社会人学生の遅れてきた学習意欲

実質的には、旅行フォトブログです

メルコスール13日目―フェイスペイントの効果

2010年07月21日 | 2010南米旅行




03/01 月曜日 メルコスール13日目(アルゼンチン/ウルグアイ)
滞在地:ブエノスアイレス(アルゼンチン)→モンテビデオ(ウルグアイ)





7:00
起床。ホテルが気に入ったのでチェックアウトのついでにウルグアイからアルゼンチンに戻ってきた後の宿泊もここにするため予約しました。朝のブエノスアイレス市内はスーツを着たリーマンが慌ただしく出勤しています。





Buquebusのターミナルは乗客でごった返していました。列に並んでからチェックインが終わるまでに1時間も要し、もうこの時点で出航時刻5分前です。自分の後にも長蛇の列が続いていたので、客も係員もみんな必死です。

出国カードに必要事項を記入し出国審査を受けます。アルゼンチンの出国審査の係員の隣にウルグアイの入国審査の係員が並んで座っていて、アルゼンチンの出国審査と同時にウルグアイの入国審査が同時並行的に終わってしまうという合理主義。





待合室から船にはこのようなボーディングブリッジで乗船します。





Buquebus船内のようす。船なので飛行機に比べればシートピッチが広く、バーなどの船内設備も充実しています。出港してから気づいたのですが、ボクが乗っているのは普通船の3倍の速度が出る高速船です。









10:10
船はブエノスアイレスのDarsena Norte港を出港しました。









航行しているのは海ではなくてラプラタ川です。ボクは見知らぬ土地では太陽の位置を手がかりにして時計で南の位置を割り出して方向を把握するのですが、太陽の位置と時計を使って現在の船の進行方向を割り出すと、船は西に向かって進んでいることになります。

しかし、ブエノスアイレスから見て船の行き先であるコロニアデルサクラメントは東の方向で、そもそもブエノスアイレスから西には陸地があるので、船は西には航行できないのです。おかしいなぁ……

このトリックに気づいたのはウルグアイに着いてから。今ボクがいるのは南半球なので、太陽の位置を手がかりにして時計で割り出せる方角は南ではなくて北になります。だから船が進んでいるのは東向きで、ちゃんと合っているのでした。ん~地球って丸いなぁ。わかる人だけわかってくれればいいです。





11:10
コロニアデルサクラメント着。ここでトラブル発生。預けた荷物が空港のバゲッジクレームみたいなターンテーブルに乗って循環しているのを受け取るのですが、預けた背嚢のサブポケットが何物かによって開けられて、その中身が抜かれていました。

サブポケットには機内でのエア枕や筆記用具などを入れており、金目のものは入れていなかったのですが、この旅の詳細をメモした小さいノートを入れていたので自分としては大きな痛手です。背嚢のサブポケットは人為的に開けねば開かない構造のものなので、何物かによって開けられたと考える方が自然です。

しばらく呆然としているとサブポケットに入っていたノート類がターンテーブルに乗って回ってきました。ちゃんと戻ってきたので万々歳です。でもこれからBuquebusに乗る方は注意してくださいね。小さいポケットでもちゃんと施錠しましょう。





2時間かけてモンテビデオのTres Crucesバスターミナルに着きました。ウルグアイはサマータイム実施中なので、時計を1時間早めて現在時刻は15:00。





バスターミナルからモンテビデオ中心街へと至るバスに乗って外を眺めていると、赤青白の三色旗を持った連中が頻繁にウロウロしているのが目につきます。





モンテビデオのセントロに着くとそこはもうお祭り騒ぎ。ここにいたって1週間前にイグアスの滝で出会ったモンテビデオから来た老夫婦の「来週は大統領就任の祭りがあるよ」ということばが蘇ってきました。これのことだったのか。





新大統領Mujica氏のお面屋台。









広場は三色旗を持った支持者で埋め尽くされています。この三色旗はウルグアイの与党であるFrente Amplio(拡大戦線)の党旗で、Frente Amplioは簡単に言えば左翼政党です。保守政党から革新系のFrente Amplioに政権が交代したのでこんなに祭りになっているのか、と思えばそうではなくて、前大統領のVásques氏の頃からFrente Amplioは与党でした。ですのでこのお祭り騒ぎの意味がボクには分かりません。





MPP(=Movimiento de Participación Popular)はFrente Amplio(拡大戦線)を構成する政治グループだそうで、日本で言うところの鳩山政権における社民党みたいなもんでしょうか。





誰かわかりませんがサイン攻め&写真攻めに遭っているオッサンがいました。日本で言うところの渡部恒三みたいなポジションなんでしょうか。





18 de Julio大通りには支持者がどんどん集まってきます。この旗を見ているとロシアの選挙運動に巻き込まれているような気がしてきます。

群集に紛れてフラフラほっつき歩いていると、絵の具を持ったチビっ子が来て、両頬をFrente Amplioカラーである赤青白のトリコロールに塗られました。このチビっ子のおかげなのか、フェイスペイント後のボクはあちこちのモンテビデオっ子からやけに絡まれるようになりました。





独立広場でのライブ映像を見ながら歌う群衆。独立広場はわずかなスペースしかないので、18 de julio通り全体に人が溢れています。





お祭りの写真を撮っていると、「オレ達を撮れYO!」とモンテビデオっ子に絡まれたので写真を撮ってみました。イカツイ風貌なのに綿菓子持ってるみたいに見えてカワイイですね。





ここでウルグアイB級グルメレポート。18 de Julio大通りは歩行者天国になっていていろんな屋台が出ています。これはチョリパン屋台です。チョリパンとはパンにチョリソを挟んだ軽食のことで、ホットドッグに比べてチョリソはボリュームがあり、炭火で焼いてあるので香ばしくていい香りがします。

チョリパンはアルゼンチンやウルグアイでは割とメジャーな食べ物です。トッピング全部乗せで頼んだらこのようなとんでもないことになります。UYU 35(=157円)。





Torta Frita(揚げパイ)。粉砂糖がかかっていて甘そうに見えますが、甘さ控えめでナンボでもいける勢いで食べてしまいます。UYU 20(=90円)。

このあと暗くなってからクラブに遊びに行きましたが、地元っ子によると木曜日から週末にかけてでないとモンテビデオの夜は盛り上がらないようです。帰り道にホテルまでフラフラ歩いて帰っても街中は比較的安全でした。

メルコスール12日目―大地鳴動に気づかず

2010年07月20日 | 2010南米旅行




02/28 日曜日 メルコスール12日目(アルゼンチン)
滞在地:ブエノスアイレス(アルゼンチン)

6:00
バスの中で起床。窓の外にはひたすら茫漠たるパンパが広がっています。これといったランドマークもなく草原が延々続きます。





8:40
ブエノスアイレスのレティロ地区にあるバスターミナルに着きました。知人がこのバスターミナル裏手で強盗に遭ったことを聞いていたのでそそくさと退散します。





明日ウルグアイのモンテビデオに行くつもりをしているので、Buquebus社のターミナルにやってきました。Buquebusはその名の通りbuque(船)とbus(バス)を取り扱っている会社のことで、アルゼンチンからウルグアイに向かう場合、陸路では遠回りになるので、普通はBuquebusを利用して船で行くことが多いようです。

ブエノスアイレスからモンテビデオに行くには、ブエノスアイレスから船でラプラタ川を横断し、対岸の都市であるコロニアデルサクラメントに着いてから、バスに乗り換えて陸路でモンテビデオまで行く方法と、直接モンテビデオまで船で行く方法とがあります。便数が多いのは船+バス併用型です。





半日近く夜行バスに揺られてブエノスアイレスに到着して疲れているので、ホテルでちょっと横になって休むことにしました。テレビを見ていると隣国チリで大地震が起こっているようで、その地震特番をやっていました。死者の数が時間の経過とともにどんどん増えていきます。





ミシェル・バチェレ大統領(当時)がテレビで治安の回復等を国民に訴えかけていました。この地震は大統領の任期切れまであと10日という政権最末期に発生したために、おそらくはその処置のほとんどを次期大統領が担うことになるでしょう。次期大統領が「前政権が~、バチェレが~、国民が聞く耳を持たなくなった~、アーアー聞こえない~」と責任転嫁せず対処してくれていることを祈りたいと思います。









しばらく休憩してシャワーを浴び、ブエノスアイレス市街の散策に出ました。写真は9 de Julio大通りにあるオベリスクです。67mの高さがあるので街歩きの目印としてはもってこいです。しかしながらブエノスアイレスは東西南北に碁盤目状に道路が整備されているので、ランドマークなどなくてもよほどの方向音痴でない限り迷うことはないと思われます。





オベリスクの下の方にローマ数字で書いてある年号"MDCCCLXXX"は西暦1,880年のことで、この年にブエノスアイレスは正式にアルゼンチンの首都となったのです。





お腹が空いたのでレストランに入りました。





ミラノ風カツレツ、ARS 25(=625円)。やたらとデカいのはこの国のお国柄によるものです。アルゼンチンは何を隠そう一人当たり年間牛肉消費量が52.1kgで世界一!これは世界平均の5倍以上の数字です。ちなみに日本の一人当たり年間牛肉消費量は6.5kgで第86位です。





街中を歩いていると今まで回ってきた南米諸国とは違った印象を受けます。ブエノスアイレスは「南米のパリ」と呼ばれているそうで、これを見ればなるほどな~と思います。(パリ行ったことないけど)





日曜日はドレゴ広場で骨董品市をやっているというのでやってきました。切手やナンバープレートやビンテージものの食器などの屋台が所狭しと出店しています。





ローカルニュースの取材らしきインタビュアーと出店者。

この日はバス移動で疲れているのと日曜日ということでさっさとホテルに戻ってすぐ寝ました。

メルコスール11日目―ソロで歌うデュオ

2010年07月19日 | 2010南米旅行




(前回の続き)
さて、国道でバスを拾って再びエンカルナシオンのバスターミナルへと戻ってきました。どうにもこうにも頭痛がひどいので近くの薬局で風邪薬を買いました。PYG 2,500(=50円)。ついでにマテ茶の壷と専用ストロー(bombillaといいます)と炭酸水をPYG 24,000(=480円)で購入しました。

明日は日曜日なのでおそらくどこの商店も閉めて活気がないだろうと思われます。ですのでさっさとパラグアイを出国して夜行バスでブエノスアイレスに行き、その後はホテルでゆっくりすればいいや、と考えてバスターミナルでブエノスアイレス行きのチケットを買い求めます。が、どこも「ブエノスアイレス行きは売り切れてまんねん、あさって発やったらあるで」とのこと。





このままパラグアイにいても仕方ないので、ここエンカルナシオンとパラナ川を挟んで位置する、アルゼンチン・ミシオネス州の州都ポサダスに行くことにします。バスターミナルをうろついていると「どこ行くねん?」とあちこちからお声がかかります。行き先を言えば「ポサダスやったらあそこのバス乗り場やで」と誰もが正直に教えてくれます。





アルゼンチン・ポサダス行きバスの車内。普通の路線バスと行った感じです。物売りなのかオバハン達が中国人顔負けのもの凄いボリュームの手荷物を積み込んで乗ってきます。

途中で出入国管理局前でバスが停まってくれたので出国の手続きを済ませました。窓口に行ったら建物の外にある机とハンコだけを置いた簡素なスタンプ台を指差され「あそこで手続きして」と言われます。オッサン2人がやけに陽気にスタンプを押してくれて完了。









国境の橋。





アルゼンチン側入国管理事務所。パラグアイ側はフリーパスだったオバハン達もIDを片手に入国手続きをしていました。近隣の住民だとパスポートは必要ないみたいですね。





アルゼンチンはミシオネス州、ポサダスのバスターミナルに着きました。イグアスの滝でもう既にアルゼンチンには入国したことになっていますが、メルコスール2ヶ国目アルゼンチンに再度入国!

ターミナル内にはバス会社のオフィスがいっぱいあり、ブエノスアイレス行きのチケットも豊富にありました。そらそうですよね、首都だもん。聞けば19:45発のバスがあったのでそちらを購入、ARS 173(=4,325円)。

手持ちのパラグアイ通貨のグァラニを両替しないと何もできないので両替屋を探しますが、国境の街のくせに一軒も見当たりません。ウロウロしてたらタクシー運転手が絡んできたので両替を頼むと、PYG 75,000(=1,500円)→ARS 30(=750円)のレートを提示して交換しようとします。

足らん!と言うともう10ペソ足してARS 40(=1,000円)にしましたが、それでも割を食ってる気がするので結局両替しませんでした。タクシーのオッサンは等価であることを主張していましたが、それを唯々諾々と信用する気になるわけもなく、こっちが押せばやすやすと10ペソを上乗せしたのも胡散臭い話です。なので未だにボロボロのグァラニ紙幣が我が家の奥に眠っています。弱小通貨とは悲しいもんです。





19:30
バス乗車。シートはリクライニング角度が大きくピッチも広くて快適です。途中で飲み物とエンパナダ(小ぶりのミートパイ)が供されるのでちょっとした機内食感覚です。

写真を見れば前方にモニタがあるのが分かると思います。サービスの一環か乗務員の趣味かはわかりませんが、このモニタを利用して夜間便なのに大音量でライブDVDを流すのには閉口しました。




Flor de Estación - Banda La Ruta 66
(メロディが頭から離れなくなるので視聴注意)


ミシオネス州では人気らしい"Banda La Ruta 66"というデュオのライブのようです。覚える気など更々なかったのにキャッチーなメロディラインのせいで頭からこびりついて離れなくなりました。デュオなのにハモるというわけでもなく、曲ごとにそれぞれが別々に歌っているというのもよくわかりません。

バスは一路ブエノスアイレスへ。

メルコスール11日目―閑古鳥鳴く世界遺産

2010年07月18日 | 2010南米旅行




02/27 土曜日 メルコスール11日目(パラグアイ/アルゼンチン)
滞在地:エンカルナシオン(パラグアイ)→ポサダス(アルゼンチン)→ブエノスアイレス(アルゼンチン)





詳細移動経路はこちら。パラグアイ唯一の世界遺産であるトリニダー遺跡に行ってからパラグアイを出国する予定です。

6:30
鼻づまりで呼吸が苦しくて起きました。頭痛もします。風邪引いたみたいです。8時過ぎまでボーッとしますが、回復の見込みがないので諦めてチェックアウト。





バスターミナルでトリニダー遺跡行きのバスに乗ります。PYG 5,000(=100円)。このバスは定員を超えてもどんどん客を拾って乗せていくので、立っている乗客と荷物やらでギッチギチに詰まっております。





1時間ほどで遺跡近くの国道に着きました。こちらでも車掌に「遺跡まで行くから着いたら教えて」と言っておけばちゃんと停まってくれます。このバスは地元民の生活の足として機能しているので、「他の観光客然とした人間について降りたらいいや」と思って何も言わずに乗っていたら、とんでもないところまで行ってしまう可能性大です。実際、ここでバスを降りたのはボクだけでした。





国道から5分ぐらい歩けばチケット小屋が左手にあります。他のミッション遺跡の入場料込みでPYG 25,000(=500円)です。それぞれの遺跡は車で30分ぐらい離れているところに位置しているので、全部見て回ろうとすると車がないとキツいと思います。

「他の遺跡にも行かんかったらもったいないで、アンタ!」と熱心に勧められますが、あいにく風邪を引いていて頭痛でフラフラになりながらここまで来ているので、あちこち見て回るほどのバイタリティは持ち合わせておりませんでした。荷物を背負って見て回る気力もなかったので、チケット小屋で背嚢を預かってもらいました。





この遺跡は正式名称をLa Santísima Trinidad de Paranáといい、Jesús de Tavarangueと共に世界遺産に登録されています。17世紀から18世紀にかけて築かれた、イエズス会の伝道村の一部が廃墟化して残っている遺跡です。

世界遺産にもかかわらず鐘楼の上で観光客を2名見かけたっきり観光客はほとんどいませんでした。そのせいか他の世界遺産にありがちな「触るな」「撮るな」「登るな」の類の禁止事項が少なく、自由に見て回ることが可能です。









この鐘楼は中に入れます。階段で2階に上がることもできるので、この遺跡唯一のビュースポットとなっているようです。













上からの眺め。





アリ塚。





何か分からん花。









メインの教会です。今では屋根が抜けてしまって残念な姿になっていますが、創建当時の姿を想像で補ってみると、他のラテンアメリカ諸国に現存するカテドラルに匹敵する教会建築であったことは、これらの重厚な土台と繊細な彫刻から容易に想像がつきます。





外から見るとこんな感じです。





今度は逆に祭壇側から入り口を見るとこんな感じです。





地下の遺体安置所への入り口。





もちろん遺体が今も置いてあるわけなどなくスッカラカンです。





横には隣の建物に通じる入り口が。





修復待ちの石材が陳列されています。





おそらく生前は神父だったと思われる人骨も展示してあります。

写真は100枚近く撮っているのですが、全部をいちいち挙げていってもキリがないのでこのへんでやめておきます。

(後編に続く)

Lindo Gesto

2010年07月01日 | スペイン語




サッカーW杯(Copa Mundial)日本-パラグアイ戦の一コマ。パラグアイのフォワードNelson Haedo Valdezが駒野のもとに駆け寄って慰めているところ。こういうの見るとスポーツってやっぱりいいな~と思います。日本のメディアではあまり取り上げられていなかったので掲載しました。元記事はこちら