社会人学生の遅れてきた学習意欲

実質的には、旅行フォトブログです

アマゾン河の食物誌

2009年09月20日 | 読書メモ




『アマゾン河の食物誌』
著者:醍醐麻沙夫
出版社:集英社新書
出版年:2005/03

ブラジルのアマゾンでの著者の実体験をもとにして書かれた食べ物の話です。著者はもう70代のおじいさんですがブラジルで漁師などをしながら作家になり、開高健のアマゾン取材時には案内役を務めたことのある異色の経歴の持ち主です。

アマゾン河と一口に言っても人間が密集して暮らしている都市部もあれば、昔ながらの手つかずの自然が残る奥地もあって、その両方を章別に交互に配置しバランスよく描写してあります。

アマゾン河流域の都市としては上流から等緯度・等間隔にマナオス、サンタレン、ベレンと3つ並んでいます。これらの都市と密林地帯では全く食習慣が異なり、また都市部と言えどもそれぞれおいしいものが異なるのだそうです。

日系人がふるさとの味を求めてアマゾンにあるものでウナギの蒲焼きを作る話や、海の魚より河の魚の方がおいしいといった日本とは真逆のことがかかれてあり非常に興味深く読みました。

マニアックな食品のみを採り上げるのではなく、例えばフェイジョアーダやシュラスコといったいわゆるブラジルならではの食べ物とその作法についても満遍なく触れられているので、ブラジルに関する予備知識を得るには格好の書籍と言えます。

ボンボン

2008年12月31日 | 読書メモ




『ボンボン』(原題:El perro)
監督:Carlos Sorín
公開年:2004/09/24(日本:2007/04/14)
製作国:アルゼンチン
言語:スペイン語

昨日BS朝日でアルゼンチン映画のボンボンをやっていたので見てみました。普段映画を見ないのでカテゴリは違いますが読書メモに入れておきます。

舞台はアルゼンチン南部パタゴニア。真面目にガソリンスタンドに勤めていたフアンは突然仕事をクビになり、娘夫婦のところに居候するはめに。ある日人助けをしたお礼としてもらった犬をつれて帰ると娘にこっぴどく怒られ、家を出て行かざるを得なくなってしまい…というお話です。

日本で公開された当時のポスターには「ラテン版わらしべ長者」と書かれていますがわらしべ長者の話とは全く違います。犬を貰い受けたフアンにはこの犬を元手にして一発あてるぞなんて意気込む様子はさらさらなく、むしろ「お礼に犬なんかもらってもなぁ…」と終始消極的ですし、ドッグコンテストで入賞を果たしても盛り上がっているのはフアンの周りの人間でした。

この映画ではフアンは必要最低限の生活ができたらそれ以上は求めないタイプの人間として描かれています。荒涼としたパタゴニアでは天の僥倖なぞ期待できないし誰もが必死にならねば生きてゆけない環境にありますが、その中で控えめなフアンが生活していくというそのコントラストが際立っています。

犬は犬舎に書かれていたフランス語(le chien)をそのまま西語読みしたレチェンという名でフアンに呼ばれます。ドッグコンテストで入賞し種付け依頼が来るのですが、レチェンは雌犬に興味を示さず獣医に「性行動に問題有り」との診断をされてしまいます。その後フアンとレチェンは別れるのですが、お互いにやっぱり一緒に居たいと思い再会を果たします。

フアンとレチェンは鏡像的な関係にあって知らず知らずのうちに相手の中に自分を見出していきます。必要最低限の生活しか求めないフアンとレチェン。レチェンはおそらく前の飼い主の死によってそのようになったのだと思われますが、フアンと別れた後で脱走してフアンに会いに行くという過程で新たな生きる目標を見出したんだろうと思います。

そしてそれを見たフアンも鏡像関係にあるレチェンに自分の生きる活力を見出してブリーダーとしての生き方に活路を見たのではないかと思います。その辺の静かな内なる変化が最後のシーンで印象的に描かれていたように感じました。

ペドロ・パラモ

2008年12月30日 | 読書メモ




『ペドロ・パラモ』
作者:Juan Rulfo(フアン・ルルフォ)
訳者:杉山晃、増田義郎
出版社:岩波文庫
出版年:1992/10/16

久しぶりにものすごい小説に当たってしまいました。作者のフアン・ルルフォはメキシコの小説家で作家としては寡作なためそれほど多くの作品を残しているわけではありません。

この『ペドロ・パラモ』では寸断されたエピソードがバラバラに提示され、登場人物の関係性は断片的で、死者も生者もそれぞれが一人称で語り、しかもいつの出来事について語られているのかそれ単独ではわからないという非常に込み入った作りになっています。

例えば初めにAとBの2人の関係性が与えられ、その後にC・D・Eが単独で現れたかと思えば、実はBとCはこれこれの関係でCとDはこれこれの関係でDとEはこれこれの関係で、さらにCはもう死んでるといった具合に先へ先へと読み進めなければ全体像が見えてこないのです。

ジグソーパズルが単独のピースでは絵に見えないのと同様、この『ペドロ・パラモ』も全てのエピソードを拾わないと何がなんやら分からないのです。橋田壽賀子ドラマの台詞がくどい説明調で拵えられているのとは対照的です。

あまり具体的にあれこれ書いてしまうとこれから読む人の楽しみを奪ってしまうのでこの辺でやめておきます。

エレンディラ

2008年12月27日 | 読書メモ




『エレンディラ』
作者:Gabriel García Márquez(ガブリエル・ガルシア=マルケス)
訳者:鼓直、木村榮一
出版社:ちくま文庫
出版年:1988/12/01

コロンビアの作家ガルシア=マルケスの"La increíble y triste historia de la cándida Eréndira y de su abuela desalmada"(ナイーブなエレンディラと残酷な祖母の信じがたく悲惨な話)を読みました。

話のはじめの方でエレンディラの失火が原因で祖母と暮らしていた屋敷が全焼してしまい、祖母はその損害額を孫娘のエレンディラに売春させて回収するというなんとも救いようのない話です。

悪辣な祖母の手から離れて生活できるチャンスを何度も手にする(実際に修道院の尼僧に拉致され祖母と引き離される)エレンディラですが、その度に自分に売春を強要する祖母のもとに戻って「私にはおばあちゃんしかいないの」と安堵にも似た感情を抱いている辺りは当事者以外の我々には不可解にしか映りません。

ガルシア=マルケスと言えばすぐに連想されるのが魔術的レアリズムです。この話の中ではそれほど頻繁に使用されているわけではありませんが、突然何の説明事もなくさも当たり前のようにそれがポッと提示されるので、疑問を感じるわけでもなく話の進行とともに自然と入り込んでくるところがさすがだなと思います。

「エレンディラ」はどうやら実際の話をもとにして書かれたようで、なるほど地球の裏側のコロンビアなんて麻薬汚染の殺人大国だからこんな極悪非道(desalmada)なババァがいてもおかしくはないわな、と思うのはちょっと早い。ちょうど日付で言えば一昨日、和歌山の家裁でこんな判決がありました。

中3娘に売春強要の母親に懲役3年6月 「許し難い犯行」と裁判官

「エレンディラ」の場合は祖母と孫の間での売春の強要でしたがこちらは母と娘の間ですから親族関係で言えばもっと近い関係に当たります。さらに「エレンディラ」では売春は火災を起こしたことに対する賠償というそれなりの理由がありましたが、こちらの場合は自分のパチンコ代を稼がせるために売春を強要していたというのだから恐れ入ります。

何より不可解なのが「自分たちの遊興費のために娘の気持ちを踏みにじった許し難い犯行」と裁判官は述べているのに求刑懲役5年が懲役3年6月に30%引きされていることです。

自分の娘を女郎屋に売ったりするのは昔実際によくあったようですが飢饉や生活苦でやむにやまれずというのが実態でしょう。それに比べてパチンコ代を稼がせる目的で嬉々として娘に売春を強要する親…