕方ないのでここに来るときに乗っていたバスと同じ色のバスを見つけては停めて「ヘプブリカ行く?」と訊きますが答えは数回連続"NO"の嵐。

発音が悪いからかなぁなどといろいろ原因を探ってみましたが、原因はどうやらサンパウロ中心部から市外へと走ってくるバスを捕まえていたからのようです。例えばA発B着のバスでもB発A着のバスでも、行き先に" A , B "としか表示がないのでどちらに向かっているか分からんのです。

という事情なので地元の人間でもいちいちバスを停めては行き先を確認するのが常態化しています。結局「ヘプブリカには行かんけど近くまで行くから乗れば?」と言ってくれたバスに乗ってセー広場まで乗って帰りました。





18:30
朝ご飯を食べたきり何も食べてないので、意を決して軽食屋(Lanchonete)に入ります。言うことは通じるけれども、単語ですら何を言われてるのか分からん状態がしばし続きます。去年度のポルトガル語の授業で軽食屋での注文ロールプレイやったのにな~…





(店員の)苦心の末ありつけたチーズたっぷりピザと生絞りオレンジジュース、BRL 5(=250円)。ウマい!こんなに安くそれなりのものが食べられるならもっと早く来れば良かったなぁ。

メルコスール2日目―迷った末のコバヤシさん

2010年03月18日 | 2010南米旅行




02/18 木曜日 メルコスール2日目(ブラジル)
滞在地:サンパウロ(ブラジル)

朝から雨降りまくっています。サンパウロは南米きっての大都市ですが、善くも悪くもただそれだけの街で、観光客受けする名所旧跡などがありません。雨も降っているし博物館などの屋内施設でブラブラすることにします。まずは昨日チャットしていた日系人の子がおいでと言っていたのでLiberdade地区に行くことにします。





メトロのLiberdade駅前広場です。雨が一向に止む気配がないので駅出口で傘を売ってたおっちゃんから折り畳み傘を買いました。BRL 6(=300円)とのことでしたが、5レアル札を握って1レアル分の小銭を探してもたついていると、おっちゃんは5レアルに負けてくれました。

でもそれではなんか申し訳ない気がするし、何も言ってないのに負けてくれたおっちゃんの心意気に報いる意味で、2レアル札を渡して7レアルで傘を買いました。最後までおっちゃんは傘売り仲間から2レアル札をくずしてもらってボクに1レアルを渡そうとしてくれたのに余計に感銘を受けました。





和風の景観が一帯に広がります。見ていて楽しかったのですが、これらはあくまでもテーマパーク的な「和」であって、一般的なブラジル人の感覚からかけ離れているのと同様、われわれの日常の日本からもかけ離れているので、ほっとするような感じにはなりませんでした。

Liberdadeの日系人人口が減る一方、中国や朝鮮からの移民が入れ替わるようにして流入してきたので、一見日本っぽい店でも店員が中国人というのがよくあります。雑貨屋にジュースを買いに入ったら、レジ係がガムをクチャクチャ噛んで電話でしゃべりながらやる気無さげにレジ打ちをするという中国人の悪癖丸出しの店員がおり、何故かそれにちょっと安心しました。





大阪橋。なぜ大阪なのかは分かりません。サンパウロ市と大阪市が姉妹都市だからでしょうか。





その下には片側6車線もある幹線道路が整備され、車がバンバン走っています。サンパウロ市は丘陵地に位置していて、このように市街地が立体的構造をしています。そのため同じ道でも行きと帰りで景色が全く変わって見えるので、Liberdadeからしばらくブラブラ歩いていると完全に道に迷いました。





散々迷った挙げ句に出くわしたPaulo Kobayashi広場。
パウロ・コバヤシさんはブラジル日本議員連盟会長だった方で、かなり有名な方のようです。





12:30
República広場横のバス停でバスを待ちます。ここはサンパウロのバス停の中でも親切な方で、というのもバスの行き先と系統番号を書いてくれているからです。

その他のバス停はバス停としての屋根があればまだいい方で、ほとんどは道路沿いの目印も何も無いところで、乗客は勝手気ままにバスを止めて乗るというような感じでした。ブタンタン研究所に行きたいので30分待ってButantã行きのバスをゲットします。





バスの中はこんな感じです。運転手の後ろに車掌がいるので運賃は車掌に払います。BRL 2.7(=130円)、決して安くないです。急発進・急停止は当たり前で非常に乗り心地は悪いです。





(後編に続く)

メルコスール1日目―外人は危険情報を知らない

2010年03月15日 | 2010南米旅行




02/17 水曜日 メルコスール1日目(ブラジル)
滞在地:ワシントンD.C.→サンパウロ(ブラジル)

 ※念のため、「メルコスール」とは南米共同市場とも訳される関税同盟のことで、アルゼンチン・ウルグアイ・パラグアイ・ブラジルの4カ国が調印して発足しました。今ではベネズエラも加盟し加盟国は5ヶ国となっていますが、当ブログでメルコスールと称している場合、初期の上記4ヶ国を指しています。





前日の続きから。ワシントンD.C.のダレス空港を21:57に出発、UA861便です。アホほど時間のかかる悪名高きアメリカ合衆国での乗継ぎ手続きを済ませても、出発までまだ5時間もあります。





10:20
特にこれといったこともなく、苦行でしかない10時間のフライトの後、サンパウロ・グァルリョス空港着。大阪から何十時間かかってるのかもう分かりません。とりあえず現地通貨が必要なのでATMで引き出そうとしますが、なぜかクレジットカードを受け付けてくれません。仕方ないので新生銀行のキャッシュカードで引き出しました、解せぬ。

この空港、ブエノスアイレスのエセイサ国際空港と並ぶ南米の玄関口なんですが、写真を見ていただくとお分かりのように全体的に暗く、いつ行ってもどよ~んとしています。採光設備が少ないのでしょう。





サンパウロ市内に向かう空港バスです。方面別に何カ所か乗り場が分かれているのですが、全くわかりません。さらに悲惨なことにこのバスがどこに行くのか聞いても、説明してくれるポルトガル語が全くわからんのです。

「~したい」「~行きたい」を伝えることができても、相手のレスポンスが理解できないこの惨状。スペイン語とポルトガル語は非常に似ているので、まぁ何とかなるだろうという淡い期待はこの時もろくも崩れ去り、初日にしてさっさとこの国から出国したい気持ちに駆られるのでした。





苦し紛れのスペイン語で買えた空港バスチケット、BRL 31(=1,550円)。外人からはナンボでもふんだくってやろうというサンパウロの意思が感じられる価格設定です。日本の空港バスの方がひょっとしたら安いですよ。





13:00
ホテルにチェックイン。着いてみてはじめて分かったのがこのホテルのあるRepública地区というのが治安のよろしくない場所だったのです。空港バスからのアクセスのみを考えて決めた宿でしたが、周囲には裸の浮浪者がフラフラしてあちらこちらに寝転がっています。少し歩けば小便臭が鼻腔を刺激し、怪しい物売りも多数ウロウロしています。

しかし不思議なことにこんなスラム丸出しの地区でもホテル代は決して安くはないのです。後悔してても仕方ないのでまずは何か食べようと街歩きに繰り出すのですが、町中の至る所にある軽食屋(Lanchonete)での注文の仕方が分からず、ウロウロしている間に雨が降ってきたのでホテルにスゴスゴ退散しました。

居室に戻ってサンパウロのLiberdade在住の日系人の子とチャットしていたら、やはり彼でもRepública地区はあまり行きたくない場所だそうで、何でLiberdadeのホテルにしなかったの?と聞かれちゃいました。だって、見知らぬ土地の危険地区なんて知らないもんねぇ。

何かと親切な彼はLanchoneteでの注文方法も一緒に行って教えてあげる、と言ってくれたのですが、彼はボクと同じく働きながらサンパウロ大学に行っているそうで、平日は時間がないとのことでした。会えなかったのは残念ですが、日本人というだけで、そういう風に親切に接してくれるのは嬉しかったです。

メルコスール0日目―機内での屁はご遠慮ください

2010年03月14日 | 2010南米旅行
2月から3月にかけての約3週間、南米をウロウロしてきました。帰国して1週間ほど経って、やっと元の生活リズムに戻りつつあります。これから旅行中に起こったことを忘れないように写真メインで書き留めていきますのでお付き合いよろしくお願いします。今回は漠然と「南米」と書いたように、訪問国は1ヶ国に絞りませんでした。なのでタイトルも「メルコスール」としてあります。





02/16 火曜日 メルコスール0日目(アメリカ合衆国)
滞在地:大阪→ワシントンD.C.(アメリカ合衆国)
この日の旅程はまずアメリカ合衆国の首都、ワシントンD.C.に行くこと。とりあえずそれだけ。





まずは大阪伊丹空港での一コマ。くらこんの塩昆布を持って行こうと思っていたのですが買い忘れていたことに気づき、急遽空港内の大阪のみやげ物を売る店で買いました。くらこんの3倍近い値段がします。グルタミン酸はどこにいても欲しくなるものですから。





16:50
ワシントンD.C.行きUA898。UNITEDの機体の塗装には大きく分けて2つありますが、ボクはこっちの方が好きです。





ただひたすら12時間のフライトを耐え忍ぶのみです。特にこれといったことも無いので機内食の写真です。手前のメインディッシュは石焼ビビンバ風ごはんです。「石焼」と書いたのはごはんがわざわざローストしてあって下面がカリカリしているからです。しかし、コチュジャンの類いがないのですよ…。





夜食で供されたきつねらーめん。マルちゃんのうどんの麺をラーメンに替えた代物です。味はどん兵衛そのまんま、"Chinese Noodles"と書いてあるので中国人の意見を是非聞いてみたいところです。

この頃からなんかウンコの臭いがするなぁ、トイレが近いからかなぁと思ったら、隣の台湾人のオッサンが屁をこきまくっているのでした。上空では気圧が低いので腸内の屁が膨張してブッブブッブと出やすくなるそうですよ。





14:30
ワシントンD.C. ダレス国際空港着、気温1℃。大雪のため外は真っ白けです。入国カードに"TRANSFER TO BRAZIL"と書いたため、入国審査官に"Você é Paulista?"(キミ、パウリスタなの?)と聞かれる始末。

この空港、開港から時間が経っているのか設備が貧弱というか、何にも時間が潰せるような施設が無いんですわ。おまけに狭いので人口が密集してて快適とはほど遠いただの乗継ぎ空港やなぁと思いました。