社会人学生の遅れてきた学習意欲

実質的には、旅行フォトブログです

メルコスール旅行のおさらい

2010年09月21日 | 2010南米旅行




<滞在地のまとめ>
2/16ワシントンD.C.
2/17サンパウロ
2/18サンパウロ
2/19リオデジャネイロ
2/20リオデジャネイロ
2/21ベレン
2/22ベレン
2/23ベレン、フォスドイグアス
2/24フォスドイグアス
2/25フォスドイグアスプエルトイグアスシウダーデルエステ
2/26シウダーデルエステ、エンカルナシオン
2/27エンカルナシオンポサダス
2/28ブエノスアイレス
3/01モンテビデオ
3/02モンテビデオ
3/03モンテビデオブエノスアイレス
3/04ブエノスアイレス
3/05ブエノスアイレス
3/06ブエノスアイレスサンパウロ
3/07シカゴ、サンフランシスコ

<フライトのまとめ>

日付航空会社便名区間時間マイル数
2/16全日空NH2178伊丹→成田1:10278
2/16ユナイテッド航空UA898成田→ワシントンD.C.12:206,753
2/16ユナイテッド航空UA861ワシントンD.C.→サンパウロ9:204,717
2/19TAM航空JJ8085サンパウロ→リオデジャネイロ1:00234
2/21TAM航空JJ3420リオデジャネイロ→ベレン3:301,518
2/23TAM航空JJ3555ベレン→フォスドイグアス7:201,709
3/06ブリティッシュエアウェイズBA246ブエノスアイレス→サンパウロ2:301,031
3/06ユナイテッド航空UA842サンパウロ→シカゴ10:305,252
3/07ユナイテッド航空UA885シカゴ→サンフランシスコ4:301,846
3/07ユナイテッド航空UA885サンフランシスコ→関西12:105,413
スターアライアンス加盟航空会社マイル数27,720



全日空・ユナイテッド航空・TAM航空ともにスターアライアンスに加盟しているので、ユナイテッドのマイレージプラスの口座にマイルが貯まります。ブエノスアイレス―サンパウロ間で乗ったブリティッシュエアウェイズのマイル数を差し引いた、スターアライアンス加盟航空会社のマイル数が27,720となりました。これだけでソウルや香港などの東アジア諸都市へタダで行ける特典旅行がGETできるだけのマイル数です。

今回、ブラジルの国内線はTAM航空のエアパスを使うことにしました。中南米は国内線・国際線ともに航空券の価格がバカ高く、1区間ごとに購入していれば移動だけでウン十万するのは確実です。エアパスは他にGOL航空やアルゼンチンのLAN航空なんかも出しているので旅行代理店に問い合わせてみてください。

大阪―サンパウロ間の航空券が145,000円、ブラジルエアパスが65,000円、ブリティッシュエアウェイズの航空券が25,000円、以上がフライトに要した全ての金額です。

フライト時間の総合計が64時間20分、自分でもよく我慢したと思います。日本と北米間のフライト時間が最も長く、次いで北米と南米間のフライトが長くなっています。次回訪問時にはストップオーバーを利用して北米の都市に着いたら数日遊んで、その後に南米に行くというプランにしたいと思います。

メルコスール18日目(最終日)―飛んでバックトゥホーム

2010年09月20日 | 2010南米旅行




03/06 土曜日 メルコスール18日目(アルゼンチン/ブラジル/アメリカ合衆国/日本)

滞在地:ブエノスアイレス(アルゼンチン)→サンパウロ(ブラジル)→シカゴ(アメリカ合衆国)→サンフランシスコ(アメリカ合衆国)→大阪





前日の晩、ホテルまでの帰り道でキャッチに捕まり、それにホイホイついて行けばそこは怪しいガールズバーでした。クラブには遊びに行ってもこういう店は好きじゃないので出ようとしたら、案の定訳の分からぬ金額を請求されました。えぇ、大阪弁でまくしたてて一銭も払わずに出てきましたとも。





11:40
ブエノスアイレス・エセイサ国際空港着。ここからサンパウロまでをBRITISH AIRWAYSのBA246便で飛んで行きます。この便はブエノスアイレス発サンパウロ経由ロンドン行きの便で、もともと南米2都市間の旅客輸送はもともと当てにしておらず、「空席で飛ばすより安売りでもいいから乗ってもらって小銭稼ごう」と破格の価格設定になっています。ということでブエノスアイレス―サンパウロ間では南米の航空会社の半値以下でチケットを取ることができました。





チケットが安かったので座席をグレードアップしてみました。前後左右ともにゆとりのあるシートで快適でした。





ブラジルのポルトアレグレ近辺の上空だと思います。





15:50
サンパウロ・グァルリョス空港着。いつ来てもどんより。





乗継ぎ便までまだ時間があるのでフードコートでホットドッグを食べました、BRL 15(=750円)。サンパウロの市中で食べたらもっとマシなものがこの半額で食えるんだろなぁ。





ブラジルエアパスでお世話になったTAM航空の機体がありました。"ORGULHO DE SER BRASILEIRA"(「ブラジルの航空会社であることの矜持」→意訳:「ブラジルに生まれてよかったー」)





22:00
UA842 シカゴ行きの便は定刻に飛び立ちました。リクエストしてないのにエコノミープラスの座席になってました。





3/7 8:50
翌日朝、11時間のフライトを経てシカゴにある間寛平みたいな名前のオヘア空港に着きました。





イミグレも税関もアメリカと思えないほどスムーズに通過できて、なんだか拍子抜けしました。





UA885 サンフランシスコ経由関西行き、定刻発です。





サンフランシスコに着きました。もうこの辺になってくると長時間のフライトと時差と疲労で、何がなんやらわからぬまま乗り継ぎゲートに向かっています。機内の写真もなければ旅の記録もここでプッツリ途絶えているので何も書きようがありません。





3/8 16:50
関西空港にやっと帰ってきました。

今までダラダラと書き綴ってきたメルコスール旅行記にお付き合いいただきまして、どうもありがとうございました。このひどい更新頻度にもかかわらず、更新するたびちゃんと見てくださっている少なからずの方々のおかげで、何とか終わりまでこぎ着けることができました。

メルコスール17日目―ダンスは見るもの?踊るもの?

2010年09月19日 | 2010南米旅行




03/05 金曜日 メルコスール17日目(アルゼンチン)
滞在地:ブエノスアイレス(アルゼンチン)

今日は特に何をやる日とも決めていないので、ブエノスアイレス市街をただあてもなくぶらぶらすることにしました。





Subte D線の車内。昨日のE線はレトロな内装がかわいかったですが、こちらは普通のよくある地下鉄でした。





ここはブエノスアイレス動物園。Plaza Italia駅降りてすぐの所にあります。





ヌートリアやドードーみたいな鳥が園内に放し飼いにされていて、すぐそばまで近寄って来られます。最初は物珍しいのでみんな写真を撮っていましたが、5分もしたら飽きてしまうのか園内の奥の方では放し飼いの小動物達は歯牙にもかけられていませんでした。





ヌートリア「モショモショモショモショ……あーなんかムズムズするわぁ、んあぁーっ、よいとこせ、よいとこせ、カィカィカィカィカィカィカィカィっ!」





マラ「んーっ?何でんの?撮影でっか、暑いのに酔狂なやっちゃ…」





真夏の真っ昼間の暑さでネコ科の動物がダレている脇で、ヒグマはがんばってウロウロしてくれていました。





アジアゾウ。目みてるだけで和みます、かわぇぇな~。





その傍らではマラが授乳中でした。マラとはパタゴニアに住むテンジクネズミ科の齧歯類でアルゼンチンの固有種です。





動物園を出て地下鉄駅に戻ると切符売り場が閉まっています、困った。私服を着た駅員のような一般人のようなオッサンが、改札でさかんにこちらに向かって手招きをするので、切符を買わずに(=買えずに)改札を抜けちゃいました。他の人も続々と切符無しで入ってきていたので、まぁいいんでしょう。





5月広場から港方面に道を下って歩くと、Puerto Madero地区の瀟洒な建物が並ぶ通りに出ました。ブエノスアイレスでも指折りのオシャレ地区のようです。





南に向かって歩いて行くとボカ地区に出ました。写真はPuente Transbordador:運搬橋、ブエノスアイレス輸送橋、ニコラス・アベジャネダ橋とか呼称は様々です。運搬橋とは河川を航行する船を妨げないように、両岸を上から吊るしたゴンドラで輸送するというタイプの輸送形態の一つで、代表的なものの一つにスペインのビスカヤ橋が挙げられます。この運搬橋は既に現役を退いていて、今はただのランドマーク的存在です。





これがよく知られているCaminito:カミニート(細道)と言われるところです。アルゼンチンを紹介する映像には必ずと言っていいほどこのカミニートでタンゴを踊るダンサーが使われるので、さぞや楽しげなところに違いないとウキウキして来たのですが……

ただの色ペンキ小屋が並ぶ何の変哲もないエリアでした。正直なぜここが観光地になっているのか今でも理解に苦しみます。欧州からの移民が初めて降り立った場所としての歴史的背景があってこそのことなんでしょうか。





路上ダンサーやパフォーマーがチラホラいる以外、あとは昼間からオープンテラスでビールを飲む観光客のみです。ダンサーやストリートパフォーマーはここ以外にもいっぱいいるので、わざわざ来るほどのところでもないなぁというのがボクの感想です。





ボカジュニアーズの鳴り物応援団のパフォーマンスをやっていました。





暑いので帰りはバスに乗ることにしました、ARS 1.25(=30円)。





車内に乗り込むと大昔に作られたであろう年季の入った切符の自動券売機があって、乗車券はそれで購入するようでした。自動券売機は南米では初見です。ちゃんと路線番号や時間が印字されていてなかなか便利です。

この日の晩、タンゲリアにタンゴショーでも見に行こうかと思いましたが、やっぱり地元のクラブに遊びに行きました。ホテルのエレベーターで一緒になったフランス人はタンゴショーを見に行ったらしく、「ブエノスアイレスに来たからにはタンゴを見ないと!」と熱っぽく勧めてきましたが、リオデジャネイロでカーニバルを見なかったこの私がタンゴを見に行くわけもない。(ぃゃ、機会があればチラ見したい気があるのも事実ですが…)そんなこんなでブエノスアイレスの夜は更けていきましたとさ。

メルコスール16日目―まずい中華料理店症候群

2010年09月13日 | 2010南米旅行




03/04 木曜日 メルコスール16日目(アルゼンチン)
滞在地:ブエノスアイレス(アルゼンチン)





ホテルを出てあてもなくぶらついているとサンマルティン広場に着きました。緑が多くて手入れが行き届いており、小綺麗にまとまっています。市民の憩いの場なんでしょう。





これが広場の名前にもなっている南米独立の父、サンマルティン将軍像です。周りには軍服を着た面々が何やら屯しておりましたが、何を目的としていたのかはわからずじまいでした。





ブエノスアイレスの地下鉄は"Subte"といい、中華料理みたいな名前をしています。路線は6本ありますが、そのうちの4本が5月広場を起点にして西側へと放射状に線路が敷設されているため、乗換えを駆使して目的に辿り着く日本の地下鉄とは異なり、ほぼ東西の移動を目的として使われているのではないかと思います。





Subteの切符です、ARS 1.1(=30円)。







プラットフォームはこんな感じで売店もあります。





電車自体はそれほど新しくもないのですが、白熱電球の照明のおかげで貧乏臭さを感じないようになっています。レトロな路面電車が巨大化して地下を走っている感じです。

ホテルのロビーに市内観光案内用のパンフレットがいくつか用意されてあって、その中に革製品のアウトレットショップのものがあったので、今日はそこにいくことにしました。

住所を頼りにショップを探すもその住所の場所にはショップらしい店構えはなく、灰色の大きな鉄扉がデーンと鎮座しているだけでした。途方に暮れていると運良く小さい通用口が中から開いたので中に入れてもらうことができました。

思うにたぶんここは団体バスツアーで連れて来られるような店なんでしょう。もともと個人を相手にしていないんじゃないかと思いました。





アウトレットショップというよりもそこは革製品の工房で、コート・革ジャン・バッグ・財布・キーケースなど様々な革製品が所狭しと並べられていました。個人で予告無しにひょこっとやってきた東洋人相手に、店の人は愛想良く革鞣しや染色や縫製の説明を一通りしてくれました。





本牛革のベルトを買いました、ARS 80(=2,000円)。ペラッペラの中国製の安モンと違ってなかなか縒れませんし、やはり世界有数の畜産王国の革製品だけあって革の質が頗る良いです。





買い物を済ませて5月広場に帰ってきました。5月広場の正面にはラブホテルと見紛うばかりの大統領府があります。この大統領府、俗称をCasa Rosada(ピンクハウス)といいまして、今から約百数十年前の二大政党それぞれのカラーである赤と白を、国民統合の象徴とばかりにエイヤッと混ぜてピンク色にして塗ったからだという逸話があります。





中心部のFlorida通りやLavalle通りは歩行者天国になっていて、道の真ん中にこのようなブックスタンドがたくさんあります。





お腹が空いたのでpor kiloレストランに入りました。por kiloとは重量制バイキング形式レストランのことで、チョイスした料理の重さによって値段が決まります。南米ではよくある形式のレストランです。





この店は中華版ベジタリアンpor kiloのようでした。店員の愛想はいいんですが、味の方は…素朴な味付けでホッとする部分はありますが、なんともおいしくなかったです。肉を使わない分ボケたような味になるのをカバーしきれていないかな、残念ながら。

プレート1つとペットボトルのコーラでARS 17(=420円)でした。価格は◎です。店側を弁護させてもらうならば、畜産王国のアルゼンチンで敢えてベジタリアンレストランをやってくれているその心意気や良しと言えましょう。当地を再訪する機会があればたぶんまた来てしまうと思います。

この後、夜になってからクラブに遊びに行って、そこで知り合った子と大陸系中華バイキングで食事をしました。寿司があったので喜び勇んで何個かいただいたら、寿司とは似ても似つかぬ下手物でした。それはまるで寿司を食べたことがない中国人が想像で作ったと思われる「酢漬けライス魚介乗せ」でした。

ボトルワインやらコーラを飲んでも一人あたり1,200円だったので、中華レストランは安くて助かりますが、しかしなんであんなに料理をまずく作れるんでしょうな?今思えば昼に食べた中華版ベジタリアンpor kiloレストランの方がまだおいしかったです。

メルコスール15日目―しつこいジングル、もたつく係留

2010年09月12日 | 2010南米旅行




03/03 水曜日 メルコスール15日目(ウルグアイ/アルゼンチン)
滞在地:モンテビデオ(ウルグアイ)→ブエノスアイレス(アルゼンチン)


前日の晩にアルコールを摂取して知らぬ間に寝ていたせいか、テレビも扇風機も付けっぱなしで寝ていました。さむいさむい。





前日に汚れ物を預けていた洗濯屋に服をとりに行きます。"LAVADERO JULIO(フリオのクリーニング店)" 入り口は金属製の格子でガチガチにガードしてありますが、「開けて」と言えば開けてくれます。





デニムパンツやポロシャツに下着各種をきれいに洗ってくれ、柔軟剤仕上げでちゃんとたたんでくれるこのサービス、なんとUYU 90(=400円)。1回ナンボの価格設定のようです。ホテルのランドリーサービスなら数千円取られそうなこの量でも低価格なのは安心です。もちろん当日仕上げも可。

さて、旧市街行きのバスに乗ってモンテビデオ港の市場に着くも、時刻は11時頃ということもあってまだ準備中のところが多いようです。モンテビデオ港の入り口のベンチで時間を潰していると…





Danielと名乗るオッサンに絡まれました。「何してんの?」と聞かれたので「Estoy matando el timpo hasta que el restaurante se abre.(レストランが開くまで時間を潰してる)」と言うと、「アッハッハ、"matar el timpo"ってオモロい表現やなぁ」と笑われました。コレ、辞書にもある表現なんだけどなぁ…。この後30分程話し相手をしてもらいます。





オッサンに別れを告げてモンテビデオ港の中へ。各国語で歓迎を示す物体が展示してありますが、中国語(繁体字)の「歡迎」がやたら横に引き延ばされているのが気になります。





各種コンテナの類が奥の方まで積まれていて船舶での物流が活発な港のようです。





デカい貨客船が停泊していました。写真を撮っているとGonzaloというタクシー運転手にやたらとしゃべりかけられます。「何でウルグアイに来たん?」という殺人的な質問を投げかけてきた彼は、ひたすらマイペースで話し続けます。

何で来たと言われても我々ガイジンにとってウルグアイなんて、アルゼンチンに来たついでの訪問国数稼ぎのスタンプラリー以外の何物でもないわけですが、それをそのまま伝えるのもさすがに失礼な気もするので、「Voseoの使用されている実態調査に…」とお茶を濁したのですが、言語学に疎い一般人が己の話すスペイン語の言語表現を"voseo"であるともわかるはずがなく、「で、ボセオって何?」と逆質問を浴びせかけられたのでした。

("voseo"とは中南米の一定地域で使われるスペイン語の一種。規範的スペイン語で2人称単数形を指す"tú"の代わりに"vos"を用い、動詞の活用語尾も異なる。南米ではアルゼンチンやウルグアイ、中米ではニカラグアがvoseo地域として有名)







昼前にようやくレストランがオープンし始めたので、また前日と同じ所で食事することにしました。





これがメニュー表。asado medio(骨付きカルビ半人前)、UYU 155(=700円)。普通に一人前を頼んでもUYU 195(=880円)なので、咀嚼力に自信のある方は一人前で注文された方がお得です。その他の肉も同様です。





チョリソーも頼んでみました。肉、肉、肉です。肉ばかり食べてると気持ち悪くなってくるのでミックスサラダもオーダーしましたが、野菜を食べる習慣がないからなのか、UYU 90(=400円)とそこそこいい値段を取ります。





13:20
「うひ~、喰った喰った、ゲプッ」などと呟きながら、モンテビデオ陸の玄関口、Tres Crucesバスターミナルに到着しました。コロニア行きのバスが出るまでここで少々時間潰しです。ここはバスターミナル兼ショッピングセンターになっているのでおみやげなんかも購入できます。





18:30
コロニア着。アルゼンチン出国時にブエノスアイレスでやったように、出国審査と入国審査が同時に終わりました。





ブエノスアイレス行きの船内はこんな感じです。行きの時とは違ってこちらは高速船ではないのでゆったりとしたもんです。船内放送で流れるBuquebus社のジングル「ブッ、ブッ、ブッケブス♪」が数分おきに繰り返されるのですっかり洗脳されてしまいます。





出港直後のコロニア港です。結構明るいんですが只今20時です。







しばらくすると夕日がラプラタ川に沈もうとしていました。





22:00
ブエノスアイレスのDarsena Norte港に着きました。しかし写真中央に見えるボーディングブリッジと船体側がうまく接続できないようで、モタモタモタモタしています。結局1時間ももたついた挙げ句、地下の自動車搬入口から下船することとなりました。おかげで夜遊びタイムが減ったやないかっ、プンスカ!

メルコスール14日目―半人前が2人前の国

2010年08月16日 | 2010南米旅行




03/02 火曜日 メルコスール14日目(ウルグアイ)
滞在地:モンテビデオ(ウルグアイ)





宿を出ると朝市がやってました。野菜・魚介類・チーズ・日用品・雑貨などなど。一般道を2ブロックほど封鎖してやってます。





八百屋の一例。よく旅番組でヨーロッパの市場に行くとこういうアングルで撮ってますよね。BS日テレの「トラベリックス」という旅番組をよく見るのですが、本上まなみのナレーションで「ふわぁ~、新鮮な野菜がいーっぱい」って言ってそうなそんな朝市です。





新市街を少し下れば水辺に出ます。ここはラプラタ川の川縁の遊歩道で、気持ちよく散歩できるようにきれいに舗装されています。しかし、至る所にスプレーで落書きしてあって、"JESUS TE AMA"(神さんはちゃんと見ててくれてはる!)などの抹香臭い落書きが描かれています。日本では「一切衆生悉有仏性」なんて落書きは見かけませんねぇ。





こちらのカメラを意識しながら自転車で走り去っていったオッサン。





波打ち際はこんな感じです。ブラジル・ベレンのアマゾン河近くが磯臭くなかったように、こちらのラプラタ川沿岸も淡水なので磯臭くありません。





歩いて旧市街の方へやってきました。旧市街には重厚な石造りの大きい建物がいっぱいあります。





平日の午前中なので繁華街でも人はまばらです。





モンテビデオ港の方に抜けると商店がたくさん建ち並んでいて、買い物客もそれなりにいます。しかし他国と比べて全体的に人が少ないような気がします。





商品を狙っているように見える猫。実は果物に集るハエの類いをネコパンチで撃退している立派な猫なのです。





モンテビデオ港近くの市場にやってきました。この市場は炭火焼肉屋が大半を占めており、行けばいつでもおいしい焼肉が賞味できます。ウルグアイはアルゼンチンと並ぶ世界有数の牧畜国家ですので、良質の肉が安価で、しかもおいしくいただけちゃいます。





asado medio(骨付きカルビ半人前)、UYU 155(=700円)。半人前と言えども日本で言うところの2人前はありそうな勢いです。日本人好みの霜降り肉ではなく、適度に歯ごたえのある肉で、何度も噛まねば飲み込めないのでムニャムニャ噛んでいると、じわじわと肉本来のうまみがしみ出してくる非常に美味な肉です。肉周辺の脂身が炭火でカリッとなったところは、油かすのような濃厚な味わいでこちらもおいしかったです。





旧市街の独立広場に戻ってきました。この銅像はウルグアイ建国の父・アルティガスの像で、といってもせいぜい200年前の人物です。





昨日のお祭りでは歩行者天国になっていた18 de julio大通りも、今日は通常の車道に戻っています。

モンテビデオに限らずウルグアイにはこれといった見どころがないので、今日は完全にただの「世界ふれあい街歩き」になってしまいました。これ以上やることもないので、地元スーパーに潜入してモンテビデオっ子の普段の生活を垣間見ることにしました。





チーズ280g、UYU 52.54(=240円)。あまりコクのあるチーズではありませんでした。





生サラミ100g、UYU 17.17(=80円)。おつとめ品でした。





テーブルワイン1L、UYU 52.50(=240円)。もっと安いワインも山ほどありますが、あんまり安すぎても不安なので最低ラインの1つ上ランクのワインを買ってみました。

チーズとサラミを食べながらワインを1パック開けてマテ茶をチュルチュル飲んでたら、知らない間に寝ていました。よって本日終わり。

メルコスール13日目―フェイスペイントの効果

2010年07月21日 | 2010南米旅行




03/01 月曜日 メルコスール13日目(アルゼンチン/ウルグアイ)
滞在地:ブエノスアイレス(アルゼンチン)→モンテビデオ(ウルグアイ)





7:00
起床。ホテルが気に入ったのでチェックアウトのついでにウルグアイからアルゼンチンに戻ってきた後の宿泊もここにするため予約しました。朝のブエノスアイレス市内はスーツを着たリーマンが慌ただしく出勤しています。





Buquebusのターミナルは乗客でごった返していました。列に並んでからチェックインが終わるまでに1時間も要し、もうこの時点で出航時刻5分前です。自分の後にも長蛇の列が続いていたので、客も係員もみんな必死です。

出国カードに必要事項を記入し出国審査を受けます。アルゼンチンの出国審査の係員の隣にウルグアイの入国審査の係員が並んで座っていて、アルゼンチンの出国審査と同時にウルグアイの入国審査が同時並行的に終わってしまうという合理主義。





待合室から船にはこのようなボーディングブリッジで乗船します。





Buquebus船内のようす。船なので飛行機に比べればシートピッチが広く、バーなどの船内設備も充実しています。出港してから気づいたのですが、ボクが乗っているのは普通船の3倍の速度が出る高速船です。









10:10
船はブエノスアイレスのDarsena Norte港を出港しました。









航行しているのは海ではなくてラプラタ川です。ボクは見知らぬ土地では太陽の位置を手がかりにして時計で南の位置を割り出して方向を把握するのですが、太陽の位置と時計を使って現在の船の進行方向を割り出すと、船は西に向かって進んでいることになります。

しかし、ブエノスアイレスから見て船の行き先であるコロニアデルサクラメントは東の方向で、そもそもブエノスアイレスから西には陸地があるので、船は西には航行できないのです。おかしいなぁ……

このトリックに気づいたのはウルグアイに着いてから。今ボクがいるのは南半球なので、太陽の位置を手がかりにして時計で割り出せる方角は南ではなくて北になります。だから船が進んでいるのは東向きで、ちゃんと合っているのでした。ん~地球って丸いなぁ。わかる人だけわかってくれればいいです。





11:10
コロニアデルサクラメント着。ここでトラブル発生。預けた荷物が空港のバゲッジクレームみたいなターンテーブルに乗って循環しているのを受け取るのですが、預けた背嚢のサブポケットが何物かによって開けられて、その中身が抜かれていました。

サブポケットには機内でのエア枕や筆記用具などを入れており、金目のものは入れていなかったのですが、この旅の詳細をメモした小さいノートを入れていたので自分としては大きな痛手です。背嚢のサブポケットは人為的に開けねば開かない構造のものなので、何物かによって開けられたと考える方が自然です。

しばらく呆然としているとサブポケットに入っていたノート類がターンテーブルに乗って回ってきました。ちゃんと戻ってきたので万々歳です。でもこれからBuquebusに乗る方は注意してくださいね。小さいポケットでもちゃんと施錠しましょう。





2時間かけてモンテビデオのTres Crucesバスターミナルに着きました。ウルグアイはサマータイム実施中なので、時計を1時間早めて現在時刻は15:00。





バスターミナルからモンテビデオ中心街へと至るバスに乗って外を眺めていると、赤青白の三色旗を持った連中が頻繁にウロウロしているのが目につきます。





モンテビデオのセントロに着くとそこはもうお祭り騒ぎ。ここにいたって1週間前にイグアスの滝で出会ったモンテビデオから来た老夫婦の「来週は大統領就任の祭りがあるよ」ということばが蘇ってきました。これのことだったのか。





新大統領Mujica氏のお面屋台。









広場は三色旗を持った支持者で埋め尽くされています。この三色旗はウルグアイの与党であるFrente Amplio(拡大戦線)の党旗で、Frente Amplioは簡単に言えば左翼政党です。保守政党から革新系のFrente Amplioに政権が交代したのでこんなに祭りになっているのか、と思えばそうではなくて、前大統領のVásques氏の頃からFrente Amplioは与党でした。ですのでこのお祭り騒ぎの意味がボクには分かりません。





MPP(=Movimiento de Participación Popular)はFrente Amplio(拡大戦線)を構成する政治グループだそうで、日本で言うところの鳩山政権における社民党みたいなもんでしょうか。





誰かわかりませんがサイン攻め&写真攻めに遭っているオッサンがいました。日本で言うところの渡部恒三みたいなポジションなんでしょうか。





18 de Julio大通りには支持者がどんどん集まってきます。この旗を見ているとロシアの選挙運動に巻き込まれているような気がしてきます。

群集に紛れてフラフラほっつき歩いていると、絵の具を持ったチビっ子が来て、両頬をFrente Amplioカラーである赤青白のトリコロールに塗られました。このチビっ子のおかげなのか、フェイスペイント後のボクはあちこちのモンテビデオっ子からやけに絡まれるようになりました。





独立広場でのライブ映像を見ながら歌う群衆。独立広場はわずかなスペースしかないので、18 de julio通り全体に人が溢れています。





お祭りの写真を撮っていると、「オレ達を撮れYO!」とモンテビデオっ子に絡まれたので写真を撮ってみました。イカツイ風貌なのに綿菓子持ってるみたいに見えてカワイイですね。





ここでウルグアイB級グルメレポート。18 de Julio大通りは歩行者天国になっていていろんな屋台が出ています。これはチョリパン屋台です。チョリパンとはパンにチョリソを挟んだ軽食のことで、ホットドッグに比べてチョリソはボリュームがあり、炭火で焼いてあるので香ばしくていい香りがします。

チョリパンはアルゼンチンやウルグアイでは割とメジャーな食べ物です。トッピング全部乗せで頼んだらこのようなとんでもないことになります。UYU 35(=157円)。





Torta Frita(揚げパイ)。粉砂糖がかかっていて甘そうに見えますが、甘さ控えめでナンボでもいける勢いで食べてしまいます。UYU 20(=90円)。

このあと暗くなってからクラブに遊びに行きましたが、地元っ子によると木曜日から週末にかけてでないとモンテビデオの夜は盛り上がらないようです。帰り道にホテルまでフラフラ歩いて帰っても街中は比較的安全でした。

メルコスール12日目―大地鳴動に気づかず

2010年07月20日 | 2010南米旅行




02/28 日曜日 メルコスール12日目(アルゼンチン)
滞在地:ブエノスアイレス(アルゼンチン)

6:00
バスの中で起床。窓の外にはひたすら茫漠たるパンパが広がっています。これといったランドマークもなく草原が延々続きます。





8:40
ブエノスアイレスのレティロ地区にあるバスターミナルに着きました。知人がこのバスターミナル裏手で強盗に遭ったことを聞いていたのでそそくさと退散します。





明日ウルグアイのモンテビデオに行くつもりをしているので、Buquebus社のターミナルにやってきました。Buquebusはその名の通りbuque(船)とbus(バス)を取り扱っている会社のことで、アルゼンチンからウルグアイに向かう場合、陸路では遠回りになるので、普通はBuquebusを利用して船で行くことが多いようです。

ブエノスアイレスからモンテビデオに行くには、ブエノスアイレスから船でラプラタ川を横断し、対岸の都市であるコロニアデルサクラメントに着いてから、バスに乗り換えて陸路でモンテビデオまで行く方法と、直接モンテビデオまで船で行く方法とがあります。便数が多いのは船+バス併用型です。





半日近く夜行バスに揺られてブエノスアイレスに到着して疲れているので、ホテルでちょっと横になって休むことにしました。テレビを見ていると隣国チリで大地震が起こっているようで、その地震特番をやっていました。死者の数が時間の経過とともにどんどん増えていきます。





ミシェル・バチェレ大統領(当時)がテレビで治安の回復等を国民に訴えかけていました。この地震は大統領の任期切れまであと10日という政権最末期に発生したために、おそらくはその処置のほとんどを次期大統領が担うことになるでしょう。次期大統領が「前政権が~、バチェレが~、国民が聞く耳を持たなくなった~、アーアー聞こえない~」と責任転嫁せず対処してくれていることを祈りたいと思います。









しばらく休憩してシャワーを浴び、ブエノスアイレス市街の散策に出ました。写真は9 de Julio大通りにあるオベリスクです。67mの高さがあるので街歩きの目印としてはもってこいです。しかしながらブエノスアイレスは東西南北に碁盤目状に道路が整備されているので、ランドマークなどなくてもよほどの方向音痴でない限り迷うことはないと思われます。





オベリスクの下の方にローマ数字で書いてある年号"MDCCCLXXX"は西暦1,880年のことで、この年にブエノスアイレスは正式にアルゼンチンの首都となったのです。





お腹が空いたのでレストランに入りました。





ミラノ風カツレツ、ARS 25(=625円)。やたらとデカいのはこの国のお国柄によるものです。アルゼンチンは何を隠そう一人当たり年間牛肉消費量が52.1kgで世界一!これは世界平均の5倍以上の数字です。ちなみに日本の一人当たり年間牛肉消費量は6.5kgで第86位です。





街中を歩いていると今まで回ってきた南米諸国とは違った印象を受けます。ブエノスアイレスは「南米のパリ」と呼ばれているそうで、これを見ればなるほどな~と思います。(パリ行ったことないけど)





日曜日はドレゴ広場で骨董品市をやっているというのでやってきました。切手やナンバープレートやビンテージものの食器などの屋台が所狭しと出店しています。





ローカルニュースの取材らしきインタビュアーと出店者。

この日はバス移動で疲れているのと日曜日ということでさっさとホテルに戻ってすぐ寝ました。

メルコスール11日目―ソロで歌うデュオ

2010年07月19日 | 2010南米旅行




(前回の続き)
さて、国道でバスを拾って再びエンカルナシオンのバスターミナルへと戻ってきました。どうにもこうにも頭痛がひどいので近くの薬局で風邪薬を買いました。PYG 2,500(=50円)。ついでにマテ茶の壷と専用ストロー(bombillaといいます)と炭酸水をPYG 24,000(=480円)で購入しました。

明日は日曜日なのでおそらくどこの商店も閉めて活気がないだろうと思われます。ですのでさっさとパラグアイを出国して夜行バスでブエノスアイレスに行き、その後はホテルでゆっくりすればいいや、と考えてバスターミナルでブエノスアイレス行きのチケットを買い求めます。が、どこも「ブエノスアイレス行きは売り切れてまんねん、あさって発やったらあるで」とのこと。





このままパラグアイにいても仕方ないので、ここエンカルナシオンとパラナ川を挟んで位置する、アルゼンチン・ミシオネス州の州都ポサダスに行くことにします。バスターミナルをうろついていると「どこ行くねん?」とあちこちからお声がかかります。行き先を言えば「ポサダスやったらあそこのバス乗り場やで」と誰もが正直に教えてくれます。





アルゼンチン・ポサダス行きバスの車内。普通の路線バスと行った感じです。物売りなのかオバハン達が中国人顔負けのもの凄いボリュームの手荷物を積み込んで乗ってきます。

途中で出入国管理局前でバスが停まってくれたので出国の手続きを済ませました。窓口に行ったら建物の外にある机とハンコだけを置いた簡素なスタンプ台を指差され「あそこで手続きして」と言われます。オッサン2人がやけに陽気にスタンプを押してくれて完了。









国境の橋。





アルゼンチン側入国管理事務所。パラグアイ側はフリーパスだったオバハン達もIDを片手に入国手続きをしていました。近隣の住民だとパスポートは必要ないみたいですね。





アルゼンチンはミシオネス州、ポサダスのバスターミナルに着きました。イグアスの滝でもう既にアルゼンチンには入国したことになっていますが、メルコスール2ヶ国目アルゼンチンに再度入国!

ターミナル内にはバス会社のオフィスがいっぱいあり、ブエノスアイレス行きのチケットも豊富にありました。そらそうですよね、首都だもん。聞けば19:45発のバスがあったのでそちらを購入、ARS 173(=4,325円)。

手持ちのパラグアイ通貨のグァラニを両替しないと何もできないので両替屋を探しますが、国境の街のくせに一軒も見当たりません。ウロウロしてたらタクシー運転手が絡んできたので両替を頼むと、PYG 75,000(=1,500円)→ARS 30(=750円)のレートを提示して交換しようとします。

足らん!と言うともう10ペソ足してARS 40(=1,000円)にしましたが、それでも割を食ってる気がするので結局両替しませんでした。タクシーのオッサンは等価であることを主張していましたが、それを唯々諾々と信用する気になるわけもなく、こっちが押せばやすやすと10ペソを上乗せしたのも胡散臭い話です。なので未だにボロボロのグァラニ紙幣が我が家の奥に眠っています。弱小通貨とは悲しいもんです。





19:30
バス乗車。シートはリクライニング角度が大きくピッチも広くて快適です。途中で飲み物とエンパナダ(小ぶりのミートパイ)が供されるのでちょっとした機内食感覚です。

写真を見れば前方にモニタがあるのが分かると思います。サービスの一環か乗務員の趣味かはわかりませんが、このモニタを利用して夜間便なのに大音量でライブDVDを流すのには閉口しました。




Flor de Estación - Banda La Ruta 66
(メロディが頭から離れなくなるので視聴注意)


ミシオネス州では人気らしい"Banda La Ruta 66"というデュオのライブのようです。覚える気など更々なかったのにキャッチーなメロディラインのせいで頭からこびりついて離れなくなりました。デュオなのにハモるというわけでもなく、曲ごとにそれぞれが別々に歌っているというのもよくわかりません。

バスは一路ブエノスアイレスへ。

メルコスール11日目―閑古鳥鳴く世界遺産

2010年07月18日 | 2010南米旅行




02/27 土曜日 メルコスール11日目(パラグアイ/アルゼンチン)
滞在地:エンカルナシオン(パラグアイ)→ポサダス(アルゼンチン)→ブエノスアイレス(アルゼンチン)





詳細移動経路はこちら。パラグアイ唯一の世界遺産であるトリニダー遺跡に行ってからパラグアイを出国する予定です。

6:30
鼻づまりで呼吸が苦しくて起きました。頭痛もします。風邪引いたみたいです。8時過ぎまでボーッとしますが、回復の見込みがないので諦めてチェックアウト。





バスターミナルでトリニダー遺跡行きのバスに乗ります。PYG 5,000(=100円)。このバスは定員を超えてもどんどん客を拾って乗せていくので、立っている乗客と荷物やらでギッチギチに詰まっております。





1時間ほどで遺跡近くの国道に着きました。こちらでも車掌に「遺跡まで行くから着いたら教えて」と言っておけばちゃんと停まってくれます。このバスは地元民の生活の足として機能しているので、「他の観光客然とした人間について降りたらいいや」と思って何も言わずに乗っていたら、とんでもないところまで行ってしまう可能性大です。実際、ここでバスを降りたのはボクだけでした。





国道から5分ぐらい歩けばチケット小屋が左手にあります。他のミッション遺跡の入場料込みでPYG 25,000(=500円)です。それぞれの遺跡は車で30分ぐらい離れているところに位置しているので、全部見て回ろうとすると車がないとキツいと思います。

「他の遺跡にも行かんかったらもったいないで、アンタ!」と熱心に勧められますが、あいにく風邪を引いていて頭痛でフラフラになりながらここまで来ているので、あちこち見て回るほどのバイタリティは持ち合わせておりませんでした。荷物を背負って見て回る気力もなかったので、チケット小屋で背嚢を預かってもらいました。





この遺跡は正式名称をLa Santísima Trinidad de Paranáといい、Jesús de Tavarangueと共に世界遺産に登録されています。17世紀から18世紀にかけて築かれた、イエズス会の伝道村の一部が廃墟化して残っている遺跡です。

世界遺産にもかかわらず鐘楼の上で観光客を2名見かけたっきり観光客はほとんどいませんでした。そのせいか他の世界遺産にありがちな「触るな」「撮るな」「登るな」の類の禁止事項が少なく、自由に見て回ることが可能です。









この鐘楼は中に入れます。階段で2階に上がることもできるので、この遺跡唯一のビュースポットとなっているようです。













上からの眺め。





アリ塚。





何か分からん花。









メインの教会です。今では屋根が抜けてしまって残念な姿になっていますが、創建当時の姿を想像で補ってみると、他のラテンアメリカ諸国に現存するカテドラルに匹敵する教会建築であったことは、これらの重厚な土台と繊細な彫刻から容易に想像がつきます。





外から見るとこんな感じです。





今度は逆に祭壇側から入り口を見るとこんな感じです。





地下の遺体安置所への入り口。





もちろん遺体が今も置いてあるわけなどなくスッカラカンです。





横には隣の建物に通じる入り口が。





修復待ちの石材が陳列されています。





おそらく生前は神父だったと思われる人骨も展示してあります。

写真は100枚近く撮っているのですが、全部をいちいち挙げていってもキリがないのでこのへんでやめておきます。

(後編に続く)